まちの政治家は、こんなことしてます |
2008年3月27日(木)のフジノ | ||
● いのちの息吹をたくさん深呼吸して、再び歩く 今日は、夜から平塚市議会議員の江口友子さんが主催する 自死遺族の方の講演会に参加する予定でした。 そこで、 「昼間はできるだけ、外の晴れた太陽のもとにいよう」 と決めました。 失われていくいのちと毎日のように向き合い続けると こころが動かなくなるくらいに凍えたようになることがあります。 悲しみや憎しみや怒りによってこころが凍えてしまうことはあっても、 決して永久凍土のようになってしまってはいけません。 僕たちは憎しみの為に生きていくべきではないし、 悲しみはいつもそこにあっても 決して人生丸ごとを のみこまれてしまうべきではない、と思うのです。 涙はたくさん流してもいいし 泣けるうちはたくさん涙を流した方がいいと思うのですが それは涙が再生につながっていくことが多いからなのですね。 けれども死からもたらされる悲しみの大きさのあまりに 多くの人々が時として厳しい暗闇に自分を置いて こころを閉じたままの状態になってしまうことがしばしばあります。 凍りついてしまうのです。 でも、政治家であり自殺予防対策を訴え続けている僕は もはやしばしばそうなってしまうことは許されない訳で、 自衛策というか予防策をとります。 生まれてきたいのちとなるべく多く触れ合うことが そんなこころを溶かしてくれるので、そういう機会を大切にしています。 それは例えば、友達の赤ちゃんとたくさん遊んだりするとか、 春の日差しのもとで芽吹いてくる生命たちと出会うこととかで、 とても大切です。 ----------------------------------------------- 税務署の裏の素敵な骨董カフェ『さの屋』さんで おいしいホタテのカレーを食べてカウヒーを飲んで おなかを満腹にしたら、文化会館・博物館の上の中央公園へ。 桜はまもなく満開になる様子。 犬の散歩をしている人たちだけでなく、犬たちもうれしそう。 桜だけでなく、足元にもたくさんの花が咲いていました。 いい感じ。気持ちバタフライですね。 晴れた中央公園から猿島の向こうに千葉県がとてもよく見えます。 仕事の徹夜明けによくここに来るのですが 深呼吸するにはもってこいの場所です。 おととしくらいから、ここのフェンスにカップルたちが湘南平みたく 南京錠を記念にたくさんつけるようになりました。 知ってましたか? すでにお花見をしている宴会の人たちを眺めたり、 30分ほどボーっとしてから、事務所に戻ることにしました。 晴れている日は、近所の猫たちも気持ちよさそうです。 さあ、夜は気合を入れて 自殺予防対策の為の仕事に向き合うのだ。 ● 田中幸子さん(藍の会代表)のお話をうかがいました 全国初の自殺対策基本条例をつくった平塚市議会では、 市議会議員を対象にして自死遺族のお話を聴く場を 本日、持ったそうです。 詳しい状況はお聞きしていないのですが さすが平塚市議会。素晴らしい取り組みですね。 その講師として、仙台で活動する藍の会から 代表の田中幸子さんが招かれて、お話をしたそうです。
横須賀では来月4月7日に 『自死遺族の支えあいの会』が行なわれますので 大切な方を自死によって亡くされた方々に ぜひお越しいただきたいと願っています。 |
2008年3月25日(火)のフジノその2 |
● 『はぐくみかん』内覧会へ 今日は『はぐくみかん』の内覧会へ行ってきました。 蒲谷市長を真ん中に、 すこやかんの名づけ親の方、 療育センターを利用されるみなさまの代表の方、 山口市議会議長、小泉元総理がテープカットを行ないました。 この光景を見ながら、フジノは複雑な気持ちになりました。 「そもそもテープカットの場にふさわしいのは 沢田前市長なのではないか?」 とフジノは感じたのです。 児童相談所を中核市が持てるように 政府に働きかけて このはぐくみかんの建設に踏み切ったのも沢田前市長。 市長が替わった訳ですから この場にいないことは当然ではあるのですが、 最大の貢献者がこの場に存在しないことに複雑な気持ちになりました。 |
2008年3月25日(火)のフジノ |
● 離別の悲しみ、信念を見失わないで歩き続けることの困難さ 今日で予算議会が終わりました。 予算議会の結果、市の制度などが変わっていくことは また後日、改めて紹介させてください。 エンドレスで朝から真夜中まで断続的に仕事が続いていく 『議会が無いシーズン』よりも 会議が必ず朝10時から始まって遅くとも夜19時には終わる 『議会があるシーズン』の方が いつもは心身ともにラクなのですが 今回の予算議会は、心身ともに本当にハードな日々でした。 政治家の『仕事場』は『議会』ですから、 3ヶ月に1度の議会シーズンがやってくると 責任の重さに押しつぶされそうになると同時に、 「やっと議会がやってきた!」 と待ち望んでいた気持ちが沸いてきます。 しかし、今回、政治家になって丸5年間が経つのですが 「やっと予算議会が終わってくれた...」 と、今日の閉会に、また、何とか乗り越えることができた自分に、 初めてホッとした気持ちになりました。 --------------------------------------- 予算議会が始まる直前の、2月13日のカフェトークのことでした。 僕に、教えにきてくれた方がいました。 かつてカフェトークに参加したことのあるAさんが、 自殺によって亡くなっていたことを、 その方は僕に伝える為に来てくれたのです。 Aさんが亡くなったのは、半年以上も前のことでした...。 カフェトークに参加したことのある方が亡くなってしまったのは、 これで2人目となってしまいました。 Aさんは、ある時期、半年間ほど 毎回のようにカフェトークに来て下さった方でした。 僕は新しく知りあった方とはなかなか親しくなれないのですが Aさんとは親しくなりました。 黒いタートルネックのセーターがとても似合う スマートなタイプの男性でした。 ある時、偶然まちで出会ったAさんと 向かう方向が同じだったので Aさんの車に乗せてもらったことがあります。 僕は、本当にガンコで あらゆる他人の親切心を拒否する性格なので 誰かの車に乗せてもらうということは、仕事上、まずありません。 どんなささやかな貸しも借りもつくりたくないという性格なので、 その意味では、 Aさんのことを仕事の関わりではなく プライベートでの関わりと感じていたのだと思います。 お仕事を休職していたAさんは その後に仕事に復帰して、元気に働いているということを 1度、メールで報告してくれました。 それから、半年間以上、つまり2月13日に至るまで 月に数回、僕はAさんにメールを送り続けていました。 「Aさん、おつかれさまです。フジノです」 「お元気ですか?最近はお忙しいみたいですね」 「気が向いたらまたカフェトークに遊びに来てくださいね」 返事は1度も来ていませんでした。 でも、僕は気にしませんでした。 なんといっても男同士のメールのやりとりなんて 返事なんか来ないのが当たり前なのですから。 こうして僕は、Aさんが亡くなったことを知らないままに 半年間も彼の携帯電話にメールを送り続けていました。 それを知った夜、僕は激しいショックに襲われました。 カフェトークはAさんにとって 居場所として機能していなかったのか、 という絶望と同時に 僕という存在はAさんにとって その死の淵に追いこまれたまさに瞬間に 助けを求めるべき存在にはなりえなかったのか、 という激しい無力感に襲われたのです。 自分の無力さに、ただ言葉を失いました。 -------------------------------------- 本会議を前にして初めて気力の限界を感じた僕は このHPに掲載する為に 『一般質問をしないことを許して下さい』 『予算審議を乗り切る自信がありません』 というお詫びの文章を書きました。 放り投げてしまいたかったです。逃げたかった。 けれども、目の前の予算議会を前にして あきらめる訳にはいきませんでした。 やるべきことはあふれていました。 たくさんの方々の声を聴いてきた その役割を果たすべきだという義務感がいつもありました。 丸1日悩んだ後で、その文章の掲載をとりやめて、 とにかく予算議会に向きあうことにしました。 そうして、とにかく1日ずつ乗り越えようと決めました。 とにかく必死に市長への質問原稿を作って 雑誌のインタビューに答えて、 新聞の取材に答えて、 全国から頂いたメールを1つずつプリントアウトして読んで 資料の山をポストイットと蛍光ペンで読みこんでいって 市役所の担当部署にヒアリングをして そのことは質問しないでほしいとか言われても笑顔で受け流して 1秒でも長くモニターの前に座って原稿を打つ気力をふりしぼって なんとか、3月3日の一般質問を迎えることができました。 忙しくして何も考えないようにすれば 何とか乗り越えられるのではないかと感じました。 徹夜して資料を読んで、カフェトークも休まず開催して、 HPも毎日必ず更新して、とにかく休まず、とにかく前に進む。 -------------------------------------- こうやって1ヶ月の山を乗り越えられようかという つい先日のこと、 フジノ事務所のすぐそばのお宅に暮らしていた Bさんが亡くなったことを知りました。 ごみを出す時や、道ばたで出会うたびに、 Bさんにあいさつをしていました。 毎日のように見かけていたのですが ある時期ばったりと見かけなくなって とてもその不在が気になっていたし、 家族との会話でもその不在を話題にしていたのですが、 Bさんのお宅にまで行ってみようとは その時期の僕には全く思いつかなかったのです。 今思えば、もしも予算議会でせっぱつまっていなければ、 ずうっと不審に思っていたのですから、できたはずなのです。 ある日、ご近所の方がお宅を訪れて 倒れていたBさんを発見して救急に通報したとのことでした。 僕はその1週間ほど前に、 民生常任委員会の所管事項で『孤独死』の問題をとりあげて 健康福祉部にもっと取り組みを加速させるように提案していたのでした。 僕は、政治家として自分が偉そうに提案してきたことと、 目の前で起こっていた出来事を防げなかったことに 埋めることができない溝を 激しく意識してしまいました。 個人として防げないことを、政治家として予防できるのか。 集約するとこの一言に尽きるのですが Aさんの死を多忙にすることで無意識の中に封じ込めようとしたのを Bさんの死が再び剥き出しの現実として引きずり戻して 僕を向き合わせたのです。 正直なところ、僕は政治の力で何ができるのか、 時々、自分の信念を見失いそうになりました。 その間も、台湾のメディアが一般質問をとりあげてくれたり、 教育界の専門紙の記事が掲載されたりして、 動けば、もがけば、道ができることを自分が示していることを まわりは受け止めてくれているようでした。 でも、その自分自身が、目の前のリアルな死を 現実として防ぐことができていないこととの溝が どうしても僕には理解できない、 感情的に乗り越えられないのでした。 -------------------------------------------- この2つの失われた命と どう向き合うべきなのか、今も答えは出ていません。 何とか閉会を迎えることができた今、次の議会まで しっかりと悩みぬいて、その答えを探したいと思うのです。 もちろん、1人の個人としてできることには限界があるから 公の立場という手段を選んで政治家に転職したのです。 けれども、僕は自分の力で命を救いたいという気持ちから 全てがスタートしているので いつも迷うとスタートに気持ちが戻ってしまうのです。 そして、政治家という安全地帯から 予防策を偉そうに提案している自分をひどく嫌悪するのです。 ふだんはその唾棄すべき矛盾を 目的を実現する為にはしかたがないことだと覆い隠しているのですが 剥き出しのリアルを目の前にした時に 自分のこころの中で決着がついていないことなので いつも激しいショックを受けて、動揺して、歩みが止まりそうになります。 だから今は、次の議会まで この現実から目をそむけないで答えを探したいと思うのです。 きっと見つかることは無いにしても、それでもしっかりと悩んで、 個人としての自分と公の立場としての自分との間に 溝や乖離が無いように 再び信念を確かなものとして抱き続けることが できるようになりたいと思うのです。 ようやく予算議会が終わりました。 もちろん閉会していても何かが変わることはなく、 24時間、公人であることに変わりは無いのですが、 この先2ヵ月半はたとえ仕事の能率は落ちても 多忙で自分をごまかすことなく、 目の前の現実に向き合っていきたいと思います。 いつもふがいないフジノですが、どうかお許し下さい。 |
2008年3月24日(月)のフジノ |
● 知的障がいのある方々ご本人ともっと語り合いたい 1ヶ月続いた予算議会が、明日で終わります。 明日からは6月議会に向けて、また必死に勉強の日々となります。 1人でも多くの方の声に耳を傾けて、その暮らしを知りたい。 政治が変えられる問題には全力で取り組みたい。 そう考えています。 まず、何よりも最初に行ないたいことは、 『知的障がいのある方々ご本人ともっと語り合うこと』 です。 2月に雑誌の企画で知的障がいのある方々と座談会をして以来、 いつも気になってしかたがありませんでした。 (2月22日の活動日記より) > 確かにフジノはカフェトークでもふだんの場でも > 精神障がいのある方々とも身体障がいのある方々とも > バリバリたくさんお話しています。 > > けっこうそれが日常になっていて、 > 障がいのある方と話してるとか > そういう特別な気持ちすら全然起こりません。 > > でも、改めて考えてみたら > 知的障がいのある方々とは > 全然お話するチャンスがありません! > > 何故だ!? ふりかえってみると、知的障がいのある方々の ご家族と話したことはかなりたくさんあるのですね。 でも、ご本人としっかり向き合ったことが 悔しいのですけれどもフジノにはありませんでした。 認めるのも恥ずかしいのですが 今まで逃げてきたのだと思います。 いわゆる『3障がい』という用語があるのですが、 身体障がい、知的障がい、精神障がいの3つを指しています。 3障がいのうち、精神障がいがフジノには最もなじみが深くて 自分の人生の半分は精神障がいのある方々と関わる暮らしでした。 身体障がいについても、 大学時代には 身体障がいのある方々のグループホームで 食事をとることやお風呂に入ることのお手伝いをしてきました。 こんな風に、身体障がいとも精神障がいとも 10数年の関わりがあるので 何の違和感もなくこれまで接してきたのだと思います。 でも、小中学校時代をのぞけば 知的障がいのある方々とじっくりと過ごしたことが フジノには体験として全く無かったのです。 だから、知らず知らずのうちに、 接することから逃げてきたのだと思います。 政治家になってからは、ご両親やご家族からの声を聴くことで まるでご本人たちの声を聴いたように錯覚してきてしまいました。 僕は変わらなければいけない。 それを、この4月からぜひ取り組まなければと思うのです。 ご家族の声を聴くのではなくて、ご本人と語り合いたいのです。 そんなフジノの想いをうけて、 さっそくあるグループホームにお邪魔して 一緒に夕飯を食べながらお話をする機会をつくっていただけました。 1回きりに終わらせることなく、何回でも、 そして、少しでも多くの方々と語り合いたいと願っています。 もしも、こうしたフジノの想いをご理解して下さる 知的障がいのある方々やご家族や福祉関係者の方々がいらっしゃれば フジノはどこにでもうかがいますので どうかご連絡をいただけると、とても助かります。 よろしくお願いします。 |
2008年3月23日(日)のフジノ |
● 視覚障害者協会が60周年を迎えました 横須賀市視覚障害者協会による 『福祉と文化の集い』に行ってきました。 横須賀市視覚障害者協会が創立60周年を迎えたのですが 記念式典とあわせて市民公開の形で 『福祉と文化の集い』としたのですね。 60周年、本当におめでとうございます。 2008年で60周年ですから、スタートしたのは1948年。 昭和23年3月のことでした。 昭和23年というのは、戦後初の台湾バナナが 門司港に入港した年だそうです。歴史の重みを感じますね。 また、横須賀市には点字図書館があるのですが 市立の施設としてスタートする16年も前から こちらの協会によって 『点字文庫』として始まっていたのですね。 フジノは点字図書館がとても好きで 点字図書館フェスティバルにはよくお邪魔していたのですが その成り立ちは今日初めて知りました。 こうした先人の活動によって 今の障がいのある方々の福祉というのは成り立っているのですね。 本当に、先人のみなさまにこころから感謝です。 ------------------------------------------ さて、福祉と文化の集いは、 まず第1部は講演『私たちのくらしと法律』というタイトルで 弁護士の田中喜代重さんによる身近な法律についてのお話でした。 第2部までの休憩時間には、 会場に展示された、協会の様々な活動の紹介を見てまわりました。 視覚障害者協会にはいろいろなクラブ活動があります。 例えば、民謡クラブ、盲人卓球クラブ(STTクラブ)、 社交ダンスクラブ、あみものクラブ、 ゴルフクラブ、パソコン研究会などです。 人間の情報の9割が目からの情報による、と言われているので 一般的に、視覚障がいがあると、 できない活動が多いと感じるかもしれません。 でも、陸上競技をはじめとするスポーツや いろいろな活動がたくさんできるのですね。 また、ITの進化によって、情報へのアクセスも大きく向上しました。 これからも視覚障がいのある方々に もっともっと様々な社会活動に参加していただけたらいいなと思います。 それは先日の一般質問でもフジノが述べたとおり、 僕たちの未来だからです。 生まれた時から視覚障がいがあるのは、わずか5.3%。 視覚障がいの最も多い原因は、糖尿病なのです。 つまり、僕たちは年をとれば 誰もが視覚障がいのある状態になる訳です。 だから、視覚障がいのある方々が 元気いっぱいに様々な活動に取り組んでいるということは、 僕たちがやがて将来に視覚障がいのある状態になったとしても 決して暗闇に満ちた世界が待っている訳ではない、 ということを僕たちに示してくれているのだと フジノは受け止めています。 第2部は、横須賀マンドリンアンサンブルによる マンドリンコンサートでした。 忙しい日々の中で、マンドリンの音色に ふと安らぎを感じることができた貴重な時間でした。 ----------------------------------------------- これからもぜひ素晴らしい活動を 続けていってほしいと感じました。 フジノはもっともっと視覚障がいのある方々の暮らしを 一生懸命学ばないといけないなあ。 県のライトセンターの見学に行く約束をしてから もう3年以上経ってしまいましたし、今年こそ見学いってきます! |
2008年3月22日(土)のフジノその2 |
● 来年度予算案に反対します 1ヶ月にわたった予算議会も、25日(火)で終わります。 すでにフジノは議会事務局に 全ての議案についての賛否を伝えました。 来年度予算案のうち、 (1)一般会計 (2)水道事業 (3)臨海土地造成 これら3予算案に反対します。 これだけ財政が厳しいにも関わらず 美術館が4億3400万円もの赤字を出すなど あまりにも危機感が薄い予算づけがとても目立ちました。 市長派メンバーばかりの横須賀市議会では、 これまで来年度予算案が否決されたことは全くありません。 だから、今回もフジノが反対しても 否決されることはありません。 しかし、「おかしいことはおかしい」と示す必要があります。 来年度予算案の問題点は 今後、HPなどを通じて市民のみなさまにお伝えしていきます。 ● 注目したい動き(その1)交通バリアフリー化へ さて、反対票を投じる予算案ですが 全てが悪いものではありません。 評価できる事業もたくさんあります。 そんな評価できる事業の中からフジノが注目しているものを これから数日間かけて紹介していきますね。 ・2つの駅に新しくエレベーターが設置されます(8333万円) 京浜急行 追浜駅 エレベーター3基 JR東日本 衣笠駅 エレベーター2基 毎年少しずつ電車の駅にエレベーター設置が進んでいますが 来年度(08年4月〜09年3月)には、 追浜と衣笠の2駅にエレベーターが設置されます。 本来ならば、今年度中に 浦賀駅にエレベーターが設置される予定でしたが 京浜急行からエレベーターの設置だけではなくて 駅舎全体の改築を含めて計画を作り直すとの申し入れがありました。 浦賀駅についてはもうしばらくご不便をおかけします。 申し訳ございません。 ・ノンステップバスが8台増えます(1023万円) 助成台数 8台 ノンステップバスを増やす必要性は これまでも委員会で提案してきましたが、 来年度は8台、増えることになります。 財政赤字のすさまじく厳しい横須賀の為、 毎年毎年、本当に少しずつの改善でご迷惑をおかけしますが どうぞよろしくお願いします。 ● あふれる報道陣 それにしても今日もあわただしい雰囲気でした。 横須賀中央周辺の上空には1日ヘリコプターが飛びかい、 横須賀警察署の周囲には、マスコミの報道陣があふれていました。 横須賀警察署の正面玄関前。 18時過ぎには報道番組の為に カメラの前で記者が話している姿が多く見られました。 警察署の裏側。こちらにも報道陣がたくさんいました。 事件の早期解決が成されると共に、 ご遺族をはじめとする関係者のみなさまに適切なケアが成されるように 被害者支援の活動がしっかりなされることを願います。 |