まちの政治家は、こんなことしてます新人議員の活動日記



2006年7月26日(水)のフジノ
● 市民の方からのメールに涙。

 今日はある市民の方からのメールを読んで、
 こんなに暑い真夏日のお昼14時に涙を流してしまいました。

 僕は本当に力になってあげることができなくて
 でも、その方は感謝の言葉をメールで伝えてくれたのでした。

 しかも、そのメールは中国から送られていて、
 旅行先のひとときにわざわざ僕のことを思い出してくれて
 励ましのメールを書いてくれたのでした。

 僕は、自分が旅行中であっても
 やっぱり仕事のことを忘れる瞬間はありません。

 九州に行った時、信州・長野に行った時、
 いずれも新幹線のデッキに出てケータイでずっと打ち合わせたり、
 宿泊先でモバイルPCにPHSをつないで
 メールを打ちまくりました。

 それは、それが僕の仕事だからです。
 お給料をもらっているからです。

 けれども、市民の方が(しかも相談をした側の方が)
 わざわざ遠く異国の地にいて
 相談したことなんか忘れて気分転換をできるはずの時間に
 僕なんかのことを思い出して、感謝の言葉を伝えてくれるなんて...。

 そう思うと、泣けてきました。

 僕は、がんばります。

 力になれなかったことを本当に悔しいといつも感じているし、
 こんな想いを絶対に他の人にさせたくないといつも思っています。

 全力を尽くします。


● 明日から4日間、ほぼ横須賀にはいません

 明日から2日間(27・28日)、東京・新宿にて
 『第3回日本うつ病学会』に出席してきます。

 29日は、朝一番で公郷中学校の演劇を観た後、大急ぎで東京へ。
 『MDA−JAPANうつ気分障害協会』の集まりで
 やはり丸一日、出かけています。

 30日は『地域の自殺対策を推進する地方議員有志の会』
 総会の為にやはり丸一日、東京に行っています。

 体力しだいでは宿泊するかもしれません。

 いずれにしても、あらゆるメールは
 ケータイでチェックしています。

 インターネット情報も
 モバイルPCを持ち歩いていますので
 対応はできます。

 いつもどおり相談の電話やメールは受け付けています。

 ただ、お返事が遅くなるかもしれませんので
 その点だけあらかじめご了承ください。

 よろしくお願いします!



2006年7月25日(火)のフジノ
● 地域福祉計画の実践、『福祉の輪市民会議』の集まり

 今日は10時から12時すぎまで
 『福祉の輪市民会議』の集まりに出てきました。

 この『福祉の輪市民会議』は大きく3つのグループに
 それぞれにやるべき方法ごとで分かれています。

 フジノは第1グループ。
 大きな意味で、地域福祉の広報・啓発・イベントなどをやる集まり。

 その中でさらに3つの小さなグループに分かれていて
 フジノはその中の『地域福祉特区』のグループです。
 (リーダーになりました)

 ある地域での素晴らしい活動を『福祉特区事業』として選んで
 10万円の助成金と広報などで活動をバックアップして
 このまち全体に広げていこう!
 というものです。

 福祉特区は、昨年は3つの活動が選ばれました。
 今年は2つの活動が選ばれました。

 これらの活動を今後は見学させてもらったりして、
 来年度の応募が増えるように、もっとがんばらないといけないなあ。

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 そもそも『福祉の輪市民会議』というのは、
 このまちの『地域福祉計画』という計画を
 実行に移していく『実行部隊』という位置づけなんですね。

 何度もくりかえし書きますけれども
 『地域福祉の実践』というのは
 福祉の中でも新しいテーマなのです。

 これからの活動は福祉史の教科書に記されていく、
 そんな歴史的な活動をしているわけです。

 信じられないと思うのですが
 地域福祉ってまだ全然確立されていない概念なのですよ。

 1960年代に『地域組織化』という概念が提唱されました。
 地域社会で起こった暮らしの問題は、
 その地域の中で解決していかれるようにしよう!
 みたいな考え方です。

 70年代後半になって『在宅福祉』という概念が提唱されました。
 それまでは施設が中心で、
 人生の最期を施設の中で終えるみたいな
 そんな考えを打ち破っていこうという動きが始まりました。

 90年代前半になると
 『住民参加型の福祉』という概念が提唱されました。
 なんか今では当たり前になっていますが
 ボランティアやNPOなどが
 全国各地でさかんに活動を始めたのがこの頃でした。

 そして、やっと90年代後半になって
 『利用者主体・当事者主体』という概念が提唱されてきます。

 こんな4つの流れを集大成・再定義したものが
 『地域福祉』というものなんです。

 今ではこんな4つの考えなんて
 当たり前すぎるくらいフツーのことですよね?

 でも、40年かけてやっとここまで福祉は歩んできたのです。

 それらを推し進めていくためにも
 自分が少しでも力になりたいなあと思います。


● 市立総合高校の福祉系列

 午後からは教育委員会にヒアリング。

 横須賀にたった1つだけある市立高校である『総合高校』には
 『福祉系列』という選択科目があるのですね。

 『系列』というのは、こんな感じです。
 約10もの系列があって、
 大学みたいにいろいろな科目を選ぶことができます。

 福祉系列、というのは
 福祉に関心がある、あるいは将来に福祉職になりたい、
 という生徒たちが2〜3年次に選択することができる科目群のことです。

 今日はそれらについて
 いろいろとお話をうかがいました。

 科目の名前で言うと、

 ・社会福祉基礎

 ・社会福祉制度

 ・いのちとこころのノート

 ・基礎介護

 ・社会福祉実習

 ・福祉家政学


 などです。

 フジノ的には、これらの科目を
 「自分が高校時代にこんな科目を受けれてたら」
 「うらやましいなあ」という気持ちです。

 シラバス(授業の内容)を読む限り、
 かなりうらやましいです。

 あとは実習について詳しくお話を
 改めてうかがう予定です。

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 先日も書きましたが、フジノは改めて徹底的に
 社会保障・社会福祉行財政を勉強しています。

 そんな中で、今後の課題として大切なのが
 「専門性の高い福祉職を量的に多く育成していくこと」です。

 かねてから、保健所の精神保健福祉班の方々に
 国家資格である『精神保健福祉士』を全員取得してほしい、と
 提案したりしてきました。

 あるいは、福祉カンケーの職場に就く市職員は
 3科目主事と揶揄される社会福祉主事ではなくて
 さらに専門性の高い『社会福祉士』であるべきだと提案しています。

 最終的には市役所に
 『福祉職』採用をしてほしいと提案してきました。

 (後日談:フジノのこの政策は実現しました!)

 それも全ては
 限られた財源の中で最も良いサービスを
 提供できる体制を作っていくためです。

 上に書いたことは市役所の中だけのお話です。

 しかし、総合高校の福祉系列の今後の在り方というのは、
 市役所にとどまらない
 「広く日本社会全体で質の高い福祉職を数多く生み出す」
 という戦略を進める上で、とても有効なことだと思います。

 詳しいヒアリングをした上で
 さらに提案できることがあれば提案したいと思っています。


● 自殺対策の横須賀の取り組みがテレビで褒められました!

 市民の方から頂いた情報なのですが
 今日、テレビ神奈川の18時のニュースの解説コーナーで
 横須賀の自殺対策の取り組みが取り上げられて
 褒められたそうです。

 素晴らしい!

 そうなんです。横須賀はがんばっているんですよ。

 昨日も『うつ対策』の講演会が
 開かれたばっかりですし、
 横須賀の自殺対策は確かにがんばっています。

 フジノもこないだ
 県内の他市の職員さんから

 「横須賀の自殺対策はすごいですね!」

 って褒められたんですよね〜。

 こういう地道な活動を
 ちゃんと評価してくれる人がいることは
 本当にありがたいです。

 これからもがんばっていきますから
 どうか注目していてくださいね!



2006年7月23日(日)のフジノ
● 久しぶりの一人勉強合宿

 以前から数ヶ月に1回くらいの割合で
 ホテルにひとりでこもって勉強をしまくるという『一人勉強合宿』
 やってきました。

 意図した訳じゃなかったのですが
 昨日の夜は、ほぼ徹夜して勉強(3冊の本を読み終えました)、
 久しぶりの一人勉強合宿となりました。

 というのも、宿泊したホテルの部屋が
 ゆりかもめと同じ高さで、うるさかった...。

 終電が終わってからも
 道路に近い高さだったせいでうるさくて...。

 会社員時代から愛用してきたホテルなのですが
 こんな事態は初めて(涙)。

 ふだんは自分でインターネット予約して
 部屋の高層階だとか禁煙だとか自分で指定できるのですね。
 (しかもネット予約だと安いのです)

 今回は、国際会議と宿泊がセットになっていて
 旅行会社が指定した部屋に泊まらなければならなかったので
 こんな事態になってしまいました(しかも値段が高い)。
 うーむ。

 でも、まあ、外がうるさかったおかげで
 社会保障の本を音読したりして
 ただ黙読するよりも
 とてもアタマに入りました。

 朝も再び勉強。

 このホテルはお昼12時にチェックアウトすれば良いので
 かなり翌日も時間を有効に使うことができます。

 障がいのある方の福祉制度と
 介護保険の統合について
 改めてメリット・デメリットをじっくりと考えました。

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 けさ、チェックアウトする時に
 偶然にナミねぇにお会いしました。

 同じホテルだったのですね。

 「ナミねぇ、おつかれさまでした。
  来年もまたお会いしましょうね」

 と声をかけて、別れました。

 でも、フジノ的な勝手な予感なのですが
 今年中にもう1回、ナミねぇにお会いする気がします。
 (なんかこのカンは当たりそう)


● 会社員時代の元バイトの結婚2次会へ

 会社員時代、職場には
 約100人の大学生アルバイトたちがいたのですが
 フジノは入社1年目から
 バイト担当をやらせてもらいました。

 彼ら/彼女らとの仕事は年齢が近かったこともあり
 「仕事には徹底的に厳しくあるべき」という
 フジノのポリシーを貫いたのですが
 仕事を終えれば、とても親しくさせてもらいました。

 こんなにもモチベーションが高く働くヤツらはいない!

 というくらいに、フジノにとって
 バイトたちは誇りを感じる仲間たちでした。
 一緒に働くことができた数年間を本当にうれしく憶えています。

 そんな彼ら/彼女らも
 ここ数年は結婚する人たちが増えてきました。

 しかも、当時から交際していた同士が
 結婚する(だから交際8年とか7年とかですね)カップルが
 何組もあります。

2006年7月27日神奈川新聞社説  今日の新婚カップルは
 フジノが仕事をする時に
 最も信頼していた
 男子バイトのうちの1人です。

 だから2人の結婚が
 本当にうれしく、
 良かったなあとしみじみと
 思ったのでした。

 異動が決まって、送別会をやってもらった時、
 僕は本当に異動がイヤで泣けました。

 フジノは体育会系キャラでは無いのですが
 男子バイトらとがっしり抱き合って
 おいおいと涙を流したのでした。

 (もちろん、最後は胴上げです)

 それくらいに誇りをもって働いていました。

 世の中には本当にたくさんの人々が
 働くことをつまらなくて苦しいものと感じていることを知っています。

 だから、僕は本当に恵まれていたと思います。

 今、政治家になってしまって
 基本的には何もかも1人きりで判断する立場にいます。

 かつてのようにバックアップしてくれるバイトもいないし、
 チームワークで乗り切れるようなこともありません。

 そんな昔の日々を懐かしく思うこともありますが、
 むしろかつてを良き記憶としてこころにとどめて
 今をひたすら全力でがんばりたいと思います。


 どうか2人がいつまでも幸せでありますように。



2006年7月22日(土)のフジノ
● 第11回チャレンジド・ジャパン・フォーラム(CJF)2006へ

 CJFへの参加も今年で3回目となりました!

 憧れのナミねぇ本人に初めて会うことができた3年前の第9回

 障害者自立支援法案への怒りでいっぱいになった
 昨年の第10回(1日目懇親会2日目)。

 今年は過去2回に比べると
 穏やかな気持ちで向かいました。

ナミねぇとフジノ  懇親会にてナミねぇと。

 自分でケータイを持って撮るので
 写りが悪くて悔しい...。

 (3年前と同じこと書いてますね)

 ナミねぇに会えるとうれしい気持ちは
 数年前から全く変わりません。

 今日もまたフジノは障がいのある人の福祉への取り組みを
 もっともっとがんばっていかなければ、と初心に帰りました。


● 目指す社会を実現する手段が異なる、だけなのか?

 でも、昨年も書いたけれども、尊敬するナミねぇとフジノは
 『障害者自立支援法』に対する考え方が全く違っています。

 フジノはこの法律を
 今からでも廃止すべきだと考えています。

 ナミねぇは、この法律を作った1人と言っても
 過言では無い立場です。

 その立場の違いは、確かにフジノのこころを痛めます。

 昨年からよく考えるのが

 「どうやってこの事実を捉えるべきなのだろうか」

 ということです。

 ナミねぇとフジノの目指している社会像(=目的)に
 少しも違いがあるとは思えません。

 けれども、その社会を実現する手段が
 残念なことにどうもかけ離れてしまったと感じます。

 目的を実現するための
 手段はたくさんある方が健全です。

 ただ...。

 まだどう受け止めるべきなのか
 率直なところ悩んでいます。

 久しぶりにお会いできたナミねぇは

 「フジノくん、変わらないねえ」

 「今度じっくり話そうね」

 と、いつものナミねぇでした。

 僕はプライベートで起こった変化をいくつかお話して
 なごやかにお別れしたのでした。


● 時代と社会状況で変化する『社会保障』『社会福祉』

 ここ数ヶ月、必死になって
 社会保障・社会福祉行財政・福祉政策論を勉強しています。

 そもそも障害者自立支援法が作られたことは
 財政赤字が増えすぎたことが原因だと言われています。

 このように、その時代・その時々の財政状況をはじめとする
 社会状況やいろいろな条件によって
 社会保障・社会福祉の在り方は
 これまでも
 大きく変化してきました。

 障害者自立支援法にどうしても納得できないフジノは
 この社会状況の変化によって起こっている(かもしれない)
 新しい社会保障・社会福祉への変化に
 ついていけてない、のでしょうか?

 それとも、時代が変わっても変わるべきではない
 普遍的な福祉像というものがあるのでしょうか?

 (フジノは「ある」と信じています)

 そんなフジノの葛藤を
 しっかりと解決していくためには
 ひたすら勉強していくことしかないと考えています。

 だから、ものすごく勉強しています。

 もしかして、勉強したその先には、
 ナミねぇと同じ結論が待っているかもしれません。

 あるいは、やっぱり勉強してみても
 今のフジノと変わらない結論が出るのかもしれません。

 ともかく今のままではなくて、
 もっと知識を得て、もっと考え抜いた末に、
 見えてくる社会保障・社会福祉の姿がどんなものなのかを
 早く知りたいと思います。


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