まちの政治家は、こんなことしてます政治家フジノの活動日記


2008年3月22日(土)のフジノ
● 脱走アメリカ兵について、アメリカ軍からの説明

 夕方17時41分になって
 ようやく横須賀市企画調整部長から
 FAXが送られてきました。

 『行方不明になっていた米兵の身柄を確保したことに関する
  米海軍からの説明について』


 (pdfファイルはこちらをクリックして下さい)


                          平成20年(2008年)3月22日
  市議会議員 様
                             横須賀市企画調整部長


      行方不明となっていた米兵の身柄を確保したことに関する
      米海軍からの説明について


  1 日時 平成20年3月22日14時〜16時30分
  2 場所 在日米海軍横須賀基地司令部
  3 出席者
      米側 在日米海軍司令官 ケリー少将、
          横須賀基地司令官 ウィード大佐 外

      市側 廣川企画調整部長、越後市民安全担当部長 外

  4 米海軍より、行方不明となっている米兵の身柄を確保したことについて、
   次のとおり説明を受けた。

  (1)行方不明の米兵から連絡を受け、平成20年3月22日午前3時41分
    東京都品川区五反田で身柄を確保した。

  (2)現在は、脱走兵として、現在は基地内の更生施設にて調査を受けている。

  (3)タクシ一運転手殺害事件についてなんらかの情報を持っているかどうか
    についても、現在調査申。
    日本側からの取調べ要求があればただちに協力する。日本側から引渡し
   の要求があれぱ地位協定手続きに則りただちに協力する。

  5 会議の席上、棟須賀基地における脱走兵の対応の取り扱いについて、
   次のとおり市長からの要請を行った。

  (1)脱走兵を速やかに発見できるような米側のシステムの構築
  (2)日本側への通報体制の確立

   米側からは、脱走兵への対応については、今回のようなことが
  起こらないように既に制度の見直し等の対応を図っている回答があった。

             (担当は、企画調整部基地対策課 Tel 822−8139)


● アメリカ軍の情報が遅すぎる!

 脱走アメリカ兵が確保されたというニュースが
 マスメディアを通じて世間に報じられたのはお昼11時すぎです。

 それ以前に、アメリカ兵が五反田で確保されたのは
 深夜3時41分のことです。

 アメリカ軍がプレスリリースを出したのは13時半。

 市から市議会議員宛にFAXが届いたのは17時41分。

 アメリカ軍の身柄確保から14時間、マスコミ報道から6時間も経っています。

 アメリカ軍は情報を出すのが遅すぎます!
 身柄確保から10時間も経っています。

 それに引きづられる形で
 横須賀市も情報を出すのが、あまりにも遅くなりすぎました。

 市民の不安が増していく中、正式に市議会に報告するまでに、
 一体何時間かかっているのですか。

 正確を期すのが大切なことは最もですが
 これまでも繰り返し指摘してきた
 『広報のスピードアップ』がまた後退してしまいました。

 何よりもアメリカ軍の対応の遅さが
 最も問題です!

 けれども、横須賀市の対応も改善されるべきです。
 もっと積極的に情報開示をアメリカ軍に求めるべきです。



2008年3月21日(金)のフジノその2
● 私がはるかぜ書店を辞めた理由

 夕方から、横浜のかながわ県民センターへ。

 『NPO法人アンガージュマン・よこすか』が主催して行なわれた
 『第4回就労支援ネットワークフォーラム』に参加しました。

 第1部は対談、第2部はパネル討論、なのですが
 注目は第1部の中身です。

 対談「私がはるかぜ書店店長を辞めた理由」

   石原直之さん(元はるかぜ書店店長)&
   長谷川俊雄さん(愛知県立大学准教授)

 石原さんは、NPOアンガージュマンが運営する
 はるかぜ書店の初代店長です。

 はるかぜ書店は、全国的にもとても有名な本屋さんです。

 何故なら、本屋の運営は社会的ひきこもりの経験のある方々によって
 行なわれてきたからです。全国のマスコミが何度もとりあげました。

 NPOアンガージュマンの活動が新聞でとりあげられるたびに
 いつも石原さんが大きく報道されてきました。

 その石原さんが去年7月、突如、退職しました。

 一体何故、石原さんが辞めなければならなかったのか。

 それが対談の中身です。

 決してきれいごとではない、NPOの活動の厳しさを
 はっきりと伝える為の対談でした。

 このタイトルを知った時から
 今夜どんな内容が語られるか、僕には分かっていました。

 けれども「どこまで石原さんが語るのか」というのが
 とてもすごく気になっていました。

 もしも石原さんが全てをぶちまけて話をすれば、
 それはとてもリスクの高いことだけれども、
 同時に、NPOアンガージュマンよこすかは
 今後もっともっとさらに良い活動をしていく団体となっていくだろう。

 久しぶりの石原さんとの再会も果たしたいし、
 この第1部は今後のアンガージュマンの方向性を見極める為にも
 絶対に行かなければ、と僕は決心していました。


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 はるかぜ書店は、フジノが政務調査費で本を買う時に
 いつも利用している本屋さんです。上町の商店街にあります。

 福祉カンケーの専門書がたくさんあるのが特徴ですが、
 もう1つ、他の本屋さんとは異なる大きな特徴があります。

 それは、社会的ひきこもりとされる方々の支援を行なっている
 『NPO法人アンガージュマン・よこすか』が運営している本屋なのです。

 はるかぜ書店はフツーの本屋さんであると同時に、
 社会的ひきこもりとされる方々の就労支援の場でもあるのです。

 という感じの説明を、世間的にはしなければならないのですが

 はるかぜ書店が現在の場所に移る前から
 (今のはるかぜ書店は2代目なのです)
 通いつめているフジノにとっては、大切なフツーの本屋さんです。

 本屋さんの中にテーブルがあって、居心地が良くて
 店員さんとの世間話をするのが楽しくて、ついつい長居してしまう。

 そんな素敵な本屋さんなのです。

 そのはるかぜ書店の初代店長さんが
 今日の対談の主役、石原直之さんなのでした。



 はるかぜ書店に行くと
 いつもいつもフジノの雑談相手になってくれた、
 時にはグチも聴いてくれた、優しくて親切な石原さん。
 とても大好きでした。

 本の配達で市内を巡っている時の写真を載せたブログも
 とても好きでした。

 そんな石原さんが去年7月、突然はるかぜ書店を退職された時、
 僕にはかなり衝撃でした。

 その人がいるからこそ行きたくなるという
 行きつけのお店からその好きな人がいなくなってしまうのは
 やっぱりとても悲しいですよね?

 と同時に、
 心身ともにボロボロになりながら働いていた姿を
 いつも見ていましたし(人手が全く足りないのです)、
 少しだけお話をうかがっていたので

 「ああ、ついに新しい道に歩き出すのだなぁ」

 と納得したりもしたのでした。

 石原さんはいつか辞める日が来るだろうなあと
 フジノが直感的に感じていたのは、
 マスメディアの取り上げ方のおかしさです。本当に問題だと思います。

 だって、本当にメディアの取り上げ方はおかしいのです。

 石原さんは、過去に約15年間ひきこもりの体験があります。
 けれども、今は書店の店長としてフツーに働いているんですよ。

 それなのに、いつまで経っても
 報道される記事やテレビのニュースでは

 「15年間のひきこもり経験を持つ店長は...」だとか
 「元ひきこもりの石原さんは現在店長として...」だとか

 うるせえ!いいかげんにしろ、メディア!

 僕は1度も石原さんのことを
 元ひきこもりだとか考えたことすら無かったから、

 そういう報道とかメディアの扱いに
 いっつも違和感を抱いていました。

 見えない手錠というか、未来への足かせをはめられてるみたい。

 いつまでもいつまでも『元ひきこもり』という枠にはめて
 そういう文脈でとりあげたいマスメディアの美談づくりには
 僕はうんざりさせられていました。

 あかの他人のフジノでさえ、うんざりさせられていたのですから
 当のご本人である石原さんはもっとイヤだったのではないかなあ。

 こういう報道に接するたびに
 僕は本当にいつもうんざりさせられていました。

 だから、石原さんがはるかぜ書店(アンガージュマン)に居る限りは
 永遠に『元ひきこもりの店長』という
 キャッチフレーズを付け続けられるのだろうなあと思っていたので

 彼が退職した時には、さみしくなる反面、
 自由になれて良かったなあ、と感じたのを憶えています。



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 かなり激しい率直な意見が飛びかった対談を聞き終えて、
 これからきっとNPOアンガージュマンよこすかは
 もっともっと良い活動をしていくのだろうなと確信しました。

 そもそもこうしたプログラムを組んで
 補助金を出している神奈川県のいくつもの担当部署を招いて
 県内のいくつものNPOも招いて

 率直なこうした話題を語り合えるのだから
 NPOアンガージュマンよこすかはとても真摯だと思います。

 問題が起こったら、それはオープンにして語り合えばいい。
 そしてそれを実際に行なった訳ですから、素晴らしいと思います。

 これからも、この素晴らしい活動を行なっている
 NPOアンガージュマンよこすかを
 政治家としてしっかりと見守り、応援していきたい、と思いました。



2008年3月21日(金)のフジノその1
● 台湾メディアで報道されました/3月3日の一般質問

 いわゆる『性的マイノリティ』について
 本会議で市長・教育長に対して行なったフジノの一般質問が
 3月9日の活動日記に書いたとおり、台湾のメディアで報道されました。

 けさ、実物を頂いたのですが、
 フジノは台湾語が全く読めません(苦笑)。

 (実はむちゃくちゃ批判されてたりして...)

 台湾にいる友達に後で翻訳してもらいますので、
 そしたら翻訳も掲載しますね。


 (2008年3月18日付・『台湾立法』より)
今年3月3日,日本神奈川縣須賀市的地方議員藤野英明M(Fujino Hideaki),在市議會開始一段為性少數LGBT(Lesbian, Gay, Bisexual, Transgender/Transsexual,同性戀、雙性戀、跨性別)所做的質詢。對於這個位在東京灣入口的城市來?,這是性少數權益問題在議會的第一次。透過須賀市議會的隨選視訊系統(Video On Demand),?可以輕易地在網路上看到這段?容豐富的質詢。當天,藤野英明花了個人總質詢時間的一半以上,透過3回的質詢問答,從鉅觀到微觀、極有層次地闡釋性少數問題,要求市府作出對應的措施。在第一回的質詢中,從對性少數的見解、?視與偏見的真實情況、人權議題的位置到諮商窗口與學校教育,藤野藉由世界情勢、學術調?與日本其他縣市的做法等,督促市長、官員掌握現況,進而趨使相關部門強化服務機能,為性少數營造友善的社會環境。談完政策面與政府機能面之後,藤野在第二回的質詢裡,又以日常生活事項切入性少數所面臨的現實。他以日本電信公司限制未成年人瀏覽同志網站為例,解釋青少年同志備感孤立的處境。就在藤野質詢的時候,途中旁聽的人竟發出笑聲、喝倒采,他立刻還以顏色,並機會教育,告訴大家,眼下的?況正是性少數之所以感到受傷的原因。最後,他在第三回質詢唸了一段跨性別者的來信,希望?人了解他們困惑、痛苦的心聲。藤野英明並不是日本第一位為性少數發聲的地方議員。除了大阪府議會的女同志議員尾加奈子之外,愛媛縣松山市議會議員武井高子,愛媛縣議會委員會的委員佐佐木泉等,都先後就性少數問題在議場上提出質詢,敦促地方政府實行性少數友善政策。經過他們的努力,日本地方政府對性少數陸續有了善意的作為。在都道府縣的層級上,大阪府議會率先開全國首例,依日本地方自治法,決議通過「使跨性別者得以順利生活的社會環境整備意見書」,送往國會及相關行政廳作為施政參考;而愛媛縣則在「人權施行政策推動基本方針」中,明定該縣對性少數的基本態度與政策方向,以作為相關施政的基石;而前面介紹的須賀市議員藤野英明,也預定提出類似提案。日本對性少數友善的政治人物的這些積極舉動,並非憑空而來。?開像尾加奈子這樣,本身就是性少數一?子的例子不提,其他友善的議員都跟日本同志團體的政治遊?活動有關。藤野英明參加過「Youth Talk about JAPAN」(青年公共事務倡議組織)和「DELTAG」(同志團體)協?的性少數主題演講;武井高子則是因為「Rainbow Friend愛媛」(性少數團體)所舉?的「松山市性少數相關政策問卷調?計劃」開始跟性少數結?。?當同志團體結識更多的政治人物,這些政壇好友又會為性少數拉來更多理念相同的同儕。比方為藤野英明演講的講師之一是先前即大力支持性少數的社民黨黨首福島瑞穗;而佐佐木泉則和武井高子則有地?關係。諸如此類的性少數政治人脈痕跡?見不鮮。正因為有著這樣的淵源,這些日本政治人物才能為性少數盡心盡力。日本政治環境對性少數並沒有尊重的共識,舉個最有名的例子,有著高度聲望的東京市長石原慎太郎,除了多次發表?視言論之外,在競選連任時更喊出「摧毀新宿二丁目」的狂語,一度為這個日本的同志聖地蒙上陰影。所以,就像藤野英明在質詢時所聽到的笑聲一樣,日本政治人物站出來為性少數出頭不見得能討好選民;他們拓荒一般的作為,和台灣友善政治人物多是軟調的支持行動迥然不同。藤野英明的質詢,基本上獲得須賀市官員的正面回應,象?著日本同志團體長期拓展的政治人脈,陸陸續續開花結果。有人以為日本性少數運動遠不如台灣。比方以遊行人數作比較,即便不考慮人口比例,日本也差了台灣好幾倍,更沒有像張惠妹那樣的巨星或馬英九等級的政治要角到場聲援;但同樣在遊行的場合,日方參加的政治人物如福島瑞穗或高票當選的國會議員川田龍平等等,他們在日後為性少數所貢獻的,卻遠大於馬英九長年掛在嘴邊的同志政績。粗略地?,台日兩地性少數運動各擅勝場,但不管如何,台灣性少數團體跟日本一樣對政治實踐有著相同的企求。近年台灣性少數團體對於政治人物的不實口惠越來越不滿,和一般民?一樣,有著憎惡政客作秀的心情。此外,從日本議員為性少數努力的過程來看,民間團體想要達成目標,除了積極接觸政治人物之外,透明的政治環境更是不能忽略。如前所述,台灣議會不像日本有隨選視訊系統;沒有民?長時間的監看,政治人物容易?溺在短暫攝影機前的表現,喪失理性問政的動力。這一點不管是不是性少數,所有公民都應該要求政府跟上國外??。也只有主客觀因素的良好配合,有好的政治土壤,關係各種身?的公民權益,才有成長答癈I可能。

 こんな書き出しです。
  ↓


 いわゆる性的マイノリティとされる方々の人権を守り、
 ふつうの暮らしを取り戻す為に活動する政治家について、
 書かれています(書かれているはずです)。

 かなりの長文でとりあげていただいて
 とても感謝しています。

 台湾語が得意な方は、インターネットで記事が読めますから、
 どうぞこちらからご覧下さいませ。



2008年3月20日(木)のフジノその2
● 最悪の予感が当たってしまうのか/横須賀での殺人事件

 昨夜21時半頃、汐入町2丁目で
 おぞましい殺人事件が起こった。

 公の立場にいる人間として
 決して推測で発言をしてはいけないのだが

 すぐに2つの予感があった。

 それは、

 (1)犯罪が起こった場所から起こる予感

 (2)犯罪が起こった時期から起こる予感

 これら2つを考えると、
 フジノだけではなく横須賀市民であれば
 どうしても1つの推論(≠結論)に至ってしまったのではないだろうか。


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 3月19日の23時すぎから
 マスメディア各社によって報道が始まった。

 そして、20日26時すぎ(21日深夜2時)頃から
 神奈川新聞朝日新聞などが新しい情報を報道しはじめた。

 現段階では何も結論は出ていないけれども
 こうした報道は、フジノの予感にそったものだ。

 これがそのまま当たってしまうのか。

 アメリカ軍兵士による犯罪を防止する提案を続けてきた政治家としては
 できれば最悪の予感は外れてほしいと願う。

 けれども、もしこの最悪の予感が当たるのならば...。

 責任あるしかるべき立場の人間の、
 進退が問われるべき問題にならざるをえないだろう。



2008年3月20日(木)のフジノその1
● 寄附によるNPO支援を横須賀市がスタートします

 来年度、横須賀市が新しくスタートさせる取り組みの1つに
 『市民公益活動団体支援基金』があります。

 市内で活動をしているNPOを
 その趣旨に賛同した個人・企業からの寄付金によって支援して、
 NPOが活動しやすい環境づくりを進めていくのです。

 ・市は、新たに『基金』を設置します。

 ・市は、市民の税金からではなくて
  個人や企業から集めた寄附金によってこの基金を運用します。

 ・NPOは、この基金から支援金を受けることができます。

 ・寄附者(市民・企業)は、
  支援したいNPOをあらかじめ指定して基金に寄附をします。

 ・寄附者はこの基金に寄附をすると、税制の優遇措置が受けられます。

 この仕組みって、どこかで読んだ気がしませんか?
 フジノHPの読者の方なら憶えていますよね?

 2007年12月議会での
 フジノの一般質問『寄附による投票条例』の提案ですよね。

 ただ、今回の新しい基金と
 フジノの提案には、少し違いがあります。

 フジノの提案では、NPO活動の支援だけではなくて、
 市の政策を自由に寄附者が選べるようにすべきだ、と訴えました。

 市の新しい取り組みでは
 寄付金の使い道をNPO活動に絞っているのは残念ですが

 そもそもこうした活動がスタートすることは、
 高く評価すべきだと考えています。

 まず第一歩がスタートするのです。


● 正しいことを正しいと言い続けること

 市の新しい取り組みとして
 こうやって来年度からスタートする訳ですが、

 わずか3年前にフジノが初めて提案した時には
 行政側には全く理解してもらえませんでした。

 2006年2月23日のフジノの活動日記をぜひ読んでみて下さい。

 ここでフジノは

 横須賀市に『寄附文化』を生み出したい

 と強く訴えました。

 でも、この過去日記を読んでもらった方は
 分かっていただけると思うのですが

 2005年決算特別委員会での
 財政部長とフジノとのやりとりは全くかみあっていないですよね?

 寄附文化を生み出したいというフジノの想いに対して
 財政部長は「行政が寄附を促すのは筋が違う」と述べていました。

 それが『2008年度予算の概要』(下の画像)を見てもらうと
 明らかな行政側の変化が分かりますよね?



 特に、赤い枠で囲んだ中を見て下さい。

 寄附文化の醸成。

 3年以上かかりましたけれども、
 まさにフジノの訴えてきた政策が取り入れられた訳です。


 誰1人として言い出していない時に
 初めてのことを口に出すのは、勇気がいることです。

 それでも正しいことは正しいと信じて訴え続ければいいのです。

 変化を起こす、ということは
 変化を望まない人々には嫌がられるし、排除されることもあります。

 けれども、それを決して恐れずに
 正しいと信じたことは、それを言い続けるのです。何年も。何年も。

 そうすれば、必ず変わっていきます。



2008年3月19日(水)のフジノ
● うつ病の治療にグッドニュースです/専門入院病棟スタート

 本当に実現するんだなあ、というのが今の率直な気持ちです。

 4月から神奈川県立芹香病院で
 ストレスケア病棟スタートです。

 (2008年3月19日(水)・神奈川新聞より)
全国の自殺者数が九年連続で三万人を超える中、県立精神医療センター芹香病院(横浜市港南区芹が谷二丁目、岩成秀夫院長)は四月一日、うつ病患者向けの専門入院病棟「ストレスケア病棟」を開設する。専属スタッフの配置と先進治療法の導入で、治療体制の充実を図る。県によると、ストレスケア病棟を設けるのは全国の都道府県立病院で初めて。同病院のA病棟二階(約千三百平方メートル)を改修し、十九室三十七床(個室十二、四人部屋六、隔離室一)を設ける。対象は、自殺願望が高い「急性期」の段階から落ち着きを取り戻した患者。治療では薬物療法や精神療法に加え、保険が適用されない磁気刺激治療法をはじめ鍼灸(しんきゅう)治療法、高照度光照射療法、認知行動療法を新たに導入する。特に、電流を流したコイルで患者の頭部を刺激する磁気刺激治療法については、全国でも大学病院でしか導入事例がない先進治療法という。専属スタッフには、医師二人、看護師十七人をはじめ、ケースワーカーの精神保健福祉士、臨床心理士、作業療法士が各一人就く。窓の鉄格子を外し、共同スペースには木製の家具や観葉植物を置くなど開放的な空間を用意する。一日の入院料は現状とほぼ変わらない一万四千円程度で、先端治療費分は県費で負担する。整備費は約九千三百万円。県内の自殺者数は近年、千七百人前後で推移している。〇六年は千六百八十三人で、人口十万人に占める死亡者の割合は一九・三人で全国四十四位となっている


● ストレスケア病棟とは何か?

 「うつ病はこころの風邪」というキャッチコピーで
 気軽に精神科病院・メンタルクリニックへ来てもらえるように
 一大キャンペーンが行なわれてきました。

 このキャンペーンは大成功でした。

 多くの人々が精神科病院やメンタルクリニックへ
 抵抗感なく足を運べるようになりました。

 けれども、キャンペーンには欠点がありました。

 実際のうつ病は風邪のようにカンタンに治るものばかりではなく、
 長期間の治療を必要とすることも多く、
 いったん症状が改善しても
 再発をくりかえすこともしばしばあるのです。

 風邪、という治りやすい病気のイメージとは異なる現実を
 キャンペーンは覆い隠してしまいました。

 何よりも急性期のうつ病は自殺につながる可能性が高いので、
 こころの風邪だからと軽く考えるのではなくて
 しっかりとした対応が必要だ、と
 専門家のあいだでは改めて語られるようになっていました。

 そんな1つの取り組みが『ストレスケア病棟』でした。

 従来の精神科病院とは大きく異なる
 開放的で落ち着いた雰囲気の
 個室を中心としたホテルのような病棟に入院して、

 統合失調症など他の精神疾患とは分けて
 うつ病の専門的な治療を行ないます。

 薬による治療だけではなく、
 カウンセリング、認知行動療法、アロマテラピー、音楽療法などの
 あらゆるケアを提供します。

 さらに、誰もが病院を退院すれば、
 うつ病の発病へと追い込まれた元の場所へ再び戻らねばなりません。
 したがって、その環境そのものを改善する必要性もあります。

 例えば、カウンセリングを本人に行なうだけではなくて、
 家族へのケアも行ないます。
 病気の理解や
 本人への接し方なども知ってもらいます。

 こうしたあらゆる取り組みを通して
 うつ病と専門的かつ積極的に行なう『ストレスケア病棟』は
 『海の病棟』(福岡・不知火病院)の取り組みがとても有名です。

 1989年から先進的な取り組みを始めた不知火病院は
 マスメディアでたびたびとりあげられていました。

 この病院の存在をフジノが知ったのは、
 2003年1月のことでした。

 当時、ストレスケア病棟は
 全国でもわずか10病院ほどしかありませんでした。

 こんな治療やサポートを受けられるすごい病院が
 もっと身近になればいいのに、と強く感じたものでした。

 それがなんと2006年3月、
 神奈川県が策定した『病院事業経営基本計画』の中で
 県の精神医療センターがストレスケア病棟に乗り出すと触れられました。

 2006年7月には、フジノは日本うつ病学会の機会を利用して
 不知火病院の徳永院長にお話をうかがい、
 自殺予防対策の観点からも有効だと確信しました。

 さらに2006年9月の県議会の質疑でもとりあげられ、

 「芹香病院の病棟をストレスケア病棟として
  2008年4月をめざして整備する」

 との答弁がありました。

 フジノにとって、本当に大きなニュースでした。

 そして2年が経ち、ついに4月スタートとなりました。
 本当に実現するのだと思うと、感慨深いものがあります。


● 現場を見てきますね

 4月のオープン直前に、フジノはストレスケア病棟を
 見学させていただくことになっています。

 『地域の自殺対策を推進する地方議員有志の会』
 メンバーのみなさんもぜひ誘いたいと思います。

 その様子はもちろんここで報告しますね。

 長い間ずっと待ち望んでいたものが
 身近な地域で受けられることはとても大きなことです。

 自殺予防対策をすすめる上でも
 ぜひとも多くの方々に
 ストレスケア病棟を利用していただきたいと願っています。



2008年3月17日(月)のフジノ
● 美術館は4億円の赤字予算

 去年に続いて、横須賀美術館の予算案は
 4億円を超える赤字となりました。

 オープン2年目となる2008年度の収支を紹介します。

収入 支出
観覧料         4753万円
駐車場使用料     1340万円

 -----------------------
(合計)        6094万円
給与       1億3361万円
運営事業費   1億2357万円
管理事業費   2億3773万円
 ---------------------
(合計)    4億9492万円

 収入から支出をひくと、
 4億3398万円の赤字です。

 収入の『観覧料』では、6万9300人
 (個人6万3000人、団体6300人)の見込みとしています。

 1年目の予算よりも赤字額が増えており、
 1円でも多く赤字を減らしたいと訴えてきたフジノにとって
 とても賛成できない予算案です。


● 奨学金はわずか132万円のアップ

 去年このコーナーで指摘した
 『横須賀市のひどい現実』に奨学金の予算の低さがあります。

 経済的な理由によって
 就学することが困難な高校生に対して
 横須賀市は奨学金を支給しています。

 この予算があまりにも低すぎるので
 フジノだけでなく、多くの市議がアップを訴えてきました。

 1ヶ月1万円、年間12万円です。
 対象は163名(1年生60名、2〜3年50名、定時制の4年生3名)。

 予算は1956万円です。
 昨年に比べて
 プラス10名の予算がつきました。

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 美術館の運営管理に4億3398万円の赤字を出して
 それを市民のみなさまの税金で穴埋めをしている一方で、

 わずか163名にしか、奨学金を出せない。
 もらえる生徒も毎月わずか1万円だけ。

 あまりにも情けない税金の使い方で、
 予算書類を読みながら、怒りをとおりこして、むなしくなってきます。

 ひどい予算案です。


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