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自殺者の遺族が自殺する危険は5倍に上昇するため、
さまざまなケアを行うべき対象である
という事実について。
まず、ここで私が述べる「遺族」という言葉は、
単に家族だけを指しているのではありません。
1件の自殺に対しては、
少なく見積もっても5人は深刻なダメージを受ける
と言われています。
そこで、今回の一般質問では、
「遺族」と言う場合、
家族、親友、恋人、友達、職場の同僚など、
自殺者と身近なつながりを持っていた人々すべてを指しています。
遺族への対応については、
これまで強い偏見がありました。
大切な人が自殺したのだからショックを受けるのは当然であり、
それを他人がいやすことなんてできない。
ただ時がたつのを待つしかない、
こんなふうに信じられてきました。
けれども、これは明らかに間違っています。
病気や事故死よりも、自殺は強烈なメッセージを残します。
たとえ十分な介護の末に高齢の親を失った場合でも、
それを乗り越えるには時間も努力も必要です。
また、ある日突然に大切な人を交通事故で亡くした場合は、
病気による別れよりも、さらに複雑な死別の過程を経験します。
まして自殺となれば、
残された人の心の傷はさらに深くなります。
自殺した人をしばしば思い浮かべる、
悲しくなる、いつも自分を責める、
胸の中がぽっかりとあいてしまったように感じる、
涙もろくなる、自分もしばしば死を思う、
仕事をしていても能率が上がらない、
何をするのもおっくうになる、
簡単な決断さえ下せなくなる、注意が集中できなくなる、
人に会うのが嫌になる、趣味にも手がつかなくなる、
眠れない、食欲が出ない、体重が急に落ちてしまう、
疲れやすい、体の不調が続く、
このような症状が出てきます。
初めはへっちゃらに振る舞っているように見えても、
何年もたった後に、それこそ30年が経過した後に、
不安障害、うつ病、PTSDなどを発病して、
専門的なケアが必要になる方もいます。
さらには、深刻なダメージの結果、
最悪の場合には、「後追い自殺」、「群発自殺」が起こります。
こうして遺族の自殺率は、
そうでない人々と比較すると5倍にもなると言われています。
日常生活の困難さや、
さらには命の危険もあるという意味で、
遺族はケアが必要な対象であることがおわかりでしょうか。
では、横須賀市の場合、どれくらいの数の人々が
そんな状態に追い込まれているのでしょうか。
1件の自殺に対しては、
少なく見積もっても5人は深刻なダメージを受ける
というのが定説です。
これを横須賀市の平成14年のデータに当てはめると、
102人の犠牲者に対して、
遺族数は510人にもなります。
同じ年の交通事故犠牲者数と比較すると、
31.9倍にも及ぶ人々が
ケアの必要なハイリスクを背負うことになっています。
自殺は毎年起こるので、
同時に、毎年約500人もの遺族が新たに生まれています。
遺族のダメージは、時間の経過とは無関係です。
そう考えると、横須賀市でも累積された遺族の人数は
かなりな数に上るはずです。
ところで、市役所の職員の方々とのヒアリング中に、
「市民ニーズとして、遺族から
自殺予防の声は上がっていない」
という声を聞きました。
これは、把握できないのは当たり前です。
我が国の文化や風土を考えた場合、
自殺はタブー視され、家族は隠そうとします。
表立って「うちの子は自殺した」なんて、
ただでさえ行政アレルギーがあるのに、言うはずがありません。
この「ニーズがないイコール施策をする必要がない」、
そう考えているならば、それは明らかな間違いです。
明らかな欲求として、自殺予防を求めるニーズの声は、
決してこれからも上がらないでしょう。
けれども、潜在化したニーズ、
決して表には出ないニーズ、
つまりディマンドとしての自殺予防の需要は非常に高いと
私は断言します。
遺族が積極的なケアが必要な対象であるということ、
自殺予防はそもそも顕在しないニーズではあるが、
需要は確実にあるということについて、
市長はどのようにお考えでしょうか。
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健
康
福
祉
部
長 |
自殺者の遺族がさまざまなケアを行うべき対象であると思うが、
どうかというお尋ねでした。
家族が亡くなるということは、
身内にとってつらいことであります。
自殺という行為は、
予告なく死を選択する行為であることから、
遺族の方は深い悲しみを持たれることは
想像にかたくないと思います。
保健所では、「こころの健康づくり」の相談窓口を設けており、
遺族の皆さんが心のケアを必要とする場合には、
保健所に相談していただきたい
というふうに思っております。
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その他のお答えにつきましても、
立場というものが
皆さんの発言を縛っているのかもしれませんが、
今の横須賀の現状どおり
というお答えばかりに失望しております。
例えば、相談に来た人がいたならば相談に乗ってあげる。
遺族がケアの対象であるということは理解できるが、
こちらから向かっていくことは難しい。
「いのちの電話」がそういう状況であれば、
保健所の業務で対応していきたい。
ネットワークについては既にできていると。
連携も十分できていると。
そのような意味では、
総合的なネットワークも必要がないというお答えでした。
しかしながら、実感として感じている思いとしては、
もし何か精神的な問題を抱えたときに、
保健所を念頭に置く人間が果たして何人いるでしょうか。
メンタルクリニックや、
あるいはカウンセラーという存在を考えることはあっても、
保健所の相談窓口、あるいはその電話番号を
意識することができる人が果たして何人いるでしょうか。
その意味で、私は、打って出るべきである
というふうに質問でその思いを話させていただきました。
ぜひ打って出るという体制、
打って出るという姿勢を保健所にはとっていただきたい
と思っております。
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