まちの政治家は、こんなことしてます |
2006年11月15日(水)のフジノ | ||||
● 明日の夕方に横須賀に戻ります とても複雑な気持ちで、昨日の午後から横須賀を離れています。 どうしてもこの日程しかムリだったのでしかたないのですが 「連鎖がストップするまでは横須賀に居たい」と 強く感じてしまいます。 ● 田中康夫さん(前・長野県知事、新党日本・代表)と お会いするチャンスに恵まれました。 前回お会いした時(06年7月11日)には 田中さんは現役の知事でした。 今は取り壊されてしまったガラス張りの知事室でお会いしました。 田中さんはその時のことを覚えていてくれて、 フジノがあいさつをすると 「ああ、ミスター横須賀!名前は思い出せないけど(笑)」 と、強い握手をしてくれました。
また、田中さんが進めてきた外郭団体の整理統合について 強い関心があったので、そのこともうかがいました。 フジノも市議会で提案してきた外郭団体改革 (都市施設公社と土地開発公社の廃止など)についても お話をしました。
こういう時間を持てることは 本当に大切です。 さて、明日夕方には横須賀に戻ります。 そして、戻った1時間後には すぐにカフェトークに行きます。 -------------------------------------------------- こどものあらゆる悩みについて 相談を受けているNPO『チャイルドライン支援センター』の 電話番号(関東版)を載せておきますね。 あらゆる相談受付先がありますので 苦しいことがあったら、どんなことでも話してみてくださいね。 |
2006年11月14日(火)のフジノ | |||||
● 大学生と市長の語りあい(タウンミーティング@保健福祉大学) 今日は、市長のタウンミーティングである 『まちづくりミーティング』が県立保健福祉大学で行なわれました。 県立保健福祉大学の1年生の授業として行なわれたので 一般の人は参加はできないものでしたが 特別にフジノは見学させてもらいました。 何故なら、フジノは一般質問(06年3月2日)で 今後のタウンミーティングの在り方について こどもたちの声にも耳を傾けるために 学校へ市長が訪れるべきだと提案してきた立場なのですね。 だから、前回、市立総合高校に市長が訪れてくれたことも 今回の県立保健福祉大学へ市長が訪れてくれたことも フジノは高く評価しています。 ただ、その提案を実行してくれた市長と学生たちの様子が 実際にどんなものなのかを自分自身の目で見て 『提案の効果・有効性』をチェックしなければなりません。 そんな訳で、特別に見学をさせてもらったのですね。 --------------------------------------------------- スタートは9時から。 市の職員さんたちは、8時すぎくらいから 県立保健福祉大学に集合です。 フジノは8時半、市長は8時35分には会場入りしていました。
しかしながらとても残念なことなのですが 前半は、学生たちのモチベーションの低さが目につきました。 (1)出席状況 1年生の必修授業で9時スタートなのに 学生たちはガラガラ...。 総勢90名のはずなのですが フジノが実際に数えてみたら半分しかいませんでした。 9時直前にたくさん入ってきて 授業が始まってからもパラパラと入ってくる感じ。 まあ、大学生の大半って きっといつの時代も こんな風にだらしないものなのかもしれないですね...。 なんて、流してしまう訳にはいかない! (2)熱心さ/特に福祉畑であるにもかかわらず、という点から 前回は、市立総合高校でタウンミーティングをやりましたが 市議会顔負けの質問がいくつも出たという 報告を受けています。 もしかしたら高校生の方が熱心だったかもしれません。 それでは、大学生として情けないですね。 特に、福祉畑の政治家フジノだからこそ 同じ福祉畑の学生たちにはあえて苦言を呈したいと思うのです。 医療・保健・福祉にかかわっていく為に 勉強をしている学生たちは 今後どのような進路を取るにしても 必ず行政と関わることになります。絶対にです。 NPOに進もうが、社会福祉法人に進もうが、病院に勤めようが、 どのような進路をとっても行政との関わりが必ずあります。 しかも現在は、医療・保健・福祉すべての分野で 大きな制度の改変がなされています。 障がいのある分野であれば障害者自立支援法、 高齢の方々の分野であれば改正介護保険法、 栄養の分野であれば各市町村ごとに食育基本計画の策定、 看護の分野であれば医療制度改革。 だからこそ、行政に対する意見や質問がたくさんあるはずです。 そして今日は、行政のトップである横須賀市長に対して 直接にそんな日頃の想いをぶつけられるチャンスなのです。 意見や提案がいくつもいくつもあっても良いはずなのです。 それがなかなか出てこなかったのは 本当に残念だと思います。 1年生だからしかたがない、なんて フジノは思いません。 もちろん現場にどっぷりつかるというのも専門職としてはOK。 でも、その専門職としての仕事を規定しているのが 国や地方自治体のいろいろな制度なのです。 それをいつも自覚して「おかしい」と感じることを変えていくことも ソーシャルアクションとして変えていくことも 福祉職に関わる人間の大切な仕事なのです。 このことは、学生のうちから みんなに自覚してほしいと強く願います。 ------------------------------------------------- 県立保健福祉大学の学生への思い入れの強さから あえてフジノは厳しいことを言わせてもらいました。 しかしながら、質疑応答の中で 数名ほど輝くような質問をした学生もいました。 特に、外国籍の方々の福祉や政治への参加について 質問をした学生については 市長自身も 「積極的に検討してみたいと思います」 と答えていました。 フジノもその質問を素晴らしいと感じました。 また、市と市内の障がいのある方々の関係者が集まって話し合う 施策検討連絡会というのが今年6月にあったのですが その場にも参加していた学生が 今日もまたしっかりと質問をしていたのにも とても好感を抱きました。 このような高い意識の学生も、もちろん存在しています。 --------------------------------------------------- そして、今回のタウンミーティングの運営方法について 横須賀市側も反省すべき点はたくさんあります。 (1)あまりにもふだんの講義とかけはなれていること ふつうのカリキュラムの中に 『市長との意見交換』なんて授業が1コマだけ突然に入っても それに関心を持つことができるかといえばムリでしょう。 これは、このタウンミーティングを 必ず毎年、保健福祉大学で行なうことにしていけば 解消されていく問題点だと思います。 行政と福祉の関わりについて 高い意識をもって 意見交換ができるようになるのではないかと思います。 (2)学生の関心を惹きつけられる方法では無かったこと また、蒲谷市長の話し方や話す内容が 18〜20才くらいの若者むけでは無かったことも 当然、TPOに合わせて変えていく必要があったと思います。 医療・保健・福祉に関する専門的な質問に対しても 横須賀市が取り組んでいる施策について もっとしっかりと数字ごと理解して 学生たちに語りかけることができる必要もあると思います。 その他にもいくつも反省すべき点はあります。 何といっても今回は初めての試みでしたから 今後はこうした点を直していって もっともっと若い学生のみなさんと 積極的に意見交換ができる場へとしていかれたらと思います。 取り組みそのものは、本当に良いことです。 今後もずっと続けていくべきだと思います。 ● いじめられているこどもに「さらにがんばれ!」と言うな! 市長のカンタンな自己紹介が終わった後は、 まるまる1時間を学生からの意見・質問の時間としました。
今回、蒲谷市長に対して その見識を強く疑うことがありました。 学生の1人がこんな質問をしました。 「最近のいじめ自殺・いじめ問題について 市長はどのようにお考えですか?」 これに対して、蒲谷市長は このような主旨のことを答えました。 ・そんな簡単に「死のう」なんて考えないでほしいと伝えたい。 ・いじめられていて苦しいのだろうけれども 客観的に見て「もっとがんばれ」と言いたい。 僕は思わずその場で 「市長、そんなことを言ってはいけない!」 と、怒りをこめて口走ってしまいました。 いじめられている側が「死にたい」と考えてしまうのは 苦しくて苦しくて追い込まれて もう他に選択肢が見えない状態に 追い込まれているんです! 市長が言うような、「客観的に見て、もっとがんばれ!」は 絶対にまちがっています。 責められるべきは、いじめている側です! 何故、いじめている側を責めずに いじめられている側がもっと苦しまなければいけないのですか! 市長のいじめに対する認識は 完全に間違っていると僕は思います。 もうがんばることができないから、死ぬしかない。 それが自殺に追い込まれる人々の心理です。 がんばって、がんばって、もうこれ以上がんばれないんですよ! 行政のトップがいじめ問題に対して 「いじめられている側に客観的に見て もっとがんばれと伝えたい」 とは、絶対に言ってはならないことだと思います。 非常に愕然とさせられました。 そんな考え方は絶対に変えてほしいと思います。 世の中のバカな大人が 「いじめられている方にも問題がある」と言いますが それは100%間違っています。 いじめは、いじめている側が悪いのです。 もっといじめの実態を知ってほしいと強く願います。 |
2006年11月13日(月)のフジノ |
● 今まさに群発自殺のまっただなかにいる 昨日・今日と新聞の社会面がびっしりと 『自殺』に関するニュースで埋め尽くされています。 いじめられたこどもが亡くなり、 ウソの報告をした校長先生が亡くなり、 原因不明・遺書なしと書かれているこどもが亡くなっています。 自殺予防の世界で『群発自殺』と呼ばれる現象が 今まさに起こっていることを強く感じます。 かつて1986年にアイドル歌手Oさんが亡くなった時にも 全国で次々と若者の自殺が連鎖しました。 当時のフジノはまだ12才でしたが 今でもその頃の暗い雰囲気をハッキリと憶えています。 この数日間は、本当にピリピリとした緊張の中で フジノは毎日を過ごしています。 けさも天気はおだやかで 空をみあげれば冬の青空は優しい感じがします。 夜空も寒さで空気が澄んでいるおかげで 星が今までよりもたくさん見えるようになりました。 いつもならこころが癒されるそんな空を眺めている瞬間も 今この瞬間もどこかで誰かが苦しんでいると ハッキリと感じるのです。 ● もしも届くのであれば、いじめられているこどもたちへ あなたが死んでしまう必要は 全くありません。 苦しくて苦しくて、今は他に何も逃げ道が見えないかもしれません。 けれども、死んでしまうことは 本当にとてもすごくもったいないことなのです。 どうか、死ぬ以外の方法で その苦しみの場から逃げてください。 学校でのいじめが苦しければ 学校なんか行かなくていいです。 学校なんかで苦しめられて命を奪われるくらいなら 学校には行かなくていいですよ。 親が許さないというのであれば いっそ家出しても大丈夫ですよ。 僕自身もこども時代をふりかえると 学校に行かない日々がたくさん続きました。 僕は小学校でも中学校でもいじめられましたし、 高校に入ってからも 特に高校が死ぬほどキライで 今でも大キライです。そこの卒業生であるということで 政治家になった今、来賓で招待されますが絶対に行きません。 学校も休むことがたくさんありました。 学校に行っても保健室に逃げ込んでいました。 それでも大丈夫ですよ。 そんな風なこども時代を生きてきた僕みたいな人間でも 大好きな映画会社で働いたりできたし 今では政治家になったりしているんですから。 必ず今の苦しみの状況は 変わる日が来ます。 泥どろの底なし沼みたいな いじめの苦しみは、僕にも記憶があります。 いじめているヤツをぶっ殺して 自分も死んでしまおうと本気で考えたドス黒い気持ちも 今でも思い出すことができます。 かつての僕たちの時代のいじめと 今のこどもたちが経験しているいじめとでは 質が全く異なるのも知っています。 それでもどうか死なないでほしいのです。 孤立している苦しい気持ちを どうか僕に聞かせて下さい。 少しだけ力になれると思うのです。 僕の言葉がもしも今苦しんでいる人たちに届くならば その痛みを何とかわかちあって、 実際にその状況を良い方向に変える為に 僕は全力を尽くします。 どうか、声を聞かせて下さい。 ● 夜のYデッキ 今日は休暇の予定だったのですが 気持ちがピリピリしてしかたがないので 今日も夕方からYデッキで街頭演説を行ないました。 『自殺予防対策』と『いじめ問題』についてを ひたすらお話しました。 昨日、複数の市民の方に言われたとおり ちゃんと今日は名前の入ったのぼりを持っていきました。 今日もたくさんの方々が お話を聞いてくれました。 『いじめ』と『自殺』が多くの人々のこころの中で 強い関心事になっているのをひしひしと感じます。 一刻も早く群発自殺を止めなければいけない、と とても強く感じます。がんばらなければ。 しっかりとこどもたちの声を聞こうとしている大人がいるよ、と どんな形でもこどもたちにアピールしていかなければ。 そして実際に相談された時には 本当に力になるよ、という有言実行の姿をちゃんと示してあげたい。 死んでしまうことは、本当にもったいない。 そして、とても切なくて哀しい。 だから、力になりたい。 そんなことを祈りながら 1時間半ほどお話させてもらいました。 |
2006年11月12日(日)のフジノ |
● 「死にたい」は「生きたい」だと感じるから 昨日の夜は深夜3時半まで(今日の午前3時です)、 「死にたい」という方のお話をうかがっていました。 その後、明け方5時まで 事務所で相談の電話・メールが来るのに備えて待機して それから自宅へと帰りました。 何故なら、昨日11日は、 文部科学大臣宛に送られた手紙の いじめを受けているというこどもの『自殺予告の日』だったのです。 この手紙に連鎖して、5〜6通の手紙が 文部科学大臣宛に同じように送られました。 もともと「死にたい」という想いを持つ方々は連鎖して 11日に「死にたい」という気持ちが とても強くなるのではないかと思いました。 この活動日記を書いている12日深夜2時半現在では 残念ながら全国で数名のこどもの自殺が報じられています。 明らかにセンセーショナルな自殺予告の手紙は もともと「死にたい」という気持ちを持つこどもたちの背中を押した 大きなトリガーになったと思います。 ただ、自殺予告の手紙とのカンケーは 今のところはどうやら無いようです。 --------------------------------------------------- 僕は自分の人生をかけて自殺予防対策をすすめるという立場から 「自分にできることは全力で全てやらなけらば」という想いで 昨日と今日はピリピリしながら過ごしました。 もちろん、相談の電話・メールだけでは その人を「死にたい」という気持ちへと追い込んだ状況は 変えることはできません。 けれども、今この瞬間の「死にたい」という気持ちを しっかりと全力を尽くして聞かせてもらって その想いに寄り添うことだけはできるはずだと信じています。 明日の朝を迎えられることができたら まずは大きな一歩だと信じて かかってきた電話・届いたメールと向き合い続けました。 ● 自分にできることを全ての人がやること 少し眠った後、今日は夕方まで事務所に待機して いろいろな資料・参考文献を読みながら 相談の電話やメールに対応しました。 時々、インターネットのニュース速報のページをチェックして 昨日11日に自殺が無かったかを調べました。 それから夕方にYデッキに向かいました。 ここしばらく行なっている、街頭での 『1人自殺予防対策キャンペーン』を行なう為です。 今日は、自殺予防対策についての話に加えて 『いじめ』についてもお話しました。 合計2時間半、日曜の夕方のYデッキに居たのですが そのうち1時間半くらいは 市民の方々から話しかけられて 『いじめ』について、いろいろなことを話し合いました。 若い人から高齢の方まで多くの方々が 『いじめ』と『自殺』について深い関心を持っていることが分かりました。 フジノは、こんな内容をお話しました。 ● 複数の人が集まれば、いじめは必ず起こるものです。 いじめをこの世界から完全に無くすことはできません。 けれども、いじめを受けた人が 孤立するのを防ぐことはできます。 いじめられているこどもたちは もしも学校の先生や同級生に相談することができなければ 僕に電話してきてください。メールでも大丈夫です。 僕は、必ず動きます。 僕のことが信用できなければ、 どうか教育委員会の直通メールを利用してみてください。 教育委員会は毎日このメールを読んでいますし、 必ず対応を行ないます。 今日は昨日のくりかえしでいじめは止まらない、 苦しみは永遠に続く、と思っている人は多いと思います。 けれども、僕たち大人にできることはたくさんあります。 今日を昨日のくりかえしでは無くすことができるし、 苦しみを永遠に続くなんてことはストップさせてみせます。 信じてください。 だから、どうかいじめられていて苦しいと感じるならば ぜひ連絡をしてきてください。 ● たくさんの市民の方々と いろいろな意見交換・議論ができて、とても良かったです。 大人たちはやれるべきことを 1人1人が全てやるべきだと思います。 どうか、こどもたちを守る為に みなさんも一緒に成すべきことを成して下さい。 ● それでも肩書きなのか... 今日は本当にたくさんの市民の方々に 声をかけてもらい、たくさん議論をしました。 そんな中でフジノの活動を知ってもらえて 真夜中でも日曜日でも 自殺に追い込まれてしまう人の力になりたくて 政治家だって必死に活動しているのだということを知ってもらえたのは 少しだけフジノの活動が報われた気がしました。 それはそうと、 「名前が入った旗を出すべきだ」 「看板に『市議会議員』って書いて立てておくべきだ」 と、何人にも言われました。 「私はフジノさんが市議会議員って知っているよ。 だけど、他のまちから来た人が フジノさんの演説の内容に関心を持っても 名前も何にも出してないから、インターネットでも調べようが無い。 それでは伝えたいことが伝わりきらないんじゃないの」 と、反論の余地が全く無い まさにおっしゃるとおりのご意見をいただきました。 フジノがのぼりや旗を出さない理由は、 自殺予防対策を訴えたいだけで 他の情報(政治家であるとか名前だとか)は一切いらないのだ、と 考えてきたからでした。 けれども、市民の方々がおっしゃるように 「茶髪ロンゲひげの呼びこみの黒服みたいな感じの男が 何故にまっとうなことを話しているんだろう」 と思われてもしかたないんだなあ、と思いました。 そんでもって 「横須賀市議会議員・藤野英明と書いてあれば あるいは精神保健福祉士・藤野英明と書いてあれば あなたの話の信頼度がぐっと上がるでしょ」 というのも、まあ、そのとおりなんだろうなあと思いました。 あーあ、結局は肩書きなのかよ、と ため息が出ました。 肩書きが無ければ正しいことを言っていても その信頼性は低くなるという事実に、げんなりさせられました。 結局は肩書きなのか。 でも、そんな理想論を言ってても始まりません。 僕の目的はあくまでも自殺予防対策を進めること。 目的を実現する為ならば、たいていのことはガマンしなければ。 肩書きを出せば信頼性があがるのならば しかたがないけれどもフジノは のぼりを出したりします。 でも、ハッキリと断言しますが 自分の名前を売る為ではありません。 そんなことは最初から どうでもいいのです。 任期は4月末までなので あと約5ヶ月間です。 その任期の続く限り、政治家フジノとしてできることを 最後までより効果的にやりとげる為に 全力で活動を行なうだけです。 |
2006年11月11日(土)のフジノ | ||||||
● よこすか・ヒューマン・ライツ・フェスタへ 今日は、汐入にあるヨコスカ・ベイサイド・ポケットに行きました。 『よこすか・ヒューマン・ライツ・フェスタ』というイベントがあって その中のプログラムの1つに 全国中学生人権作文コンテストの 横須賀市大会の優秀作品表彰式がありました。 その優秀作の朗読が 本人たちによって行なわれるということだったので それを聞く為にフジノは行きました。
最優秀賞に選ばれたのは 武山中学校3年生の寉岡萌希さんでした。
彼女の作文は、障がいのある方との関わりを通じて 自分が感じたこと・考えたことを 誠実にしっかりと文章にした素晴らしいものでした。 その関わりの体験は、決してありがちなものではないので 本当に深く深くいろいろなことを考えたことと思います。 また、お母さんとの対話を通して 「障がいのある人は、決して『かわいそう』では無い。 障がいのある人は、『こころが強い人』なのだと思う」 と考えるに至ったということでした。 しっかりと対話をしてくれるお母さんがいてくれたことも とても幸せなことだと感じました。 彼女は、自らの体験を通じて物事をしっかりと深く見つめて 他人の痛みを自らの痛みとして感じることができる、 そしてそれを自分の言葉として表現できる、 そんな人なのだと思います。 良い人生をしっかりと生きていると思います。 作文の朗読だけでしかうかがいしれないのですが きっと彼女はふだんの暮らしの中でも 自らの経験を通じてしっかりと世界を捉えていかれる とても良い生き方をしているのではないかなあと素晴らしく感じます。 ● 素晴らしい作文に出会えて 残念ながら、時間がフジノには無かったので 楽屋やホールでフジノの感想を ご本人に伝えるチャンスはありませんでした。 かわりに、少しだけ、ここで フジノの感じたこと・考えていることを書いてみます。 ● 障がいのある人のことを 「=かわいそう」とステレオタイプに考えるのは 確かに間違っていると思います。 別に、かわいそうではないですし、 同情の目だけで見つめるのはとてもおかしなことです。 けれども、福祉のこころがスタートする はじめの一歩は「かわいそう」と感じる気持ちであっても 決して間違いでは無い、とフジノは考えています。 「かわいそうと考えてはいけない」とガチガチになると それもまたステレオタイプというか 固定化された考え方になってしまいますから。 他人に対して、「かわいそう」「つらそう」と感じられる、 そんな優しさや痛みへの共感は いつまでも持ち続けてほしいとフジノは考えています。 同じく、障がいのある人は「こころの強い人たち」という 考え方もまた障がいのある人のことを ステレオタイプな固定された見方にとどめてしまっていると思います。 障がいのある人たちはみんなあなたと同じで 1人1人みんなが性格も生き方も違う、 別々の人間です。 中には、こころの強い人も居ますけれども こころが強くない人だって居ますし、いろいろな人がいます。 重い障がいがありながら生きているとしても それは決してこころが強いから生きているのではありません。 人として生まれてきたからには 生き物としての人は、生きていく本能があるからです。 生物として「生きたい」という本能があるから 人は生きていく訳です。 そこに「こころが強い」「こころが弱い」という価値判断はありません。 障がいがあってもなくても 人はみんな同じです。 生まれて、生きて、死んでいく。 確かに障がいの無い人に比べて 障がいのある人は 不利なことや苦労しなければならないことが多いでしょう。 けれども、それに耐えてのりこえているのは 「こころが強い」ということとはカンケーがあまり無くて、 あなたと同じように、 生まれてきたから生きていきたいという 人がみんな誰でも持っている欲求を実現していることなのです。 本当に差別が無い世の中というのは 障がいのある人を特別視することが無い世の中だと思います。 僕が32年間生きてきた中で出会ってきた 障がいのある人々の中には 優しい人もいればむかつく最低なヤツもいました。 それは障がいの無い人々と 全く何も変わりません。 いくつかの福祉的サポートは必要ですが それ以外の、人と人としての関わりの中では 障がいのある人のことを特別視する必要は全く無い と僕は考えています。 障がいという部分は除けば こころの中は障がいのある人も無い人も同じです。 何か決まったイメージでもって見てしまうことは 障がいを取っ払った『その人・個人』を見逃してしまうことになります。 作文そのものは本当に素晴らしかったです。 最優秀賞に選ばれたのも まさにそれに値する内容だったからだと感じます。 会場ホールにはりだされていた 他の10作品のどれと比べても 最も素晴らしかったと思います。 これからさらにたくさんの出来事に日々の暮らしの中で出会って そして、もっともっといろいろな体験をして いろいろなことを感じて いろいろなことを考えて もっともっと素敵な人になってほしいと思います。 どうか、がんばってください。 ● おまけの画像です。
フジノが転職する前の会社(映画会社)では 新入社員がみんなでゴジラの着ぐるみの中に入って宣伝活動したり、 宣伝部の先輩が映画館のロビーで着ぐるみに入って こどもたちに囲まれていました。 フジノは着ぐるみに入るチャンスが無かったので ちょっとうらやましいなあ...。 |