まちの政治家は、こんなことしてます


2009年7月6日(月)のフジノその1
● あまりにも低調だった社会教育委員会の会議

 今日は『社会教育委員会会議』を傍聴しました。

 けれども1時間半をつうじて
 議論はとても低調で、すごく残念でした。



 今回の話し合いのテーマは、前回(2008年9月8日)と同じです。

 『学社連携』『学社融合』についてでした。

 (この言葉の意味は、前回詳しく書きましたのでそちらをご覧下さい)

 傍聴したフジノの率直な印象では、

 事務局メンバー(=教育委員会のことです)は
 『学社連携』『学社融合』の重要性を深く認識してはいるものの、

 この社会教育委員会のメンバーの方々は
 それが具体的にどれだけ意味があって有効なものなのか
 全くイメージが浮かんでいないのではないか、

 と感じました。

 前回の会議よりも、議論は明らかに後退していました。


 それにも関わらず、社会教育委員会メンバーからは

 「この『学社連携』『学社融合』は
  横須賀市の教育にしっかりと位置づけられていない。

  ここでの議論をもとに 
  教育長らにきちんとした位置づけを求めていくべきではないか」

 といった主旨の発言がありました。

 今回の会議を傍聴した限り、
 市の教育施策の中にとりこめるような提案は何も無いじゃないか


 と、フジノは強い憤りを感じました。


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 何故こんなにも低調な会議になっているのかを
 フジノなりにずっと考えてみました。

 (1)このテーマがメンバーにとって切実なものではないという認識を!

 そもそもこのテーマの設定は、
 国が打ち出した方針にもとづいて事務局(教育委員会)が
 提案したものです。

 教育委員会側はよく現場も知っていますし、

 『学校教育』の限界も
 『社会教育』の限界も知っていますから

 『学校教育』と『社会教育』がともに力を合わせて
 このまちをパワーアップさせていく、ということの必要性を深く知っています。

 つまり、両方が連携したり融合した時の大きなメリットも知っています。

 けれども、この社会教育委員会メンバーは

 学校教育と社会教育がバラバラに単独で活動するデメリットも
 両者が連携することの大きなメリットも

 リアルな体験や
 はっきりとしたイメージとして
 腑に落ちていないのではないでしょうか。

 だから、具体的な提案も出てこないし
 それぞれのメンバーがばらばらの意見を言い放しなのだと思います。

 そこで、事務局(教育委員会)は
 この社会教育委員会メンバーに
 共通の認識、つまり切実さを持ってもらう努力をすべきだと
 フジノは考えています。


 (2)両者の連携が機能している現場を訪れてはいかがでしょうか

 実際に『学社連携』がうまくいって機能している現場に
 社会教育委員会メンバーを視察に連れて行けばよいのです。

 例えば、教育委員会と商工会議所の提携によって
 不入斗中学校と坂本中学校が1年間を通じて行なっている取り組みを
 数回にわたって見学してもらえば良いと思います。

 3日間だけ市内の店舗などに中学生を派遣して
 職業体験をしてもらうのとは違って

 不入斗中と坂本中では、たくさんの社会人の方々に協力していただき、
 職業体験に行く前から事前学習をしっかりと行なって
 また、職業体験を終えた後も事後学習をして
 生徒たちの体験に深まりを持たせています。

 こうした『学校教育』と『社会教育』が連携して
 本当にうまくいっている例を実際に目の前で見ていただければ

 いかに両者が連携することが重要か、
 分かっていただけるはずです。

 ここでフジノが例に挙げたのは
 こどもたちの職業観の育成についてだけでしたが
 学社連携は、本当に様々な分野に対して応用できるものです。

 「この先のスケジュールではあと何回で
  教育長に対して報告書を提出しなければならない」

 みたいな話も出ましたが、今のままで報告書を出されても
 それは事務局(=教育委員会)が作成しただけのペーパーに過ぎません。

 この社会教育委員会のメンバーにさえ
 学社連携の重要性がこころの底から理解されないのならば
 市民のみなさまにだって理解されるはずはありえません。



 フジノは、このままこの会議が
 ただ回数を重ねて報告書を出しても仕方が無いと感じました。

 積極的な方向転換が必要です。

 また、現場を視察すると共に
 会議の開催回数をもっとしっかりと増やして
 メンバー間の共通認識を深める必要があるとフジノは考えています。

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 『社会教育』を推進することは
 今のこのまちにとって本当に重要であるにも関わらず

 現在のこの社会教育委員会の在り方では
 そうした期待には応えておらず、あまりにも残念です。

 次回以降の改善を、強く期待しています。



2009年7月4日(土)のフジノその1
● さよなら、タンパ。またいつか会える日まで

 走水・伊勢町の『かねよ食堂』の看板わんこである
 タンパが亡くなり、本日、埋葬しました。

 すでに親しいみんなには直接に伝えましたし、
 僕たちの仲間であれば
 もうジョンさんのブログをご覧になっているとは思うのですが
 あえて記したいと思います。

 というのも、あの素晴らしきお風呂屋さん『桃の湯』の閉店さえ
 初めてこのHPで知ったという方々がたくさんいらして、
 アメリカをはじめ、
 世界各国からフジノ宛にメールを頂きました。

 もと横須賀市民で現在はこのまちを離れている、という方々は
 世界中にいらっしゃいますので、

 多くの方々から愛され続けたタンパについて、
 このHPでもきちんと触れるべきだと判断しました。

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 僕とタンパとの出会いは、5年前のことでした。

 (2004年夏のタンパ)


 僕がこのまちで最も愛するカフェの1つである
 『かねよ食堂』と出会ったのも5年前のことでした。

 現在ではこんなにも誰からも愛されているタンパが
 12年前に『かねよ食堂』にやってくるまでの紆余曲折のお話は
 実は、とても切ないものでした。

 でも、そのお話はいつかまたどこかで...。

 僕にとってのタンパは、いつ『かねよ』を訪れても
 お父さん(ジョンさんのおやじさんです)と一緒の姿でした。

 朝に夕に、2人(1人と1匹)で海を眺め続けるその姿や
 冬の夜にストーブのそばでお父さんと過ごすその姿は

 人と犬とのつながりといった次元をこえた
 とても素敵な信頼関係を僕たちにいつも感じさせてくれました。

 僕が『かねよ』に惚れこんでいき、
 毎週末には必ずそこにいるようになって、

 時にはシーズンオフまでもお邪魔するようになったり、

 多忙さからなかなかゆっくり訪れることができなくなってしまっても
 他のまちから訪れた大切な友達や
 新しい友達ができると30分でも必ず連れて行ったり、と

 『かねよ』は僕にとって
 変わらない大切な存在で在り続けました。

 そんな場としての魅力の大きな要因の1つが、
 タンパでした。

 いつもタンパはそこにいてくれて
 いろいろなことを僕たちに与えてくれたのでした。

 それは、言葉にするとあまりにもありふれた単語で
 残念ながら実物のタンパに触れたことの無い方には伝わりえないでしょう。

 愛すること、愛されること、揺らぎない信頼、絆、などなど。

 そのタンパが亡くなってしまいました。

 犬を飼ったことがある人ならば誰もがその寿命が
 人間のわずか4分の1も無いことを知っているはずです。

 だから、僕もタンパを見送ることになるのは 
 うすうすは気づいていました。

 でも、本当に残念です。

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 今日の夕方4時頃に最後のお別れ、とジョンさんから聞いて
 仕事を抜け出して、タンパに会いにいきました。



 僕にとってタンパは、穏やかな晴れた日の太陽のようなイメージでした。
 いつもぽかぽかと暖かく僕たちを見守ってくれる存在です。

 日頃、空気と同じで太陽が存在することに
 いちいち感謝をする人はいないでしょう?

 長く続く雨が降って初めて太陽の存在を人は求めますが、
 そんな雨雲の上でも太陽は変わらずにぽかぽかと存在しています。

 僕たちが空を見上げなくても、太陽はそこにあって、
 僕たちを穏やかに見守っていてくれるのです。

 だから、僕がタンパに送ったのは、ひまわり。

 『かねよ』に到着すると、すでにたくさんの方々が訪れて
 タンパとお別れをしていました。



 入院・リハビリ中だったお父さんも
 1日だけ外泊を許可していただいて
 いつものようにタンパのそばに座っていました。

 その姿を見るにつけても僕は涙が出てしかたがなく、
 30分ほど砂浜に座って、涙が流れるままにしました。

 命は生まれて、やがて、消えていきます。

 全てのものがそう定められていて、
 早いか遅いかの違いはあれど、全てのものに終わりがあります。

 それが自然の姿。自然のきまり。

 それならば僕たちはもっと当たり前の出来事のように
 他者の命の終わりを受け容れることができたって良いはずなのに

 35年も生きていながら僕は
 他者の命の終わりに慣れることができないままに

 誰かを先に喪うたびに、
 自分のこころもどこか損なわれたような気がして、切なくなります。



 梅雨の雨天が続く中でも今日は晴れていて、
 タンパを見送るには最もふさわしい日だと感じました。

 走水の海はとても穏やかでした。

 もしも肉体は滅んだとしても生き物に魂があるのならば
 これからもタンパはきっとお父さんと一緒に
 この海に在り続けるんだろう。

 おやすみ、タンパ。

 さよなら、タンパ。またいつか会える日まで。



2009年7月3日(金)のフジノその4
● 吉田雄人事務所を閉所しました

 三笠通り入り口に設置してきました吉田雄人事務所は
 本日17時をもちまして正式に閉所いたしましたのでご報告いたします。

 当選直後の6月28日には、
 下の写真のように嵐のような勢いだった事務所も



 翌29日こそ、すさまじい人出で対応に追われたのですが
 (特に東京から来たマスメディアがすごかったです)

 1日1日と過ぎていくごとに
 少しずつ穏やかさを取り戻していきました。

 下の画像は、おととい1日の夕方です。

 まだ事務所が開いている時間なのですが、
 みんなで集合写真を撮ることができました。



 これまでの選挙事務所のイメージとは100%異なる、

 誰でもぶらりと立ち寄って、
 このまちの未来を自由に語り合える素敵な場所でした。


● 誰でも立ち寄れる、希望を語りあえる「市役所」へ!

 そして今日、当選報告会を無事に終えた後、
 みんなで片づけを行ないました。

 看板、ポスター、神棚、あらゆるものを取り外していきました。

 最も外したくなかったのは、ハガキです!

 マニフェストに付いていた返信用のハガキ、
 500通以上も市民のみなさまから送っていただきました。

 まさに、生の声です。
 本当にありがたい市民のみなさまの生の声です。

 それらを事務所の壁に貼っていたのですが、
 1枚ずつ1枚ずつはがして、大切にしまいました。

 (全てのハガキは雄人が読んでいるのですが、
  今後も保管して折に触れては読みかえしていくことになるはずです)



 これから先、このまちの未来を語り合いたい時、
 市民のみなさまはどこへ行けば良いのでしょうか?

 この1ヶ月間、『希望』について語りあったこの事務所が閉じた後は
 僕たちはどこへ行けば良いのでしょうか?



 その場所は、生まれ変わる新しい『市役所』になるはずです。

 誰でも自由に立ち寄って、このまちの未来について語り合える場所。
 それは本来、市役所であるべきなのです。

 これまでの市役所は、残念ながら
 そんな場所ではありませんでした。

 けれども、これからは変わるのです。

 だから、吉田雄人事務所が今日で閉所してしまいましたが
 これからは市役所で、ぜひお会いしましょう。

 自由なこの事務所のイメージと
 今までの市役所のイメージとではあまりにも差があるかもしれません。

 事務所の閉所によって、市民のみなさまが時間すらも気にせずに
 自由な議論ができた場所が失われてしまったと
 残念に感じている方もいらっしゃることでしょう。

 けれども、これからは市役所が変わっていくのです。

 単に市職員が働く場所であるだけではなく、
 単に市民のみなさまが手続きをする場所であるだけではなく、

 市民のみなさまがぶらりと立ち寄って
 いろいろな情報を得ることができたり

 そこに集った方々同士が自由に議論できるような
 そんな場所へと市役所は生まれ変わるのです。

 フジノ自身もそんな新しい市役所へ生まれ変わることを 
 こころから望んでいる1人です。

 またこうやって、市民のみなさまと語り合いたいと強く願っています。

 ですから、市民のみなさま、
 ぜひ次は市役所でまたお会いしましょう!

 新しい市長の初登庁日は10日です。
 新しい横須賀がスタートします。



2009年7月3日(金)のフジノその3
● 1つの横須賀へ、ゆるしの気持ちを持って下さい

 続いて、フジノからお話をさせていただきました。

 『1つの横須賀へ/お互いにゆるしの気持ちを』

 というテーマです。

 今回の選挙に突入する前からフジノはくりかえし
 敵は特定の個人なんかでは無い、と訴え続けてきました。

 僕たちの本当の敵は、孤独や絶望や不安、
 つまり『希望のない社会』である、と強く言い続けてきました。

 だから、雄人では無い候補者に投票した人々とも
 一緒に1つの横須賀を創っていく為に
 お互いを認めあってほしい、とお願いをしました。

 (すでにフジノは選挙最終日の夜、
  呉東候補の事務局長の方とお会いしてノーサイドを約束しました。

  さらに、数日中には蒲谷候補の陣営の方々にお会いして
  このまちの為に協力していただきたい、とお願いに行きます)



 このせまいまちでは、3人も候補者がいれば
 隣近所で、いやご夫婦でさえも、意見が異なったのは当然です。

 多くの方々からしこりが残っている現実を
 お話としてうかがいましたが、
 何とかみなさまに関係を修復してほしい、とお願いしました。

 仕事上どうしても特定の候補者を応援しなければならない方も
 多かったことでしょう。

 また、投票に足を運んだ全ての方々が
 自らの信念にもとづいてその候補者の政策を信じて
 大切な1票を投じたのです。

 それらの行動は、全て1つの目的のもとに行われたのです。
 それは「この横須賀を今よりもっと良い横須賀にしたい」という想いです。

 彼ら/彼女らの行動は、立場は違えども
 お互いに称賛すべきものだとフジノは信じています。

 だから、雄人を応援してくれた全てのみなさまにお願いしたいのは
 どうかお互いの違いを認めあってほしい、
 どうかお互いにゆるしあってほしい、ということです。

 僕もたくさんの嫌がらせを受けましたし
 相手側だってフジノや勝手連のことを本当に嫌いだったでしょう。

 でも、選挙という『小さな闘い』はもう終わったのです。
 いがみあいを続けるのはもはや時間の損失でしかありません。

 ここから先はこのまちに暮らす全ての人々が力を合わせて
 新しい横須賀を創るという『大きな闘い』に勝つ為に
 1つにならなければいけないのだとフジノは信じています。

 どうか新しい横須賀を創りだしていく為に
 全ての市民のみなさまに1つになっていただきたいのです。

 また、今回の選挙をつうじて
 市民のみなさまに「やればできる」という自信を持ってほしい、と
 強くお願いをいたしました。

 不可能だと言われた当選を実現させたのは
 市民のみなさま、1人1人の力なのです。

 これから先も人生には
 たくさんの困難が待ち受けているでしょう。

 けれども、必ず僕たちには「やればできる」のだということを
 どうか忘れないで憶えていて下さい、とお願いをしました。

 そう、僕たちはどんな困難であってもひるむことなく
 必ず前へ前へと一歩ずつ向かっていくのです。



 この2人が並ぶ2ショットは、今日をもって最後となります。

 これから先は、新市長と対峙する市議会議員として
 隣に並ぶのではなく、真正面からぶつかりあうこととなります。


● 奇跡は必然だった、希望の種をまいたのは市民のみなさまだ

 そして、満を持して
 雄人(吉田雄人・新市長)から、お話がありました。

 録音をしていないので正確には再現できないのですが
 ここで雄人が語った言葉は
 選挙中のどの演説よりも素晴らしいものでした。

 今回の選挙の本当の勝利者は、市民のみなさま1人1人であること。

 不可能だと言われたこの勝利は、奇跡だと人は言うかもしれない。
 けれども、この奇跡は必然であり、起こるべきものだったこと。

 何故ならば、希望の失われたこのまちに、
 再び市民のみなさま1人1人が立ち上がって
 希望の種をまいていったのだから。



 雄人が述べたとおりで、これから先、
 このまちにはあらゆる困難が待ち受けていることでしょう。

 横須賀に希望を回復するには、
 1年や2年では決着がつかないかもしれません。

 けれども、市民のみなさまがまいた希望の種は
 必ず芽をふきだし、すくすくと育っていき、花が咲くことでしょう。

 マニフェストで掲げた約束を
 1つずつ1つでも多く実現していくことで

 その希望の種は、大きく花ひらいていくはずです。



 選挙を終えて真っ黒に日焼けした雄人の演説に
 たくさんの市民の方々が拍手をし、涙を流しながら、聴き入っていました。

 そして、この当選報告会が終わってからも
 しばらくの間、ほとんどの方が帰らずに
 雄人を囲んで語り合っていました。素敵な時間でした。

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 でも、同時に、僕たちは、今この瞬間も
 たくさんの方々が苦しんでいることを知っています。

 たとえ、雄人が当選を果たしたとしても
 そうした苦しみが今すぐに減る訳では無い現実を知っています。

 また、投票に足を運ぶことさえない市民の方々が
 50%近く存在したことも忘れてはいません。

 政治と行政への信頼感が損なわれている現実を忘れません。

 だからこそ、僕たちは今日この瞬間を
 共に喜びを分かち合いながらも
 決して浮かれていることはありませんでした。

 一歩ずつ前へ、どんな時でもそれでも前へと歩んでいくこと。
 昨日より今日が、今日より明日が、もっと良い日になるように。

 それが僕たちがこの選挙をつうじて
 訴え続けた『希望』を取り戻すことなのです。



2009年7月3日(金)のフジノその2
● 当選報告会をおこないました

 今日は夕方16時から、三笠通りの吉田雄人事務所にて
 『当選報告会』をおこないました。

 「それにしても、何故に今さら当選報告会?」

 というお声をいただきましたが、
 実は正式な当選報告会は、今日が初めてなのです。

 当選した翌29日朝には、

 雄人(吉田・新市長)が京急久里浜駅に立ち、 

 浜野さん(浜野まさひろ議員)が林ロータリーに立ち、

 フジノがYデッキに立ち、

 それぞれが市民のみなさまに当選を報告しました。

 でも、これって、3人ともお互いに一切うちあわせなしで
 自主的に勝手におこなった行動なのです。

 だから、後で市民の方々から3人の行動をそれぞれ聴いた時に

 「当選後も勝手に行動しつづけた勝手連ってすごいよな。
  これが本当の勝手連だなあ」

 と、フジノ自身が勝手連のすごさを
 改めてつくづくと感じたのでした。

 という訳で、今日の報告会だけが
 チーム雄人と勝手連が『正式』に集まって行なった報告会なのですね。

 誰でも参加自由ということで、
 たくさんの市民の方々が集まって下さいました。

 すごい熱気で、フジノたちも汗だらけになりながら
 市民のみなさまとマスメディアの方々に向けて
 当選を報告しました。



 まず、チーム雄人の幹部の方々からあいさつがありました。

 次に、勝手連から浜野さんとフジノも
 それぞれ5分ほど、お話をしました。



 浜野さんの元気いっぱいでさわやかな声に
 この選挙期間中ずっとフジノは励まされ続けました。

 一緒に『チェンジ号』に乗った日々は、
 素敵な思い出になりました。

 それにしても浜野さん、
 選挙期間中はオレンジ色は現職市長のシンボルカラーだから
 オレンジ色を身につけないようにしていたそうです。

 でも、今日からついに解禁したそうです。


● 『希望』をテーマとした、ささやかな心理戦についてのフジノの考察

 ここから先は、雄人にも全く話していない
 あくまでもフジノ個人の『余談』です。読み流して下さい。

 実は、今回の選挙ほど『希望』こそが
 本当のテーマだった選挙はない、とフジノは考えています。

 本当のテーマとは、
 『論理的』な個別の政策論争だけでは無く
 『心理的』な側面も加えた大きな意味でのものです。

 雄人は、真正面から『希望』という言葉を掲げました。
 これは本当に勇気ある行動でした。

 政策を実現したその先にあるのは『希望』なのだ、と訴えたのです。

 そこで、フジノは同時に
 無意識の側面からも
 常に『希望』を感じていただけるように
 徹底して努力しました。

 例えば、選挙が終わった今だからこそ
 書けることなのですが

 『希望学』によれば、希望をあらわす色は2つあって、
 なんと『ブルー』と『オレンジ』なのです。

 そうです、この2つの色というのは
 『雄人のシンボルカラー』と
 『蒲谷市長のシンボルカラー』だったのです。

 お互いに無意識なのか色彩心理学的に意図的なのか、
 『希望』をあらわすカラーを背負って選挙に臨んでいたのです。

 だから、心の底でフジノはいつも
 この選挙を

 『ブルーの希望』VS『オレンジの希望』

 なのだと感じていました。

 雄人をサポートするフジノはこうした心理学的な側面からも、
 絶対に負ける訳にはいきませんでした。

 あえて色彩心理学的な観点から
 もしも雄人に優位だった点があるとすれば
 「より横須賀をイメージさせる色」がブルーだったということにあります。

 美しい横須賀の海、澄み切った横須賀の空、
 それが青であった、ということですね。

 日本には若い時代を『青二才』『青春』と呼んだりするように
 『青』には『若さ』とつながる色であるのもまた
 大きな心理的効果があります。

 マニフェスト選挙ですから政策こそがメインなのですが
 ビジネスの世界では、どんなささやかな色づかいにも、
 徹底した注意を払います。

 心理学専攻出身のフジノとしては、
 こうした無意識の側面を
 いつもピリピリとしながらチェックしていました。

 ただ、あくまでもこんな心理学的な側面は
 単なるスパイスに過ぎません。

 吉田雄人という政治家が掲げた希望のビジョンをこそ
 市民のみなさまが選びとった、という事実は全く変わりはありません。

 もしも同じことをフジノが別の政治家に試したとしても
 その人が選挙に当選できる訳ではありません。

 無尽蔵な気力と体力を持って行動し続ける雄人だったからこそ、
 あくまでも吉田雄人だったからこそ
 希望の光をしっかりと指し示すことができたのです。

 そうした意味でも、雄人は本当に素晴らしい政治家なのだと
 フジノは改めて感じました。


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 翌日の神奈川新聞が当選報告会を報道してくれました。


 (2009年7月4日(土)付・神奈川新聞より)

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