まちの政治家は、こんなことしてます新人議員の活動日記


2006年9月10日(日)のフジノ
● 自死遺族のこころの相談&電話相談が行なわれました

 ご遺族の方々にとって
 誰かにその苦しみや痛みを語るということは
 本当に勇気が必要なことだと思います。

 本日、『世界自殺予防デー』にあわせて
 横須賀市が主催して行なった『自死遺族のこころの相談』に
 ご遺族の方々が参加していただけたことに
 こころから感謝を申し上げます。

 お電話くださった方、面接に来てくださった方、
 本当にありがとうございます。

 今日はたまたま第1回という形で
 特別な設定を行ないましたが
 精神保健福祉班では毎日相談を受け付けておりますので
 どうかいつでもご利用なさってください。

 政治家フジノとしても
 1回の打ち上げ花火で終わらせるつもりはありません。

 また、健康福祉部長をはじめ、
 精神保健福祉班の方々とお話した印象も同じでした。

 決して打ち上げ花火では終わらせません!

 むしろ、横須賀の自死遺族ケアは
 今日から本格的にスタートするのだと固く信じています。

保健所の相談室

 その証拠というか、
 フジノだけの思い込みでは無いと信じるに至った
 出来事があります。

 精神保健福祉班の7名の方々は
 本日は休日出勤をして
 面接・電話相談を行なったわけです。

 もともと休日ですからカギはかかっている訳ですが
 精神保健福祉班へとつながる保健所の入り口にはカギをかけて
 一般の方々が入れないようにして静かな状況で
 相談業務に集中できる環境になっていました。

 フジノも市議会議員と言えども
 その相談場面のかたわらに居るということはできません。
 (これは当然です)

 そこで、ガラス越しに少しだけ見える位置から
 しばらくその様子を見ていました。

 と、そこへ蒲谷市長がやってきました!

 健康福祉部長と保健所長と共に
 カギをあけて、精神保健福祉班の方へ向かいました。

 それからおよそ5分くらい、
 みなさんに向かって激励の言葉をかけていました。

 僕は、率直に感激しました。

 わざわざ市長がこの自死遺族ケアに関心を持って
 そしてその取り組みにわずか5分であっても
 職員の激励に来てくれたことがとてもうれしく感じたのです。

 やがて市長が出てきたところで話しかけて

 「蒲谷市長、自死遺族のケアに関心を持って下さって
  ありがとうございます」

 と、お伝えしました。

 「いや、自殺予防は大切なことですから」

 と、市長は応じると
 次の用事へと急いで向かっていきました。

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 もともと、この保健所3階のすぐ隣で
 市長は今日同じ時間帯に
 『まちづくりミーティング』を行なってはいました。

 ただ、終わった後に素通りすることもできたわけですね。

 そこを市長みずからが

 「ちょっと寄っていこう」

 と言い出して、精神保健福祉班に向かったのです。

 これは複数の関係者に確認をしたので
 間違いの無い事実なのですが

 蒲谷市長は誰かにすすめられて行ったのでは無い

 のです。例えば、部長とかにすすめられて
 いやいや行ったのでは無いのです。

 自分の意思で向かったのですね。

 以前、秋田大学の
 本橋豊教授(日本の自殺予防の権威です)とお話した時に

 「いかにして行政のトップである市長に
  自殺予防対策の重要性・必要性を理解してもらうかが勝負だ」

 という話題になったことがあります。

 これは青森県立精神保健福祉センターの
 渡邉所長(同じく日本の自殺予防対策の権威です)も
 著作の中で全く同じ主旨のことを書いています。

 この意味において、横須賀市は
 蒲谷市長(行政のトップ)が自殺予防対策の重要性・必要性を
 強く認識しているという姿勢が明らかだと思います。

 改めて、横須賀市の自殺予防対策は
 これからも本格化していくのだ、と強く確信しました。


● 市長のタウンミーティングでした

 今日は10〜12時まで逸見の保健所で
 市長の『まちづくりミーティング』が行なわれました。

06年9月10日まちづくりミーティング

 前回で1クール(行政センターを全て回ったのです)が終わった
 『まちづくりミーティング』ですけれども、
 今回からは第2クールがスタートです。

 今日は『こそだて』がテーマでした。

 フジノは一般質問を通じて、
 前市長時代から「タウンミーティングを行なうべきだ」
 と提案してきました。

 それを実現している蒲谷市長はナイスですが、
 1クールを終えた後で、フジノはさらに一般質問
 「障がいのある方」「女性」「こども」「行政に関心の無い人」の
 誰でもが参加できるしくみづくりを行なっていくべきだ、
 と提案をしてきました。

 第2クールはまさにその提案を受けてくれた感じになっていて
 今日も参加者は女性が3分の1は参加していましたし、
 これから先は総合高校で高校生を対象にした
 タウンミーティングも行なうのですね。

 蒲谷市長の受け答えは
 回を重ねるたびに
 とても市長らしい良いものになってきたと思います。

 今日も(1回だけ細かい内容を部長に答えてもらってましたが)
 基本的には全て1人で質問に対して応じていました。

 そういう姿勢はとても市民のみなさまに対して
 必要な在るべき姿だと思います。

 タウンミーティング、これからもどんどん回数を重ねて
 市民のみなさまに近い存在である行政トップになってほしいと思います。


● すごいアメ車が大集合でした

 まちづくりミーティングが終わって
 自死遺族のこころの相談の報告を受けた後、
 大急ぎで三笠公園に向かいました。

 けさは早朝から三笠公園で
 アメ車が200台以上も大集合してイベントが行なわれました。

 横須賀市のプレ100周年イベントにも認定された
 『A−car Festival』(名前まちがってたらごめんなさい!)は
 僕の友達Aくんがプロデュースをしているのです。
 だからもう絶対に観なければね。

 Aくんは何ヶ月も準備に走り回っていました。

 その甲斐あって、素晴らしい晴天に恵まれて
 いい感じのイベントになっていました。

晴れ渡った三笠公園

 ちなみに食べ物屋さんとして
 僕の大好きな『かねよ食堂』もたこ焼きを売ってました。

たこ焼きで出展していたかねよ食堂のみなさまと

 めちゃくちゃおいしかったです!

 走水のおいしいタコとは違うのですが
 (タコ焼き用のタコは全く別種類らしいのですね)
 炎天下の熱々タコ焼きはサイコーでした。

 さあ、今日はこれから東京へ。
 僕の夢をかけた勝負に出かけてきます!

 半分、仕事で
 半分、プライベート。いや、99%仕事かな?

 ともかく今、自分の成すべきことだと信じることを
 全力でがんばってきます。

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 それにしても今日も腰が痛い〜。
 みなさん、腰痛には気をつけてくださいね。



2006年9月9日(土)のフジノその2
● 明日10日『世界自殺予防デー』に、遺族の方のこころの相談が行なわれます

 昨日も記しましたが、明日10日、
 自死遺族の方のこころの相談が行なわれます。

 電話による相談(9〜16時)046(822)4336

 どうかご利用ください。

 (タウンニュース06年9月1日号)
タウンニュース紙が報道してくれた「自死遺族のこころの相談」


● 毎日新聞の1面に記事が載りました

 NPO法人『自殺対策支援センターライフリンク』が行なった調査と
 『地域の自殺対策を推進する地方議員有志の会』(略称:自殺対策・地方議員の会)の活動が
 あわせて報道されました。

 (毎日新聞06年9月9日夕刊1面)
毎日新聞06年9月9日夕刊1面


2006年9月9日(土)のフジノその1
● 素晴らしき桜台中学校!

 桜台中学校!

 この学校の素晴らしさは全国に誇るべきものだ、という想いを
 本会議でもプライベートでも僕は繰り返し唱えてきました。

 そんな想いが今日また強くなりました。

 今日は、第47回目の体育祭。
 桜台中学校、『最後』の体育祭です。

 ある日突然に『統合』が発表されてから
 たくさんの方々の反対にもかかわらずに決定事項となってしまい、
 ついに今年度いっぱいで桜台中学校は無くなります。

 僕は全く納得なんかしていないし、
 今日、生徒たちの姿を見て、
 改めて「横須賀市教育委員会の決定は間違いだ」と感じました。

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 さて、そんな怒りはいったん置いておいて
 今日の体育祭のお話です。

 昨日の夜から「明日は桜台中の体育祭だ!」と
 僕はかなりワクワクしていました。

 おととし去年、と参加しているフジノにとって
 1年生から見てきた生徒たちがついに3年生になって
 つまり最上級生として
 最後の体育祭を行なう訳です。

 親近感を強く持っている生徒たちが
 ついに最終学年か、と思うと感慨深いですよね〜。

 さて、今日は朝からとてもいい天気!
 体育祭日和でした。

桜台中学校最後の体育祭  毎年いつも
 朝のはじめから
 参加してきたのですが
 今年は遅刻。

 市民の方から
 重めの相談があって
 ひと段落したら
 もう11時でした。

 大急ぎで
 バイクに乗って
 桜台中に
 向かいました。

 来賓受付に向かうと

 「フジノくん、遅いじゃん!」

 と、受付をして下さっているPTAの方から
 お叱りを受けてしまいました(笑)。ごめんなさい!

 赤のはちまきを受け取ると(毎年フジノは赤組なのです)
 そのままカバンをおろす暇も与えられずに

 「騎馬戦に参加して!」

 「最初からフジノくんは数に入ってるんだから早く!」

 と、前PTA会長さんに言われて
 地域のみなさん・PTAのみなさんと一緒に列に並びました。

 午前、最後の競技『騎馬戦』です。

 (大縄跳びには間に合わなくて残念...)

 小規模の学校なので
 生徒の数が多くはありません。

 だから騎馬戦は、生徒たちが上に乗って
 OB・OGと地域の方々とPTAのみなさんが騎馬になります。

 フジノも騎馬として参加です。

 桜台中学校のOBである上地さんと共に
 赤組の勝利を目指して2人とも燃えまくりました。

 フジノたちの騎馬に乗った
 Yくん&Nくんの活躍は素晴らしく8人も倒したのでした。

 その後、ちょっとしたアクシデントがあって
 フジノはいったんリタイヤ。

グラウンドに立つ桜台中学生の元気な姿  午前は
 赤組がリード。

 アクシデントからフジノがやっと戻ると
 なんともう午後の最後の競技でした。

 『二人三脚・三人四脚リレー』に大急ぎで参加しました。

 OB・OG・地域のみなさん・PTAチームの
 アンカーをやらせてもらえて、ゴールした時には感動しました。

 最後にみんなで『整理体操』をして
 クールダウン。

 ついに、最終結果の発表です。

表彰式  フジノの愛する
 赤組は
 今年も惜敗。

 残念。無念。

 3年生=
 赤組、
 だったので
 よけいに
 赤に勝って
 ほしかった。

 どんまい!

 表彰式の後、校長先生・PTA会長・生徒会長の言葉がありました。

 どの1つも素晴らしかったなあ。

 校長先生は、47年前に桜台中学校のグラウンドが
 最初はただのドロドロの広場にすぎなかったのを
 地域のみなさんが協力して
 砂を運び入れて
 足で踏み固めてくれて作られたという話をしてくれました。

 桜台中学校の歴史は、本当にたくさんの方々の
 こどもたちをみんなで見守っていくという姿勢が貫かれているのだ、
 と思いました。

 校長先生とは休憩時間にもお話したのですが
 こんなに熱い校長先生は、なかなか居ないですよ。

 前校長先生も素晴らしい方でしたが
 現在の校長先生も本当に素晴らしい教育者だと思います。

 そして、何よりも誰よりも
 生徒のみんなが本当に素晴らしかったです。

 いつもあいさつしてくれる生徒たち。

 毎年の生徒会長もすごく人間的に優秀だし、
 1人1人いろんな個性があって、いい生徒たちだなあと思います。

 桜台中学校としての体育祭は今年で最後だけど
 まだまだ文化祭もあるし、終わりなんかじゃない。

 この中学校の生徒であることに
 大きな誇りを持ってほしい、と強く思います。

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 フジノは、武山中学校の出身ですから
 桜台中学校は母校でもありませんし、縁もゆかりもありません。

 ただ純粋に、
 この学校で出会った生徒たちを大好きになり、
 前校長先生と現校長先生の持つその熱意にこころをうたれ、
 第一学級をはじめとする先生たちの姿勢に共感して、
 PTAのみなさんの優しさと行動力に感激して
 そして、ファンになりました。

 PTAの方から

 「3年連続で来て下さってありがとうございます!」

 と握手を求められましたけれども
 僕からしたら、お礼を言いたいのはこちらです。

 「3年連続で感動をありがとうございます!」

 です。

桜台中学校の校舎  桜台中学校に出会えたことを
 僕は誇りに感じています。

 生徒のみなさん、
 OB・OGのみなさん、
 地域のみなさん、
 PTAのみなさん。

 どうかみなさんも
 桜台中学校を
 『誇り』に感じて下さい。

 いい学校だ!


● 初めてのぎっくり腰

 さて、アクシデントについて。

 日頃、運動不足で
 なおかつ準備運動も何もしないで
 騎馬戦に飛び込んでいったフジノは腰をやられました...。

 フジノたちの騎馬の上に乗ったYくんは
 がっしりした体格で、重さは80kg。

 下の騎馬の真ん中になった60kgのやせフジノは、
 やや前のめりになったYくんの体重がかかった瞬間、

 「ぐぎっ」

 という大きな音がして
 腰にすごい激痛が走りました。

 そのまま立てずに転んでしまいました。

 「フジノくん、大丈夫!?」

 というPTAのみなさまの心配に苦笑いで

 「大丈夫、大丈夫です」

 と応えて、そのまま気合で
 騎馬戦を3試合、やりとおしました。

 そして、昼食休憩のために
 来賓席に戻ったのですが
 痛くて座れない(涙)。

 「今すぐ整骨院に行ったほうがいい」

 というアドバイスを受けて
 そのまま最寄の整骨院へ直行となりました。

ぎっくり腰になったフジノ  マッサージ、アイシング、再度マッサージ、
 と1時間にわたって施術がなされました。

 「午後も体育祭に出たいんです!」

 と先生にお願いすると

 「フジノさん、無茶しないで下さい」

 と怒りながらも
 テーピングをしてくれました。

 コルセットもつけて、整骨院で治療を終えると
 大急ぎで桜台中学校に戻りました。

 そして、午後の二人三脚も気合で出場しました。
 だって、最後の体育祭なんだから(涙)。

 これから毎日しばらくは整骨院に通うことになりました。

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 この原稿は、それから10時間後に書いているのですが
 これは本当に痛いですね...。

 ぐじぐじと痛い...。
 腰痛ってイヤですね。
 立ってても座ってても寝ててもくしゃみしても痛い。

 15日に市議会で一般質問を行なう予定なのですが
 長い時間は座っていられないので、質問原稿が書けません(涙)。

 28日の本会議に変更しようかなあ。

 うー。30代になったら
 生活習慣病だけじゃなくて腰痛にも要注意ですよ、みなさん!

 うー。コルセットは暑苦しい。

 本当に、要注意ですよ。



2006年9月8日(金)のフジノ
● あさって9月10日、『自死遺族のこころの相談』を行ないます

 ついにあさって9月10日(世界自殺予防デー)に
 横須賀市は『自死遺族のこころの相談』を行ないます。

 タウンニュース紙(9月1日号)が
 この件を大きく報道してくれました。ありがとうございます!

 (タウンニュース06年9月1日号)
タウンニュース紙が報道してくれた「自死遺族のこころの相談」

 すでに『広報よこすかお知らせ版』(8月25日発行)での告知をはじめ、
 行政センターや健康福祉センターなどにも
 開催をお知らせするチラシ(下の写真)が貼りだされています。

市内に張り出された告知「自死遺族のこころの相談」9月10日  当日は

 (1)電話での相談(9〜16時)
    046(822)4336

 (2)来所しての相談(予約制)

 の2つが行なわれます。

 どうか、ご利用ください。

 来所しての相談は
 ご遺族の方々にとって
 なかなか敷居が高いということは
 他県での例でも
 よく理解しています。

 どうぞ電話相談を
 ご利用なさってください。

 政治家フジノがこころから信頼する
 精神保健福祉班の7名が
 電話の前で待機しています。 

 市役所は金曜日(今日)で閉まってしまうので
 相談が実施される日曜日(10日)の前に
 精神保健福祉班の責任者の方と
 つい先ほどに最後の意見交換をしました。

 精神保健福祉班はふだんから
 毎日すさまじい数の相談業務を行なっているのですが
 それとはまた別に、
 10日の本番を前にして
 強い意気込みが感じられました。

 横須賀市の自死遺族ケアが
 ついに本格的にスタートするのです。

 フジノはこころから応援しています。
 どうか市民のみなさまも見守っていてください。

 本当に大切な取り組みが
 あさって10日から始まります。


● 自死遺族のみなさまへ(同じ立場から、こころの底からの想い)

 僕は自分が政治家になることを決心した本当の理由を
 今年6月1日まで隠してきました。

 正確に言うならば、横須賀市内では隠してきました。

 自殺予防の講演に呼んで下さった秋田県合川町、
 それを報道した秋田魁新報の記事、
 ぜんかれんの分科会などでは当選当初から話してきましたが
 それ以外の場所では一切話したことがありません。

 フジノスタッフもわずか数名を除いては
 僕が何故、政治家に転職する決心をしたのかを知りませんでした。

 大切なご家族への影響、自分自身の苦しみ、周囲の激しい偏見。

 これらを真剣に考慮すると
 このまちでは一切話さないことが
 僕の唯一の選択肢でした。

 大切な人を自殺で失うということは
 他人には決して理解できない大きな苦しみを伴う出来事です。

 何年が過ぎようとも決して変わることが無い
 全身が切り裂かれるようなこの痛みは
 体験したことが無い人には
 絶対に理解することはできない苦しみです。

 大学時代から精神保健福祉を学んできた僕は
 悲嘆への対処方法に詳しいので
 ふつうの方々にくらべたらバリアが強いはずでした。

 しかし、そんな専門知識のバリアも
 自分自身にやってきた衝撃の大きさの前には
 ほとんど歯が立ちませんでした。

 僕自身も、2年半以上にわたって
 悲しみをのりこえるために
 臨床心理士のカウンセリングを受け続けました。

 こうして他人には決して理解されることのない
 苦しみを内面に抱えながら
 他方で僕は政治家という手段を使って
 自殺予防と真正面から取り組むという道を選びました。

 自殺予防をすすめるために
 本会議場でヤジを受けながら一般質問をするたびに
 その質問に対する市長や部長から十分な答弁が得られないたびに
 いつも、ひどく傷つき、苦しみました。

 自殺という苦しみから逃れたいのに
 毎日その問題と向き合う仕事にあえて就いたのです。

 この3年半は、そんな内面の苦しみと闘いながら
 偏見にまみれたこの国全体と闘ってきた日々でした。

 本当に苦しくて、孤立していて、
 毎日が地獄のような日々でした。

 6月1日、『地域の自殺対策を推進する地方議員有志の会』の設立と
 その代表に就任することになって、
 マスコミを含めた世間に対して、
 自分のことをきちんと語ることを決心をしました。

 全国の地方議員の会の代表という重責を担うのが
 何故32才の若造なのか、理解してもらう必要もありました。

 この会の立ち上げは昨年12月には
 スタートしていましたので、その時に決心をしました。

 また、任期の最後の1年間を前にして、
 遅々として進まない自殺予防対策を前進させるためにも
 プライバシーも捨てて
 自分の全てを賭けるべきだと考えました。

 自殺予防対策という政策をやるために政治家になり、
 4年間という時間だけ、
 自分の全てをかけて、
 こころも体も捨てて
 取り組もうと決心したのです。

 その捨て身が、何とかうまくいって、
 いくつかの取り組みが動き始めました。

 国は法律をつくりました。
 横須賀市もいくつもの取り組みを始めます。

 しかし、本当に僕のこの決心が正しかったかどうか、
 本当の意味で分かるのは
 この国/このまちの自殺が
 10年くらい経って明らかに減少していた時のことです。

 僕は自分が政治家として生きてきた
 この4年間という任期が正しかったかどうかは
 まだ何年も何年も経たないと本当の意味では分からないのです。

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 長々と書き連ねましたが、
 僕がこころの底から伝えたい想いは
 こういうことです。

 この国に、このまちに、本当はものすごくたくさんいらっしゃる
 自殺によって大切な人を失ったみなさま。

 遺族のみなさま。

 あなたの痛みを、全く同じように理解することは
 残念ながら誰にもできません。

 もちろん同じ立場である僕にも
 全く同じように理解することはできません。

 けれども、その大きな苦しみや悲しみや痛みを
 わかちあうことはできるはずです。

 遺族ケア、という単語を聞くたびに
 個人としての僕は
 「くそくらえ、何がケアだ。他人に何が分かる!」という気持ちになります。

 けれども、一方で政治家として
 遺族ケアは絶対にやらなければならないと信じてきました。

 何故ならば、その苦しみは
 わかちあうことができるはずだからです。

 決して、取り除くことはできないし、
 もしかしたら減らすこともできないかもしれません。

 けれども、本当に必要なことなのです。

 だからどうか横須賀市の取り組みに
 勇気をもってつながってみてほしい、と僕は願います。

 もちろん9月10日の相談が全てではありません。

 精神保健班はいつでも相談を受けていますから
 10日だけの取り組みだけではもちろんありません。
 いつでもいいので、ぜひ相談してみてほしいのです。

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 全国的には、遺族同士による
 『わかちあいの場』というのが主流になっています。

 今回、横須賀市では
 精神保健福祉の専門家による『相談』という形を取りました。

 どちらが正しいとかどちらが間違っている、
 ということは全くありません。

 どちらも正しいしどちらも間違っているかもしれません。

 けれども、独りきりで乗り切ることは
 本当に大変なことだと思います。

 もう耳にタコができるほど繰り返し書いてきたことですが
 1人の自殺が起こると、少なくともその方の周りに
 5人はハイリスクな状況に追い込まれる遺族(血縁を問いません)がいます。

 この5人の遺族が今度は自殺へと追い込まれることが
 本当にたくさんあるのです。

 この国では、確かに今までは
 遺族は孤立させられて
 独りきりで生きていかなければならない状況でした。

 でも、やっと今、状況が変わりつつあります。

 横須賀市の場合は、それが9月10日の相談からなのです。

 僕はこのHPでは
 いつも誠実であろうと努めてきました。

 いつも最大限、自分の本音を書いてきました。

 書くのが苦痛な出来事であっても
 誰かのこころに飛び込む為にはそれが最善の道と信じて
 可能な限り、自分の内側をさらけだしてきました。

 今日はこの3年半の任期の中で
 最も自分の内面をさらけだして書きました。

 これまで独りきりで生きてこざるをえなかった
 このまちに本当はたくさんいらっしゃる遺族のみなさまに伝わってほしい
 という、その想いだけで書きました。

 どうか、あなたは独りでは無い、ということを知って下さい。

 精神保健福祉班のメンバーも
 同じ立場として僕も
 あなたの想いを少しでもわかちあうことができたら、と願っています。

 どうか、一人きりでは無いことを知って下さい。

 僕のこころの底からの願いです。



2006年9月5日(火)のフジノ
● 「生きたい」という気持ちだけがいちばん大切

 大人もこどもも夏休みが終わって
 仕事に戻ったり、新学期で学校に戻ったり、という時期ですね。

 ここ2週間ほど、精神的な苦しさを抱えた
 たくさんの方々からいろいろな相談を受けています。

 その時に、誰に対してもフジノが
 必ず伝えているのは

 「あなたの体よりも大切なものはありません」

 ということです。

 確かに、仕事に行かなければ
 せっかくのチャンスを失うことでしょう。

 学校に行かなければ、単位を取ることはできないでしょう。

 でもそれは、あなたが元気いっぱいだったら、の話でしかありません。

 今、あなたは本当に苦しんでいるから
 メールや電話で助けを求めている訳です。

 元気いっぱいだったら、という話は
 いったん忘れてください。

 何よりも大切なことは、あなたの体=健康を取り戻すこと、だけです。

 それを最優先にして、
 それ以外はなるべく忘れて下さい。

 学業も仕事も、取り戻すことはいつだってできます。
 あなたの体だけがいちばん大切です。


● 1度目の精神科クリニックが終わったら

 8月21日のこのコーナー
 『はじめての精神科クリニック』という文章を書きました。

 あれを書いた後、何人もの相談者の方々が
 実際に精神科クリニックに足を運んでくれました。

 そこで、1度目の精神科クリニックを終えた方々に向けて
 改めてフジノから、ちょっとだけアドバイスをしますね。


 ・うまく気持ちを伝えることは初めてでは難しいものです

 初めて訪れた精神科クリニック、
 なんとか予約の電話は「えいや!」とかけることはできたものの
 当日になって待合室に着いたところで気がひけてしまう。
 そして、ドクターに自分の伝えたいことを
 ぜんぜんうまく伝えられない、なんてことはたくさんあります。

 どんまいです。

 そうしたら、次回があります。
 さっそく次回の予約を入れて下さい。

 どんなことがうまく伝えられなかったのか、メモしてみてください。

 次回も言葉ではうまく伝えられなさそうだったら
 ドクターにそのメモを渡して読んでもらってください。
 ばっちり読んでくれますよ。


 ・クスリが出たけど、何だか調子が良くならない...

 頭痛のクスリとか風邪のクスリなんかとは違って、
 精神科クリニックのクスリは
 『効くまでの時間』に個人差があります。

 早い人の場合には(プラシーボ効果なんていうのもあって)
 のんだその日からすぐ効き目が出たりします。

 でも、ほとんどの場合、
 ふつうは1週間くらいたってから

 「なんとなくうつが取れたかな?」
 「今日は少し気持ちがラクかも?」

 という感じになってきます。

 遅い人の場合には3週間くらいかかります。

 だから、のんですぐに調子が良くならなくても
 それはしかたがないことなんですね。

 あきらめないで1週間はのみつづけてみてください。

 不安やうつが続く中で
 クスリをのみ続けるのは大変ですが、ファイト!


 ・もっと調子が悪くなってきた!助けて...

 精神科クリニックに行って3日くらい経つけど
 ぜんぜん調子が良くならない!
 むしろ、うつがひどいよ〜!
 助けて!

 という、あなた。

 精神科クリニックの次回の予約が
 たとえ2週間後でも
 早く診察してもらえるように

 「体調が悪いので診察を早めてください!」

 と、伝えて下さい。

 次回の予約した日まで、ムリに待たないでくださいね。
 ドクターはスケジュールに空きがあれば
 早めて必ず診察してくれますからね。

 それまではのむべきクスリは
 スケジュールどおりにのみつづけてくださいね。


 ・もう治ったからクスリはいらない、はダメですよ〜

 精神科クリニックから処方されたクスリをのんだら
 あっけなく元気いっぱいになった!

 もう明日からいつもどおり
 ガンガン働くんだ!

 ...というのは、とても危険です。

 クスリがすごく効いているから
 元気になった感じがしているだけですからね。

 つまり、骨折している足に痛み止めの注射を打てば
 クスリが効いている訳ですから
 足が折れてない気がするかもしれません。

 でも、その状態で走ったりすれば
 骨折がもっともっとひどくなりますよね?

 それと全く同じです。

 あなたがクスリをのんで「元気になった!」と感じたとしても
 そこですぐにクスリをやめたり、
 仕事や学校に急に戻ったら、
 もっと症状がひどくなってしまうかもしれません。

 骨折している足に痛み止めを打った状態で走ったら
 足がぐちゃぐちゃになってしまいますよね。

 それと同じことが
 起こってしまうのです。

 つまり、もっとうつがひどくなったり、不安がひどくなったり。

 ドクターが「OK、もうのまなくていいよ」と言うまでは
 処方されたクスリをちゃんとのみ続けて下さいね。

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 必ず元気になりますからね。

 あせらないで、じっくりゆっくりいきましょう。



2006年9月2日(土)のフジノ
● 役割分担、政治にはできないことが音楽にはたくさんある

 今日は、友達が出演するライブ・イベント
 『HOBO FESTIVAL 2006』の為に
 平成町・うみかぜ公園の特設ステージへ行きました。

 このイベントは今年でなんと10周年!

 こういうイベントは続けていくことが一番大変な訳ですから
 本当にすごいことだと思います。

 スタッフのみなさん、10周年おめでとうございます。
 昨日は豪雨の中、おつかれさまでした。明日もがんばって!

 たくさんの
 人!人!人!

 昨日の雨も
 今日は
 バッチリ
 やみました。


 僕の友達のSoichiくんは、素晴らしいギタリスト&ボーカリストです。

 いろいろなアーティストのライブを観てきましたが
 彼は本当に素晴らしいです。
 彼の歌を聴くたびに「本物だ」と感じます。

 僕は自分が高校時代にバンドでギターをやっていたせいで、
 すごいギタリストが居るといまだに凝視してしまうのですね。

 テクニックがうまいのは当然のこととして
 彼が弾く1つ1つの音から
 いろいろな光景がこころに投げつけられる、
 僕は息をのんでその光景に向き合う、そういう感じがとてもする
 『魂』のギタリストなのです。

 彼のような人がいる限り、
 僕は『音楽の持つ力』を純粋に信じて生きていかれます。

 僕が手段として選んだ『政治の持つ力』には無い、
 全く別の種類のパワーが『音楽』にはあります。

 僕は、もうそちら側の世界には自分が決して戻れないことを
 とてもさみしく感じながらも、でも、役割分担なんだ、
 僕はこちら側でやれる仕事を果たしていくのだ、と、
 自分に改めて言い聞かせました。

 ステージを
 右から
 観たところ。

 音楽、文学、あらゆる芸術、
 毎日の暮らしの中から生み出される文化。

 政治には文化を生み出すことはできないし、
 いくら条例を書き換えてみても
 ほとんど意味がありません。

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 演奏が終わった後で、なんと高校時代のクラスメートが
 卒業してから13年間ずうっと会っていないにもかかわらず
 僕を見つけて、声をかけてきてくれました。

 「よく分かったね〜」

 「フジノくん、変わらないから」

 そうかな〜、おれ、変わってないのかな?

 年相応に顔は肉がさがってきたのになあ。
 中年太りまっしぐらで、
 腰まわりにも肉がたっぷりついて
 顔もふっくらしてしまっているのになあ...。

 まあ、僕もその人のことを見て
 誰なのかがすぐ分かった訳だから、まあ、いいのか。

 それ以前に、ステージ最前列にいれば
 誰でも気がつくのか...。


 そんなことはともかく、やっぱライブはいい。やっぱ音楽はいい。

 もう戻れない世界だけど
 外側からずっと愛し続けるのだ。


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