まちの政治家は、こんなことしてます政治家フジノの活動日記


2008年7月26日(土)のフジノその1
● 第25回中学校演劇発表会へ

 けさは、衣笠のはまゆう会館へ。

 毎年お招きいただいている『中学校演劇発表会』
 今年も行ってきました。

はまゆう会館

 2005年に初めて観にきてからとても感動して、
 それ以来、2006年2007年、と必ず日程をやりくりして
 応援にかけつけてきました。

 でも、今年はどうしてもはずせない予定があって
 演劇発表会には行かれないはずでした。

 政治家フジノの第1優先順位である政策
 『自殺予防対策の推進』の為に不可欠な
 『日本うつ病学会』(昨日から3日間、福岡で開催されています)に
 参加する予定だったのです。

 それが、心身ともに最悪の状況の為、
 福岡行きはキャンセルさせてもらいました。

 そのおかげ、というか、ケガの功名というか、
 『演劇発表会』に無事に今年も来ることができたのでした。

2008年のプログラム

 これまで毎年この演劇発表会にフジノが必ず来ていたのは、
 『公郷中学校・相談学級』の発表を見届けたかったからです。

 その理由は、政治家フジノは
 いわゆる『不登校』と呼ばれる状況に置かれているこどもたちに
 強いシンパシーを抱いているからです。

 相談学級とは、いわゆる不登校と呼ばれる状況に置かれている
 生徒たちが通っているクラスのことです。
 学校は公郷中学校の生徒には限っていません。

 相談学級の生徒たちの活動の1つとして
 ずっと演劇に力を入れているのです。素晴らしい活動だと思います。

 そのあたりのフジノの想いについては
 例えば2006年のこのコーナーを読んでいただければ
 ご理解いただけると思います。

 ところが、なんと!

 去年くらいから、そのフジノの姿勢が、
 他の学校関係者の方から批判を受けてしまいました。

 「公郷中学校だけを応援しないで」

 「うちの中学校の演劇もちゃんと観てください」

 「背景ではなくて、純粋に演劇を評価してほしいです」

 うーん、そんな批判を受けるなんて...(涙)。

 僕は元・映画会社出身ですが
 その会社では演劇・ミュージカルにも古い歴史を持っていますし、
 個人としても演劇には強い関心を持って生きてきました。

 だから、公郷中学校以外の学校の演劇発表も
 スケジュールの許す限り、観てきたのになぁ。

 他の学校の演劇も、等しく応援していますよ!

 過去にも公郷中学校(毎年、初日の最初に発表があります)が
 終わった後にも残って他校も観てきたんですよ〜。

プログラム

 (上の画像は今年の2日間のプログラムなのですが、
  例年通り、まず公郷中学校ですね)

 改めてそのことを証明する為にも、
 今年は2日間丸々ラストまでいようとしたのですが

 なんと、午後いちで横浜・桜木町へ
 別の仕事で行かなければならないことになってしまいました。

 まいったなぁ。

 でも、午後の予定(犯罪被害者支援県民大会)は絶対に外せないから
 他校の関係者のみなさま、今年もごめんなさい!

 今日は、公郷中と大矢部中を観たら、帰らせていただきます。

 「また1校だけに肩入れをして」

 と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、
 それは完全な誤解です。

 政治家って、難しいな。
 ちゃんと全部を応援しているよ。


● 公郷中学校相談学級による『僕たちのエンカウンター』

 さて、いつもどおり、
 開会の言葉・あいさつ(教育委員会事務局ほか合計3つ)が終わると
 諸注意と連絡事項があって、ついに場内が暗転します。

 演劇のスタートです!

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 午前中のプログラムはこんなです。

 公郷中学校のタイトルは

 『僕たちのエンカウンター
  〜墓場からゆりかごに向けて 思春期の死と再生の物語〜』

 です。昨年に続いて、
 創作演劇(オリジナルの台本)だそうです。

 大学時代に臨床心理学専攻のフジノにとって
 『エンカウンター』という単語は、なじみ深い心理学の用語です。

 ひと言で言うと、
 『自分自身と向き合う』とか『自分自身との出会い』とかですね。

 良い意味で、公郷中の演劇にふさわしいタイトルだと感じます。
 しかも、サブタイトルもおもしろいですね。

 ふつうならばイギリスの社会保障の充実をあらわすフレーズで
 『ゆりかごから墓場まで』と言うのですけれども

 さかさまで、『墓場からゆりかごに向けて』となっています。

 このタイトルを読むだけで、
 『死と再生の物語』なのだなあと伝わってきます。

 あらかじめプログラムをもらっていたのですが
 キャストを見ると、オオカミ男、花子さん、猫娘、などの役名があり
 幻想的な物語であることがイメージされました。

 さあ、ブザーが鳴りました。
 演劇が始まります。

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 フジノは毎年、はまゆう会館の最後列に座るのですが
 場内が暗くなって、BGMが流されて、さあ始まったと思ったら

 いきなり1人の男子にピンスポットがあてられて
 観客席の1番後ろから、舞台へと向かっていきました。

客席から入場

 この演出、演劇ではよくありますが、割とフジノは好きです。

 (高校時代にはまゆう会館でバンドでライブした時は
  ワイヤレスでギターを演奏してるから
  場内を走りまくったのを思い出しました。楽しかったです)

舞台セットは墓場

 この男子がステージにあがると、
 舞台セットはなんと、墓場でした。

 墓石に卒塔婆がたっている、お墓が6つ。

 自分が墓場にたどりついた彼は、
 そこで5人の妖怪たちに出会います。

 みんな、死んでしまったこどもたちで、妖怪になってしまったのです。

 現世で、特に学校や友達や家族とのかかわりの中で
 とても苦しい想いをしてきたこどもたちばかりでした。

 1人の妖怪(白カラス)が言います。

 「自分は心理学に興味があるんだ。
  エンカウンターをやってみよう。自分のことを語るんだ。

  でも、大切なことは、他人が語っている時には
  絶対にじゃまをしないこと。

  エンカウンターは、『震えながら叫べ』という言い方をするように
  自分の思いのたけを全て語りつくすんだよ」

 そして、1人ずつ、自分とエンカウンターしていきました。

 (つまり、この6名はエンカウンターグループなのですね)



 ここでの語りは、みんな、セリフが決められていたのか、
 それともアドリブで語ったのか、フジノには分かりませんでした。


 両親の離婚、自分のことを見てもらえない苦しみ、

 いじめ、いじめを止めたら自分が今度はいじめられるようになった、

 学校に行けなくなった、オンラインゲームをやってる時だけが安心できた、

 でもオンラインゲームを離れるとまたすぐに不安が襲ってきた、


 あらゆるこころの傷が6名によって語られました。
 場内の観客席からは、涙と鼻をすする音があちこちから聞こえました。

 やがて、6名のエンカウンターが終わると
 朝がやってきました。墓場にも朝日がさしてきました。



 エンカウンターによって自分の内面をこころからさらけだして、
 エンカウンターグループによってそのままの生身の自分の存在が
 他人に受け容れられたと感じられたのならば

 朝になった時、妖怪はどうなっていくのでしょうか?



 舞台の上では、妖怪は1人ずつお墓に戻っていきました。

 フジノは、

 「戻るべき場所はお墓で良いのか?
  現世に戻ってくるべきではないのか?」

 とか

 「それとも、妖怪としてはお墓に戻って
  魂としては再び輪廻して、
  この人間の世界に戻ってくるということなのか?」

 とか

 「1回くらいのエンカウンター体験では、
  大きな変化なんて起こるものではもともとないものだしなぁ」

 とか、想像をめぐらせてみました。

 演劇や映画でラストシーンが明確に分からなくても
 それは自分なりに解釈をすればいいだけのことなのです。

 その意味で、昨年のオリジナル台本よりも
 ストーリーの解釈の自由度があるものだったと思います。

 全体的にみんなよく演技ができていて
 セリフもハッキリとよく聞こえましたし、とても良かったです。

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 毎年、公郷中学校の演劇が終わった後の休憩時間は
 とてもドキドキしながらフジノは過ごしています。

 まわりに観に来ていた同年代のこどもたちが
 口々に感想を述べているのが聞こえてくるのです。

 今年も、いろいろ聞こえてきました。

 「あれは絶対にアドリブだよ!」

 「確かに、実際のアイツとあてはまってること言ってたよな」

 とか、いろいろな言葉が聞こえてきました。

 午前の最初ということで
 観客席はまだ150名ほどしか埋まっていませんでしたが

 今、終わったばかりのステージについて
 たくさんの感想が語り合われていました。

 それらを観るとフジノは
 「今年もとても成功したのだなあ」と感じるのでした。


● 25周年の展示がされています

 実は、今回は25周年ということで
 会場のはまゆう会館には(明日も)様々な写真や
 歴代の台本や新聞記事などが展示されています。



 実際には、25周年以上みたいです。

 展示されていた資料によると、

 中断されていた演劇発表会を
 今年から再開した

 という文章がありました。



 このまちの中学校の演劇の歴史は
 かなり長いものがあり、立派な文化だとフジノは考えています。

 これからもずっとこうした取り組みが続いていくように
 しっかりと政治家として応援していこうと思います。

 25年間、見守ってくださった多くの方々、
 そして演じてくれた中学生のみなさん、ありがとうございました。

 どうかこれからも一緒に見守ってくださいね。


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 この後、大矢部中学校のコメディー
 『School Aid〜今、学校は病んでいる〜』を観て

 それから大急ぎで衣笠を後にしました。

 次は、横浜・桜木町。
 フジノの政策でも大切にしている『犯罪被害者支援』についての
 神奈川県の集まりに向かいます。

 今年は全ての中学校の演劇を
 観れなくてごめんなさい。

 来年は必ず観ますからね!



2008年7月25日(金)のフジノ
● 自殺予防の街頭キャンペーン、ボランティア大募集!

 今年6月議会での市長へのフジノの一般質問(6月10日)
 自殺対策について次のような提案を行いました。



























 (2)『自殺予防週間』における
  積極的な普及啓発活動の必要性について


 昨年度から自殺総合対策大綱によって
 毎年9月10日から1週間を
 『自殺予防週間』と設定することになりました。

 国民の理解を促進することを目的として、
 この期間中は特に集中的に、

 自殺への誤解や偏見を無くして
 正しい知識を普及啓発する
 様々な活動が昨年は全国で行なわれました。

 そこで市長にうかがいます。

 <質問1>
 本市は、今年度の『自殺予防週間』において
 具体的にどのような普及啓発活動を行なう予定
なのでしょうか。

 まずこの点をお答え下さい。

 さて、本市には、自死遺族のささえあいの会などをはじめ
 すでに様々な自殺予防対策の取り組みがありますが

 今後の課題はそうした非常に有効な取り組みの存在を
 確実に市民に知って頂くことです。

 <質問2>
 そこで2点目の質問ですが、
 本市が普及啓発活動を行なうにあたっては
 ボランティア団体などの協力も得ながら、

 市内各地の街頭で普及啓発活動を行なったりするなど、
 これまで以上に積極的な
 周知の為の取り組みを行なうべき
ではないでしょうか。

 市長の考えをお聞かせ下さい。




 こうしたフジノの提案を受けて、
 今年の自殺予防週間に横須賀市は

 ・新たに『街頭キャンペーン』を市内3ヶ所で行なう

 ・新たに、広く市民に向けた自殺対策講演会を行なう

 ・自死遺族こころの相談会などを開催する


 ことになりました。

 特に、今日7月25日に配布された
 『広報よこすか』おしらせ版では、

 自殺予防週間の『街頭キャンペーン』ボランティアを募集

 との記事が掲載されました。


(画像:広報よこすか・おしらせ版7月25日号)

 広報よこすかではスペースが足りないので
 同時に、下のチラシ(この画像はチラシの上半分のみです)を
 市内の様々な場所に貼り出しています。


 同じく6月議会でフジノが提案した

 「神奈川県警(横須賀・浦賀・田浦署)にも、こうしたチラシを置いてほしい」

 という提案も、さっそく実行してもらえました。

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 ということで、街頭キャンペーンにご協力くださる方々を
 横須賀市では募集しております。

 ・9月11日(木)横須賀中央Yデッキ 16〜18時

 ・9月12日(金)京浜急行追浜駅前 16〜18時

 ・9月16日(火)京浜急行久里浜駅前 16〜18時

 こちらの3ヶ所で行いますので
 街頭キャンペーンにどうかみなさんご協力ください!

 もちろん、フジノも行きますからね。

 参加にあたってのご質問・お問い合わせは、
 保健所健康づくり課046(822)4336までお願いします。

 こころから、お待ちしております。



2008年7月24日(木)のフジノその1
● 次回の自死遺族の支えあいの会のおしらせ(8月4日ですよ〜)

 大切な方を自死によって亡くされた方は、
 血のつながりがあるとか無いとかに関わらず
 大きなダメージを受けてしまいます。

 少なくとも5人は深刻なダメージを受けてしまい、
 適切なサポートが無ければ、
 ご自身も自死へと追い込まれることがあります。

 (そうした方々を血縁の有無に関わらず
  フジノは自死遺族と呼ばせていただいております)

 そんな時、同じ悲しみを持つ自死遺族の方々が
 ともに語り合い分かち合うことができる、安心できる場が
 大きな支えになる、と言われています。

 そして、横須賀でも長年待ち望まれていた、
 自死遺族のわかちあいの場が2007年にスタートしました。
 『自死遺族の支えあいの会』と言います。

 横須賀市議会でフジノが
 初めて自死遺族ケアについて訴えた2003年12月から、
 実現までに4年もかかってしまいました。

 でも、横須賀での自死は減っておらず
 当然ながら、ご遺族の方の数もむしろ増えております。

 今も(むしろ今こそ)わかちあいの場の
 存在意義はとても高いと感じています。

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 2ヶ月に1度ずつ開催され、
 2008年7月までに4回が行なわれました。

 第1回・2007年12月5日(水)10:00〜12:00@保健所・会議室
 第2回・2008年2月4日(月)10:00〜12:00@保健所・会議室
 第3回・2008年4月7日(月)10:00〜12:00@保健所・会議室
 第4回・2008年6月9日(月)10:00〜12:00@保健所・会議室

 その様子はこんな感じです。

 まもなく、次回の支えあいの会が開催されます。

(画像:広報よこすか・おしらせ版7月25日号)

 第5回目の開催は、8月4日(月)10時〜12時です。

 どうか、自死によって大切な方を亡くした方は
 大切な方の思い出を、お話ししに来て下さいませんか。

 日本は自死をタブー視して、
 遺族にさえ語ることを恥と感じさせるような偏見があります。

 けれども、この支えあいの会では、あなたは守られています。

 日頃はご家族の前でも流せない涙を
 どうかこの場で流しにいらしてください。

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 参加にあたってのご質問・お問い合わせは、
 保健所健康づくり課046(822)4336までお願いします。

 こころから、お待ちしております。



2008年7月23日(水)のフジノその1
● カフェトークに遠方からの参加者

 夜から、2週間ぶりのカフェトークでした。
 今日で第133回目。

 何といっても今夜は、
 遠く名古屋から参加してくれた方がいらっしゃいました。

 これまでも、千葉・東京・埼玉など
 あらゆる市外の方々が来てくださいましたが

 関東以外からの参加者は初めてで
 本当に申し訳なく感じました。

 何故、申し訳なく感じるかといえば

 全てのまちで、全ての政治家が
 こんな集まりをやっていれば、遠くから来なくても済むのです。

 いろいろな政治家の人たちが
 フジノのカフェトークを視察に来ましたが

 みなさん、ちゃんと地元に帰った後、
 実際にやってくれてますか?

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 他の政治家の人々が気にしているのは

 ・誰でも参加自由、事前申し込みなし、会話は全てガチンコで、
  本当に大丈夫なのか

 ということです。

 確かに後援会の人たちとしか
 話したことがない守られている政治家の方々には
 誰でも参加自由で、会話は全てガチンコだと怖いのかもしれません。

 でも、市民の方々を信じることが大切です。

 確かに今までフジノは
 何度も危険な目には遭いました。

 けれども、世間に対して自分の意見を発信していれば
 過激な人々に攻撃されるのはありうることです。

 それは政治家になった時から覚悟しています。
 街頭演説だって、同じです。

 いつ何があるかなんてビビっていたら
 やっぱり政治家なんてやれません。

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 遠く名古屋からの参加者の方に
 わざわざ参加していただいたことに深い感謝の気持ちと共に

 そんなことを感じました。

 今回の活動日記は、あえて全国の政治家の方々に
 挑発の気持ちをこめて記しました。

 政治家のみなさん、どうか、後援会相手ではなくて
 見ず知らずの市民の方々を相手に
 いつでも出入り自由でどんなことでも語りあってみて下さい。



2008年7月22日(月)のフジノその2
● 泣けて泣けてしかたがなかった、ご葬儀

 7月18日から21日まで、フジノは千葉県市川市に居ました。
 『WRAP』集中クラスを受ける為です。

 くたくたに疲れ切って
 ようやく昨日21日夜に横須賀に帰ってきたのですが
 なんだか自宅の周辺がざわざわしています。

 喪服を着た人たちの姿をたくさん見かけるなあ、と思いながら
 バイクを止めて、自宅に向かう階段をのぼろうとすると

 喪服を着た見知らぬご夫婦の方から

 「お通夜の会場はどちらかご存知ですか?」

 と、尋ねられました。

 そこで、

 「すみません、僕は3日間出張で、
  ついさっきまで千葉県にいたので何も分からないんです」

 と、お答えしました。

 すると、そのご夫婦から

 「まあ!じゃあ、あなたはAさんが亡くなったの、ご存じないの?」

 と逆に尋ねられてしまいました。

 Aさんというのは、フジノのご近所に暮らしている
 フジノをすごく応援してくれているらしい方の、夫のお名前でした。

 「え!お亡くなりになった、って
  あんなにお元気な方が本当に亡くなったんですか!?」

 「そうなのよ、19日に亡くなったのよ...。
  今夜がお通夜で、明日がご葬儀なの」

 僕は、そこまで聞くとお礼を述べて
 すぐに小走りで自宅への階段をかけあがりました。

 WRAP集中クラスに参加する為の
 3日分の洗濯物やら資料やらがたくさん入った
 大きなキャリーバッグがとても重くてたまりませんでした。

 もしその情報が事実なら

 (喪服の方々がたくさん居らしたから
  誰かが亡くなったのは事実だ。

  でもとにかく問題は、
  本当にAさんが亡くなってしまったのか、ということだ)

 それは僕にはあまりにもショッキングなことで
 まだ70代になったばかりのAさんは

 僕にとって、選挙に出る前からの
 長年の大切な隣人でした。

 初めて選挙に出る時、僕は近所の誰にもお伝えしませんでした。

 とにかくご迷惑をおかけするのではないかというのが不安で
 とても伝えることができませんでした。

 6年前、やがて、横須賀中央Yデッキで
 朝と夕方に僕が街頭演説をしていることが
 ご近所でウワサになりだした時も

 Aさんは一切、そのことに触れないでくれました。

 そして2003年4月に当選した後も
 Aさんの態度は全く変わることなく

 例えば、僕が朝ごみを出す時間が早すぎれば(例えば朝3時とか)

 「カラスが来てしまうからやめてください!」

 とか、

 朝、布団を干したまま仕事に出かけた日に
 お昼から大雨が降った夜に偶然お会いした時には

 「布団が見えたからとりこんであげたかったけど、
  庭に入るわけにも行かないし、どうにもできなかったよ」

 とか、

 時には、ただのあいさつをしたり、
 時には、怒鳴られたり、

 政治家になる前と本当に全く変わらない
 隣人としておつきあいして下さいました。

 彼の奥さまは僕の立候補を知った時から
 どうやら表立って応援して下さっていたようなのですが

 失礼な話なのは百も承知なのですが、
 僕は『近所だから』とかいう理由では応援されたくないのです。

 あくまでも、『政策』で判断していただきたいのです。

 だから、今に至るまでほとんどその奥さまとは
 お話をしたことがありません。

 当選してからは僕の自宅には
 いろいろな嫌がらせがあって

 ご近所にも迷惑が及んでいないのか
 いつも心配でした。

 でも同時に、ご近所の方々を避け続けました。

 僕はご近所づきあいがニガテで避けてきたのですが
 急にたくさんの親しげなご近所さんが増えたからです。

 やれ、こどもと学校が同じだ、とか(そんなの知らない)、
 やれ、同じ習字に通っていた、とか(何の意味があるの?)、
 知らない人たちが親しげにたくさん話しかけてくるようになりました。

 僕はそれがとてもイヤでたまりませんでした。

 けれども、僕が政治家に転職しようがするまいが
 全く一切変わらずに僕に接し続けてくれた

 おっかないご近所のおやじさんであるAさんのことが
 僕はかなりとても大好きでした。

 政治家への当選後、特に2回目の選挙で2位当選をしてから
 あまりにも多くの人々が僕への態度を変えました。

 僕は、僕への態度を変える人々が
 大キライでたまりませんでした。

 けれどもAさんだけは、ガンコオヤジなまま全く変わらず、
 時には僕もむかつくくらいなガンコさで、
 でもそういうAさんが大好きでした。

 だから、もしも本当にAさんが亡くなったとするならば

 いや、僕が千葉県に行く直前まで元気いっぱいだったのに
 亡くなるはずが無い、ありえない、という気持ちで
 とても信じられませんでした。

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 Aさんのお宅に行くと、全く人の気配がしませんでした。
 玄関のベルを鳴らしても誰も出てきませんでした。

 そこで近所中を走ってまわって、
 いろんなお宅の玄関のベルを鳴らしてみたのですが
 みんなお通夜に行ってしまっているのか、
 出てくれません。

 こころあたりの斎場や町内会館に電話をかけても
 全然、Aさんのお通夜にはつきあたりません。

 「もしかして、亡くなったのはAさんじゃ無いんじゃないの...」

 と信じたくない気持ちをひとりごちて、
 急いで喪服に着替えてとにかくバイクに乗りました。

 行くあては全く無いのですが
 とにかく喪服を着て歩いている人を見つけたら

 かたっぱしから話しかけて
 尋ねてみることに決めたのです。

 やがて、20時を過ぎてしまい、
 お通夜(もし本当にお通夜が行なわれているならば)には
 まにあわない時間となってしまいました。

 やがて、喪服の2人組の女性を発見しました。

 バイクを止めて、急いでその2人のもとへ走りました。

 「すみません!今日のお通夜、場所はどこだったんですか?」

 「あら、もう終わっちゃったわよ」

 「僕、さっきまで千葉に出張で、
  亡くなったことさえ本当かどうか知らないんです。
  本当にAさんが亡くなったんですか!?」

 「そうなのよ、本当に急に亡くなって...。
  19日に亡くなってしまったの。

  今日のお通夜はムリでしょうけど
  明日の告別式はBという場所で行なわれるから
  ぜひ行ってあげて」

 「分かりました。ありがとうございます...」


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 せっかく千葉県市川市で
 『WRAP』(元気回復行動プラン)の研修を受けてきたのに
 僕の元気は完全にマイナスになってしまいました。

 何故、あんなにお元気なAさんが亡くならねばならないのか...。

 なんでおれは3日間も横須賀を離れてたんだ...。

 いろいろな想いが浮かんでは消えていきました。

 明日、とにかく仕事はキャンセルして
 お昼からのご葬儀には必ず出席しよう、と決めました。


● 議員バッジをつけての初めての告別式

 僕は、政治家がお通夜や告別式に
 たいした知りあいでも無いのに同じ町内だからと出席するのを
 かなり激しい嫌悪感をもってみてきました。

 そういう行動は、フジノにとって
 『古き悪しき政治家の象徴』だからです。

 だから、葬儀の連絡がまわってきても
 直接に面識のある方で本当にお世話になった方の
 ご葬儀以外には絶対に行きません。

 ましてや、議員バッジなんか
 つける理由がありません。

 けれども、Aさんのご葬儀には
 あえて議員バッジをつけていこうと決心しました。

 Aさんという隣人との交流は、
 まさに僕の理想的な交流でした。

 仕事で僕のことを差別しないで、
 まだまだ未熟な僕ですから隣人として怒鳴られたり

 資源ごみを出すのに大きなのを両手いっぱいに
 僕もAさんも抱えている時とか、お互いに笑いながら

 「やっぱりこういうのは1回で運ばないと
  めんどくさいからね」

 と、小走りで階段をお互いに降りていったり

 とにかく政治家になってから5年間にわたって
 今まで1度も政治のことに触れずに僕と接してくれました。

 かたや、僕がどれほど家族を大切に感じていて
 父のことで悩み苦しんでいるかについても
 ある時、話を聞いてくれました。

 そんなAさんは、
 きっと僕がこの肩書きを全く好きじゃなくて

 それでもやらなければならないからやっているということを
 とても深く理解してくれていたのではないかと
 ある時から思うようになりました。

 だって、Aさんの奥さんは熱狂的な感じで
 フジノのことを応援してくれているらしいのですから

 (あまのじゃくな僕は
  今でも奥さんと一切お話したことがありません)

 夫であるAさんが僕の職業を知らないはずがありません。
 
 つまり、とても気を遣ってくださっていたのではないかと
 ある時から、あることをきっかけに、
 鈍感な僕でもようやく気がつきました。

 プライベートの僕を徹底的に放っておいてくださる態度こそ

 政治家フジノにとっては仕事が徹底的にやりやすいのです。
 まさに、Aさんはそれをしてくださってたんだな、
 と気づきました。

 それならばこそ、きちんと最後は
 個人としての藤野英明としてだけではなく
 政治家としてもこころから感謝の気持ちをあらわしたい、と
 思ったのです。

 僕にとって、世界の他の国には存在しないのに
 日本とわずかな国だけに存在する『議員バッジ』は
 政治家の特権意識のシンボルとして、つけるのが恥ずかしいものです。

 でも、同時に、確かにスーツにバッジをつけるだけで
 多くの人々が権威を僕に感じるようになるのも事実です。

 僕が、個人としてだけではなく
 政治家としても感謝を示すには

 逆説的ではありますが、議員バッジをつけての参列が
 ふさわしいのではないかと感じるに至りました。

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 午前中、ジュニアハイスクール議会に出席して
 自分の提案が実現していく姿にわくわくしながら

 お昼で退席して、Aさんのご葬儀に向かいました。

 僕は、すっかり泣けて仕方がなくて
 また自分のまわりから味方がいなくなってしまったことが
 さみしくてたまらないことに気づきました。

 どんどん、親しくしてくれた人が亡くなっていってしまう。

 もうAさんのように、ご近所さんで
 僕のことを善意をこめて怒鳴ってくれる頑固オヤジなんていない。

 さみしい。本当にさみしい。

 でも、ありがとう、Aさん。

 あなたのような方の存在に支えられて
 僕は政治家として全力で働くことができていました。

 僕の政策があなたにとって納得がいくものだったかどうか
 それは全く分かりません。

 けれども、これからもずっと全力を尽くします。

 それが、頑固オヤジに対する恩返しだと信じて
 今後も僕は自分が信じるように徹底的に活動していきます。

 今まで本当にありがとうございました。



2008年7月22日(火)のフジノその1
● よこすかジュニアハイスクール議会2日目!

 けさは、『よこすかジュニアハイスクール議会』の2日目が
 市役所で行なわれました。

 今日は10時から16時まで丸一日、
 中学生たちは4つの委員会にわかれて、議論を繰り広げました。

 下の写真は、最初に全員で集まった全体会です。
 横須賀市と共に主催して下さっている(社)青年会議所(JC)の
 阿部会長から主催者あいさつがありました。

 

 阿部会長は

 「みなさんは、自分たちが行なうことが
  『絶対にまちを変えていくんだ』と信じて活動してほしいです。
  今日話し合うことは絶対に実る、そう考えて取り組んで下さい」

 と、中学生たちに熱く語って下さいました。

 フジノも全く同感です。

 この国にはあまりにも『おまかせ民主主義』がはびこっていますが
 民主主義を守る、あるいは、育む、ためには

 幼い頃から、他人を認めあいながら話しあうことや
 健全な議論を日常的に行なっていくことが大切だと
 フジノは考えます。

 その手段の1つとして、
 このジュニアハイスクール議会は必ず有効だと信じています。

 参加した中学生たちはあえて夏休みの3日間を潰して
 (遊ぶという選択肢だって取れたのです)

 これに参加した、ということは
 フジノにとってうれしい限りです。

 中学生時代の今しか感じられない感受性や想いを
 このまちの未来を提言する
 という形で
 ぜひ政治・行政にぶつけてほしいと願っています。

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 続いて、主催者あいさつとして
 横須賀市からも。

 担当部署であるこども育成部の課長の言葉にも
 やはり熱い想いがこもっていました。



 「今日は午後の後半から、
  横須賀市議会の本会議場に場所を変えて
  8月4日に向けての全体リハーサルを行います。

  本会議場というのは、
  よくテレビのニュースに映る国会議事堂の本会議場と同じで

  横須賀市の法律にあたる条例や
  予算を市議会議員が決める場所です。

  つまり、市民のみなさんの暮らしを決める場所であって
  ある意味、とても神聖な場所です。

  市役所に勤めて25年になりますが
  市議会の本会議場に入るのは実はまだ2回目です。

  みなさんは中学生のうちから本会議場に入れるというのは、
  しかも実際に議員の席に座るというのは、
  ぜひそうした重みを感じて
  適度な緊張感を持っていただければと思います」

 こんなお話がちょこっと出ました。

 でも、本当にそのとおりなんですよね。

 フジノが政治家として本会議場に入る時、
 いつも必ず入り口で
 市と市議会の旗に深く礼をしてから席に着きます。
 実際にフジノは神聖な場所だと感じています。

 本会議場では、
 市民のみなさまの税金の使い道やいろいろなルールが
 提案され、議論が尽くされ、そして、採決されます。

 採決されたら、42万人の暮らしがリアルに変わってしまうのです。

 例えば、国民健康保険料や介護保険料を決めるのは
 横須賀市ですから、市議会で値上げが可決されれば、
 本当にたくさんの方々の生活が変わってしまいます。

 42万人の暮らしを変えてしまう場所が
 市議会の本会議場なのです。

 いつも議案の賛否を決める時は
 フジノは悩みに悩んで徹夜になってしまいます。

 それは42万人もの暮らしを変えてしまうからです。

 本当に重いです。

 だから、課長が中学生に話した言葉は
 決して大げさな言葉なんかじゃなくて

 いつも政治家としてすさまじい重圧を感じているのですが
 そんな日々の中でも
 特に本会議場に向かう時は
 さらに重圧をフジノは感じています。
 神聖な場所だと感じています。

 そこまで激しい重圧を中学生たちは
 疑似体験することはできないとは思うのですけれども、

 リアルに42万人もの暮らしが
 ここの場所で決められてしまうということを知っていてほしい、と
 課長のあいさつを聴いて改めてフジノも感じました。


● 第4委員会『学校』を傍聴しました

 『よこすかジュニアハイスクール議会』は
 本物の横須賀市議会と同じで4つの委員会に分かれています。

 それぞれの委員会ごとにテーマがあって、
 第1委員会は『自然・環境』、
 第2委員会は『歴史』、
 第3委員会は『国際性』、
 第4委員会は『学校』です。

 フジノは第4委員会『学校』を傍聴しました。

 現実の横須賀市議会でフジノは
 学校を扱う教育経済常任委員会に所属していることもありますが

 中学時代にフジノは強い思い入れがあります。

 つい先日、このコーナーに「僕も14才だった」と書きましたが
 14才だった頃のフジノは校則を変えたくて
 いつも仲間たちといろんなアイディアを練っていました。

 校則を破って長いスカートはいてる女子だからって
 教師だったらそのスカートをハサミで切っても許されるのかよ!

 とか

 ジェルを髪につけてきたからって
 冬にグランドの水道水で頭を洗わせるなんて
 人権侵害じゃないのかよ!

 とか、いつも校長先生に議論をふっかけていました。

 (当時の校長先生(ちかてる先生!)は本当に素晴らしい人格者で
  転任される時は生徒たちみんなから惜しまれた方です。
  フジノのこういう議論にも、とことんつきあってくださる方でした)

 「自由って何だ?」とか
 「生きることの意味って何だ?」とか

 仲間たちと毎晩遅くまで語り合っていました。

 フジノが14才だった頃から20年が経ちましたが
 今まさに14才の中学生たちが
 過去と現在とで本質的に違うとは思いません。

 だからこそ、2008年の14才たちの
 理想の学校像についての議論をぜひ聴いてみたいと考えました。


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 委員会は、サポーターとして青年会議所の方々がまわりにいましたが
 基本的には全てジュニアハイスクール議会の議員である
 中学生たちによって議論が進められました。



 横須賀市からもサポーターとして
 教育委員会事務局から来てくれました。



 最初だけあいさつの言葉は述べましたが
 あとは、徹底的に中学生たちの見守りに徹して下さいました。

 中学生の議論の結果は
 8月4日の本会議にゆずるとして

 この教育委員会事務局からのあいさつも
 フジノにとっては深くこころを打ちましたので紹介します。

 「みなさんは、フグを釣っても、それを食べませんよね。
  何故なら、フグには毒があって
  食べたら命に関わることを知っているから。
  常識として幼稚園のこどもでもこのことは知っています。

  でも、実際に命に関わるかを
  みなさんの中で試したことがある人はいないはずです。

  けれども、フグの毒を食べたら死んでしまう、
  という常識が成立するまでのあいだに

  原始時代から何万人もの人間が
  食べて死んでしまっているはずです。

  実際に、その毒を体験して、死んでしまって人々がいるから
  これは食べたら危険、という常識になっているのです。

  実は、民主主義も同じなのです。

  これまでに世界中で何千万人もの命が失われて
  民主主義というのは確立されてきたのです。

  教科書に書かれている当たり前のこと、常識なことも、
  当たり前のことになるまでのあいだに
  たくさんの血が流れています。ぜひ、このことを知っていて下さい」


 本当に同感です。

 フジノがかつて『こども議会』実施を提案したのは
 まさに教育委員会事務局の方が話したことと同じ想いです。

 人々がみんなお互いの違いを認めあって、
 それぞれの意見を述べて、耳を傾けて、議論しあって、
 そして、それぞれが折りあえる結論をみんなでつくりだすのです。

 単に数が多ければ決定という多数決ではなくて
 小さな声にもしっかりと耳を傾けていく。

 エライ奴が上から全て決めてしまえば、それは独裁です。

 お互いの違いを認めあうことや、意見が違う人々と話しあうことや、
 みんなが最終的に折りあえるゴールを見つけることは
 ものすごく時間と労力がかかる作業です。

 でも、それこそが民主主義なのです。

 民主主義は、人間の歴史の中で
 本当にたくさんの命の犠牲の上で生み出されました。

 そして、日本のように成熟した国では
 ややもすると民主主義が形だけになってしまいます。

 政府に文句を言う人はたくさんいるけど、
 その政府をつくる政治家を選んだのは国民ひとりひとりです。

 いや、そもそも選挙に行かない人はあふれるほど、いる。
 選挙に行かないし、民主主義を守ろうとさえしないのに、
 それで文句だけ言っているのでは
 次の世代の為に未来を守る責任を果たしていません。

 だから、フジノはしつこくしつこく
 民主主義を守りたいと言い続けてきました。

 民主主義は、守ろうと努力しなければ、衰退していくのです。

 投票率が50%を切るなんて、本当に情けない。

 こどもたちの未来を本気で守りたいなら、
 いつも100%に近くなければ、文句なんて言えないはず。

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 よこすかジュニアハイスクール議会を主催する
 (社)青年会議所の理事長をはじめ、
 横須賀市のこども育成部も教育委員会事務局も、

 まさにみなさんが同じ想いをもって
 この運営にあたっていることに、フジノは感謝しています。

 そうした共通の想いこそが
 民主主義を守ることだとフジノは信じています。

 今はもしかしたら中学生たちには分からないかもしれない。

 けれども、何もしなければ、もっと理解されないでしょう。

 参加している中学生はわずか50名ほどですが
 日頃の社会科の授業だけじゃなくて
 こうした体験を通じて、ぜひこの国を背負う大人になってほしいです。

 この国の主役とは国民みなさま1人1人ですから、
 国の主役であるという自覚を全ての方々に持ってもらえるように

 この『よこすかジュニアハイスクール議会』は
 ささやかな一歩かもしれませんが、すごく良い試みだと思います。

 ぜひ8月4日の本会議は
 みなさまも傍聴にいらしてくださいね!


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