まちの政治家は、こんなことしてます


2011年3月26日(土)のフジノその2
● 観音崎青少年の村・ファイナルイベント!

 今日は、県立観音崎青少年の村へ。

 焚火をしたり、どろんこになって遊びまくったり、
 おいしいごはんを食べたり、
 みんなで楽しい時間を過ごそうというイベント『焚火の村祭』

 春バージョンである
 『春の焚火祭』が開かれました!

 今日と明日の2日間です。


 主催したのは、カフェトークの会場としていつもお世話になっている
 カフェ『RRROOM』の店長・コウジさんです! 

 前回の冬バージョンの『焚火の村祭』もとても楽しかったので
 今回の春バージョンもすごく楽しみにしてました。

 こんな風にみんなが笑顔で過ごせる場所を残したい、
 というコウジさんの強い想いに打たれて

 フジノも市民のみなさまに
 存続を求める署名をお願いしました。

 しかし、この県立観音崎青少年の村を
 神奈川県は『県営』として続けることは無くなりました。

 『県営』としては
 3月末で廃止が決まりました。

 (2011年1月14日・タウンニュース紙・1面より)

 けれども、まだ道はあります。

 コウジさんもあきらめていませんが、
 フジノも全くあきらめていません。

 それにしても、新たなサッカー場をわざわざ作るのに
 吉田市長は14億円も税金を使うくらいならば
 今すでにある施設を守るべき。

 昨年12月議会でフジノが質疑を行なった時
 吉田市長の答弁はそっけなかったなあ。

 フジノが存続を求めてきたのは、
 単に失われゆくものへのノスタルジーなんかではなくて
 経済効果も十分に期待できる施設だからです。

 これだけたくさんの人々が来ている人気の施設です。

 神奈川県が県営キャンプ場としての廃止を決めても
 横須賀市が引き受けることで、
 横須賀市の集客促進にも役立つのです。

--------------------------------------------------------------------

 『県立観音崎青少年の村』の廃止問題をずっと報じてくれた
 タウンニュース紙が『春の焚火祭』の開催を
 あらかじめ報道してくれました。

 (2011年3月11日・タウンニュース紙・1面より)

 今日もとても晴れた良い天気!
 たくさんの人出でした。



 3月11日に震災が起こってから、2週間。
 いろいろなイベントを『自粛』するという動きが広がっています。

 けれども、フジノは『自粛』すべきでないと考えています。



 被災地を想う気持ち、
 犠牲になった方々をお悔やみする気持ち、
 それはとても大切です。

 でも、元気で暮らして笑顔になれることを
 日本全体で今、やめてしまおうとしていることは
 「違う」と思うのです。

 僕たちが元気を回復しなければ、
 被災地の復興をお手伝いすることなんてできません。

 余震への対策を十分に行なったら、
 あとはいつもどおりに暮らすことがむしろ大切だとフジノは考えています。

 特に、こどもたちが笑顔で元気に走り回れること、
 それは『希望』だと思うのです。



 『希望』の灯はいつも高く掲げていたい。

 大人たちはその輝きが大きくなるのを
 震災前と同じように、いつもどおり見守っていなければ。

------------------------------------------------------------

 今日は午後から、このモニュメントを完成させます。

 下の写真は根本の部分なのですが、
 合計3つの部分をくっつけて完成すると4メートルにもなります。

 巨大ツリーのモニュメントですね。



 「『坂本さんのカレー』が完成したよ〜」と声がかかると
 みんながキッチンのある宿舎へ猛ダッシュ!



 みんな、午前中いっぱい走り回って
 お腹が減っていたのですね〜。

 お昼ごはんのカレーはあっというまに無くなってしまいました。



 予想以上の勢いで無くなったカレー。



 フジノたち大人組は、
 きゅうきょ2回目のごはんが炊けてから食べることに。
 うれしい誤算ですね。



 上町でコーヒーを焙煎している宍戸さんが
 キッチンでコーヒーやココアやカフェラテを作ってくれました。

 こちらも大好評でした!



 ラテアート、とてもかわいいですね。



(その3へ続く)


2011年3月26日(土)のフジノその1
● 乳児院と児童養護施設が新たにスタートします!

 今日は、長瀬に新しく建設された
 『しらかばベビーホーム』と『しらかば子どもの家』を訪れました。

 『しらかばベビーホーム』は乳児院です。
 『しらかば子どもの家』は児童養護施設です。

 これまで横須賀市には『乳児院』がありませんでしたので
 新たに設置することは、横須賀市の悲願でした。

 フジノが政治家に転職した2003年当時の議事録をみると
 すでに沢田市長や健康福祉部長がこう答弁しています。

 「新たに乳児院の設置に意欲のある社会福祉法人など
  2〜3のお話が出てきているので、ぜひ進めていきたい」

 行政、市議会、児童福祉の関係者のみなさまの
 誰もが望んでいたことでした。

 けれども、いろいろな理由から
 実現に到るまでこれだけの年月が必要になってしまったのです。

 それがついに落成式を迎えたのです。

 (画像:本当にうれしかった!満面の笑顔です)


 たまたま2011年の今、現役の市議会議員だったので
 記念式典にフジノは来賓として招いていただたいたのですが

 本来であれば、歴代の市長をはじめとする関係者のみなさまにも
 ぜひ出席していただいて、ともに喜びを分かち合いたかったです。

 フジノ自身、まだ政治家になる前の会社員だった頃から
 児童福祉の仕事をしている親友から
 乳児院の必要性をずっと聞かされていました。

 だから、その親友にとっても、
 フジノにとっても、

 乳児院が新たに横須賀にできたことは
 本当にうれしい出来事なのです。



 式典が終わると、施設の中を自由に見学できました。

 すでに市議会でどんな施設になるかは
 平面図も見てあたまに入っていましたが

 完成した建物の中を歩くと、
 太陽の光がとても良く入る気持ちの良い明るさでした。



 幼稚園の先生、保育園の保育士をはじめとして
 フジノの親しい友人は児童福祉に関わっている人が多いです。

 最初に書いた児童福祉に関わってきた親友というのは
 小学校時代からの同級生です。

 この『しらかば子どもの家』と同じ種類の施設である
 『児童養護施設』に長年勤めていました。

 児童養護施設では、乳児を受け入れることができなくて
 きょうだいがいても年齢によって
 別々の施設に別れて入所しなければならず
 家族が遠方にバラバラになってしまうことを、とても悲しんでいました。

 さらに、中学時代からの同級生は
 『母子生活支援施設』で働いています。

 こちらは、ひとり親のおかあさんとこどもが暮らすことができる施設です。

 こうした友人たちから、あらゆる状況に置かれているこどもたちの現状を
 いつも詳しく聴かせてもらっています。

 どんな状況にあっても、全てのこどもたちを守る為に、
 僕たち大人にはやるべき全てのことをやる責任があります。

 その責任を、フジノは政治家としてしっかり果たしていきたいです。



 ベランダからは、川間トンネルが目の前に見えます。



 見学をしながら、フジノはずっと東北のこどもたちのことを考えていました。

 つい一昨日には、厚生労働省が
 震災で親を亡くしたり行方不明になっているこどもたちについて
 実態調査を本格的に始めることを発表しました。

 全国の自治体から応援を派遣してもらって、
 児童福祉司や保育士などが調査を行ないます。

 かつての阪神大震災では
 68人のこどもたちが孤児になったとのことです。
 (しかし、100人以上だったという研究も報告されています)

 今回の震災ではさらに大きく上回って
 数百名のこどもたちが親を亡くしたのではないかと見られています。

 ある新聞記事によると

 厚生労働省の担当者は

 「子どもたちを引き受けてくれる施設や
  里親まで見つけるには
  さらに時間がかかるだろう」

 と危機感を強めている

 とのことでした。

 それならば、

 この『しらかばベビーホーム』『しらかば子どもの家』で
 被災したこどもたちを受け入れることができないか。


 横須賀市として「ぜひ受け入れます」と立候補するように
 市議会として強く提案していくべきだとフジノは考えています。

 この施設を運営していく社会福祉法人は
 こうした活動にも深く理解がある団体ですので
 きっと積極的に対応してくれるはず。

 まずは横須賀市内の
 こどもたちのことを最優先しなければなりませんが

 被災地のこどもたちを守る為に
 今できることを1つでも多く取り組みたいです。

--------------------------------------------------------------

 この施設については報道各社も
 とても注目してくれています。ありがとうございます。

 神奈川新聞の記事では、運営を行なう社会福祉法人で
 先頭に立って取り組んで下さっている
 浜田常務理事を取り上げてくれました。

 (2011年3月5日・神奈川新聞より)

 さらにタウンニュース紙では
 複数回にわたって紹介を行なってくれました。

 (2011年1月21日・タウンニュース紙・1面より)

 被虐待児の受け皿に

 市内長瀬に今春、
 乳児院「しらかばベビーホーム」と
 児童養護施設「しらかば子どもの家」が開設される。

 市内で乳児院の設置は初めて、児童養護施設は2ヵ所目となる。
 定員はそれぞれ25人と40人。

 経済的な理由や家庭の事情などで親が育てられない子どもや
 虐待を受けた子どもを預かり養育する。

 設置・運営を担うのは
 社会福祉法人誠心会(浜田徹理事長)。

 市内で保育園や障がい者の通所施設を運営するなど
 これまで様々な福祉サービスを展開してきた。

 平成18年に横須賀市児童相談所が新設されてから、
 市では子育て支援策の柱として

 「乳児院・児童養護施設等の
  一体的・効率的な運営が可能な施設整備が重要」

 と考え、開設に向けて同法人と準備を進めてきた。

 敷地面積は約1,750平方メートル。
 施設は3階建てで、延べ床面積は1,525平方メートルとなる。

 建物内に両施設の機能を備えるほか、
 子育て短期支援事業で虐待の予防や
 一時避難所としてショートステイ(事前登録制・定員4人)を設置する。

 「ベビーホーム」では
 親と暮らせない0歳から2歳児までの乳幼児を預かるのに対し、

 「子どもの家」では
 おおむね2歳から18歳までを対象とする。

 どちらも保護者が健康的・経済的な問題を抱えているか、
 虐待を受けているなどの状況にあり、
 児童相談所が施設で養護する必要があると判断した子どもを受け入れる。

 ”越境”から市内養育へ

 横須賀市内では乳児院の設置は同ホームが初めて。
 児童養護施設は小矢部にある「春光学園」に加えて2ヵ所目となる。

 同学園では現在2歳から18歳の子ども85人の定員に対し、
 市外の児童も受け入れるため、
 市内からの児童は44人で
 ほぼ空きがない状態が続いていた。

 このため、児童相談所が施設での養護が必要と判断した児童でも、
 これまでは市外への”越境入所”を余儀なくされるケースが少なくなかった。

 乳幼児に関しても同様だった。

 新設の「こどもの家」では
 従来、児童養護施設では中高生のプライバシー確保が難しかった問題に
 定員の半分(20人分)に個室を用意、
 6LDKのユニット体制で対応するなど
 より家庭環境に近い形での養育を目指すという。

 虐待児童の保護に期待

 横須賀市児童相談所が平成21年度に受けた
 児童虐待に関する相談件数は274件。

 人口10万人あたりの件数で換算した場合、
 横須賀市は全国平均の2倍の数字になる。

 そのうち、緊急避難として「一時保護」措置となったのは136件。

 今回の両施設の開設によって、
 保護者の病気や離別、虐待などにより
 家庭で養育を受けられない子どもたちを保護する受け皿が
 市内に広がる格好となる。

 市担当者は

 「継続して同じ地域や保護者の元で暮らせる環境ができやすくなったことで
  子どもにとってよりストレスが少ない形での養育が
  可能になると期待している」

 と話した。

 (引用おわり)
--------------------------------------------------------

 さらに、続けてタウンニュース紙は
 開所前の見学会のお知らせも報じてくれました。

 地域のみなさまに両施設を実際に訪れてもらって
 見ていただくことは理解が深まる良いきっかけですので

 タウンニュース紙のこうした記事には
 改めて深く感謝しております。ありがとうございます。

 (2011年3月11日・タウンニュース紙・1面より)

 どうかマスメディアのみなさま、実際にスタートしてからも
 『しらかばベビーホーム』と『しらかば子どもの家』を応援してください。

 これからが本当の始まりです。
 市民のみなさまもどうか力を貸して下さい。

 よろしくお願いします!


2011年3月25日(金)のフジノ
● 震災が無くても、もともと選挙カーはいらない

 今日は、議会運営委員会が開かれました。

 まもなく来月に行われる市議会議員選挙での
 『選挙カーについての申し合わせ』がなされました。

 そもそも、

 「こんな時に選挙なんてやっている場合じゃない」

 という声が
 多くの市民の方々からあがっています。

 フジノも全く同じ想いです。

 けれども、選挙を決めているのは国会です。
 そして、日程についての法案はすでに可決されています。

 さらに3月17日に衆議院、18日には参議院において、

 『東北地方太平洋沖地震に伴う地方公共団体の議会の議員及び長の
  選挙期日等の臨時特例に関する法律案』

 が可決されました。

 これによって、被災地での選挙だけが延期されることが決まり、
 それ以外の選挙は、予定どおりに開催されることが決定しました。

 どうしても選挙をやらなければならない以上は
 せめて横須賀市議会だけでもやれる努力をするしかない訳です。

 そこで、

 「せめて横須賀市議会では
  現在の社会状況を考えて選挙の在り方を変えよう」

 「物資も不足している中で、選挙カーにガソリンを使うべきではない」

 などの意見が市議会の中であがって
 議会運営委員会を開いたのです。

 こうして、1時間の議論の末に
 次のような申し合わせが決まりました。

---------------------------------------------------

 横須賀市議会議員選挙における
 街宣車にかかる申し合わせについて



 東北地方太平洋沖地震により
 本市においても計画停電の実施、公共交通機関の運行制限、
 ガソリンを初めとする物流の停滞など、
 市民生活に多大な影響を受けております。

 これらの状況にかんがみ、また、被災者に弔意を表す意味から、
 本日開会されました議会運営委員会におきまして、

 4月に行われる市議会議員選挙の選挙活動について
 現職議員として何らかの協力をしたいとして協議を行った結果、
 下記のとおり申し合わせましたので、お知らせいたします。


 『横須賀市議会議員選挙における街宣車にかかる申し合わせ』

 街宣車による活動は、午前10時から午後6時までとし、4時間の短縮を行う。

 また、走行中はマイクの利用をなるべく避け、
 街頭演説も時間を短くするようにする。

 公費の使用については、候補者みずからが判断することとする。

 以上申し合わせる。 

---------------------------------------------------

 翌日の神奈川新聞では
 次のように報じられました。

 (2011年1月19日・神奈川新聞より)


 市議会議会運営委員会が25日開かれ、
 4月17日告示の横須賀市議選に立候補を予定している現職市議は

 東日本大震災を考慮して、
 選挙活動の一部自粛を申し合わせた。

 激戦が予想される中での「静かな選挙」になりそうな気配で、
 投票率への影響を懸念する声も出ている。

 具体的には

 (1)選挙期間中の選挙カーによる街宣活動時間(午前8時〜午後8時)を
    4時間短縮して午前10時から午後6時までとする

 (2)マイクの利用は控え、街頭演説の時間も短くする

 の2点。

 議会事務局によると、
 震災の影響で市内でも計画停電や鉄道の運行制限、物流の停滞など
 市民生活がダメージを受けていることを考慮したという。

 ただ、申し合わせは法的な拘束力のない“紳士協定”に加え、
 新人候補は対象外。

 伊東雅之議運委員長は
 「できれば新人候補にも歩調を合わせてほしい」と話している。

 横須賀市議選の立候補予定者は
 定数(41)より20人以上多いとみられ、激戦が必至な状況。

 新人も30人前後が立つ見込みだ。

 選挙活動の一部自粛について、新人立候補予定者の1人は

 「市民の反発もあり、ある程度の自粛はせざるを得ないだろう」

 と理解を示しながらも、

 「知名度の低い新人には厳しく、現職が有利になる。
  投票率(前回52.59%)も下がるのではないか」

 と懸念している。

 (引用終わり)
--------------------------------------------------------

 今回の申し合わせですが、
 無所属のフジノは議会運営委員会メンバーではないので
 議論そのものに参加することができませんでした。

 この件について、
 フジノは2つの想いがあります。

 1.そもそも震災があろうと無かろうと、選挙カーはいらない

 2.震災があろうと無かろうと、投票率を上げるのは政治家の責任だ



 まず第1に「そもそも選挙に選挙カーなんていらない」ということです。
 震災があろうと無かろうと、選挙カーなんて不要なのです。

 フジノは1度も選挙カーを出したことがありません。
 それは初めての選挙(2003年)からの信念です。

 もちろん2度目の選挙(2007年)でも
 選挙カーは出していません。

 フジノは、ただひたすらに街を自分の足で歩いていきます。

 山や谷の多い横須賀ですから、
 車や自転車なんかでは行かれない場所ばかりです。
 どこへでも、歩いていきます。

 そして、いつもどおり政策を訴えていきます。

 もともと選挙カーはムダそのものです。

 名前だけわめき散らして政策も語らずに
 ガソリンを浪費して空気を汚して、何が政治家だよ、と思います。

 財政改革や議会改革を訴えるくせに
 税金をつかって選挙カーを走りまわらせている政治家の姿は
 それ自体が矛盾していてウソつきです。

 (選挙カーのガソリン代は、税金から公費負担が出るのです。
  信じられないと思うのですが、本当の話です)

 今さら全国の政治家が『ノー選挙カー宣言』を出していて
 それがさもエラいことかのように大騒ぎしています。

 でも、そんなことは
 最初から当たり前なのです。


 第2に、「投票率を上げるのは政治家の責任であって
 震災のせいにしたりするのはまちがいだ」ということです。

 神奈川新聞の記事に出ている新人候補者のコメントとして
 「投票率が下がるのではないか」と述べられています。

 こういう言葉を最近、政治家からよく聴きます。
 でも、間違っています。

 投票率を上げるのは、政治家の重要な役目です。

 震災があろうと無かろうとどんな時でも投票率が下がったら
 それは僕たち政治家の責任です。

 震災を受けて、3月11日から
 何もかもが変わりました。

 市民のみなさまは今まで以上にリアルな意味で
 政治によって自分たちの暮らしが変わることを感じています。

 地震、津波、停電、帰宅困難、物資の不足、情報格差、
 被災者の受け入れ、復興の為のあらゆる支援。

 これらは政治の力によって
 大きく左右されることを市民のみなさまは強く感じています。

 そんな今こそ、政治家に求められていることは
 自分の暮らすまちの未来の選択肢をしっかりと示して

 市民のみなさまに自らのこととして
 判断していただくことです。

 僕たちがしっかりと政策を語る。
 市民のみなさまに届く言葉でしっかりと語るのです。

 そして、市民のみなさまにはその声に耳を傾けていただく。
 自分の頭で考えて、自分のこころで感じて、判断していただく。

 誰もが自分の未来を自分で決めたいと感じています。
 その想いに応えるのは、政治家の仕事です。



2011年3月24日(木)のフジノ
● 走水の水道は、関東大震災からも守られてきた

 昨日、厚生労働省が東京都の水道水についての
 プレスリリースを出しました。

 『福島県および東京都における
  水道水中の放射性物質の検出について』
です。

 福島県と東京都の水道水を測定した結果
 放射性ヨウ素等の乳児用の指標値を超えていたので

 新たにいわき市と東京都に対して、
 乳児は水道水を飲むことや
 水道水を使って粉ミルクをつくるのは控えるようにと
 厚生労働省が東京都に広報を依頼した

 という内容です。

 それから一夜明けた今日、水道水に対する不安感から
 関東地方ではミネラルウォーターの買い占めが起こっています。

 そのせいで、ツイッター上でも
 ミネラルウォーターの話題が多かったのですが

 市民の方からのツイートを受けて
 フジノはこんな返事をツイートしました。


 <市民の方からのツイート>
 どこを探してもミネラルウォーターは無くなっていた...。
 妊婦としては口に入れるものはやはり気になるよ。


 <フジノのツイート>
 もしもの為に、
 飲水に問題はないけれど水需要が減った為に現在使用していない
 「走水水源地」の活用も、市では検討していますよー。

 震災後の現在は汲めないのですが
 「走水の水」は、ふだん汲みに来ていただけるように整備されています。

 水の需要が低下した昨今の事情で
 水道水として提供していないだけで、
 ペットボトルで販売されたこともある、おいしいお水です。

 関東大震災の時に水道管が破損して、
 水供給ができなくなりかけたことがありました。

 その時、水道関係者の方々が
 自らは海に身体をつかりながら、
 管を必死に修理してつないだ、という記述を読んだことがあります。

 横須賀の先人たちが身体をはって守ってきた、
 すごい水道なのですね。

 市の上下水道局は、災害時でも確保している水が
 14万4000立方メートルもあります。

 これは、市民1人1日20リットルの水を1ヶ月以上給水できる量です。
 非常用の井戸も1日3000立方メートル確保されています。



 フジノがツイートした中にある

   関東大震災の時に水道管が破損して、
   水供給ができなくなりかけたことがありました。

   その時、水道関係者の方々が自らは海に身体をつかりながら、
   管を必死に修理してつないだ、という記述を読んだことがあります。



 この『記述』がなされている資料を
 みなさまに紹介したいと思います。

 上下水道局が3年前に発行した
 『アクアン よこすか水道100年の旅』です。







 この資料でも描かれているように

 今回の震災が起こる前から横須賀市の上下水道局は
 災害対策に力を入れてきました。

 横須賀は水不足に悩まされてきた歴史があること、

 走水を除けば、水源が遠い場所にある横須賀市では
 災害が起これば水不足になってしまうこと、

 こうした対策に
 常に取り組んできたのですね。

 今回の震災では、あらゆる想定外のことが起こり
 水道水についてもみなさまが不安を感じておられることと思います。

 けれども、現在の放射能漏れの問題に対しても
 横須賀市ではとりうる様々な対策を行なっていますので

 みなさまは正確な情報に基づいて
 どうか冷静な対応をお願いします。

 よろしくお願いします!



2011年3月22日(火)のフジノ
● 予算議会の最終日/任期で最後の本会議

 今日は、本会議(予算議会の最終日)が開かれました。

 「震災後の様々な業務に対応できるように」と
 24日(木)に開催する予定だったのを、2日間くりあげました。

 横須賀市議会の本会議場には
 議長席の隣に、3本の旗が掲げられています。

 日本国旗、横須賀市旗、
 横須賀市議会旗です。

 東北地方太平洋沖地震の犠牲となった方々への弔意を表す為に
 今日は、『弔旗』として掲げられました。

 フジノの8年間の政治家生活で
 初めてのことでした。



 本会議がスタートすると、まず吉田市長が発言を求め、

 震災の犠牲となった全ての方々への哀悼の意を示し、
 被災された方々へのお見舞いの言葉が述べられました。

 続いて、山下議長からも哀悼の意が示されて
 本会議場の全員で黙祷をささげました。


--------------------------------------------------------

 来年度予算案に対して「賛成」「反対」を表明して
 ついに最終結果が決まるのが今日です。

 フジノは3月3日の市長への質疑をはじめ
 委員会での予算審議を通して

 来年度予算案(一般会計と国民健康保険会計の2つ)に
 反対しました。

 そして、その反対の理由を述べる
 『反対討論』も行ないました。

 しかし、最終的に『反対』をしたのは、
 共産党の3名(井坂議員・大村議員・根岸議員)、
 瀧川議員、フジノだけでした。

 こうして、来年度予算は『成立』しました。

 横須賀市議会の圧倒的多数派は
 すでにあるハコモノの赤字垂れ流しを許し続けるとともに
 新たなハコモノの建設も、認めてしまったのです。

 ハコモノ3兄弟による赤字は
 来年度だけで14億4225万円にのぼります。

 新たなハコモノであるサッカー場建設には
 合計で14億4050万円もかかります

 この危機的な事態において
 市民のみなさまのいのちと暮らしを守る為に
 もっと役に立つ税金の使い方があるはずです。

 本当に残念です。



 今日は、4年間の任期で
 最後の本会議でした。

 今期限りで引退される先輩議員のみなさまに、
 こころから敬意を表します。

 素晴らしい活動をなさってきた
 引退しないでほしい先輩議員が何人もいます。

 世の中には、政治家という肩書きに
 固執する人間があふれているのに

 まだまだ政治家として立派な仕事を果たせる方々が
 後進に道を譲る為に自ら身を引く決心をされたことは
 本当に潔く、立派だと感じました。

 こうした引き際も含めて、フジノは先輩方に
 いろいろなことを学ばせていただきました。

 本当にありがとうございました。

 どうか私人に戻られた後も横須賀市の為に力を貸して下さい。
 よろしくお願いします!

------------------------------------------------------

 8年間の政治家生活の間、フジノは
 議員番号(4番でした)と本会議場の座席がずっと同じでした。

 これは極めて珍しいケースです。
 たぶんフジノだけかもしれません。

 本会議場の最前列の、ど真ん中です。
 とても愛着のある座席でした。

 いつも市長が答弁する時に
 すぐ目の前でにらみ合う形になります。

 プライベートでは、他人と目を合わすのが苦手なフジノですが
 本会議の時だけはどれだけ激しい議論になっても

 この最前列のど真ん中の席に堂々と座って
 どんな時でも市長とのガンの飛ばしあいから目をそらさないことが
 絶対に大切なのだと思い続けてきました。

 8年間、沢田市長、蒲谷市長、吉田市長と
 いつもガチンコでぶつかりあってきましたが

 3人の歴代市長の中では最も背丈が小さかった沢田市長が
 最も大きく見えたのが今でも強く印象に残っています。

 圧倒される威圧感というのか、
 強いオーラを出していた沢田市長から
 意地でも目をそらさないようにしたことをとてもよく憶えています。

 この4番の議席にフジノが座るのは
 きっと今日が最後です。

 愛着あるこの議席が
 熱意ある新しい政治家によって受け継がれることを
 こころから願っています!


→日記過去分の目次へ
→はじめのページに戻る