まちの政治家は、こんなことしてます政治家フジノの活動日記


2008年4月25日(金)のフジノその2
● 現場のドクターと、もっと語りあいたい

 市内の病院で内科のドクターをしていらっしゃる方と
 たまたま知り合いになって、
 今夜、30分ほどお話をすることができました。

 日頃から、医療の現場の想いを日頃から受けとめて
 市議会でこれまでも発言してきたつもりですが

 やっぱり現場で患者さんの命と直接に向きあっている
 ドクターご本人の想いをうかがえることは
 フジノにとって、とても大切な機会です。

 今夜うかがったお話は、

 医療の現場で働く人々と
 福祉の現場で働く方々の連携の必要性


 についてでした。

 例えば、特別養護老人ホームで暮らしている
 認知症の高齢者の方が病気になって、病院に入院したとします。

 治療が終わって退院できる時期になっても
 特別養護老人ホーム側が再発を恐れて引き取ってくれない、
 ということがしばしばあるそうです。

 そんな時にドクターが感じることは
 こういう追い込まれた状況では冷静に対話もできないので
 ふだんからもっとコミュニケーションが取れていれば
 良かったのに、ということだそうです。

 一方で、フジノが市民の方からうかがったお話では、
 全く逆のケースもありました。

 ご家族や施設の職員の反対を無視して
 病院を退院させられて
 まだ治療が十分に終わっていないのに施設に戻された高齢者の方が
 施設に戻ったわずか2日後に亡くなってしまった、
 というケースをフジノは相談を受けたことがあります。

 どちらの場合にしても
 こうした事態が起こるのを防ぐ為には
 医療職も福祉職も、お互いに理解しあう必要があります。

 顔と名前がお互いに一致するくらいに
 ふだんからコミュニケーションが取れていれば、
 誤解や意思疎通の困難が必ず減っていくはずです。

 今は、医療の現場で働くドクターをはじめとする方々と
 介護や福祉の現場で働く福祉職の方々とが
 情報交換や意見交換をする場が全く存在していないそうです。

 だから、医療と福祉がもっと顔の見えるカンケーになれるように
 政治・行政がサポートしてほしい、と要望されました。

 フジノもこの要望にとても賛成です。

 在り方としては、私的な集まりでもいいと思うのです。
 公的な場ではなかなか本音も出づらいかもしれません。

 ぜひドクターの方々で
 こうした場を持ちたいという方はご連絡ください。
 フジノの側は、福祉の現場の方々をご紹介できると思います。

 もっともっと三浦半島の保健・医療・福祉が良くなるように
 みんなでネットワークを作っていきましょうね!


● 市立2病院のドクター・看護師・職員の交流を提案しました

 実は、こうしたネットワークづくりについて
 いろいろな形の在り方を提案してきました。

 福祉の現場で働く方々、
 特に高齢者の介護現場で働く方々は別の施設で働く方々と
 ほとんど交流が無いということについて
 場づくりを提案しました。

 (施設長クラスになると施設長会議があるそうですが
  若手クラスにもフェイストゥフェイスのカンケーが持てるといい、と
  考えたのです)

 また、医療と看護についても
 横須賀市には2つの市立病院があることをメリットと捉えて
 交流や合同研修を通しての連携について
 2年前に提案しました。

 (2006年3月8日・民生常任委員会より)






 まず、2病院の連携の推進ということで、
 確認をしたいことが1つあるのですが、

 市民病院とうわまち病院は同じ市立病院ということで、
 こういった連携も進めてきていると思うのですが、

 2病院間のドクターや職員の交流や合同での研修などは
 行なっていらっしゃいますか。










 ドクター同士の交換会というのはございます。

 横須賀・三浦の小児科医会というのがございまして、
 これが年間に5回か6回開かれていると思うのですが、

 ここで勉強会などをやっておりますし、
 お互いに情報交換会をそこでやっております。








 それは、例えば、
 2つの病院の中で異動が相互にある
 などということでは無いのですね。










 特に異動があるからという形ではございません。

 小児科医会というものの中で、
 勉強会、情報交換会をやっております。








 医局制の弊害の話が昔からよく出てきているとは思うのですが、
 2病院体制になってさらにドクターの確保が必要という話の中で、
 外からドクターを連れてくるということも
 だんだんできるようになってきているので、

 2つの病院の間で人事交流などができれば、
 また違った動きができるのではないか


 と思って質問いたしました。

 これについては、
 看護師もそれが行えれば職域が広がるのではないか

 片や慢性期も見る、
 片や急性期を集中的に見るという意味で、

 離職者対策にもなるのではないかと考えているのですが、

 今後、そういったことについては
 検討される余地はありますか。










 先ほどの言葉が足りませんで、申しわけございませんでした。

 ドクターだけの医会と、それから、
 あとは勉強会のときは看護師も呼んで開いておりますので、

 そこでお互いに情報交換などもやれるのではないか
 と思っておりますが。








 勉強会に加えて、
 人事交流
のようなものというのはいかがですか。










 市民病院が市の直営で、
 うわまち病院は平成18年度から協会の指定管理ということで、
 組織がまず違うわけですから、
 人事交流というのはなかなか難しいのではないかなと思います。

 とりあえずは、情報交換的な形で進めていくというのが
 現実的ではないかなと思っております。

 現に、一部ではそういったことも行われている
 ということでございます。








 運営形態が異なるというのもよく理解しているのですが、
 同じ市立病院としてそれぞれ共通の問題を持っていて、

 例えば
 電子カルテの導入についてはうわまち病院が先んじている、

 そういった場合には
 市民病院から派遣をさせていただいて、

 実際にうわまち病院で働きながら研修をする
 ということがあってもいいと思います。

 そんな連携も視野に入れておいてもらえたらと思っております。



 政治家は、いろいろな立場の方々をつなぐことができる
 恵まれたポジションにいる存在です。

 だからこそ、異業種の方々を
 積極的につなげていきたいと思いますし
 そうすべき責任もあると考えています。

 カフェトークの場も、まさに異業種交流の場になっていますが
 それ以外にも日常的に
 『つながり』を作る活動をしていきたいと思います。



2008年4月25日(金)のフジノ
● 大学院を休学します

 みなさまが選挙の時に投票する判断基準が
 立候補者の『経歴』や『学歴』だとは僕は全く思いません。

 けれども、公人である以上、
 選挙公報などでお知らせしてきた『経歴』が変わる時には
 やはり説明責任が発生するのではないかと、ある方から指摘されました。

 そこで、報告いたします。

 昨日24日付けで、大学院から正式に
 『休学の許可』(1年間)が出ました。

 僕は、2008年4月から2009年3月末まで
 大学院を休学することになりました。

 大学院に在学中であることは変わりませんが
 あくまでも『休学中』という立場に変更となりましたので、
 みなさまに報告させていただきます。


 経済的な理由と、時間的な理由とで
 仕事と大学院を両立することが
 どうしてもできなくなってしまいました。

 この数ヶ月間、大学院を退学すべきなのか
 悩み続けました。とても苦しかったです。

 大学院進学を決意した理由である
 その研究をこころから尊敬している先生にも
 相談にのっていただいて

 退学ではなくて、
 休学とさせていただきました。

 どうしても辞めたくなかったので、少しだけホッとしました。


● 人はいつ夢をあきらめるのか

 両立なんて最初からムリだったんだ、と
 カンタンに言う人もいますが、
 どうしても僕は大学院で学びたかったのです。

 自分の人生の『最後の夢』だと思ってきました。

 大学院で自殺予防対策の研究をしたい。
 もっと福祉政策を学びたい。

 僕はこの夢をどうしても捨てることができません。

 4年前、初めて大学院に進学したいという夢を持った時、
 「これは僕の最後の夢なのだ」と感じました。

 幼い頃から僕は
 自分の為の夢を実現したことがなくて、

 他人の為に良かれと思えば、
 自分の夢を抑えて想いをあきらめて
 選ぶ進路も変えてきました。

 例えば、進路のことだけを挙げてみれば、
 高校進学の時には経済的な理由から
 志望校をあきらめて、全く別の高校に進学しました。

 大学進学の時も、自分の学びたかった学問を捨てて、
 精神障がいと向き合う為に僕は心理学を専攻しました。

 政治家に転職する時も、大好きな映画会社を辞めて
 自殺予防対策の為に立候補しました。

 『やらなければならないこと』を優先させて
 『やりたいこと』は後回しにしてきました。

 何年間も大切にしてきた想いを捨てるのは
 毎回とてもさみしかったです。

 いつも「しかたがない」「これも人生だ」と
 自分を納得させてきました。

 でも、実現できる可能性が目の前にいつもあったのに
 いつもあきらめるしかなかったという挫折感を引きずりながら
 生きていくのはとてもむなしいです。

 それが、もう1度、本当にやりたいことに出会えたのです。

 30才を超えて夢を語る年齢でも無いだろう、と
 まわりからは笑われるのでしょうが、
 僕は「学びたい」とこころから想ったのです。

 努力が実って大学院への入学が決まった時(06年9月)には
 政治家を辞める決心が固まっていました。

 けれども、僕個人の想いには反して
 再び立候補をしなければならなくなり(07年4月)、
 政治家になりました。

 自分の為にやりたいこと(=大学院で学ぶこと)と
 他人の為にやらなければならないこと(=政治家として活動すること)の
 板ばさみに再び追い込まれてしまいました。

 だから、昨年4月の入学式の様子を記した活動日記
 改めて今読み返してみると、

 大学院に入学したのは政治家としてさらに専門性を高める為だ、
 という強気の言葉が繰り返し書かれていますが

 『やりたいこと』と『やらねばならないこと』に
 板ばさみのこころの矛盾を
 自分自身から覆い隠す為の強がりのむなしいセリフとしか
 今は感じられません。

 今、僕の暮らしは『やらねばならないこと』一色に染まってしまい、
 『やりたいこと』をまたも捨てねばならなくなりかけています。

 でも、今回だけは諦めたくないのです。

 現在の状況が、来年になったら突然に変わるとは思えません。
 それならば、退学するのが本来の筋だとは思います。

 けれども、『やらねばならないこと』だけで
 この人生を終えるのは、どうしても僕はイヤなのです。

 人はいくつになったら、夢を完全に捨てて
 目の前の現実の為だけに
 生きていかねばならないのでしょうか。

 もしかしたら、そんな年齢に
 とっくになっているのかもしれません。

 それでも、それでも...。



2008年4月24日(木)のフジノその2
● かかりつけ医と精神科医の連携が横須賀でも動き出した

 今夜は、セントラルホテルへ。

 横須賀市医師会、横須賀三浦精神科医師会、明治製菓(株)
 3者が共催した、画期的な学術講演会に参加してきました。

 タイトルは『急増する現代うつ病に対する医療対策』、
 そしてサブタイトルは『かかりつけ医と精神科医の連携』です!

 つい先日もこの活動日記(4月18日)で、
 自殺予防対策をすすめる為には
 かかりつけ医と精神科医の連携が不可欠だと書きました。

 この学術講演会は、この連携をまさに実現する為の活動です。
 横須賀・三浦のかかりつけ医のみなさんを対象にして

 うつ病と自殺に対する知識の提供と
 かかりつけ医と精神科医の連携の必要性を伝える為の
 講演会なのです。

 秋田県や静岡県富士市で先進的に進められてきた動きが
 この横須賀でも始まっているのです。

 本当に、とても素晴らしいことです!

 この活動を推進して下さっているのは、
 横須賀三浦精神科医師会(三浦半島の精神科医の会)の会長である
 大滝紀宏先生(湘南病院副院長・精神科医)です。

 もちろん大滝先生は
 横須賀市の自殺対策連絡協議会のメンバーです。

 大滝先生
 です。

 三浦半島の自殺予防対策をすすめる上で
 熱い想いと強い行動力をあわせ持つ大滝先生の存在は
 まさに不可欠です。

 精神障がいへの理解をすすめて早期発見につなげる為にも
 小中学校の健康手帳に精神疾患について
 新たにページを加えてほしい、とかつてフジノは提案しました。

 その必要性を誰よりも深く理解して下さったのが大滝先生です。

 新たに『こころの健康』のページを実現することができたのは
 大滝先生のご尽力のおかげなのです。


● 約70名のかかりつけ医のみなさまが参加してくれました

 天候も雨と恵まれず、開会は19時半と遅い時間帯でしたが
 学術講演会には約70名もの
 かかりつけ医の方々が参加して下さいました。

 さらに、自殺対策連絡協議会のメンバーをはじめ、
 市の保健所からは精神保健福祉担当のみなさんも参加していました。

 会場では、かかりつけ医(=一般診療科医、プライマリケア医)の為の
 わかりやすい軽症うつ病の診断・治療ガイドなどのパンフレットや
 うつ病に関するDVDが配布されました。

 左はパンフレット。 

 フジノもDVDサンプルを頂きました。

 毎日の診療でとても忙しいかかりつけ医のみなさまに
 インターネットによる動画で
 うつ病・自殺予防対策についてをはじめ、
 かかりつけ医と精神科医との連携の必要性などを
 わかりやすく紹介していて、とても有効だと感じました。

 左がそのサイトを
 紹介する
 パンフレットです。

 学術講演会は、大きく3つのプログラムでした。

 まず、明治製菓(株)学術部の方によって
 日本の自殺の現状についてや
 うつ対策の重要性、抗うつ薬の有効性などが語られました。


 続いて、本日のメインである
 山田和夫先生(東洋英和女学院大学教授・横浜クリニック院長)による
 講演が行なわれました。

 山田先生は、日本うつ病学会の監事でもあり、
 先日フジノが参加してきた
 日本自殺予防学会の総会でも座長を勤められるなど、
 わが国のうつ病・自殺予防対策に取り組む中心人物のお1人です。


 山田先生の分かりやすくかつ
 時事性に富んだお話によって

 うつ病・自殺予防対策にとってかかりつけ医の存在は
 地域でのゲートキーパーとして大きな役割を持っていること、と
 精神科医との連携の実現が重要であることが
 参加者のみなさまに理解していただけたと感じました。


 最後のプログラムは質疑応答でしたが、
 参加者(=かかりつけ医)の方々から
 とても熱心な質問が出ていました。

 この集まりにお招きいただいて
 自殺予防対策を推進することが悲願のフジノは
 すごく胸が熱くなりました。

 また、こうした学術講演会は
 すでに来月も行なわれます。

 こういう活動の積み重ねこそが
 自殺を確実に減らす大きな力になっていくのです。

 大滝先生をはじめとする横須賀三浦精神科医師会と
 横須賀市医師会の協力によって

 かかりつけ医と精神科医の連携は必ず進んでいくはずです。

 ぜひ、自殺に追い込まれる人々を守るゲートキーパーとして
 地域のかかりつけ医のみなさまには
 自殺予防対策へのご協力を
 今後ともこころからお願いしたいと思います。

 大滝先生をはじめとする横須賀三浦精神科医師会のみなさま、
 雨の中を参加して下さった横須賀市医師会のみなさま、
 共催して下さった明治製菓(株)のみなさま、
 本当にありがとうございました。


● それでも、死なないでほしいと僕は願っています

 横須賀の自殺予防対策は
 こうやって少しずつ確実に進んでいます。

 今、わが国では硫化水素による悲しい自殺が相次いでいます。

 けれども、僕たちは、政治も行政も、精神科医も一般科医も
 本気で必死に自殺を無くしたいと願って活動しています。

 あなたの苦しみや痛みや孤独に
 少しでも寄り添いたいと願って、毎日必死で活動しています。

 どうか、死なないで下さい。

 僕たちは、あなたが生き続けてくれることを
 こころの底から願っていますから。

 いつも片時もその願いを忘れたことはありません。

 どうか、死なないで下さい。



2008年4月24日(木)のフジノその1
● 2女性殺人未遂のアメリカ兵に懲役10年を求刑/馬堀海岸駅前の事件

 4月17日に続いて、今日は3回目の公判を傍聴してきました。

 事件は、去年7月5日に馬堀海岸駅前の住宅で
 アメリカ兵が起こした2女性の殺人未遂です。

 今回は、被告が受けるべき刑罰を
 検察側が裁判所に述べる『論告求刑』が行なわれました。

 場所は、横浜地方裁判所横須賀支部です。

 今日はマスコミも多く、
 ほぼ報道全社が
 傍聴に来ていました。

 裁判の始まる前には
 NHKによる撮影も
 ありました。

 第1法廷の傍聴席は
 半分以上
 埋まっていました。

 まず、検察側が改めて今回の殺人未遂について
 被害者が受けた被害の重さ、
 被告が取った行動、情状の余地の有無、を述べました。

 ウイリアムス被告が凶器として使った
 ステーキナイフは、刃の長さが11.5cm、幅が1.5cmです。

 このナイフをAさんのみぞおちに
 肝臓を貫通するほどに強く突き刺したのです。

 ナイフのほぼ全てが
 腹部に突き刺さっていました。

 Aさんの供述書を読みあげた
 検察の言葉はショッキングでした。

 ウイリアムス被告は、Aさんを刺す直前まで
 そのナイフで爪の手入れをしていました。

 家に来る約束があった訳でもなく
 事前の連絡もなく突然に訪れてきたウイリアムス被告は

 先に遊びに来ていたアメリカ兵たちが帰った後も
 1人、居残って帰ろうとしないので

 「帰ってほしい」と言うAさんと言い合いになって

 「10分以内に家から出て行って!」

 とAさんが言った直後、

 ウイリアムス被告がぶつかってきて
 お腹にドンと衝撃があった最初の瞬間、
 Aさんは「殴られたのかな?」と感じたそうです。

 次の瞬間、さっきまでウイリアムス被告が
 ナイフを持っていたことが頭をよぎって、
 「まさかあのナイフで刺されたの...?」と恐怖を感じて

 呼吸をしようとした瞬間、Aさんは息ができなくて
 ああ、やっぱり私は刺されてしまったのだ、と分かったそうです。

 そして倒れこんだAさんの上に覆いかぶさったウイリアムス被告は
 Aさんの口に指をおしいれて、口をふさごうとしました。

 必死に抵抗したAさんは、
 下の階にいたBさんの名前を叫びました。

 Aさんがレイプされているのかと思って
 助ける為に急いで上の階にあがってきたBさんは、

 その様子を目の当たりにして逃げようとしたものの、
 階段から転げ落ちてしまいました。

 立ち上がってきたウイリアムス被告は
 階段から落ちたBさんの全身を17ヶ所も刺しました。

 Bさんの傷も深く、5.5cm、7cm、8cmもの深さでした。
 右肺は気胸の状態(肺に穴があくこと)になり、

 腕の腱が断裂させられたせいで
 事件から9ヶ月が過ぎた今もリハビリに通っているそうです。

 事件の後遺症のせいで
 めざしていたヘアメイクアーティストの夢を
 諦めざるをえなくなってしまいました。

 (この夜、BさんがAさんを訪れていた理由は
  夢を実現する為に通っていたヘアメイクの専門学校の
  卒業制作のモデルをAさんにお願いしていて
  その準備をする為だったのです)

 今も襲われた時の光景がたびたびフラッシュバックして、
 電車に乗っても男性が恐ろしく、
 エレベーターでも男性と2人きりになると
 逃げたくなってしまうそうです。

 Bさんのお母さんの供述も、フジノの胸を打ちました。

 嫁入り前の娘を大きく傷をつけられたこともつらいけれど、
 娘がその傷を見るたびに事件を思い出して苦しむことが、つらい。

 逮捕されてからのウイリアムス被告の供述は
 警察の取調べに対しても、

 捨てたナイフの場所はウソを言い、
 (Bさんを追いかけていった洗面所で捨てたと供述したが、
  実際には玄関の方に隠してあった)

 事件現場の写真を見せられても

 「血ではなくリンゴジュースだ」「友人が刺しあった血の跡だ」

 などと述べました。

 こんな状況であるにもかかわらず、
 事件後、アメリカ軍は、見舞金を2人に5万円ずつ、
 合計わずか10万円を支払ったのみです。

 こうした事柄を検察側はひととおり述べた後、

 ウイリアムス被告は再犯の可能性が高く
 情状酌量の余地はなく
 長期に渡る施設内処遇がふさわしいとして

 懲役10年を求刑しました。


● 弁護側は、アメリカ軍の教育体制の問題だと指摘

 これに対して、弁護側の最終弁論は

 前回と同様に、情状酌量の為に
 ウイリアムス被告の生育歴を述べました。

 両親が離婚したこと、
 引き取った母親がすぐに亡くなってしまったこと、
 その後に引き取った父親が虐待をくりかえしたこと、など。

 さらに、正義を求めて将来は警察官になりたかったウイリアムス被告は
 その夢の実現の為にアメリカ軍に入ったが

 実際のアメリカ軍での軍隊生活は
 イメージしていた世界とは全く違っていて

 任務は全て艦内でのもの、地味なものばかり、
 個室は与えられず50人の大部屋での生活、
 勤務終了後の自由時間にもストレス発散はできない。

 アメリカにはウイリアムス被告が妊娠させた女性がいて
 生まれたこどもの養育費をめぐってトラブルがあった。

 ストレスがたまったウイリアムス被告は
 基地へ戻る門限をしばしば破り、上司に叱責された。

 そんな時にAさんと出会って、信頼した。

 7月4日の独立記念日の夜、
 孤独とストレスを抱えたウイリアムス被告はAさんに会いたくなり
 事前の約束もなくノーアポで訪れると

 知らないアメリカ兵がそこにはいた。

 彼がいなくなるまでねばったものの
 基地に戻る門限は過ぎていた。

 彼がいなくなれば2人きりで過ごせると思ったものの
 Aさんに

 「用事がある。仕事があるから帰って」

 と言われて

 「もう少しいさせてほしい」

 と頼んだものの

 「10分以内に帰って」

 と言われて、ウイリアムス被告はAさんを刺した。

 弁護側は、「殺意は無かった」と述べました。

 続いてBさんを刺したことも
 「こどもが大人に対してやつあたりをするようなもの」と述べました。

 両親に恵まれなかったウイリアムス被告は
 精神的に未熟で自己の感情をコントロールできなくて
 ストレスが爆発して犯行に及んでしまったのだ、と。

 そして、そうしたストレスは在日米海軍の独身男性は
 みな多かれ少なかれそのストレスを感じている。

 ウイリアムス被告たった1人だけでは
 そのストレスを防ぐ事はできなかった、と弁護側は述べました。

 したがって、検察側の求刑(懲役10年)は長すぎる、
 減刑すべきだ、という主張を述べて、最終弁論は終わりました。


 アメリカ軍の教育体制への批判にフジノは賛成ですが
 それ以外の3分の2については、弁護側に全く賛成できませんでした。

 特に、被害者であるAさんを批判することの多さや
 ウイリアムス被告の犯罪を正当化しようとする理屈の多くが
 あまりにも非合理的でした。

 最終弁論が終わると、裁判長が被告人を前に呼んで
 審理はこれで終わるけれども述べておきたいことはあるかと
 ウイリアムス被告に尋ねました。

 ウイリアムス被告は反省の言葉を述べて、
 今でも被害者である彼女たちの為に毎日涙を流しています、と
 言葉をしめくくりました。


● アメリカ兵の犯罪を無くす為に

 弁護側が主張した3分の1は
 フジノは賛成でした。

 それは、孤独やストレスがウイリアムス被告を
 今回の犯行に追い込んだ、という部分です。

 こうした主張の共通点は
 すでに2007年11月29日の本会議でフジノは訴えています。

 孤独は、人を自殺に追い込むこともあれば、
 人を殺すように追い込むこともあります。それは世界共通です。

 また、世間がお祝いで一色になっているような時期ほど
 孤独は深まってしまう、ということも。

 今回の事件が起こったのは7月4日の独立記念日の夜から
 7月5日の早朝にかけて、です。

 アメリカ人にとっての独立記念日は大きな記念日です。
 横須賀のアメリカ軍基地でも花火があげられ、
 たくさんの人々が祝いあいます。

 そんな中でウイリアムス被告が孤独を深めたことは
 フジノには、十分に理解できます。

 人はみな同じです。
 文化が違っても言語が異なっても同じなのです。

 けれども、それでもふつうの横須賀市民とアメリカ軍兵士が
 決定的に異なるのは

 アメリカ軍の兵士はふだんから
 他人を殺すようにトレーニングされているということです。

 常人とは違うのです。

 だからこそ、アンガーマネジメントもそうですが
 孤独や怒りやストレスに対して
 アメリカ軍は兵士たちを
 もっとしっかりと教育しなければならないのです。

 そうした教育対策が全く機能していないから、
 何度も何度も凶悪犯罪が繰り返されるのです。

 アルコールを飲んだことで
 孤独や怒りをコントロールできなくなってしまうのであれば、
 アメリカ兵の基地外への外出を禁止すべきです。

 (2007年11月29日・本会議・市長への一般質問)






 また、いくつかの裁判を傍聴してきましたが、
 そのたびに感じることは、
 加害者もまた「ふつうの人間」である、ということです。

 犯罪をおかす加害者の大半は
 ふだん日常生活を
 誰もが同じように過ごしているのです。

 しかし、問題は、そうした「ふつうの人間」が
 犯罪をおかす瞬間には「モンスター」になる、ということです。

 アルコールによって理性のたががはずれて、
 あるいは孤独や焦燥感に襲われて
 「ふつうの人間」が「モンスター」になるのです。

 ただし、ふつうの日本人とアメリカ兵が異なるのは
 彼らが日常的に人を殺す為の訓練を受けていて
 体格も大きく筋肉質で、殺傷能力が高いということです。
 ひとたび犯罪をおかせば残虐なものになる可能性が高いのです。

 だからこそ、アメリカ軍は
 アメリカ兵による犯罪の発生を未然に防ぐ為にも
 飲酒制限、教育プログラム、パトロールなどを
 ふだんの時期以上に強化して
 しっかり行なうべき義務があるはずです。

 まもなく年末年始になり
 飲酒の機会がふだん以上に多くなります。

 また、たくさんの人々が幸せそうに過ごす時期に
 孤独を抱える人々は鬱積した感情を爆発させやすくなります。

 犯罪が起こりやすくなる時期と言えるでしょう。

 もしもアメリカ軍がAさん撲殺事件を反省しているならば
 同じ過ちを再び起こさせない為の真摯な努力を
 行動で示すことが必要です。



 ウイリアムス被告の裁判を傍聴していて
 改めてフジノの想いは

 ・殺人は加害者本人が何よりも悪い

 けれども

 ・アメリカ軍の犯罪の多くは、対策を取れば防げたはず

 この2つです。

 今回の事件も、組織としてのアメリカ軍の責任は重く、
 アメリカ軍の対策がしっかり取れていれば
 こんな凶悪犯罪は無かっただろう
 と改めて感じました。



2008年4月23日(水)のフジノ
● 知的障害者更正施設『横須賀ヘーメット』を見学しました

 2月22日に雑誌の特集記事で対談を行なってから
 フジノは今年の目標を1つ、増やしました。

 それは、

 今年は知的障がいのある方々と徹底的に交流させてもらおう!

 です。

 そこで、知的障がいのある方々のご家族をはじめ、
 障がい福祉関係の方々にお願いをして、
 予算議会の終了から実行に移しはじめました。

 今日はその第3弾です。

 知的障害者更正施設『横須賀ヘーメット』
 見学させていただきました!


 ヘーメットとは、ホームのこと。

 『家』という意味の
 スウェーデン語です。

 場所は、国道134号線の
 横須賀市と三浦市との市境の
 ちょっと手前、
 長井1丁目にあります。

 2001年4月にオープンしました。

 国道から見えるグリーンの屋根のきれいな建物で
 初めて行ったのですが、すぐに分かりました。

 中に入ったのは初めてですが、建物を見たことは何回もありました。
 きっと市民のみなさまも見たことがあるはず。

 とても広くて、日当たりも良くて、いい感じ。

 こちらが
 入り口です。

 主に18才以上の知的障がいのある方々が

 この施設で暮らしたり(=入所)
 自宅やグループホームから通いながら(=通所)

 毎日の暮らしの中で必要な介護を受けたり、
 生活や作業の指導を受けたりするのですね。

 (以下、文章は明日以降に「つづく」です)













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