2007年2月臨時議会・本会議(2月8日)、議案への「賛成」討論 | |
藤野英明です。 議案第1号「原子力空母の横須賀配備についての 住民投票に関する条例制定について」に対して 賛成する立場から、 つまり、「市民」のみなさまの提案に基づいて 「住民投票を行なうべきだ」との立場から 賛成討論を行ないます。 専門的な法律の解釈に関する議論は この後の討論にゆずりまして、 僕は、4年前には政治家でもなくただ1人の「市民」であった このまちに暮らす横須賀市民としての想いから 討論を行ないたいと思います。 今回提出された議案第1号は、特別な重みのある議案です。 市議会では1年間に何百もの議案について話しあいますが 何もない状況では、議案は単に「市長」から提案されてきました。 しかし、今回の議案第1号は、 いつものただ市長から提案される議案とは全く異なり、 「市民」の方々からの「直接請求」に基づいて、 市長が提出したものなのです。 この点において、特別で、かつ、とても重みがある議案でした。 それに加えて、議案第1号には、その根っこに いくつもの大切な問題提起が存在していました。 議案の中身を読むたびに、様々なことを考えさせられました。 ・「地方自治体」と「政府」との関係とは、 本当はどうあるべきなのか。 ・「政治」と「行政」とは、本当は誰の為にあるのか。 ・そもそも「地方自治」とは、本当は一体どういうことなのか。 根源的な問いかけがいくつも 僕のこころに浮かびました。 その中から2つだけ、とりあげてみたいと思います。 まず第1に「このまちは誰のものか」ということです。 僕たち市議会議員はいったい何故存在しているのか? それは「市民」のみなさんの為です。 市長をトップとする市役所は一体誰の為に存在しているのか? それは「市民」のみなさんの為です。 くりかえし当たり前のように語られる この「市民」の為という言葉。 けれども、現実に今存在しているこの市議会と市長とが 本当に「市民」の為に存在していると言えるのでしょうか。 このまちに生まれてきて良かったと感じられる。 このまちで暮らしてきて良かったと感じられる。 「市民」の方々にそう感じていただけているのでしょうか。 市議会議員である僕自身への反省もこめて あえて言えば、本件については そうは感じてもらえなかったからこそ、 具体的には、今回の原子力空母の横須賀母港化について 「市長」と「市議会」の考えと、 「市民」の方々の想いが離れていたからこそ 直接請求がなされたのではないでしょうか。 市長も、僕たち市議会議員も、もう1度改めて 「市民」の為に存在しているのだ、という意味を 考え直さなければならないと思うのです。 市議会議員も市長も 「このまちに暮らす人々の為」に働いているのです。 日本政府の為でも無く、 アメリカの世界戦略の為でもありません。 このまちに暮らす人々が、 平和で幸せに暮らせるように、命を守るために、 市長と市議会議員は存在しています。 「政治」と「行政」は 「市民」の為に働いているのです。 それをもう1度改めて自覚しなおしたならば、 有権者の9人に1人にものぼる「市民」の方々が求めた 住民投票は行なわなければならない、 そう判断するのが「市民」のために働いている 僕たち政治家の、仕事ではないかと思うのです。 第2に「このまちのことは誰が決めるのか?」ということです。 このまちのことは、 このまちに暮らす人々自身が決める。 これはもともと民主主義の大原則ですが なかなか実現してきませんでした。 しかし、この「直接請求」をきっかけとして この「流れ」は動き出したと思うのです。 原子力空母の横須賀母港化問題について 「住民投票」を行なうべきだ、 「住民投票やろう」という提案は、 はじめは市議会議員の側からスタートしました。 平成17年11月29日、まず最初に原田あきひろ議員が 新しく市長になった蒲谷市長に対して 初めて一般質問で 「市長」は住民投票を提案すべきだ、という声をあげました。 その「住民投票を提案すべき」という声を 蒲谷市長は拒否をしました。 ついで、平成17年12月9日、 僕自身が議会運営委員会の場で 「市議会」は住民投票を提案すべきだ、という提案をしました。 しかし、「市議会」はその声を拒否しました。 はじめは、市議会議員の側から 「住民投票を行なうべきだ」という声があがりました。 けれども今では違います。 「市民」の方々から「住民投票を行なうべきだ」という声が 大きくあがっているのです。 このまちにはいろいろな問題があります。 その問題を見つけて、解決するのが 「政治家」の仕事ですから、 日頃は「市民」のみなさんよりも「政治家」は 問題の存在を早く知り、情報もより多く持っています。 だからこそ「市民」のみなさまに そうした問題に何とか関心を持ってもらおうと 必死に広報活動をしていきます。 けれども、ふだんの暮らしで忙しい「市民」のみなさまには なかなか政治家が語りかけても届かないことが多いのです。 しかし、この住民投票の問題は、今では全く違います。 かつては原田議員があげた1つの声は、 今では有権者の9人に1人が署名をした、 という大きな大きな「市民」の声となっているのです。 ついに「市民」のみなさんの中に この問題の存在がはっきりと理解されて、 自分たちの暮らすまちを守るために たくさんの「市民」が立ち上がったのです。 今回、もしもこの住民投票の議案を 「市議会」が否決したとしても、 もはや「市民」の中に生まれた 「この流れ」は止めることはできません。 民主主義の本当のスタート地点である 「このまちのことは、このまちに暮らす人々が決める」 その「流れ」が動き出したのだと僕は強く信じています。 仮に、この住民投票の議案を「市議会」は否決したとしても、 むしろ変わらなければならないのは「市議会」だ と思います。 これから先、どんな問題が起こったとしても、 もしも「市民」の方々の想いと 「市議会」の想いにズレが起これば そのたびに「市民」の方々は 「それはおかしい!」と大きな声をあげていくはずです。 だからこそ、今、あえて僕たち市議会議員は 「このまちのことはこのまちに暮らす人々が決めるのだ」、という 民主主義のスタート地点に立ち返るべきなのです。 あえて法律の話は一切しませんでした。 けれども、最も大切なことである「主権在民」という この国の憲法の基本理念にたちかえって 市長と市議会は誰の為に存在しているのか、 このまちのことは誰が決めるべきなのか、 それは「市民」のみなさまなのだ、 そんな根源的なことを改めて申し上げさせていただきました。 そしてこの民主主義の原点に立ち返る時、 この第1号議案には賛成するべきだと僕は信じています。 どうか、あらゆる政党や会派の壁をこえて このまちに暮らす「市民」のみなさまの為に存在する 市議会議員である、先輩議員・同僚議員のみなさまは、 この議案に賛成していただけますように こころからお願い申し上げます。 以上で、住民投票の実現に賛成する立場からの 僕の討論を終わります。 ありがとうございました。 |
フジノの賛成討論もむなしく
住民投票は、否決されて決まってしまいました。