まちの政治家は、こんなことしてます政治家フジノの活動日記


2008年7月31日(木)のフジノ
● 外務省北米局長と市長の会談の結果について

 今日夕方18時から30分ほど
 外務省の北米局長が横須賀市役所を訪れて
 蒲谷市長と山口市議会議長と
 会談を行ないました。

 会談内容は、すでに新聞で報じられた内容をなぞったもの。

 19時46分頃に
 全市議会議員宛にあった報告はこんなです。

 この北米局長がわざわざ横須賀まで来て伝えた内容、
 もう数時間以上前に毎日新聞をはじめとするメディアが報じていたので
 改めて報告書を読んで、しらけてしまいました。

 (2008年7月31日・毎日新聞・夕刊より)

 夕刊が配達されるのは、地域で違うでしょうけれど
 フジノの事務所の場合には早ければ15時には届いています。

 だから、新聞記者の方々が取材を終えて
 記事を書き終えたのはさらにその数時間も前のはずです。

 つまり、この情報をメディアの方々は
 午前の段階ですでに知っていた訳です。

 いつもマスメディアが報道をした後になってから
 アメリカ軍や政府が情報公開に動くのは、

 メディアのスクープ力が高いからなのか
 アメリカ軍や政府が市民に情報を出すのが遅いからなのか

 (きっと後者でしょう)

 いずれにしても今回の会談内容も
 全く目新しいものはありませんでした。


● 原子力空母の火災は、ルール違反のタバコと油が原因だった

 それにしても、火災の原因も
 火災が起こった5月22日の翌日の朝刊に書かれていたことが
 ほとんど当たっていました。

 人為的なミスによる出火だろう、と
 軍事評論家の方がコメントをしていました。

 そうしたらやはり、

 ・規則違反でタバコを吸った乗組員が、通気口にタバコを投げ捨て

 ・本来置いてはいけない場所に置いていた潤滑油に引火して

 ・人為的な理由によって火災が起こり、延焼した


 というものでした。

 つまり、ルール違反が重なったことによって
 今回の火災が引き起こされたのでした。

 アメリカ軍は、艦長と副艦長を更迭した、と発表しています。

 また、火災発生直後に
 全てのアメリカ海軍の艦船に正しく物資を保管するように
 指示をすでに出しているとのことです。

 けれども、そもそもの原因である
 規則違反でタバコを吸って、さらに通気口に投げ捨てたという行為、

 この直接の原因を犯した乗組員は
 どう処罰されたのかが全く報告がありません。


 また、このように規則を守れない乗組員に対して
 アメリカ軍がどのように指導をしたのか
という事後の予防策が
 全く報告がありません。

 再発防止の為に、何をしたのかが分かりません。

 艦長らが責任をとって辞任させられるのは
 当たり前のことです。

 それだけではなく、
 具体的に乗組員たちが2度と同じようなことをしない為に
 どのような対策をとったのかが知りたいです。

 そうでなければ、何度だって同じことは起こるでしょう。

 ネガティブな事態が起こった時に
 悪い情報ほどしっかり公開することこそが

 市民のみなさまに安心を与えるのです。

 何故、アメリカ軍も政府もそれができないのでしょうか。
 そして市長は何故それで満足してしまっているのでしょうか。

 市民のみなさまは、いや、
 あなたはどうお考えになりますか?

 これで、原子力空母への不安は解消されましたか?



2008年7月30日(水)のフジノ
● 個人としての苦しみから、政治家としての問題意識につながること

 7月14日の活動日記に書いたとおりなのですが
 今も変わらずに、フジノは父の転院先さがしをしています。

 34才のフジノのまわりにいる友達には、
 まだ親御さんの介護に関わったことがある人は数名しかいません。

 だから、この転院先さがしという僕のプライベートでの悩みを
 友達の誰とも共有することができなくて、本当に苦しく感じます。

 今日のこの活動日記は、
 むしろフジノよりもうすこし上の年代の方々が
 きっと共感してくださることと思います。

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 介護保険には、大きく分けて2つのサービスがあります。

 (1)施設サービス=施設に入ってケアを受ける

 (2)居宅サービス=自宅または施設に通ってケアをうける

 僕の場合、政治家という特殊な仕事にあるせいで
 24時間拘束されているような職種な上に
 おふくろの体がとても弱いので、

 自宅で父の介護を居宅サービスを受けて行なう、
 というのは残念ながら、まずムリです。

 (おやじが30年間も必死にローンを払って
  やっと手に入れた大好きな自宅に
  1秒でも早く戻してあげたいのが僕だけでなく家族みんなの本音です。

  でも、現実問題として、自宅での介護をしたとすれば
  母も僕もあっという間に崩れてしまうでしょう...)

 そこで、おやじが入居できる施設を探しているのですが、

 これまで施設サービスのメインといえば
 『介護保険3施設』と呼ばれているものでした。

 特養(特別養護老人ホーム)、
 老健(介護老人保健施設)、
 介護療養型医療施設、の3つですね。

 このうち、特養(とくよう)とか老健(ろうけん)って言葉は
 みなさまも聞いたことがありますよね?

 その特養に、全く受け入れてもらえません。

 例えば、特別養護老人ホームに電話をかけて

 「父の入居の申し込みをさせて頂きたくてお電話をしたのですが
  ご担当者の方をお願いします」

 と、話しかけるとします。

 もう何ヶ所も電話したのですが、
 本当にいろいろな対応が返ってきます。

 『とても親切な特養の場合』ですと、
 じっくりと事情を聞いてくれた上で

 「では、1度ぜひ見学におこしください」

 ということで、見学の約束をします。

 父の場合は、すでに植物状態なので
 その施設がどんなものなのか、施設で働く人々がどんななのか、
 というのを知ることはできません。

 でも、家族として僕は自分の目で見ておきたいのです。

 そうして実際にフジノが見学をさせてもらった上で
 親切な相談員の方がじっくりと相談にのってくれると
 本当にありがたくて、

 「それでは申し込みをさせてください」

 とお願いをして、申し込み書類に記入をすることになります。

 こういう対応をしてくれる特養というのは、
 家族にとって本当にありがたいです。

 これはあくまでも僕の個人的な体験からの私見ですが
 『横須賀老人ホーム』は、すごく親切な相談員の方で
 お話を聴いていただいただけでも本当にありがたかったです。

 

 施設の中も外もきれい。野比の美しい風景の中の特養でした。



 それから『横須賀愛光園』の相談員の方も
 言葉遣いもすごく丁寧で、
 とても親身に相談にのってくださって、

 追い込まれて精神的に厳しい状態にある僕としては
 すごく助けられる感じでした。

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 とはいえ、相談員さんが親切だからといって
 実際に入居できるかと言えば、
 どの施設からも返ってくる言葉は同じです。

 「お父さまの場合、要介護度5ですし、
  いろいろな状況を勘案すると入居の優先順位は高いのですが
  それでも2〜3年は待っていただく状況です」

 というもの。

 横須賀市では、特別養護老人ホームへの入所を希望しながらも
 入所できずに待機している人は約1800人にものぼります。

 もっと施設整備に力を入れるべきなのに
 美術館の建設やソレイユの丘には税金を使うのに
 1800人もの順番待ちの列に並んでいる間に
 きっと僕のおやじは死んでしまうだろう...。

 そんな怒りを感じながらも、2〜3年待ちという返事には
 フジノはすでに慣れっこになっています。

 みなさまも施設さがしをしてみると
 毎回そのセリフを
 どこの施設でも聞かされますから、いずれ慣れてしまいます。


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 一方で、『本当にひどい対応をする特養』もあって

 例えば、電話をかけて

 「父の入居の申し込みをさせて頂きたくてお電話をしたのですが
  ご担当者の方をお願いします」

 と、話しかけるとします。

 すると、

 「その前にいくつか質問させていただきたいのですが、
  お父さまは、気管切開や胃ろうをしていますか?」

 と尋ねられて

 「はい、父は両方ともしています」

 と答えると

 「じゃあ、すみません。うちは受けられません」

 そして、いきなり電話を切られて、終わり。
 ケータイからは、むなしく
 「ツー、ツー」という音が聞こえてきます。

 これもあくまでも
 僕個人の体験からくる私見ですが

 『●●●●●』と
 『●●●●●』の2つの特養は絶対に許せない。

 僕は精神保健福祉という福祉畑の人間であり
 高齢者福祉や介護のカンケーではありませんが
 同じ福祉業界の人間として、
 本当に情けなく恥ずかしいです。

 そんなテキトーな対応をする施設は
 まっとうな福祉をやっているとはとても思えませんでした。

 どれだけ現場が多忙だとしても、
 ご家族の心情を考えたら
 そんな電話対応は許されません。

 どの施設に電話をする時も、政治家フジノとしてではなく
 個人としての藤野英明で電話をしているのですが

 やっぱりテキトーな対応をするような施設については
 他の市民の方々にだって
 同じようにひどい対応をしていることが十分推測できます。

 ふつうの市民の方々にとっては

 「とにかく入居させていただくことが大切だから
  決して施設の批判や文句なんて言えない。
  そんなことをすれば、ますます施設に入れてもらえなくなる」

 というお気持ちだと思うのですが

 僕は『介護を要する父を持つ1人の個人』ではありますが
 同時に『9万7000人の高齢者が暮らすまちの政治家』ですから

 そういうひどい対応を平気でするような施設を
 見過ごすことは絶対にできません。

 今後も機会に応じて自分が体験してきたことを基に
 そうした施設に対しては厳しく注意していきたいと思います。


● 教育現場の声

 今日は、若手の教職員の方と数時間にわたって
 今の学校の現状、特に、親御さんたちの現実について
 意見交換をしました。

 先日の4才児の虐待死についても
 根本的な対策こそが必要である、という点で
 意見が一致しました。

 虐待をするであろう親の予備軍は潜在的にたくさんいる、
 とフジノは考えています。

 死に至るほどの虐待というのは
 氷山の一角に過ぎない、と考えています。

 根本的な対策、例えば、世代間連鎖を断ち切る、などは
 本当に根気強く総力戦であらゆる立場の人々が
 全方位で取り組まなければなりません。

 でも、今日お話した方のような教職員の方がいらっしゃるならば
 決して絶望することはなく、みんなで一緒に立ち向かっていくことで

 こどもたちの為に
 少しでも希望を持てるまちへと変えていくのだ

 と、改めて決意しました。

 がんばらねば。



2008年7月29日(火)のフジノその2
● 絵本の読み聞かせ

 先月に続いて、第2回目となった
 『はるかぜ書店』での絵本の読み聞かせを見学してきました。

 夏休みということもあってか、店内は満員でした!

 お客さんが来るのを25人までは数えてたのですが、
 最終的にはもっと来てましたね。すごい。



 大人たちは、立ち見でした。

 やっぱり、『絵本の読み聞かせ』ってフシギ。

 自分が家で1人で絵本を読む時とも感覚が違うし、
 知っているはずの物語の絵本なのにワクワクしたりする。

 今日も読み聞かせをして下さったのは
 『けやきの会』代表の川口香世さんです。

 川口先生の読み聞かせに
 こどもたちは夢中でした。



 上の画像を見ていただくと分かると思うのですが
 こどもたちだけでなく、
 おかあさんたちも
 川口先生の手の動きに視線がくぎづけですね〜。

 来月も『はるかぜ書店』で
 絵本の読み聞かせ、行なわれますからね。

 ぜひみなさん遊びにいらしてくださいね。

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 今日は、うれしかったことと
 ガッカリしたことがありました。

 うれしかったことは、なんと読み聞かせが終わった後に
 川口先生とお話しすることができて

 「今度、機会があったら、
  おすすめしてくれた『タンタンタンゴはパパふたり』
  読み聞かせしてみようと思います」

 と、おっしゃっていただいたことです。
 とてもうれしかったです。

 性的な多様性を保障する為には
 幼い頃から正確な情報を楽しく学んでほしい

 という人権的な観点からだけでなく

 ああ、読み聞かせで聞かせてもらったら
 僕が自分1人で読んだ時とは
 また全然違う作品としての味わいになるんだろうなあ

 という作品と向き合う喜びという観点からも
 とてもうれしく感じました。

 川口先生、本当にありがとうございます。

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 そして、ガッカリしてしまったこと...。

 実は、前回の初めての読み聞かせで
 ものすごく感動した

 『こんとあき』(林明子著、福音館書店、1989年)

 が、今日の読み聞かせでは
 取り上げてもらえなかったことです(涙)。

 この絵本、おこさんたちも感動しますけど
 絶対に大人の方が泣きます。

 話題の大ヒット映画『崖の上のポニョ』を僕はもう観たのですが
 『ポニョ』よりも『こん』の方が泣けます。

 どちらもハッピーエンドですけど、
 ハッピーエンドなのに泣けるのは『こんとあき』ですよ!

 その『こんとあき』が今日の読み聞かせでは
 読んでもらえませんでした(涙)。

 けなげにがんばる『こん』の姿は
 新美南吉さんの『ごんぎつね』にも通じるところがあります。

 『ごんぎつね』は悲しい物語ですけれど
 でも、『こん』はハッピーエンドですからね。

 ハッピーなのにホロリ、って、とてもいいですよね。

 川口先生、ぜひいつかまた機会がありましたら
 たくさんのこどもたちに(大人たちにも)
 『こんとあき』を読み聞かせてあげてください!


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 という訳で、今日も絵本の読み聞かせの持つパワーを
 目の当たりにしてきました。

 とってもいい活動だなぁと思います。

 ぜひみなさまも『はるかぜ書店』の
 絵本の読み聞かせに行ってみて下さいね。



2008年7月29日(火)のフジノその1
● NPO法人アンガージュマンよこすかで、語りあってきました(第2回)

 今日は、NPO法人『アンガージュマン・よこすか』へ。

 先月23日に続いて、フジノが講師(?)として招かれて
 アンガージュマンを利用しているみなさんと語りあいました。

 今回も、事前に話すテーマ決めは一切なし。

 参加者の方々に質問してもらって
 それをもとに語り合う形にさせてもらいました。

 前回の参加者は男性オンリーだったのですが、
 今回は楕円形のテーブルの
 フジノの席の両脇に女性が4名!

 合計10名くらいの参加者の方々がいらっしゃいました。

 アンガージュマンを利用している方々だけではなくて、
 研修(?)や見学に来ている
 県の関係者や
 学校の先生が何人もいらしてたようです。



 かなりキンチョーしながらのお話会となりました。


● 政治家は、徹底的に使い倒して下さい!

 60分間ぶっとおしでフジノだけがお話しする、
 というのはイヤだったので、
 フジノからもみなさまに質問させていただきました。

 「あなたは、ふだんの暮らしの中で
  政治家と出会ったことはありますか?」

 お1人ずつ全員に答えていただいたのですが、
 2〜3名の方を除いて、
 誰も政治家と直接に出会ったことがありませんでした。

 例えば、

 ・地元に帰った時に偶然に
  民主党の菅直人さんの演説を聞いたことがある

 ・沖縄に行った時に小泉元総理の演説を
  かなり離れたところから聞いたことがある

 ・親戚に県議会議員をしている政治家がいたので話したことがある

 ・駅で演説している吉田雄人議員を見かけた

 といったものでした。

 政治家が全く身近な存在ではない現状を
 改めて確認しました。

 でも、それは当然のことです。

 6年前にフジノは自分が政治家になる前には
 このまちの政治家が一体誰なのか、
 顔と名前が一致する人は全くいなかったからです。

 政治家が何をしているかも知りませんでした。

 でも、今は違います。

 政治家は徹底的に使い倒すべきものだと
 フジノは信じています。

 困ったことやおかしいなと思ったことがあれば
 ガンガン政治家を使ってみてほしいのです。

 そこでフジノは、

 「ぜひ政治家を使い倒して下さい!」

 と、みなさんにお願いをしました。

 このHPの読者の方ならば、みなさんご存知のことですが
 政治家には現実を変えていく力があるからです。

 例えば、6年前にもしもフジノが政治家にならなかったら
 横須賀の自殺予防対策はもっと遅れていたでしょう。

 けれども、フジノが『政治家』として
 大声でその必要性を訴えてから
 横須賀の自殺予防対策は大きく動き出しました。

 必ず現実を変えることができるのです。

 政治家は、問題を見つけて、それを改善する為に存在しています。
 それが政治家の仕事なのです。

 だからこそ、市民のみなさんは、毎日の暮らしの中で感じていることを
 どんどん政治家にぶつけてほしいのです。

 個人の苦しみや痛みは、実は
 多くの人々が感じている苦しみや痛みかもしれません

 僕が自殺という激しい悲しみを感じた時に、
 それは過去に1度も横須賀市議会では話題になっていませんでした。

 でも、誰か1人が声を挙げれば、
 それは解決されるべき『問題』として認識されて
 政治・行政は全力でその問題に立ち向かっていくのです。

 すると参加者の方が

 「じゃあ、これからは何かあったらフジノさんに
  相談することにします」

 と、おっしゃったので、

 「いいえ、僕に相談してもらうのが僕のお願いではありません。
  僕だけでなく、全ての『政治家』を徹底的に使い倒してほしいのです」

 と、お答えしました。

 「政治家の仕事は、自分が目立つことではないんです。

  1人の力には限界がありますから
  自分だけでは解決できないことがたくさんあります。

  だから、自分が解決できない問題には
  最初から自分にはムリだと判断したら
  他の政治家の方をご紹介します。

  例えば、僕が最も重視している政策は
  自殺予防対策と精神保健福祉の質の向上です。

  これらの分野にはとても強いし誰にも負けない自信がありますが
  他の分野については勉強不足です。

  政治家にはそれぞれの強い政策があるんです。
  僕は、どんどん他の政治家の方々をご紹介しています。

  例えば、海や環境の問題では
  一柳議員よりもすごい人は横須賀にはいません。

  財政の問題では
  上地議員が最も詳しい横須賀の政治家です。

  学童保育の問題などでは
  瀧川議員がとても熱心な市議会議員です。

  教育の問題では、原田議員がとても熱心です。

  もちろん僕自身もご相談を全てうかがいますが、
  僕よりもその問題に詳しい方がいらっしゃれば、
  その方にご紹介させていただきます。

  大切なことは、あくまでも市民の方々の暮らしを守ることであって
  「誰がそれを解決したのか」ということよりも
  「問題が本当に解決されたのかどうか」ということなんです。

  政治家はたくさんいますから、
  いろんな得意分野の人々がいます。

  市民の方々が暮らしの中で感じる困難や問題は
  人の数だけバラバラだし様々ですから

  42万人も暮らすまちならば
  問題の数もすごくたくさんありますから

  問題に応じて、得意な分野の政治家が対応する方が
  問題解決に早くつながると思うんです。

  でも、どの政治家がどんな政策が強いかというのは
  なかなか分からないと思うんですけれど
  そこは最初はお話を僕がうかがって
  他の方につなげさせていただくお手伝いは必ずできると思います」

 というお話をしました。


● アウトリーチこそ政治家の仕事ですね

 それに対して、参加者の方から
 とても大切なご意見をいただきました。

 「フジノさん、あのですね。
  本当に苦しんでいる時とか困っている時には
  誰にも相談なんてできないんです。

  こんな悩んでいる自分が悪いんじゃないかと思っちゃうんです。
  友達にだってなかなか相談できないのに

  ましてや、政治家に相談してみようなんて
  そんな人は全然いませんよ。

  だから、もっと政治家の方が
  こっちにどんどん近づいてきてほしいです」

 そのとおりです!

 と、フジノは思いました。

 「全くそのとおりだと僕も思います。

  政治家はソーシャルワーカーですから、
  どんどんこっちから出ていって

  声にならない声に耳を傾けられるようにすることが
  いちばん大切なことだと思います。

  ぜひ今後もそういう活動を中心に行なっていきたいと思います」

 とお答えしました。

 クライアントが来るのを待っていて
 お話をうかがうのがカウンセラーならば、

 地域へどんどん飛び出していって
 そもそもどんな声があるのか掘り起こしていくのが
 ソーシャルワーカーです。

 地域へとこちらが打って出る政治家、
 つまり、アウトリーチができるようにもっと努力したい、と思いました。


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 前回もそうなのですが、今回もとても勉強になりました。

 形としてはフジノが講師なのですが
 実際には2回ともフジノが勉強させていただきました。

 NPOアンガージュマンがフジノに期待していた効果が
 講師として挙げられているのかはかなり怪しいのですが

 逆に、学ばせていただいたことは政治家としてしっかりと認識して
 この体験を活かしていこう、と感じました。

 アンガージュマンのみなさん、
 今日も貴重な機会をありがとうございました。

 語り合いに参加して下さったみなさんも
 本当にありがとうございました。

 では、また来月もよろしくお願いします!




 (...って来月もあるのかな?)



2008年7月28日(月)のフジノ
● ただ加害者を責めたり児童相談所を非難しても虐待はなくせない

 ふつうに暮らしているあなたと同じふつうの人間が
 ある瞬間に他人を傷つけたり命を奪ってしまうのは何故でしょうか。

 何故、殺人は起こるのでしょうか。
 何故、虐待が起こるのでしょうか。

 あなたは、自分が誰かを殺すことなんて
 「自分だけは絶対に無い」と信じているはずです。

 けれども、そんなことはありません。

 あなたも、誰かを殺す可能性があります。

 あなただけが「自分は他人を殺さない」という
 安全地帯にいることはできません。

 人は、ある瞬間、ふだんの自分を見失って
 他人を激しく傷つけるものなのです。

 その事実を忘れて、安全地帯から評論家のように
 加害者をただ責めたり、児童相談所の対応を非難しても
 命は救えません。

 もっと深く、人間という生き物の性質を学び、理解して、
 もっと効果のある対策を取らなければ、同じことは続くでしょう。

 もう、単なる文句のたれながしは必要ありません。
 少なくとも政治家はそんなことをしているべきではありません。

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 すでに朝からあらゆるマスコミが報道していましたが
 けさ9時すぎに、全市議会議員宛に
 4才のこどもの死亡の件についての報告がありました。

 容疑者は祖母であり、容疑を認めているとのことでした。

 離婚した息子夫婦のこども(つまり孫にあたります)を
 今年4月から引き取って、養育していたとのことです。

 容疑者である祖母は、ホームヘルパーの仕事をしていたそうです。

 今回亡くなったおこさんは、

 「(自分が)悪い子だから親に捨てられたんだ」

 と漏らしたり、祖父母になかなかなつくことはなく、
 両親の離婚を受け容れることがいまだできなかったようです。

 祖父母は孫の育児にかなり悩んでいたようで
 6月に横須賀市の児童相談所に相談をしていました。

 祖父は、日常的な虐待は無かった、とメディアに話しています。

 けれども、報道のとおり、26日の夜10時頃、
 4才のおこさんはおもらしをしたことをきっかけに
 祖母に両肩をつかまれて床に頭を叩きつけられて意識を失い、
 やがて、亡くなりました。
                  

● 根本的な対策、つまり「生きやすいまち」へ変えていくことこそが必要

 こうした報告やマスコミ報道を読んで
 フジノは改めて感じました。

 このまちの、離婚の多さ。
 シングルマザー/シングルファーザーの多さ。
 雇用の少なさ。有効求人倍率の低さ。
 平均所得の低さ。

 児童虐待がいつ起こってもおかしくない社会的条件が
 このまちにはイヤと言うほどそろっています。

 もちろん、自殺や高齢者虐待やDVなどが
 起こりやすい社会的条件もこのまちにはあふれています。

 (だからこそ、フジノはそうした対策に取り組んでいます)

 こうした社会的条件の中で
 追い込まれて暮らしている人々たちが

 いつ、自分を傷つけて自殺をしたとしても
 いつ、他人を傷つけて虐待や殺人をおかしたとしても

 政治家としてフジノは
 もう驚くことはできません。

 目の前の、1つの殺人事件に対して
 すさまじく悲しくなるのはもちろんです。

 本当にあまりにも残念な事件であって、その為、
 僕は今日1日、何をしようにも体が重く、頭痛が続きました。

 フジノは今年の予算議会でも
 横須賀市の児童相談所の職員が5人増員されたことを
 高く評価していますし、

 児童相談所の権限が強化される形で
 改正された児童虐待防止法を歓迎しています。

 そして、市の児童相談所の職員は
 常に身を削って働いています。

 フジノはそれを知っている立場です。

 外野席から、児童相談所を非難するのはカンタンでしょう。
 けれども、フジノは絶対にそんなことはしません。

 後から、事件が起こってから
 後づけで非難をするのはカンタンです。

 ちょっとネットを観れば、
 ヘルパーのくせに虐待をするなんて、とか
 相談を受けてたくせに児童相談所の動きが悪かった、とか
 あらゆる非難がうずまいています。

 でも、責任ある立場としてフジノは
 そうした非難が正しいとは思いません。

 このまちの政治家として本気で責任を痛感するならば
 解決すべきは目の前の1つの死だけでなく、
 今後起こりうる全ての死を防ぐ為の対策を取ることにあります。

 加害者を責めても、児童相談所を責めても、
 このまちから虐待は無くなりません。

 もっと深い部分での対策こそ、本質的な解決策です。

 かつて、横須賀市に児童相談所を移管するにあたって
 こども家庭福祉のある関係者と語ったことがあります。

 「いつ本市で虐待死が起こってもおかしくはありません」

 と、その方は話しました。

 それを聞いた時、フジノもまた、
 その言葉にうなずくしかありませんでした。

 だからこそ、児童相談所を
 県の所管よりもスピーディーに対応できるように
 市へ児童相談所を移したのです。

 この判断は今でも正しいと信じています。

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 今回の虐待死が起こったことを、このまちの政治家として
 こころからお詫びを申し上げます。

 同時に、いつまた起こってもおかしくないことであることを
 いつも認識しながら、根本的な対策を取っていきます。

 児童相談所だけの問題ではなく、
 このまち全体が暮らしている人々全てにとって

 もっと生きやすいまちになるように
 もっとふつうに暮らしやすいまちになるように

 政治家としてできる対策を行なっていきます。

 こどもの命も、高齢の方々の命も、
 全ての命をしっかり守れるように全力を尽くします。

 お詫びして命が取り戻せるわけではございませんが
 今回の虐待死について、深く責任を感じています。

 その責任の取り方とは、根本的な解決策をめざして
 もっと活動していくことだと信じています。

 どうかあなたも一緒に、力を貸してください。
 どうかよろしくお願いします。



2008年7月26日(土)のフジノその2
● 犯罪被害者支援の為に、もっとやるべきことがある

 中学生たちの演劇発表会場を飛び出ると
 大急ぎで昼ごはんを食べて、横浜・桜木町に向かいました。

 ランドマークタワーの真正面にある
 はまぎんホールヴェアマーレが会場です。



 午後から、

 『それぞれの立場からはじめる犯罪被害者支援
        〜神奈川県犯罪被害者支援県民大会〜』

 に参加しました。

 被害者支援に対して強い想いを持つ
 県のある職員さんから熱心にお誘いいただいてこともあって
 喜んで参加させていただきました。

 犯罪被害にあった方々の支援はフジノの政策課題だと受け止めて
 横須賀市議会でいろいろな提案をしてきました。

 アメリカ軍の兵士が起こす犯罪の防止(加害の予防)だけでなく
 全ての犯罪による被害にあった方々へのサポート(被害への支援)も
 とても重要です。

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 まず、2人の方から基調講演が行なわれました。

 最初に、
 練馬区での殺人事件の被害者のご遺族である
 糸賀美穂さんから『犯罪被害者等が望む支援』のテーマで
 お話がありました。



 (ここから先は、フジノのメモを基に記したもので
  聞き間違いや誤解や重要な情報が欠けている可能性があります。
  正確なものではなく、あくまでもフジノのメモとお考え下さい)


 被害者は、私の息子で25才でした。
 息子は、同い年の恋人に殺されてしまいました。

 加害者は、極めて一方的な理由によって、
 息子を永遠に奪い去ってしまったのです。

 もともと情緒不安定の女性でした。

 息子が彼氏になった後も、平気で他の男性と浮気をしたり、
 というようなこともありました。

 また、彼女は、自分の両親との関係が
 一方的に悪いと受け止めていました。

 実際には彼女の両親は彼女が家出をするたびに
 毎回、一生懸命に彼女の行方を探してあげたりしていました。

 後で供述を読んでしったのですが
 彼女は、

 「彼氏(息子さん)を殺してあげなければならない」

 と自分勝手な思い込みで考えていました。

 息子が殺されたことをテレビなどのニュースで観た友人から
 様々な電話やメールなど連絡がありましたが、
 事件当日も、お通夜もお葬式も、
 どのように終わったのか今も記憶がありません。

 彼女は、計画性も殺意も容疑も全て認めた為か、
 刑事裁判は事件からわずか2ヵ月後に始まりました。

 けれども2ヵ月後の頃は、
 まだ私は自分を責め続けていました。

 骨壷を抱きながら、毎日謝り続けていました。

 私たち被害者の家族の味方と信じていた検察とは
 話す機会も無いままに、裁判になりました。

 「遺族は裁判のはじめに
  冒頭陳述ができるだけ」

 と言われました。

 彼女は、何故息子を殺したのか、真実を語ることも無く、
 息子に対しても私たちに対しても謝罪の言葉も無く、
 反省の言葉もありませんでした。

 2回目の公判では、彼女の親(加害者の親)が
 陳述することになっていたのですが
 当日になって拒否しました。

 そこで、私も夫も、彼女の親が自分たちの娘がしたことを
 どのように考えているのか、謝罪の気持ちがあるのかどうかも、
 何も知ることができなくなってしまいました。

 その日は、私の夫のみが意見陳述をしました。
 涙でぐしゃぐしゃになりながらの陳述でした。

 夫が陳述を終えた後に、

 「加害者、何かありますか?」

 と裁判長が彼女に問いました。
 けれども、

 「何もありません」

 と彼女は言いました。

 彼女の側の弁護士は、加害者の両親に対して、

 「20才を超えた加害者に対して
  保護者の責任は無いから接触すべきではない」

 と指示を出していたようです。

 法廷で会っても、お辞儀ひとつ無かったです。

 これまで息子が生きている時には彼女のことで何度も相談にのったり
 いずれ結婚するだろうと考えていたので
 何度も一緒にお話した間柄だったのに
 あんまりだ、と感じ、とても悲しくなりました。

 検察側は懲役13年を求刑しました。

 しかし、自首であること、
 前科前歴が無いこと、
 25才という若年であること、
 反省していること(しかしこれは自分の両親への謝罪の言葉)、で
 減刑されてしまいました。

 加害者には保護や人権が守られているにも関わらず、
 被害者には何の保護も無いことが分かりました。

 被害にあった人は国や司法から守られているものと思っていました。

 しかし現実には、
 自分の私利私欲の為に人の命を奪った犯罪者に対しても
 心神喪失や責任能力が無いなどの理由によって、
 量刑が軽くなってしまうだけでした。

 被害者の遺族は、なおさら傷つけられてきました。

 また、これは同時に、
 加害者の為にも良いものなのでしょうか。

 矯正教育が今、どのように行なわれているのかは分かりませんが
 被害者のことを忘れることなく、
 罪を真正面から見つめることが必要だと思います。

 加害者はもし生きて刑務所を出てきたならば、
 出所の日からが本当の罪滅ぼしの日々です。

 2度と取り返すことのできない現実に
 苦しみながら生きていかなければならないからです。

 1年ほどたって民事裁判を行いました。

 けれども、相談にのってもらった弁護士さんから

 「どうせ何も取れないのだから、
  請求額は5000万円にしてはいかがですか?」

 と言われました。

 「これは一体何の話をしているのだろうか」

 と私は思いました。

 民事裁判の準備を進めていくにつれて
 争点が無い裁判は
 刑務所の加害者に書類を送り、
 署名をして送り返すだけのものだと初めて知りました。

 加害者の署名と言い分として

 「私にはお金が無いので、出所したら少しずつ払う」

 とだけ書いてありました。

 加害者の親は、事件の後も、
 同じ住所でふつうに暮らしながらえていることに、怒りを覚えました。

 相手の母親からは謝罪の言葉は無かった上に、
 お話をしたいと伝えた途端に、むしろ逆切れされてしまいました。

 「あんたね、私たちだって大変なんだよ!」

 「あなたの息子がつきあわなければ良かったんでしょ!」

 と言われました。

 殺された上に、なおもけなされる息子が不憫で不憫で、
 私はその夜、自殺未遂をしてしまいました。

 「死にたい」

 という気持ちよりも、

 「死んだら息子のところに行くことができる。早く息子に会いたい」

 という気持ちになりました。

 ようやく今、私はそういう命を救わねばならないと思いました。

 被害者支援センターからお手紙を何度かいただき、
 友人らの前では語ることができない想いを
 毎月1回話せるようになりました。

 自助グループに参加するまでは

 「こんなことに参加して、一体何の役に立つものか」

 と疑問に思っていました。

 けれども、センターのサポートや
 同じ苦しみを持つ方々と体験を話すことで
 こころの傷が少しずつ小さくなりました。

 その後、2006年犯罪被害者基本法、
 DV法、更生保護法、少年法の改正、
 刑事訴訟法も今年12月から刑事裁判の中で
 遺族も意見を言うことができるようになります。

 けれども、これらの法改正も、
 法律に携わる人々の意識が変わらない限り、
 ただの飾りになってしまうおそれがあります。

 警察や司法、地域の支援ネットの理解が必要です。

 自殺予防や犯罪を防ぐ為にも
 被害者の家族は、
 なるべく早い段階から支援を受けられるように、
 自治体やカウンセリングとの連携の必要性=協力が
 本当に必要だと考えています。

 県が条例を作ろうとしていることや
 取り組みを行なってくれていますが

 取り組みの単位は県のように大きなものではなく
 それぞれの市町村単位にしてほしいと望んでおります。

 みなさまにはぜひ他人事とお考えにならないでいただけたらと思います。

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 次に、
 相模原市での殺人事件の被害者のご遺族である
 松原真佐江さんから『犯罪被害者となって』とのテーマで
 お話がありました。



 (同じくここから先は、フジノのメモを基に記したもので
  聞き間違いや誤解や重要な情報が欠けている可能性があります。
  正確なものではなく、あくまでもフジノのメモとお考え下さい)

 相模原市に独り暮らしをしていた22才の長女(加代子さん)が
 強盗目的の加害者によって殺害されてしまいました。

 無職の男が遊ぶ金ほしさに娘の部屋に忍び込んで、
 侵入に気づいた娘を殺害したのです。

 さらに卑劣なことに娘を殺した後も
 まるで娘が元気でいるかのように
 メールを私たちに送り続けたのです。

 心配で娘にメールを送るとメールは返ってくるのに
 娘の家に電話をかけても出ないんです。

 そこで娘の会社に電話をすると、

 「もう2日間、娘さんは無断で欠席しています」

 とのことでした。

 私は長野県に住んでいたので体調的に厳しいので
 息子と息子の友人が相模原市の長女の家を
 一緒に観に行ってくれることになりました。

 相模原へは高速を使っても3時間かかります。

 「ああ、どうしよう、どうしちゃったの?」

 と私は苦しみ、悩みました。

 メールをしてもちゃんと返事は返ってこないし
 電話をかけても電話には出てくれない。
 長女の性格を考えると絶対にそんなことはしないので、
 ある瞬間から、親の、直感で気がつきました。

 携帯を持っているのは加代子じゃない、
 そう気づくと私は部屋の中を歩き回っていました。

 娘のアパートには誰もいませんでした。
 息子は、すぐに警察に捜索願を出しました。

 所轄である相模原署では
 すぐに捜査にあたってくれました。

 始まってまもなくです。

 「最悪の状態になりました」

 と伝えられました。

 アパートの中から遺体が見つかったのでした。

 殺人事件、という自分からとても遠いはずの出来事が
 自分のとても大切な娘に起こるなんて。

 私は、立っていられなかったです。

 まるで奈落の底に突き落とされたようで
 どうしたらいいか分かりません。

 息子は昨日アパートを自分が必死に見たのに
 (遺体がアパートから警察の捜索で見つかったことから)
 娘を見つけられなかった自分を責め、 
 ショックで大声で叫んでいました。

 夫は、状況を少しでも把握する為に
 必死に落ちつこうとして
 すごく怖い顔で警察の人と話をしていました。

 娘のなきがらは、警察が紹介した
 セレモニーセンターで預かってもらう手続きがとられました。

 私たちは相模原署への協力の為、
 犯人が持っているであろう携帯へメールを送り続けました。

 相模原のアパートへ娘の様子を見に行ってくれただけなのに
 当初、息子は殺人への関与を疑われながら
 暑い中、警察の実況見分に立ち会っていました。

 それでも、捜査に関わった多くのみなさまにも感謝していました。

 担当者が変わるたびにつらい気持ちを必死に抑えて
 何回でも同じことを話しました。

 私たちは長野から相模原に滞在しつづけたのですが
 全く知らない土地で困っている私たちの為に
 弟が来てくれました。

 泊まるホテルの予約、食事、 
 いろいろな用意を引き受けてくれました。

 そんな私たちに警察の方が

 「絶対捕まえるから!」

 と言ってくれました。

 私たちもよけいな情報が外にもれて
 逮捕が遅くなるのを恐れて
 警察に何も尋ねませんでした。

 3日目、下の娘も事情聴取を受けることになり、
 名古屋から親戚のクルマで相模原市までやってきました。

 犯人は見つからず5日目になりました。

 一切の荷物を持ってきていないので一度自宅に帰りたい、
 と警察の方にお願いして、長野県へ帰宅することにしました。

 そこに

 「犯人を逮捕しました」

 と連絡を受けました。

 私たちは急いで相模原に引き返しました。
 警察の方々に深く感謝しました。

 しかし、娘のなきがらを連れて帰る許可がおりず、
 相模原において帰ることになりました。

 加代子、一緒に帰ろうね。ごめん、独りぼっちにして、
 つらかったね。くるしかったね。

 私たちが長野に帰ってから3日後のことでした。

 娘を安置しているセレモニーセンターより
 火葬をすすめられましたが

 地元でたくさんの親戚や昔からの友達に
 最後のお別れができるように
 長野県で火葬をしたいとお願いをしましたが

 「それはできません」

 と断られました。

 娘のなきがらは、誰も知っている人のいない
 セレモニーセンターで、火葬にされました。

 そんな時に、セレモニーセンターから
 今日の火葬代金と共に
 今までなきがらを安置していた代金を突然請求されて、
 お金を払いクルマで帰りました。

 姉の変わり果てた姿に
 言葉も無い妹がぽとぽとと涙をこぼしました。

 葬儀には驚くほどたくさんの方々が来てくれました。

 みなさまがたには
 今もお礼状も出せずに大変心苦しく思っています。

 中にはぐさっとこころに刺さる言葉もありました。

 「だから早く相模原から長野に戻せばよかったのに」

 と言われたり

 「こども3人産んでおいてよかったね」

 と言われました。

 でも、加代子はたった1人のこどもなのです。
 たとえ息子がいても、下の娘がいても、
 加代子の代わりではありません。

 たとえ、きょうだいが3人いたとしても
 大切な子を喪った悲しみが減るなんてことはないのです。

 「あら、元気そうでよかった」

 とも言われました。

 それは違います。歯を食いしばって何とか立っているんです。
 気丈に振るまっていないと、立っていられないんです。

 相手の人が無意識にかけているであろう言葉の中に、
 傷つけられる言葉がたくさんありました。

 葬儀の2日後、私の実家の父が亡くなりました。

 実家では
 長女としての仕事が待っていました。

 被害者の遺族である、ということだけでなく
 長女としての仕事をしっかりと果たさなければなりませんでした。

 でも、親戚も加代子のことを知っていて、
 無言で肩を優しく叩くおじに、とても慰められました。

 こんな中、横浜で裁判が始まりました。
 私たちは裁判の為に長野県から横浜へ向かいました。

 何もかも不安な私たちの為に、
 相模原署の方々や被害者対策室の方や
 被害者支援センターの方々がついてくださいました。

 公判は全部で3回でした。

 犯人を刺激しないようにと
 前から2列目の傍聴席が用意されていました。

 傍聴をしていくうちに耐え難い現実が明らかになり、
 怒りがこみあげ涙がとまらず、娘の遺影を持つ手に力が入り
 爪がくいこみました。

 慣れない土地で1人で一生懸命がんばっていた
 家族思いの加代子がどうしてこんな目にあうの?

 犯人は何を考えているのか
 反省しているのか全く分からない様子でした。

 そんな犯人の姿に
 加害者側の弁護士でさえ怒りを覚えたようで、
 閉廷後、目が合った私たちに深くおじぎをしてくれました。

 民事裁判は、不条理にも

 「裁判に勝っても何もとれませんよ」

 と弁護士さんに言われてあきらめました。

 刑事裁判の判決は
 無期懲役。

 けれども弁護側は上告しました。

 私は、彼には死刑になって
 あの世で加代子にこころから謝罪してほしかったです。

 彼は死刑になるどころか
 刑務所の中で生きつづけることを保障された命であり、
 20数年後には社会に出てくることを知りました。

 すごく虚しく悲しく、不安で恐ろしい感じがしました。

 その後、執行猶予中だった犯人の身元引受人が
 ただ事実を知りたいだけの私たちに
 ひどい言葉を投げかけてきたこともありました。

 娘のアパートのまわりの人たちが
 事件の日に、女性のうめき声を聴いていたことも知りました。

 ああ、その時に110番をしていてくれたらば
 加代子は生きていたのかしら、と思いました。

 マスコミが注目していたのを避けるために、
 関係者の方々の細かい気配りをしていただいて助けられました。

 それでもマスコミの取材に苦しめられました。

 犯人は逮捕された時から守られますが
 遺族は違います。

 マスコミにはお願い文を出してからは
 静かになりましたが
 精神的にまいっていたのでよけいに疲れました。

 現実を受け入れられない自分が
 日々が過ぎてもいます。

 こころと体がすごく不安定になっています。

 ふつうに暮らせることがどんなに奇跡であるか、
 どんなに幸せであるか、加代子に教えられました。

 今日の講演のお話をいただいた時、
 すごく迷いました。

 被害者の中には
 社会的活動にとりくむ方もいらっしゃるようですが、
 今の私にはムリです。

 しかし主催関係者の方から
 ありのままのきもちを知っていただくことが大事なんですよ、
 と言われて引き受けることに決めました。

 被害者対策室の方々や被害者支援センターの方々から
 細かい気配りと共に、心温まるお手紙をいただきました。

 これがありのままの私の気持ちです。

 加代子に、「母さんもがんばったよ」と
 前を向いて生きていけたらと思っています。


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 お2人のお話は、どちらも涙なしには聴けないものでした。

 フジノはそれを堪えてメモをキーボードに打ちまくって

 「冷静に。この悲痛の叫びから政策としてできることを見つけ出せ!」

 と、必死に考えていたのですが、
 場内は本当にすすり泣きに満ちていて、悲しみでいっぱいでした。

 本当に、つらく悲しいお話でした。

 そして、被害者のご家族の気持ちを無視して
 すすめられていくあらゆること

 (例えば、火葬も身近な地域で行なえない、
  無念ながら火葬をしたその日に
  安置代など90万円を即日請求されたことなど。
  何故、後日ではいけないのか?何故、被害者が支払うのか?)

 とても怒りを強く感じました。

 犯罪の被害者やご家族は、
 犯罪そのものだけでなく、

 マスコミや決められたルールのせいで
 2重にも3重にも苦しめられている現実があります。

 これを変えるのが政治の仕事だ、と改めて感じました。


● 犯罪被害者支援の為に、みんながたちあがるべき

 現在、神奈川県は松沢知事の選挙時のマニフェストにそって
 『神奈川県犯罪被害者等支援条例(仮称)』づくりをすすめています。

 すでに今、パブリックコメントにかかっている状態ですので
 どうか市民のみなさま、こちらの『基本的な考え方』を読んで下さい。

 そして、たくさんのご意見を県に寄こしてくださいね。
 しめきりは8月15日までです。よろしくお願いします。

 さて、話を大会に戻しますと、
 2番目のプログラムは、
 神奈川県の安全防災局犯罪被害者支援担当課長による
 この『神奈川県犯罪被害者等支援条例(仮称)の基本的な考え方』
 説明でした。



 最後に、パネルディスカッションが行なわれました。

 『それぞれの立場から始める犯罪被害者支援』



 それぞれの立場とは、警察・マスコミ・政治・行政だけでなく
 1人1人の市民として何ができるか、ということも
 当然含まれています。

 僕たちが何気なく発する言葉が
 被害にあった方やご家族を苦しめているとしたら
 それは今すぐ変えなければいけません。

 では、具体的にどんなことが無意識に苦しめているのか、
 どんなことが逆に力になったと感じていただけたのか、

 そうしたお話をうかがいました。

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 非常に重要なプログラムが
 行なわれた集まりでした。

 神奈川県では、安全防災局の安全安心まちづくり推進課の中に
 『犯罪被害者等支援総合相談窓口』を設置しています。
 (リーフレットはこちら

 本当に苦しい時に、それでも被害者やご家族は
 様々な煩雑な事務手続きをしなければなりません。

 そんな時に必ず力になってくれるのが
 この総合相談窓口です。どうかご利用なさって下さい。 


 さらに神奈川県では、上のような冊子を作っています。
 これは本当に分かりやすいもので、
 被害者やご家族が利用できる社会資源がたくさん載っています。

 一般の方々にも被害者支援の必要性を
 理解していただく為に、県はリーフレットも作ってます。

 また、フジノも市民相談の中で
 実際にご紹介させていただき
 本当に親切な対応でとても感謝しているのが

 『認定NPO法人神奈川被害者支援センター』です。
 リーフレットはこちら

 自助グループも活動しています。
 『ピア・神奈川』です。リーフレットはこちらです。

 弁護士会も活動をしています。
 横浜弁護士会犯罪被害者支援センターです。
 (リーフレットはこちら


 いろいろな利用できる社会資源が増えましたが、
 それでもフジノが願ってやまないことは

 犯罪の被害にあった方々を
 もっと市民のみなさま1人1人が偏見・差別を持つのを
 無くしてほしいということです。

 テレビや新聞が被害者のもとを
 どんどん訪れてはプライバシーもおかまいなしで
 マイクやカメラを向けるのは

 観たがっている視聴者がいるからです。
 これは事実です。

 誰かが殺された時、ヤジウマとして
 おもしろおかしく事件を眺めているあなたはいませんか?

 どうしようもないメディアの取材が無意味になる為には
 そんなワイドショーなんかいらないんだ、という
 1人1人の市民の方々の行動も必要です。

 そして、何よりも身近で誰かが被害に遭った時に、
 あなたにできることはたくさんは無いかもしれません。

 けれども、少なくとも傷つけないことはできるのです。

 ムリに励まそうとして傷つけかねない言葉を述べるのではなく
 自分自身が同じ被害に遭ったとしたら、
 どれだけ苦しくつらいだろうかと、
 想像してみてほしいのです。

 それだけでも、自分が何をすべきかは分かるはずです。
 それが人間に与えられた想像力という素晴らしい能力なのです。

 この世界から全ての犯罪を無くすことはできない、と
 残念ながらフジノは考えています。

 だから、被害に遭う方々は今後も増え続けるでしょう。

 それでも、だからこそそれでも、
 無用な2次被害・3次被害を防ぐことはできます。

 どうかみなさま、ご協力をお願いします。

 何故なら、犯罪被害に遭うことは誰の身にも起こるからです。
 それは、このHPを観終わった後のあなたにも起こりうることなのです。

 僕は政治家としてできること、制度の改善、体制の改革をします。

 だからみなさんは隣人としてできること、
 それを一緒に行なって下さい。

 お願いします。


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