議会では、こんなやりとりしています


動画で質問の様子をみることができます。
市議会HPの日程平成17年3月4日をご覧下さい。

2005年・3月議会での一般質問






















 <はじめに>

 藤野英明です。よろしくお願いします。

 はじめに、雪の中、傍聴に来て下さった市民のみなさまの
 市議会への高い関心にお礼を申し上げます。
 ありがとうございます。

 さて、質問にうつります。

 <1.「横須賀が変わった」と本当に言えるのか>

 (1)「横須賀が変わった」と本当に言えるのか。

 先日の施政方針演説で市長は
 「横須賀が変わった」というタイトルで、こう述べました。

   かつて「三浦半島の中核都市」に甘んじ、
   全国的にはほとんど話題にもならなかった本市が、
   今では全国から注目され、
   「挑戦する自治体」「分権時代のフロントランナー」という
   評価を得るようになりました。

 その根拠として『まちづくり市民アンケート』の結果を挙げて
 横須賀は「住みよい」とする人が80%を超えている、
 と述べました。

 演説を聞ききながら、30年間このまちに暮らしてきた僕は
 全く腑に落ちませんでした。

 横須賀が「住み良い」方向に変わったとは
 とても思えなかったのです。

 市議会を傍聴していた市民の方に感想を尋ねたところ
 「変わってなんかいない。きれいごとを言うな」
 と言われました。

 そこで『まちづくり市民アンケート』の結果を詳しく調べてみました。
 市長の言った「住み良い」が80%というのは
 事実ではありません。

 「住み良い」と答えた人はわずか23.3%で
 しかも昨年度は25.1%だったのが減少しています。

 アンケート結果で、本当に最も多かった回答は
 「まあ住み良い」、ふつうであると答えた人で59.8%でした。
 これさえも昨年度は「60.5%」だったのが減少しています。

 「まあ住み良い」と「住み良い」をプラスして
 8割が「住み良い」と答えた、というのは明らかな詭弁です。

 むしろ、マイナス評価である「住みにくい」と
 答えた人は3.1%で
 昨年度の2.8%よりも増加しています。

 また「あまり住みよくない」と答えた人も11.5%で
 これも昨年度の8.2%よりも増加しています。

 「住み良い」が減って、「住み良くない」が増えている、
 これがアンケートの示している事実であり、
 市長が挙げた数字は、根拠とは全く言えません。

 さらにそれを裏づけるために、
 たくさんの市民の方にお会いして直接に質問してみました。

 それは

 「この10数年間で横須賀は変わったと思いますか?
  変わったと思うなら、どう変わりましたか?」

 というものです。

 返ってきた答えは、ほとんどがネガティブなものでした。

 ・ビルが増えた。海が狭くなった。山が減った。緑が減った。

 ・子どもとお年寄りが公園でペアでいる姿が減った。

 ・アメリカ軍人の酔っ払いの質が悪くなって治安が悪くなった。

 ・病院がどこもいつも混んでいるようになった。

 ・深夜、障がいのある子どもが発作を起こしても、
  対応してくれる市内の医者がいなくなった。

 ・ゴミ箱が減って、落ちているゴミだけが増えた。

 ・植えてある花は増えたが自然の大木が減っていった。

 ・横須賀中央に活気が無くなって薄汚れた。

 ・久里浜は一般のお店がくしの歯をひくように閉店して
  目立つのは原色ぎらぎらのパチンコ屋ばかりになった。

 ・以前はもっと楽しげな雰囲気のまちだったのに
  街を歩く人たちの顔つきがけわしくなってきた。

 ・西部地域も産廃処理場や残土捨て場が目立って
  殺伐とした風景になった。

 ・変わったかもしれないがあまり良くなったとは思えない。

 ・IT都市と言われるようになったが市民には何も関係が無い。

 ・若い世代の市民がどんどん横須賀を離れていくようになった。

 ・駅前や目に付くところにホームレスが増えた。

 ・自分が子育てをしていた頃と比べて
  孫を育てている娘が安心して子育てをできなくなってきた。

 ・交通整備が行き届いていなくて
  いつも路上駐車があふれていて
  渋滞が多い所は何も変わってない。

 ・障がいのある人向けのグループホームが
  いつまで待っても増えない。

 ・介護施設が少なくてサービスを受けられないし、
  老後も不安で夢も無くなった。

 ・ヴェルニー公園のように人目につく場所の公園ばかり
  手を入れてきれいにしてるけど
  中央公園や樹木公園など人があまり利用しない場所は
  放りっぱなしで木は茂り放題で最近は大きな木も切りすぎている。

 ・困窮した市民生活を送っているのに
  豪華な文化施設が建てられる間違った文化都市になった。

 ・自然を破壊して宅地化ばかり推進するようになり
  マンションだらけになってしまった。

 ・中高年の働く場所が少ないところは全然変わらない。


 また、社会福祉協議会と横須賀市が行なったイベントの場でも、
 同様の評価が出ています。

 先日行なわれた「第1回よこすか福祉の輪のつどい」でも
 パネリストの方々が横須賀市に得点づけをしたところ
 100点満点中の、30点、40点、60点との声が出ました。

 これらのいずれもが「横須賀が良い方向に変わった」という
 市長の宣言とは正反対の結果を示しています。

 率直に申し上げて、市民のみなさんの考え方と
 沢田市長の認識にはかなりの差があるという印象があります。

 つまり「横須賀は変わった」と
 市長は自負していますが
 このまちに暮らしている市民のみなさんからすれば、
 自治体が政令市だろうが中核市だろうが特別市だろうが
 地方分権のフロントランナーと呼ばれようが
 そんなことは
 「暮らしていく上での満足感」とは何も関係が無いのです。

 評価は外部の大学の研究者や他の自治体職員など
 「自治体という特殊なサービス業界」の中だけの評価であり
 彼らは僕たちがターゲットとすべき
 「本当の顧客」ではありません。

 本当の顧客、つまりこのまちに暮らす市民の方々からは
 「良い方向に変わった」という評価は
 ほとんど聞こえてきません。

 ちょっとまちを歩いている人に質問をしてみれば
 現実が分かります。
 「変わった」という言葉が示すのは
 自然が無くなったなどの
 マイナスな意味でしかありません。

 「横須賀が変わった」と市長が宣言するのは時期尚早で
 間違っていると思います。

 この評価こそが生の声だと思いますが
 市長はこういった現実をどのように受け止めていますか。
 「横須賀が変わった」と本当に言えるのでしょうか。










































 次の質問に移ります。

 施政方針演説の中で挙げたいくつかの先駆的な取組みが
 外部からは評価されているのは事実ですが
 これらの取組みは
 「市民満足度」には直結していません。

 むしろ、生活に密着した素晴らしい事業が
 いくつも存在しているのですが
 その存在が一部の方にしか知られていないことこそ解消すべきで、
 「市民満足度」を高めるためには
 これらに光を当てる努力をすべきです。

 例えば、1人暮らしの高齢の方への福祉電話や
 認知症高齢者の介護をしている方々の集いなどを始め、
 成年後見制度の利用支援の為の
 多職種間のネットワークを作っていること、
 特定疾患(難病)の当事者会や家族会を
 設立するサポートをしていることなど
 派手さは無くとも、
 救われている方々の多さを
 こころから誇るべき本市の事業です。

 また、ヤングテレホン横須賀やEメール相談の存在が
 リストカットなどの自傷行為に苦しむ子どもたちの
 助けになっている事実も知られていません。

 子どもによる野良猫殺しなどが起こっていますが、
 NPOと共に捨て犬や捨て猫の里親探しを
 毎月実施していることも
 地道な事業ですが、
 命を守り、命の大切さを理解してもらうという
 高い教育的な意味も持っており、評価されるべきです。

 他にも語りたい事業がたくさんありますが、
 それらは市長が誇る先駆的な取組みではありません。

 また、現場の保健師さんたちは土日であっても
 知識とスキルを高めるために
 毎週のように研修に参加しています。

 こういう市職員の姿や身近な事業が市民には伝わっておらず
 本当に暮らしを支えてくれる事業が
 存在さえ知られていないことにより
 結果的に暮らしの満足度が低い状況になっていることは
 市民にとっても市の職員にとっても
 明らかに大きな損失です。

 市役所の行なっているいくつもの大切な事業を知れば
 多くの市民の方々が「このまちに暮らしていく喜び」を
 実感できると僕は信じています。

 市長は、全国的に評価されるような新しい事業を
 宣伝するのは非常にうまいと思いますが
 むしろ今述べたような
 派手さは無くとも確実に市民の暮らしに直結した事業を
 もっと市民のみなさんに知ってもらう、利用してもらう、
 そういう戦略をこそ重点的に
 今後は行なっていく必要があると思います。

 市長はどのようにお考えか、お答え下さい。


































 次に、予算編成の基本的な考え方のうち
 横須賀市の借金である市債の発行基準に疑問があります。

 「予算の概要」において、

  「市債の発行については、
   償還費が交付税に算入される市債の活用を図りました」

 との言葉が、ここ数年の決まり文句になっています。

 しかし、この考え方は
 「地方交付税の先食い」であり、かつ
 「財政のモラルハザード」を引き起こすものだと
 僕は思います。

 そもそも「地方交付税」は
 自治体の純粋な歳入となるはずのものであり、
 自治体の借金返済にあてよう、という国の方針転換そのものが
 間違っており、僕は強い不信感を持っています。

 そして、市長が国の失策をそのまま受け入れているような
 市債発行の基準に対して疑問を感じています。

 例えば、こんな市債の代表が「臨時財政対策債」です。

 その特徴は、市が借りた金額の全額と利息分(元利償還金)を
 国が地方交付税として市に支払ってくれる。
 借金を返済する期限(償還期限)が来ると、
 そのお金(償還額に相当する金額)を
 交付税として自治体に支給される、というものです。

 「臨時財政対策債」が出てきた背景は、
 政府の「その場しのぎ」の財政運営があります。

 国の「交付税特別会計」の財源不足を
 「特別会計名義の借金」で補てんしてきたけれど、
 2004年度末には債務残高が
 50兆円を超えてしまう状況に陥ったので
 2001年度からは補てんの一部停止を決め、
 この「臨時財政対策債」を創設し、
 「自治体名義で借金を肩代わりさせる」ことにしたわけです。

 しかし、この国の財政を考えてみれば
 「交付税特別会計」の状況が良くなるとはとても思えません。

 それなのに「臨時財政対策債」の償還に交付税を用いれば
 自治体には新たな財源不足が必ず生じてきます。

 その不足は結局また新たな臨時財政対策債を
 発行し続けて補てんするしかなくて、
 自転車操業状態になるのは確実だと思います。

 自治体が自由に使えるはずの交付税が
 国全体のレベルで減少してしまい、
 かなりの割合を
 「借金返済用の交付税」が占めているのが現実です。
 つまりこれは「交付税の先食い」ではありませんか。

 こうした国の失策をそのまま受け入れることは
 結局、横須賀市にとっても
 自分で自分の首を絞めていることだと思います。

 横須賀市の「償還費が交付税に算入される市債額」は

 平成13年度は 94億1340万円
    14年度は114億1310万円
    15年度は116億5750万円
    16年度は112億4720万円
    17年度は 85億7910万円

 にも昇ります。

 一方で、市の財政構造の基盤のもろさを表すとも言える、
 地方交付税への依存の度合いは

 平成13年度は9.9%、
    14年度は 10%
    15年度は9.6%
    16年度は9.4%、
    17年度は7.8%、

 常に全体の1割近くを占めています。
 横須賀市の財政基盤は決して強いとは言えません。

 そこで市長にお聞きします。

 第1に、地方交付税の削減傾向が明らかな中で
 「交付税で償還されるから市の自己負担は少ない」という
 国の破綻している説明を
 丸呑みで信じているような市債発行を何故行なうのですか。

 償還額を上乗せされるはずの交付税は
 さらなる削減が進んでいくでしょう。
 その時に「約束が違う」と主張しても
 もはや後のまつりでは無いでしょうか。

 第2に、この方針で市債を発行し続けることは、
 実は将来の世代が使えるはずの地方交付税を
 今の世代が先食いしていることに他なりません。

 「市債依存体質の改善」と市長は言いますが、
 将来の世代の貴重な財源を先食いして
 未来の世代につけを残すことに変わりはありません。
 市長はこの点をどうお考えですか。

 以上2点、お答えください。































 次の質問に移ります。

 市長は、先駆的施策の1つとして
 病院の公設民営、つまりうわまち病院を挙げています。

 確かにうわまち病院の評判は高く、
 市民の方から聞く意見でも、
 また僕自身が2年間、
 民生常任委員会での議論に参加してきた中でも
 市議会議員側も、病院管理部側も、同じ認識にあると思います。

 しかし、その一方で
 もう1つの市立病院である市民病院の改革は
 進んでいると実感できる市民の方が
 どれくらいいるでしょうか。

 睡眠時無呼吸症候群外来の開設や
 東棟の改修による救急施設の改善や
 病院入り口道路の渋滞を解消し利便性を高める駐車場整備など、
 いくつもの改善がなされています。

 今年1月末には医療の質を認定してもらうために
 日本医療機能評価機構のチェックも受けました。

 けれども、市民の側にそういった改善は実感として知られておらず
 僕が市民の方から受ける苦情は2年間変わらずに

 「受診の前に必要な情報を得ようとしたが
  市民病院のホームページでは用を成さなかった」

 「待ち時間の長さにへきえきした。どうにかできないのか」

 「入院して3ヶ月が過ぎたらまだ状態が悪いのに
  退院してくれと言われて非常に困った」

 などから始まって、様々な医療面の充実を強く求められます。

 医療の質を高めて欲しい、
 医師と看護師の対応を改善して欲しい、
 インフォームドコンセントを徹底して欲しい、
 など当然の要望がたくさんあります。

 いずれにしても市民の共通した想いは
 「市民病院は改革が必要だ」ということです。

 実際には改革への動きがあるにも関わらず
 常に人々の評価や関心はうわまち病院へと向かいますし、
 市長も施政方針演説ではうわまち病院にしか触れませんでした。

 けれども市民病院の存在は
 西地区のみならず市民全体にとって大きな存在意義があり、
 変わるべき点は早急に変わらねば
 信頼やその存在意義そのものが失われ、
 患者離れが進んでしまいます。

 そこで、これまでは民生常任委員会の質疑の中で
 病院長や病院管理部長の意見を聞いてきましたが
 病院開設者という立場にあたる市長は
 このような状況をどう考えているのかを聞かせてほしいと思います。

 そして、市民病院の改革について
 具体的にどのような在り方を今後考えているかを
 ぜひ市民のみなさんに語りかけていただきたいと思います。

 市長の考えをお聞かせ下さい。






























 2.来年度予算案について

 予算案で最も気になるのは
 教育の向かう方向についてです。

 横須賀市に限らずこの国では
 本当にたくさんの子どもたちが生きづらさを抱えながら
 不登校になったり、精神的な病になったり、
 「生きる力」をしっかりと持つことができない現状があります。

 例えば、僕が自殺予防教育を
 学校の中で推進したいと一般質問した後、
 中学進学前のお子さんを持つ方からメールを頂き、
 自殺予防教育の大切さは分かるけれど
 それ以前に学級崩壊が激しくて授業自体が成立しない、
 と言われました。

 僕は小中学校の先生たちの
 私的な勉強会に参加させてもらっていますが、
 子どもたちの「生きる力」を育むことこそ優先順位が上であり、
 学力をつける以前の
 切実な問題だという意見が多いです。

 そんな中、教育長は「不登校対策は最重要課題」と述べ、
 市も児童相談所の設置など
 子どもに寄り添う姿勢を見せてきました。
 僕はこの方針を高く評価しています。

 しかし、その一方で、来年度からは
 小中学生3000名を対象に「学力調査」を行ない
 その結果をもとに学力向上を図ると打ち出しました。

 「学力の向上」も「生きる力を育むこと」も
 共に教育の最重要課題ですが
 どちらがより優先順位が上かと言えば、
 子どもの生きづらさを解消してあげること、
 つまり「生きていく力」を育む教育のはずです。

 しかし、政府や文部科学省は
 OECD(経済協力開発機構)が昨年実施した
 「国際的な学習到達度調査」の結果で
 日本の成績が前回と比較して順位が下がった途端に
 「ゆとり教育」をわずか3年で覆して、
 学力重視に戻してしまおうとしています。

 これは本当に愚の骨頂です。

 何故ならばこのOECDの国際学習到達度調査の目的は、
 「知識量」を計ることではなく、
 将来、社会生活で直面する課題に
 その知識を活用する力があるかどうかを計ること、
 つまり「生きる力」があるかどうかを見極めるためなのです。

 OECDのいう学力とは
 日本がこれまで推し進めてきた
 知識詰め込み型の学力とは全く違うものであり、
 この調査結果で本当に分かったことは
 日本では子どもたちの
 「生きていく力」や
 「知識を社会で応用する力」が落ちているということなのです。

 ですから本当に進めなければならないのは
 「ゆとり教育」や「総合的な学習の時間」に代表される
 現実社会との接点を多く持つことにこそあるのです。

 マスコミの「結果が下がった、学力が低下した」という
 本質を理解していない表面的な報道に振り回されるべきではなく、
 むしろ現在、先生方が現場で必死に積み重ねてこられた
 「総合的な学習の時間」の成果などを、
 さらに自信を持って進めることこそが
 本当に必要なのです。 

 しかし、政府は朝令暮改で
 これらをやめてしまおうとしています。
 こんな安易な教育観では子どもたちが救われません。

 そこで横須賀市に話を戻しますが
 来年度に「学力調査」を行なうという方針は
 国の安易な政策転換に引きづられているように
 僕には見えました。 

 横須賀市はそうあってはならない、と強く思います。

 そこで僕は改めて
 市長と教育長に直接うかがいたいのです。

 学校教育や社会教育などを通じて
 横須賀市がめざしている「大人」像とはどういう者なのでしょうか。
 横須賀市がめざしている「子ども」像とはどういう存在なのでしょうか。

 市長、教育長、ともに可能な限り具体的に
 お答えいただけたらと思います。


















 最後に、続いて「学力調査」についてお聞きします。

 そもそも「学力調査」というものは
 非常にあいまいなものだという批判が
 多くの教育者からなされています。

 例えば、〔よのなか〕科で高い評価を得ている
 杉並区立和田中学校の藤原校長はこのように述べています。

  「学力調査で上位になる学校は
   まず、生活指導がきちっとされていて
   学校が落ち着いていることが必要条件になります。

   ベテランの校長によれば、下駄箱を見て、
   かかとが潰れた靴
   (つまり、いつもかかとを踏んで歩いている生徒)が
   何人いるかと成績とは逆の相関をするとのこと。

   また、英数国については、実際、
   受験対応で塾に行っている生徒が多いほど
   上位になるようなところもあるのです。

   さらにいえば、インフルエンザで試験当日
   成績上位者が学校を休めば下がるし、
   成績下位グループが何人か休めば
   平均点が上がってしまう...
   というような、極めて曖昧なものだということも
   知っておいて欲しいところです」

 今回、横須賀市が行なう「学力調査」は
 その結果をもたらした「背景」まで
 きちんと調査を行なえる深いレベルの調査なのでしょうか。

 塾通いの子どもが多いとか生活指導が行き届いているとか
 そういう子どもたちの
 「背景」「因果関係」まで踏み込んで調査するのでなく
 単にペーパーテストで成績調査を行なうだけであれば
 結果に対する真の原因もつかめず、
 何も意味がありません。

 むしろ結果的に、子どもたちに再び、
 知識詰め込み偏重型の画一的な教育をもたらすことに
 なるのではないでしょうか。

 先ほど述べたとおり、横須賀市の優先順位は
 まず子どもたちの「生きる力」を育むこと、
 生きづらさを取り除いてあげることにあると思います。

 横須賀市の方針は、決して国に引きづられることなく
 子どもたちに寄り添う教育であってほしいと強く願います。

 詰め込み教育に戻り、学校の個性を失わせるような、
 画一的な教育を子どもたちに
 結果的にもたらすようなものではないか、という点について
 教育長は、このことをどのようにお考えか
 お答え下さい。

 以上で、第1回目の質問を終わります。


市長・教育長の答弁は後日、掲載します。

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