まちの政治家は、こんなことしてます新人議員の活動日記


2007年4月14日(土)のフジノ(その2)

(超・長文ですが、どうか最後までお読み下さい)


● 自分の引退をかけたリコール運動(2006年4月27日)

 それは、2006年4月27日の朝のことでした。
 雨が強く降っていた朝でした。

 横須賀中央のYデッキで、フジノは1つの決意を語りました。

 「これから先、市長がもしも選挙公約を破って
  原子力空母の配備を認めたら、

  僕は市長を辞めさせる為に
  リコール(解職請求)運動を行ないます。

  有権者の3分の1の署名を集めなければならないので
  30万人以上の都市で、リコールが実現したことはありません。

  人口が多いまちでは、リコールは成功しないのです。

  だから、僕は自分のクビをかけて
  リコール運動を行ないます。

  つまり、蒲谷市長のリコール(解職請求)が失敗したら
  政治家フジノが辞任をします。

  誰かのクビを取る為には
  自分のクビをかけるのが筋でしょう。

  Yデッキのみなさん、どうか覚えていて下さい。
  これは政治家としての約束です。

  蒲谷市長が選挙公約を破って
  原子力空母の母港化を受け入れるようになったら
  フジノはたった1人きりでリコールを始めます。

  僕は、政治家として自分の辞任をかけて
  蒲谷市長を辞めさせる為にリコールを行います。

  リコールが実現しなかった時は
  フジノが政治家を辞めます。

  これは、みなさまへの公約です。
  絶対に約束を守ります」

 激しい雨が降る中を、フジノは傘をさしながら演説しました。
 Yデッキのみなさんに約束をしたのです。


● 2006年1月、政治家としての辞任を決めていました  

 自爆テロ、という言い方をしていました。

 2006年の1月頃からフジノは
 選挙の時に必死になって応援してくれた友達を1人ずつ訪れて
 自分の想いを伝えてまわっていました。

 「このまちに暮らしている上で、原子力空母配備という問題は
  どうしても避けて通れないと思うんだ。

  『福祉のまち、よこすか』の実現が目的で政治家になったけれど
  原子力空母がやってくれば、
  福祉の実現以前に市民の命が守れない。

  だから、このまちを愛して暮らしてきた人間ならば
  絶対に避けて通れない問題なんだ。

  2008年にはアメリカが原子力空母を配備する、
  という政府やアメリカに対して
  蒲谷市長は最後まで選挙公約を貫くとはとても思えない。

  だから、もしも蒲谷市長が選挙公約を破って
  原子力空母を受け入れたら、
  僕はリコールを行なって市長を辞任させたい。

  リコール実現には、市民の1人でも多くの関心をひかなければいけない。

  その為には僕があえて自爆テロを行なって、
  失敗したら政治家を引退するとハッキリ宣言した上でリコールをやる。

  これまでリコールが成功した例は、大都市では無いから
  たぶん僕のリコール運動も失敗するだろう。

  失敗するのが分かっていても、やらなければいけない時がある。

  僕の自爆テロで、1人でも多くの市民がめざめてくれたら
  それでも僕がリコールをやる意味があると思う。

  リコールが失敗したら辞任する、と言っているけれども
  リコールが失敗するのは最初から分かっている。

  だから、僕は政治家を任期途中で辞任することになると思う。

  それでも許してほしい。このまちを守る為にはしかたがないんだ」

 こうやって、多くの友達に説明をしてまわっていました。
 誰もが反対をしましたが、最後は納得してくれました。


 つまり、フジノは2006年1月には、
 政治家を途中で辞任する覚悟を決めていました。

 そして、4月27日にそれを僕の大切なYデッキで
 市民のみなさまに向けて、宣言したのです。


● けれども、フジノの人生の全てである自殺予防が動き出した

 2006年4月、辞任をかけたリコールの宣言をしました。

 しかし、同時期にもう1つ大切なことが動いていました。
 それはフジノが政治家になった理由である『自殺予防』についてです。

 NPO自殺対策支援センターライフリンクと共に
 国に『自殺対策基本法』の成立を求めて、全国で動き出したのです。

 フジノも自殺予防対策を最大の公約として
 その為に政治家になった人間として、
 法案の制定に全力をかけて取り組みことにしました。

 2006年5月13日には、法制定を求める全国7ヵ所一斉署名活動が
 横須賀で行なわれることになりました。
 (こちらこちらをご覧下さい)

 この時、フジノのこころは揺れ動きました。

 今、リコールを行なって政治家を辞職してしまえば、
 人生をかけて取り組んできた自殺予防対策に関われなくなってしまう。

 それでは何の為に政治家になったのか
 政治家フジノの全てが無意味になってしまう。

 でも、すでに辞任をかけてリコールを行なうことは
 市民のみなさまに約束をしたのだ。政治家の約束は重い。
 1度ウソをついたら2度と信じてもらえなくなる。

 その結果、リコール運動をやらないで、
 自殺対策基本法の成立に取り組むことに決心をしました。

 自殺予防対策を進めることこそが
 僕の人生をかけた『生きる意味』だから
です。

 しかしこれは同時に、政治家として決定的な終わりを
 決心したことでもありました。

 自分の辞任をかけて行なうと宣言したことを
 封印してしまうということは、政治家としてはもはや終わりです。

 そこで、2006年夏(1年半前)に、
 政治家フジノの任期は1期かぎりと決心しました。

 残り1年半の任期をかけて
 全力で自殺予防対策に徹底的に取り組む。

 そして、引退する。

 それしか政治家という職業の誇りにかけて
 辞任をかけたリコール運動という言葉を守れなかった責任が取れない。

 フジノはそう決心したのです。

 だから、この1年半、全力で自殺予防対策に取り組みました。

 2006年6月1日には、全国の地方議員の有志と共に
 『地域の自殺対策を推進する地方議員有志の会』を立ち上げて
 その代表にもなりました。

 2006年6月15日には、ついに悲願だった法律が
 国会で成立しました。

 国レベルで法律を作ることができたならば、
 次に行なうことは自分のまちでやるべきことを全てやることです。

 だから、時には体を削って過労で倒れながらも
 徹底的に自殺予防対策を提言していきました。

 例えば、2006年7月には、
 当選してすぐに提案したネットワーク型の自殺予防対策の組織である
 『自殺対策連絡協議会』を横須賀市が設置することになりました。

 これは全国に誇れることで、
 しかも政治家フジノが提案しなければ実現しなかったことでした。

 けれどもその一方で、市民のみなさまに
 政治家フジノが1期限りで引退することを最終的に納得していただく為に
 このHPの活動日記の中で少しずつ引退を語り始めました。

 1年半にわたってフジノは引退を決めていたから、
 あらゆるまわりの雑音が一切耳には入らずに
 仕事に命をかけてきました。

 残りあとわずかの任期を全て
 自殺予防対策をはじめとするフジノが政治家としてやるべきことだけに
 徹底的に命をかけて働くと決めたのです。


● 障がいのある方々の暮らしを支えることは僕のもう1つのライフワーク

 フジノのもう1つのライフワークは、
 障がいのある方々(特に精神障がいのある方々)の
 暮らしを支えていく、ということでした。

 この障がいのある方々の暮らしは
 2005年春頃から凄まじくピンチに陥っていました。

 2005年10月14日
 国が障害者自立支援法というサイアクの法律を作ってしまい、
 障がいのある方々の暮らしは
 もはや成り立たなくなるのではないか、という
 ひどい状況に追い込まれていました。

 フジノはこの法律がまだ案として国会に提出される前から
 厚生労働省の審議会を傍聴しつづけてきました。

 こんなひどい法律が作られたならば
 障がいのある方々の暮らしはもはや守れない。

 でも、国がダメなら、横須賀市がやればいい。

 フジノの全てをかけて、
 横須賀市が単独で行なえる負担軽減を提案しつづけました。

 そうした必死のフジノの行動は
 横須賀市を動かしました。

 (もちろんフジノだけで実現できたのではありません。
  障がいのある方々の行動とご家族の熱意があってこそ、です)

 こうして、障害者自立支援法が成立してしまっても
 横須賀市は『市単独の負担軽減』をいくつも行ないました。
 (例えば、こちらこちらをご参照ください)


 このような市独自の負担軽減を実現することは
 市の政治家にしかできない、とても大切なことです。

 国がダメでも、市だけでもがんばれば
 たくさんの人々を守ることができるのです。


● こうして引退が近づいてきました

 「自殺予防対策を進める」と
 「障がいのある方々の暮らしを支える」という2つのテーマを
 全身全霊をかけてフジノは取り組みました。

 政治家としての終わりが近づいていました。

 そこで、半年前から改めて
 お世話になったみなさまに引退のあいさつにまわりました。

 吉田雄人議員や原島ひろこ議員をはじめ、
 前市議の木村正孝さんなど
 親しいまわりの議員にも引退を伝えていきました。

 このHPを読んでいる方々も
 直接にフジノから

 「今季限りで政治家を引退します。
  本当にありがとうございました」

 と、言われた方々は多いと思います。

 政治家は約束を守ってこそ。

 公約を破った市長を辞任させる為に
 フジノは辞任をかけてリコールをやると言った。

 でも、自殺対策基本法を実現させたくて
 1度宣言したリコール運動を、封印することにしてしまった。

 けれども、約束を破ったこと=ウソをついたことは
 政治家としては万死に値する。

 だから、フジノは引退します。

 こう伝えて回りました。


● 辞めないでほしい、続けてほしい、と言われてこころが揺れました

 すでに1年半前に伝えてあったことなのに、
 半年前になって
 改めて「引責しての引退」を伝えて回った時には
 たくさんの市民の方々から止められました。

 けれども、政治家として
 ウソをついたのは許されません。

 フジノの決意は揺らぎませんでした。
 1期限りの引退は、変わりませんでした。

 こころはもちろん揺れました。

 中には、フジノに土下座をした
 障がいのある方のご家族がいらっしゃいました。

 「引退するなんて言わないで
  これまでと同じようにこの子の為に政治家を続けて下さい」

 と、涙を流してお願いをされました。

 あなたは、冗談とか酒の席ではなくて、
 本気の土下座をされたことがありますか?

 あるいは、土下座をしたことがありますか?

 僕は、33年間の人生を通じて
 本気で土下座をされたのは初めてでした。

 それは、本当に衝撃でした。

 フジノは激しくショックを受けて、
 その障がいのある方のお母さんと一緒になって泣きました。

 決意は揺るがないけれども
 どうしたらこの方々の力になり続けられるのだろうか、と。

 本当に苦しくてたまりませんでした。

 たかが33才の若造であるフジノが
 引退を決めたにも関わらず土下座までしてひき止められる。

 これはつまり、それだけ障がいのある方々が
 今の暮らしの中で追い込まれていることの証明だからです。


● 引退を撤回してほしい、という説得が続きました

 それから3月に至るまで、
 フジノの引退の撤回を求める必死の説得が続きました。

 たくさんのご家族の方々が
 メールや手紙や電話をくれました。

 毎日毎日、僕は苦しくてたまりませんでした。

 ご家族や障がいのある方々の想いは
 痛いほど理解できるのです。

 でも、もしも引退を撤回すれば、
 政治家としてフジノは2回もウソをつくことになるからです。

 そこで、もう1度必死に悩んで
 3月26日の予算議会が終わったら
 フジノは最後の決心を伝えることにしました。

 そうやってみなさんにいったん納得してもらって
 これ以上は説得しないで下さい、とお伝えしました。

 こうしてたくさんの方々からのメールや電話を
 ひとまず保留することができました。

 それから、毎日毎日、
 必死に悩んで考えました。


● 政治家フジノの原点である浅野史郎さんが立候補を決めて...
 
 そんなある日、フジノの師匠であるアサノ知事が
 東京都知事選挙に立候補しなければならなくなってしまいました。

 フジノは大反対でした。

 最初はアサノさんご自身が
 「フリーズ状態」「やる理由が無い」と立候補を断っていました。

 それが全国からの凄まじいまでの声におされて
 改めて立候補をせざるをえなくなったのです。

 今回の東京都知事選挙は
 最初から負ける戦いであることは分かっていました。

 それでもアサノさんは戦ったのです。
 僕は師匠の心意気・生き方に改めて触れて、泣きました。

 アサノさんの悲壮な決意は
 僕はひしひしと感じていました。

 僕は、自分の身の上と重ねずにはいられませんでした。

 批判を省みず、負け戦であることを分かっていながら、
 僕の師匠が全力を尽くして戦ったのだ。

 何故、僕は迷っているのだ、と。


● 予算議会の最終日、3月26日。

 3月26日の予算議会最終日、
 フジノは決断しなければいけませんでした。

 約束どおり引退するのか。
 ウソつきと言われても再び立候補するのか。

 ところで、今回の予算議会に提出された
 蒲谷市長の来年度予算案は、凄まじく福祉をカットしていました。

 あまりにもひどすぎる予算でした。

 特に、精神障がいのある方々の通院医療費の補助を
 全てカットしてしまうという予算案についてはサイアクでした。

 最終日、フジノは予算案に反対の討論演説をすることになっていました。

 実はこの討論、原稿が2種類つくってありました。

 1つ目は、予算案の悪い点を合理的に説明する演説。

 2つ目のものは、精神障がいのある1人の女性の人生を語って
 予算案が成立することで
 この女性が追い込まれるであろう苦しい状況を
 語りかける演説。

 2つ目の演説原稿は、ご本人に見てもらっていました。

 のちにこの演説は「素晴らしかった」と
 北海道の方からメールを頂くほどのできばえでした。

 それでも、その女性のプライバシーが
 全て記されている文章でもありました。

 だから、僕はその女性と相談して
 彼女のOKが出なければ、1つ目の原稿で演説をするつもりでした。

 なかなか彼女からのOKは出ませんでした。

 最終日の14時から
 予算議会は始まります。

 時計は、13時を過ぎていました。

 フジノは、1つ目の原稿で討論演説をやることにしました。

 そんな時に、13時半になって、
 本当にギリギリになって、その女性から電話が入ったのです。

 「フジノさんに私の人生を語って欲しい。
  市長さんや議員さんたちに私の人生を知って欲しい。
  だから、あの原稿でいいです」

 と。

 「でも、条件があります。
  フジノさん、必ずもう1回、立候補してください。

  私たち、精神障がいのある人の暮らしをどうか守ってください。
  この予算が通ったら、私たちは病院に通えなくなってしまうでしょう。

  その時に誰が私たちを守ってくれるのですか。
  だから、フジノさん、逃げないで下さい。

  かっこつけて約束だとか言わないで
  これからも政治家を続けてください」

 そう言われました。

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 この瞬間、フジノは腹をくくりました。

 この演説原稿は、ものすごくその女性のプライバシーを
 さらけだしているものなのです。彼女の人生が描かれているものなのです。

 それを、永久に残る議事録に載る
 本会議での演説で語ってしまう。凄まじい重みがあります。

 けれども、彼女はOKだと言ってくれたのです。

 そこまでの決心をしてくれたのに
 おれは逃げることはできない。

 この瞬間に、決心がつきました。

 そして、本会議場で、前代未聞ではありますが
 フジノは自分の決心を市民のみなさんに聞いていただきました。


 これがこの1年半の、フジノのこころの動きです。
 全てを隠さずに書きました。


● フジノは2つもウソをついた政治家です

 フジノは明日から1週間、
 市民のみなさんに問いたいと思います。

 すでにフジノは2つも政治家としてウソをつきました。

 (ウソその1)
 みずからの辞任をかけて市長をリコールすると宣言したのに
 リコール運動を行なわなかった

 (ウソその2)
 リコール運動をやらなかった責任を取って
 1期限りで引退すると宣言したのに、その決心を撤回した

 2つもウソをついた人間を
 政治家としてもう1度雇ってみようと思ってくれるのかどうか、
 僕は明日からの1週間を通じて
 市民のみなさまに尋ねてみたいと思います。

 今回、フジノの決心はたくさんの人々を傷つけました。

 フジノは絶対にウソをつかない政治家として
 たくさんの方々に信頼されてきました。

 けれども、2つもの大きなウソをついたのです。


● 言い訳はしません、このまちの福祉を守る為に為に命をかけたい

 僕は、その2つのウソについて
 言い訳は一切行ないません。

 結果的にウソをついたことにはなりましたが
 自殺予防対策と障がいのある方々の暮らしを支える福祉を守ることには
 命をかけて取り組んできました。

 何度も何度も過労で倒れました。

 それでも、43人の市議会議員の中で
 たった1人フジノだけが全ての本会議で市長に質問を行ないました。

 命をかけて働きました。

 そして、これからも命をかけて
 このまちの福祉を守る為にフジノは働きます。

 そのフジノの決意を
 あとは市民のみなさまが判断してください。

 僕は、言葉のあやではなくて、命をかけて働きました。

 そのフジノを政治家として
 あなたがもう1度必要とするかどうかは僕には分かりません。

 けれども、もしも再び政治家になったならば
 これまで以上に命をかけて僕は働くでしょう。

 全てはあなたしだいです。

 もしもこのまちの福祉をおかしいと感じるならば、
 もしもこのまちの福祉を変えたいと願うならば、
 フジノは命をかけて働きます。

 バカげたハコモノを止めたいのならば、
 フジノはこの身を削って、阻止する為に働きます。

 自殺によって悲しい想いをしている方がいて
 もしもフジノを必要とされるのであれば
 フジノは魂を削って、自殺予防の為に自分の時間を捨てて働きます。

 これが政治家フジノです。
 これが生身の藤野英明です。

 これから1週間、この1人の33才の若造の4年間の生き様を
 市民のみなさまに判断していただく為にまちをかけめぐります。

 税金のムダづかいになるから選挙カーには
 絶対に乗りません(というか作りませんでした)。

 ただひたすらに、メガフォンだけを持って
 このまちを歩き続けます。

 そして、フジノの政策、フジノの想い、このまちの未来を語ります。

 名前だけを繰り返し叫ぶような
 バカげたマネは絶対にしません。

 前回と同じように、名前を言うのは演説の最初と最後だけ。

 ポスターも貼りきれるかどうか分かりません。
 公選ハガキも2000枚、送りきれません。
 選挙公報はあまりにも文字をびっしりと書いたので読みづらいです。

 こんなフジノを判断してください。

 これが政治家フジノです。


● 今日が最後のHP更新となります

 公職選挙法のカンケーで、今夜をもちまして、
 選挙が終わる23日まではHPの更新ができません。

 4年間、このHPをご覧頂きまして
 みなさま本当にありがとうございました。

 この先、僕の肩書きが何になろうとも
 自殺予防対策と精神保健福祉に人生を捧げることは変わりません。

 どんな形でみなさまと再会するかは
 今この瞬間には分かりませんが
 その時まで、お別れです。

 この4年間、いつも見守ってくださって
 本当にありがとうございました。

 これからもいつも全身全霊をかけて
 フジノは全力で生きていきます。

 どうかみなさまもお元気でいてくださいね。

 りらっくす&ふぁいとです。

 それでは失礼します。
 今まで本当にありがとうございました!


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