まちの政治家は、こんなことしてます新人議員の活動日記


2007年1月22日(月)のフジノ
● どんな「仕事」であっても、「良い」とか「悪い」とかカンケーない

 「職業に貴賎は無い」

 幼い頃からいつも父にそう教えられて生きてきました。

 だから、職業で差別する人間を
 こころの底からフジノは軽蔑しています。

 その時代の流行によって
 もてはやされる職業があるのは事実です。

 鉄鋼業だったり、商社だったり、マスコミだったり、
 ソニーだったり、ライブドアだったり、いろいろ。

 だけど、どんな仕事であっても
 ある仕事をしている人間が偉くて、
 ある仕事をしている人間が卑しい、なんて
 そんなふうに仕事で人間の価値をはかるものさしなんて存在しない。

 人は生きていく為に、食わなければならない。

 食っていく為には、働かなければならない。

 働くということは、きれいごとでは無い。


 僕は、働いている人々の姿に感動を覚える。
 誇りをもってほしい。
 働いていることは素晴らしい。

 あなたがどんな仕事をしているとしても
 それはすごいことだと思う。

 僕はこころからそう感じている。


● 「働かない」と「働けない」は全く違う

 だからと言って、働けない人を差別するのもまちがっている。

 意図的に働かない人間の話ではない。
 いろいろな事情から、「働くことができない=働けない人」の話だ。

 2つは似ているけれども全く違う。

 働けない人が自分を責めている姿を見るのは
 本当に切なくて悲しい。

 少しでも新しい仕事を生み出して、
 埋もれている仕事を掘り起こして、
 働きたい全ての人々に仕事がゆきとどくようにしたい。

 働けない人々が少しでもチャンスをものにできるように
 在宅でも身体に障がいがあっても働けるようにしたい。

 そういうことは政治がしっかりと動けばできる。
 フジノのやるべき大切な仕事だ。

 働けない人、どうか自分を責めないで。


● 「負の連鎖」を断ち切りたい

 フジノが毎日出会う方々の多くは、
 あらゆる意味での『負の連鎖』にとらわれている。

 政治がこれを断ち切ることは、絶対にできるはず。

 あらゆる選択肢を必死で探して
 今の『負の連鎖』を断ち切りたい。

 人は絶対に生まれ変われるはずだから。
 力になれるはず。



2007年1月21日(日)のフジノ
● 極寒のチラシ配りでした

 今回のチラシは『いじめ対策』についてなのですが
 配っていると、本当にたくさんのこどもたちや親御さんたちが
 受け取ってくれるのです。

 そこで、 先週に続いて
 議会活動報告チラシをまちかどで配りました。

 それにしても外はとても極寒で、
 先週と今日と手伝いに来てくれたKくんと2人で凍えていました。

 特に足元のアスファルトが冷たい!
 さらにビル風が冷たさをアップ!

 2人とも耳たぶが冷たさで
 触るとまるで取れてしまいそう...。

 配っている時には
 スーツ姿だったのですけれども
 終わったらすぐに
 ダウンジャケットを着込みました。

 街頭でチラシを配っていると
 本当に深刻な問題を抱えた方々が
 たくさん話しかけてくれます。

 フジノは政治家として
 どんな時でもその声に耳を傾けてきました。

 でも、今日だけはお話をさえぎって

 「あまりにも寒いので、このままお話を続けていたら
  あなたはきっと風邪をひいてしまいます。

  フジノの連絡先は、電話番号もEメールもケータイも全て
  このチラシに書いてあります。

  ぜひご自宅に戻ってから、改めてご連絡いただけませんか?」

 とお伝えしました。
 相談をする為に相手の方が風邪をひいてはいけません。

 昨日の雪の中よりはマシだったのですが
 市民の方々にチラシを受け取っていただくために
 ポケットから手を出してもらうのも、何だか申し訳なく感じました。

 寒さになんか負けないぞ!

 いじめ対策はチラシのスペースの都合で
 少ししか書けなかったけれど、
 横須賀市の教育委員会はもっとたくさん取り組んでいる。

 神奈川県教育委員会も相談電話の24時間化を打ち出した。

 こういう本当に必要な情報を
 どんどんお届けしなければいけない!

 寒さなんかに負けていられない!



2007年1月20日(土)のフジノ
● 議会活動報告チラシを郵送しています

 この4年間のフジノの政治家としての活動がどうだったのか。

 フジノを政治家として雇ったことは『税金のムダ遣い』ではなかったか。

 市民のみなさまとの『契約』である選挙公約を実現しているのか。

 こういったことを市民のみなさまに厳しく判断してほしくて
 議会活動報告チラシを改めてひたすら徹底的に配っています。

 「郵送してほしい」

 という声が今までたくさんあったのですが
 お金がかかってしかたがないので諦めてもらってきました。

 でも、あと3ヶ月でフジノの任期は終わります。
 政治家としての仕事ぶりをしっかりと判断していただきたいので
 あえて郵送に踏み切ることにしました。

郵送するチラシ  特に『福祉』のみなさまには
 フジノのことを厳しく
 チェックしてほしいです。

 4年間ずうっとフジノは

 『福祉のまち、よこすか』を
 めざして

 という目的のもと
 一貫して働き続けてきました。

 それが言葉のとおりだったかどうか、ぜひ判断してほしいと思います。

 これまでの政治家は、選挙の時だけきれいごとを並べて
 本当にその公約を実現したかどうかが分かりません。

 最後までフジノは、自分の信じた理想の政治家像をめざして
 全力で突っ走っていきたいと思います。
                   

● イヴァン=イリイチの死

 イヴァン=イリイチが2002年12月に亡くなっていたことを
 僕は2007年1月の今日まで知らなかった。

 夕方、たまたま立ち寄った本屋で
 こんなタイトルの本を見つけた。

 『生きる希望〜イバン・イリイチの遺書〜』

 本の帯には、刺激的な宣伝文句が書かれていた。

 人びとに「未来」などない。
 あるのは「希望」だけだ。

 「最善の堕落は最悪である」
 教育・医療・交通など「善」から発したものが制度化し、
 自律を欠いた依存へと転化する歴史を通じて、
 キリスト教−西欧−近代の最深部に批判を向けつつ、
 尚そこに、「今・ここ」の生を回復する唯一の可能性を探る。
 イリイチの思想の根底が示された
 最晩年の美しい結晶。


 僕はその本を手にとって
 この帯を読んで、ようやく「イリイチは亡くなったのだ」と理解した。

 かつて、彼の著作をほとんど読んだ。

 いくら社会人として忙しかったとはいえ、
 もう5年も前に亡くなっていたことを知らなかったとは...。

 僕は自分の無知を恥じた。

 そして、最晩年の彼のインタビューがまとめられた本書を
 追悼の意をこめて読んでみることに決めた。

----------------------------------------------------

 1993年に大学生になった僕は、
 ほどなくイリイチの思想に触れた。

 彼の思想に共感するものを感じた。

 だから、僕は車の免許を持っていない。

 「いずれ親の介護で必要になるから」とか
 「車がある方が絶対に便利だから」とかと言われながらも
 絶対に車の免許を取らないで今までやってきた。

 これだけ発展してしまった車社会だから
 他人の車に乗せてもらうことはある。
 しかし、自分自身が運転する人間にはなりたくない。
 絶対にイヤだと考えている。

 それは、93年に読んだイリイチの本の影響なのだ。
 何十年経っても僕はこの信念を変えないだろう。

 彼の著作が世界中で読まれたのは
 1970〜80年代にかけてのことだ。

 『脱学校の社会』『脱病院化社会』を唱えた
 イリイチの現代文明批判は、かつては最先端だった。

 けれども、90年代半ばに大学時代を送った僕には
 すでに『古典』でしかなかった。

 古典を知るのは大切だから、読んだ。
 それは、レヴィ=ストロースやヘーゲルを読むのと同じ。
 AC/DCやナット=キング=コールを聴くのと同じ。

 それでもイリイチには特に共感する部分がいくつもあった。
 良いものに新しさや古さはカンケーないということだ。

 加えて「同じ時代に生きている」ということが
 他の古典的な思想家・哲学者とは違う、強い印象を僕に与えた。

 特にイリイチは「人生の途中で(具体的には『ジェンダー』で)
 古ぼけた保守主義者に成り下がってしまった」と激しく批判されていた。

 生きている間に、これだけ評価が大きく変わってしまう人は
 珍しいのではないかというくらいに評価は下がってしまった。

 そこから先の著作を僕はあえて読まないようにした。
 『イリイチの時代』と呼ばれた時期の輝かしき著作だけを読んだ。

----------------------------------------------------

 いずれにしても、現在の僕の生き方に確かに影響を与えた
 1人の思想家が亡くなっていたことはショックだった。

 仕事として読まねばならない本は20冊以上も貯まっている。
 そんな中で、どれだけじっくりとこの400ページの本を読めるかは
 全く分からない。

 やがて1月末から臨時議会が始まり、
 2月から3月にかけては予算議会が行なわれる。
 忙しい日々がやってくる。

 それでも大切にしたい。

 自分の生きていく道に迷いそうな時、
 いつも本は僕のそばにあった。

 小学生時代から何千回も高村光太郎の詩集を読み返してきた。
 高校時代から何度も何度もニーチェを読み続けてきた。

 イリイチの著作もまた僕の生き方に影響を与えた
 大切な思想の1つだと思う。

 なんとか時間をつくって、じっくりと読んでみよう。



2007年1月19日(金)のフジノ
● 政治家フジノのたった1人の弟子

 今日の夕方、Yデッキで演説をしていると
 2年ぶりくらいにAくんに出会った。

 Aくんは現在、22才。今年で大学を卒業して、就職する。

 彼とは4年前に出会った。

 当選したばかりのフジノのところに
 「将来、市長になりたいんです」とやってきたのだ。

 政治家志望の学生を徹底的に拒否してきたフジノだけれど
 彼だけは、違った。

 今でも彼には政治家になってほしいと感じている。
 政治家フジノの4年間を通じて、
 そんな風に感じているのはAくんだけだ。

---------------------------------------------------

 フジノは、政治家をめざしている学生が大キライだ。
 何故なら、そういう学生の大半はいつもパターンが決まっているからだ。

 ・中学高校時代から、生徒会活動をしている。

 ・権力欲が強く、野心家である。

 ・成すべきこと(目的)があるから(手段として)政治家になるのではなく、
  政治家になることそのものが目的である。

 ・弱い立場の人や他人の痛みが理解できない。

 ・議論好きで口は達者だけれど、実人生の経験がとても少ない。

 要するに、机上の空論をふりかざす人間が多くて
 頼まれて会ってみて話を聞くと、ヘキエキさせられることが多かった。

 こういうタイプの人々とは、どうしてもそりが合わない。
 目指している生き方が違うのだと思う。

 それにしても「政治家になりたい」という学生がやってくると
 99%がこのパターン化された学生ばかりなので、
 ある時期を境にもう全て断ることに決めた。

 「学生のインターンを受けている政治家がいるから」
 と、他の市議会議員を紹介するようにした。

 そんなフジノにとってAくんも
 会う前から「断ろう」と思っていた。

 しかし、ちょっとだけ
 彼は違っていた。

---------------------------------------------------

 「横浜の大道芸人をこのまちにつれてきたいんです」

 と、彼は目を輝かせて言った。

 「みなとみらいに行くとジャグリングとかやってて
  すごく大好きで、よく観にいくんですよ。

  それを三笠公園のステージとか開国祭でやってほしくて
  横須賀に来てもらえるように交渉してみたんですよね。

  でも、相手はプロとしてのプライドがあって
  ギャラが必要だと言われて、
  必死にアルバイトしてお金を貯めてみたんですけれど...」

 彼の話はおもしろかった。おもしろい人は目が輝いている。
 目が輝いている人は、他人を惹きつける。

 やってることはめちゃくちゃでも何いい。
 直感で「このコはきっと大きくなる」と感じた。

 そこで、竹中ナミさんをこのまちに招いて行なう講演
 ためしに彼に手伝ってもらうことにした。

 まだ18才だった彼の『しきり』は、ヘタクソで甘さが残って、
 何もかも納得できないことばかりだった。

 でも、彼のことを改めて「とてもいい」と感じた。

 だから、彼にはすなおにアドバイスをした。

 「Aくん、政治家になりたかったら、
  若いうちは可能な限り、政治家から離れて過ごすんだよ」と。

 若いうちから政治家のそばにいても何も世の中のことは分からない。

 福祉の現場、商売の現場、医療の現場、農漁業の現場、
 労働の現場、教育の現場、日本全国のあらゆる場所、世界中、
 とにかく政治家以外の場にいなさい。

 それが、一番大切なことだから。

 政治家になろうと思ったら、25才を過ぎたらいつでもなれる。

 けれども、人生の中でいろいろなことを敏感に感じられる
 若い時期は本当に短い期間しかない。

 そんな大切な時期を政治家のチラシ配りをして終えるのは
 絶対に間違っている。世の中にどっぷりとつかって、世界を知るべきだ。

 この世界は矛盾だらけで、正しいことは正しくない。
 きれいごとは通用しない。理想はたいていの場合、敗れる。

 たくさんの人々が苦しんでいる。
 今この瞬間もめしが食えなくて困っている人がたくさんいる。

 学校で教えるモラルとか善悪なんて
 全く通用しないのが本当の社会なんだ。

 人間はとても複雑で、とても単純だ。

 こういうことを体験を通じてリアルに知らない人間は
 政治家なんて絶対にできない。

 いや、パフォーマンスがうまければ当選だけはするだろう。
 でも、それはただの『政治屋』でしかない。本物の政治家ではない。


 全力で、率直に、そうアドバイスした。

 彼はそれを実行した。
 フジノから離れていき、半年に1回くらいしか連絡を取らなくなった。

 連絡を取って再会するたびに彼は大きくなっていた。
 どんどん成長していった。

-----------------------------------------------------

 今日、2年ぶりに再会した彼の話を聞かせてもらった。

 これまでも大学で新しいサークルをたちあげたり
 障がいのある方々と交流をしたり、作業所で働いたり、
 いろいろなことに挑戦していたのは聞いていた。

 でも、さらにスケールアップしていた。

 ネパールで学校のたちあげを行なったり、
 NPO法人も設立したりしながら、
 ある企業のインターンとして働いているとのことだった。

 「今では政治家をめざしていない」と言う。

 顔も大人のカオになってきていた。
 落ち着きも感じられるようになって、甘さが消えてきた。
 いい感じだ。

 僕は彼に伝えた。

 「この4月に就職して東京に出てしまえば、
  5年間くらいはもう仕事のことしか考えないような暮らしになるよ。

  それでも、きみみたいな人に政治家になってほしい。

  僕は5年でも10年でも待っているから
  このまちで待っているから
  いつかこのまちの為に働きたいと思ったら必ず応援するから」

 僕はやがて彼がこのまちを背負うような
 立派な政治家になってくれると信じている。

 政治家になんかなりたくない人間ほど
 政治家として良い仕事ができる。

 ふつうの暮らしの素晴らしさを知っている人間ほど
 ふつうの人の痛みや悲しみを知っている人間ほど
 政治家として良い仕事ができる。

 僕はそう信じている。

 いつの日か、きっと彼はこのまちの為に働いてくれるだろう。
 その時は絶対に彼を応援したい。



2007年1月17日(水)のフジノ
● カフェトークが第60回目でした

 今夜は20〜24時まで、カフェトークでした。

 60回を超えるにあたって
 参加して下さるみなさんにもっとアクセスしやすいように
 さらに工夫をしていこうと決めました。

 まず、アクセスしやすさUPの
 第1弾がこちら。

 会場である『BUENO』さんに
 カフェトーク当日に限って
 目印の看板を
 出させてもらえることになりました。

 おしゃれなカフェの雰囲気を
 損なわないようにしつつ
 カフェトークの目印にする為に
 配色や文字のフォントに
 知恵を絞りました。

 フジノにしては良いできです!

 プラス、第2弾がこちら。

 1番奥のテーブルを
 予約しています。

 そのテーブルにも
 こちらを
 置かせてもらいました。

 この2つを目印に
 『BUENO』を
 見つけてくださいね!

 それにしても今夜は第60回ということで
 なんと4時間もお話をしました。

---------------------------------------------------

 こないだ、ある市民の方から

 「カフェトークってかなりマジメなことばかり話すのでしょうか?」

 と、尋ねられました。

 なんとなく昼バージョンと夜バージョンのカフェトークでは
 参加する方々の話題がちょっと違う感じがします。

 特に夜バージョンの方がポップな会話が多いです。

 例えば今夜のカフェトークでは

 ・大晦日の過ごし方(お寺で読経しながら年越しした方のお話)

 ・カフェトークの常連であるAくんの恋愛の現状について

 ・新しくできた横浜直行の京急バスに乗ってみた感想


 とか、いろんなことをお話しました。
 けっこう笑いが絶えないのが夜バージョンだと思います。

 そうは言いつつも、シリアスな話は毎回必ず出てきます。

 ・「政治家は誰を選んでも同じ」と言い切る大人はサイテーだ

 ・4月にオープンする横須賀美術館の財政状況の見通しについて

 ・いじめ対策をより強く広報していく方法について


 などなど、いろいろなことを語り合いました。

 という訳で、カフェトークは何でもお話しできる自由な場です。
 お時間のある方はぜひ遊びに来てみて下さいね。


● スーツを着ている時には気楽に話しかけて下さい

 魚料理が安くておいしい『市場食堂』(横須賀中央駅前です)で
 今日の夕方、カウンター席で『週刊プロレス』を読みながら
 フジノはひとりで夕飯を食べていました。

 突然、背後からスーツを着た2人組の男性に話しかけられました。

 消防局の職員さんでした。

 あまりにも『週刊プロレス』を熟読していたので
 何度も呼びかけたそうなのですが、フジノは全く気づきませんでした。

 フジノがスーツを着ている時には
 市の職員さんであれ、市民のみなさまであれ、気楽に話しかけて下さい。

 いつも考えごとをしているので
 すぐには反応できないことが多いのですが
 基本的には嫌がったりはしません。

 ただ、当選したはじめからお願いしてきたのですが
 フジノが1人では無い場合には、どうか話しかけないで下さい。

 だいたいの場合、市民の方からの相談を聞いています。

 本当に厳しくつらい相談を受けていることが多いので
 フジノにとっても、相談をされている市民の方にとっても、
 話しかけられて会話を中断されるのはかなり困ります。

 話しかけるのは、フジノがスーツ姿で1人きりで居る時のみで
 どうかよろしくお願いします!

---------------------------------------------------

 先日、ある市民の方にこう言われました。

 「フジノさん、横浜の東口を3人で歩いてましたよね?
  プライベートのようでしたので、話しかけませんでした」

 気を遣っていただいて
 本当にうれしかったです!

 高校時代の友人と忘年会を終えて
 3人だけの3次会に向かっているフジノたちの姿を
 この方は見かけたのですね。

 フジノは横浜に居ても東京に居ても
 横須賀市民の方からフツーに話しかけられることが
 かなりしばしばあります。

 それが、福祉カンケーの講演会の会場とかだと
 横浜や東京に1人きりで乗り込んでいっているので
 休憩時間とかけっこうさみしいので、
 横須賀市民の方に話しかけられるとすごくうれしいです。

 でも、プライベートの時に市外で話しかけられると
 すごくつらい気持ちになります。ああ、プライベートは無いのか、みたいに。

 フジノは頻繁にダイエーの映画館で映画を観ているのですが
 チケット売り場で並んでいる時とか開場待ちをしている時にも
 話しかけられたりすることがしばしばあります。

 だから、ある程度はもうプライベートの時間でも
 「あっ、フジノさんですよね?」みたいな声をかけられるのは
 諦めてはいます。

 でもどうか、1人ではない時には配慮していただけると
 とても助かります。どうかよろしくお願いします。



2007年1月16日(火)のフジノ
● 徹夜明けのチラシ配り@追浜駅前

 昨晩からの仕事が終わらなくて、気付いたら朝になっていました。

 そこで、そのままの勢いで
 議会活動報告チラシを配りに行くことにしました。

 けさは、追浜駅前です。

 フジノはいつも追浜に行くと
 変なオヤジにものすごくひどい罵声を浴びせられます。
 今日も、いきなり怒鳴りつけられました。

 『政策』を批判されたことは1度も無くて
 いつも『人格攻撃』とか『外見攻撃』なんですね。

 美術館問題の時からずうっと
 『体制側の住民』みたいな
 気持ち悪い人に
 インネンをつけられます。

 他の地域ではこういう人は
 全く存在しないので
 「やれやれ」と思いながら、
 軽く受け流しています(笑)。

 (左:睡眠ゼロの徹夜明けでチラシ配りの最中に
  罵声を浴びせられたけれど
  キレたりせずに受け流すために
  瞑想するフジノ) 

 でも、一方で追浜はフジノの生まれ故郷でもあります。

 小学校1年生の5月まで暮らしていただけですけれども
 たくさんの思い出がある大好きな地域です。

 だから、たくさんの人々に愛されているのを感じます。
 美術館建設反対の時にも
 すごくたくさんの署名を頂いたのが追浜です。

 けさのチラシ配りでも、いったん通り過ぎてしまったのに
 わざわざ戻ってきてチラシを受け取りに来てくれるような人が
 最も多いのも追浜なのですね。

 だから、一部の変なオヤジに嫌われていても全然へっちゃら。
 追浜はやっぱり生まれ故郷だなぁ。


● 横須賀市精神障害者家族会『つばさの会』の役員会に出ました

 お昼からは、このまちの精神障がいのある方々の家族会である
 『つばさの会』の役員会に招かれて、懇談をしました。

 昨年もお招きいただいたのですが
 本当に緊張してしまいます。

 政治家フジノにとって『つばさの会』は、
 精神保健福祉の向上の為に共に闘う大切な存在です。

 だから、ここでお話をする時は、街頭演説よりも何十倍も緊張します。

 この数日間は「一体どんなことをお話ししようか」と
 毎日毎晩、資料づくりやお話しする内容を考えて悩んでいました。

 昨年は50ページもの資料を作ってしまい、明らかにやりすぎでした。
 そこで今年はあえて資料はゼロに決めました。

 フジノの最重要政策である自殺予防対策と精神保健福祉について
 この1年間の動きをアドリブで報告することに決めました。

 とても緊張しましたが、
 何とか無事に終えることができました。

 今年は時間配分もばっちりすることができて
 お話を1時間、質疑応答を30分、時間通りに進行できました。

 『つばさの会』のみなさま、今日はありがとうございました。
 これからも精神保健福祉の向上の為に、全力を尽くしていきます。
 お互いにゆっくりでも前に向かって進んでいきましょうね!


● 「1人自殺予防キャンペーン」を行ないました

 フジノが何度もお話ししたことのある方が
 自殺によって亡くなってしまったことを今日知りました。

 激しいショックでしばらく茫然となってしまいました。

 そして、自殺予防対策をすすめてきた政治家として
 大切な命を守ることができなかったことに、強く責任を感じました。

 「自殺予防対策の効果が出るまでに10年はかかる」

 と言われています。

 けれども、10年間が過ぎるまでの間も
 犠牲が出るのを耐えることはできません。

 親しい方を失なうことの痛みや悲しみは
 本当に大きくて苦しい。とてもとても悔しい。

 どうにもならない気持ちや涙が出そうになるのはこらえて
 あえてフジノは街頭演説に向かうことに決めました。

 政治家として、精神保健福祉士として、
 今この瞬間にできることをやるしか僕にはできない。

 失われた命はどれだけ悲しんでも
 もう取り戻すことはできない。

 だから、苦しくて悲しいけれども
 あえてYデッキに立って、改めて昨年末からくりかえしてきた
 『1人自殺予防キャンペーン』を行なうことにしました。

 今日、フジノは絶望を感じていました。

 それでもあえて気持ちをふりしぼって
 希望をこめて想いを言葉にかえていきました。

 「自殺は防ぐことができるのです」

 決して戻らない人のことを想いながら
 それでも僕は対策を訴え続けていくしかない。

 必ず、変わっていく。
 必ず、変えていくのだ。

 こんな現状はぶっ壊してみせる。
 絶対に、このまちから、この国から、自殺をゼロにしてみせる。

 そんなフジノの想いを
 夜のYデッキで訴え続けました。


→日記過去分の目次へ
→はじめのページに戻る