まちの政治家は、こんなことしてます政治家フジノの活動日記


2008年11月15日(土)のフジノその4
● わが家の母はビョーキです by 中村ユキさん

 土曜日のカフェトークはいつもはお昼に行なうのですが、
 夜19時からに開催しました。

 カフェトークの会場である上町のカフェ『RRROOM』
 なんと今日のお昼、テレビ番組の収録があったのです!

 今夜20時55分から放送されたTVK(テレビ神奈川)の
 『あっぱれ!KANAGAWA大行進』という番組で
 どーんと紹介されていました。

 番組のラストは、『RRROOM』のマスターの乾杯のかけ声で
 デビット伊藤さんと中村アナをはじめ、
 常連客のみなさんがビールをぐいっとやっていました。

 自分の大好きなカフェがメディアで紹介されるのは
 ものすごくうれしい半面、
 世間に紹介されすぎるのもさみしかったり
 フクザツな気持ちですね〜。でも、うれしかったです。

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 さてさて、そんな訳で、夜に開催したカフェトークですが
 今日は、『プロのマンガ家』の方が来てくれました。

 プロのマンガ家の方が参加してくれたのは、
 今回で2人目です。カフェトークって、いろいろな方が集まりますね。

 フシギな磁場がいろいろな人を引き寄せるみたいで楽しいです。
 主催しているフジノがいつも1番楽しんでいると思います。

 さて、今日カフェトークに
 参加してくれたのは中村ユキさんです!

 あさって月曜日に本屋さんに並ぶので
 まだ店頭には1冊も出ていない

 『わが家の母はビョーキです』(サンマーク出版)

 の、できたてホヤホヤを持ってきてくれました。



 中村さんのお母さまが統合失調症を発症してからの31年間を
 コミックエッセイ(マンガとエッセイですね)として
 描いたものです。

 これは画期的な本です。

 何故なら、

 統合失調症(旧・精神分裂病)を真正面から描いたマンガが
 これまで大手出版社から出版されたことは無かった

 のです。

 もちろん、統合失調症について描いたマンガは
 これまでもたくさんありましたが、

 そのほとんどが
 世間へのインパクトはそれほど大きくない
 ミニコミ誌や家族会の会報や
 製薬会社のリーフレットなどだったのでした。

 一方で、うつ病についてはこれまで
 かなり多くのコミックエッセイが出版されてきました。

 特に、細川貂々さんが描いた『ツレがうつになりまして』
 『その後のツレがうつになりまして』
 うつ病への世間の理解をすごく高めてくれました。

 (細川さんの功績は本当に素晴らしいと思います!)

 一方、精神保健医療福祉の専門家にとって
 精神疾患といえば、やっぱりメインは『統合失調症』なのです。

 統合失調症こそが、僕たちの『勝負』なのです。
 僕にとっても、統合失調症こそが人生をかけた最大のテーマです。

 それなのに、統合失調症が
 正しい姿でマスメディアの表舞台に出てくることは
 これまでほとんどありませんでした。

 それが今回、あのサンマーク出版から出版されるのです。

 この点において、『わが母』
 統合失調症の理解をすすめる大きな第1歩なのです!


● 統合失調症は100人に1人がかかる、当たり前の病気です

 『わが母』をフジノ事務所で読み終えましたが、いい本ですね。
 分かりやすい。読みやすい。
 そして、何よりもウソがない。

 リアルです。でも、明るいです。

 統合失調症のお母さまとの壮絶な日々が
 こどもからの目線でリアルに描かれています。

 こどもからの目線、というのは、
 どれほど病気である母の状況に悩んだり苦しめられたりしつつも
 どこかにいつも『生きる希望』『生きようという明るさ』があるのです。

 それは、中途半端なドラマなんかではありません。
 こどもにとって、生きるか死ぬかの体験でもあります。

 僕もたくさんの統合失調症の親御さんを持つ
 こどもたちと出会ってきました。

 多くの場合、こどもは児童養護施設に引き離されていて
 親御さんは精神科病院に入院していたりしました。

 親の養育能力が欠けている、あるいは
 親と一緒にいるとこどもが危険だ、といった理由の場合もあります。

 けれども、こどもたちは、
 病気のせいで殺されそうになったまさにその親に
 「会いたい」「会いたい」と繰り返し、言うのです。

 どれほど児童福祉司や職員が愛情を注いだとしても
 親御さんを大好きでたまらないのです。

 どんなに福祉の専門家が愛情を注いだとしても
 それはしょせん他人であって、

 どんなに病気が重くて困らせられたとしても
 大切な、大好きな、お母さんであり、お父さんなのです。

 包丁をつきつけられても、首をしめられても。

 これが僕の知っているリアルです。
 僕の感じる、

 『こどもたちの持つ、苦境であっても希望を持っている』

 というリアルさです。

 そうしたリアルな明るさが描かれた
 統合失調症の本当のことが分かる本が『わが母』です。

 著者である中村ユキさんは、表層的な意味ではなく、
 『本気』で、お母さまのことを愛しているのだと
 読み終えて感じました。

 とても良い読後感でした。

中村ユキさんとフジノ  左の写真は
 中村ユキさんとフジノです。

 本で描かれている姿よりも
 もっとキュートな素敵な方です。

 フジノは宣言したいのですが
 絶対に中村さんは
 この本で注目されるはずです。

 マスメディアは絶対に
 この大きな意義を持つ本を
 放っておくことは
 できないはずです。

 この本が書評に載らないような
 マスメディアはありえないと
 フジノは考えます。

 ところで、統合失調症は、他のどの病気と同じく
 完全に全く同じ症状の人は誰1人として存在しません。

 みんなが人それぞれに
 特有の症状を持っています。

 だから、『わが母』だけで統合失調症の全ては
 理解することはできませんし、もっと別の症状もあります。

 けれども、この本は統合失調症の症状や家族の体験を
 多くの方々が理解する上でとても役に立つはずです。

 どうか、みなさま、ぜひ読んでみてくださいね。

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 統合失調症は100人に1人がかかる、
 当たり前の病気です。

 そんなたくさんの方がかかる当たり前の病気が
 日本という国に生まれたというだけで
 早期発見も
 早期治療もされずに

 たくさんの方々が苦しんでいます。

 (例えば1978年から、
  日本では学校の保健体育教科書から
  完全に精神疾患の記述がカットされてしまいました。
  思春期こそ精神疾患にかかりやすいのに!)

 僕の亡くなった元恋人も
 高校時代に統合失調症にかかりました。

 学校で言えば、2クラスに1人は必ず
 統合失調症になる人がいるのです。よくある病気です。

 それなのに、学校では教えもしない。

 だから、早期発見・早期治療ができれば
 かなりの人がもっとラクに治療を終えられるのに
 元気いっぱいに暮らしていかれるのに
 それがこの国ではできない。

 サイテーな国だと僕は今も怒りでいっぱいです。

 『日本精神医学界の父』と呼ばれる呉秀三先生は
 かつて1918年にこう書きました。

 わが国の精神病者は、この病を受けたるの不幸のほかに、
 この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし

 90年が過ぎた今もわが国の精神保健医療福祉は
 とても遅れている現状があります。

 この怒りがいつも僕の中にあって
 呉先生の言葉がいつも僕の中に炎のように燃えていて

 絶対に変えてやる、こんな国を変えてやる、と
 怨念のように僕の中にいつも渦巻いています。

 イタリアでは精神科病院を廃止しました。

 本気を出せば、日本だってできるんです。
 地域で誰もが暮らせるはずの、ふつうの病気なのです。

 それをやらない日本という国が、憎くてたまりません。
 それをやらない政治が、憎くてたまりません。

 けれども、政府がダメならば
 僕たちが変えていけばいいのです。
 僕はそう信じています。

 だから、僕はあきらめずに政治の力で
 現実を変えようとして闘っています。

 僕のこころの師匠である大熊一夫さん(ジャーナリスト)
 たった1人きりで、大きく日本の精神医療を変えたのですから。

 そして、今回出版される中村ユキさんの
 『わが家の母はビョーキです』によって
 きっと世間の理解はさらにすすんでいくはずです。

 当たり前の病気が、もっと当たり前の治療が受けられるように
 そして、もっと当たり前の暮らしができるように。



2008年11月15日(土)のフジノその3
● フジノに『日本手話』の存在を教えてくれた人

 先ほどフジノは、75年間、と書きました。

 昭和8年、今から75年前に
 当時の文部大臣が
 手話ではなく口話教育を行なえと訓示をしたのです。

 それ以来、全国のろう学校で、
 自然言語である日本手話を使うことが禁止されて

 かわりに、『口話法』というものが
 徹底的に行なわれるることになりました。

 ろう児に発音を教えて、
 話をしている相手の口の形を読み取らせる、というものです。

 あなたは、自分がそれをできると思いますか?

 相手の口の形を目で読み取って、何とか話していることを考えて、
 聴こえない自分の声を発声して、話をするのです。

 僕には、絶対にムリだと感じます。

 口話法をどうしてもこどもにやらせたいという親の為に
 選択肢として残すことはあるとしても

 ろう教育のあるべき姿は
 日本手話によって
 まず第1言語での教育を確立することだと
 フジノは信じています。

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 これまでこの件については、

 政治家としてしっかりと現場を実際に見て、
 考え方が固まるまでは、と5年半、一切の発言を封印してきました。

 でも、明晴学園を訪れた今日、
 ついにハッキリとフジノは確信しました。

 ろう者にはろう者の言語があって、
 ろう者の文化がある。


 口話法と手話による教育と
 どちらが優れているかとかそういう次元の話ではなく
 人として、在るべき姿とは何か、という次元の話だと考えています。

 第1言語での教育を行なわないのは、
 むりやり言葉を奪うことに等しいと感じます。

 人から本来の言葉を奪うこととは、
 なんて恐ろしいことだろうと僕は思います。

 まだまだフジノは勉強不足です。
 しかも、日本手話を学んだことさえ、ありません。

 だから、誤った理解をしていることもたくさんあるでしょう。

 これから何年も何年もかけて
 『ろう者』の方々の想いを受けとめられる努力を続けたい、
 そう考えています。

 人はみんな違う。多様性があって当たり前。
 それを理念ではなくて、実践で行なうのはとても難しい。

 でも、僕はその実践を行なった
 『明晴学園』の存在に強く励まされました。

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 フジノはかつて5年半前に、
 こんな出来事がありました。

 あまりにもショックで自分が情けなくて、
 必死で手話について学びました。

 その時に出会った本が

 『もうひとつの手話〜ろう者の豊かな世界〜』
 (斉藤道雄著、晶文社、1999年)

 でした。

 著者の斉藤道雄さん(ジャーナリスト)は
 精神保健福祉をメインの政策とするフジノにとって
 お会いしたことが無いけれども、心理的にすごく身近な存在でした。

 フジノが大切に感じている『べてるの家』をテーマにした本
 『悩む力〜べてるの家の人びと〜』を出版して
 講談社ノンフィクション賞を受賞しておられたからです。

 その斉藤さんが手話について書いた本だったので
 何気なく手にとったのがきっかけです。

 その時からずっと、こころの中でフジノは
 いつか必ず日本手話の問題と向きあうのだ、と決めてきました。

 いつか、自殺の数が減らせた時には...
 いつか、精神保健医療福祉が改革できた時には...

 政治家になって5年も経ってしまった今も
 自殺予防対策も精神保健医療福祉の向上も、いまだ道半ばです。

 けれども、政治家フジノとしての終わりまで
 残りわずか2年となった今、
 「いつか」を待っていることは、もうできなくなりました。

 今のフジノならば、世間に対する影響力が少しだけあります。
 だから今のうちに、この問題をしっかり世間に伝えたいのです。

 だから、今年は市立ろう学校へ見学に行きました。
 だから、今年はついにスタートした『明晴学園』に行きました。

 手話がブームになる年があります。
 それは、テレビドラマが放送された年だけです。

 でも、それだけでは足りないのです。

 僕たちは、もっと人の多様性を
 本気で理解しようとしなければいけない。

 たとえ、手話を習いにいかなくてもいいのです。

 恐ろしいことは、
 それが本当にその人々の為になっているのか、ということを
 知らないままに世の中が動いていっていることなのです。

 流されていくことほど、恐ろしいことはありません。


● 明晴学園の実践が成功しつづけますように!

 それから、5年半が過ぎました。

 5年半前、フジノに本を通してこの問題を教えてくれた斉藤さんは
 今、明晴学園の初代校長先生に就任しています!

 斉藤さんはTBSのワシントン支局時代(15年前)に
 アメリカ手話に出会って以来、
 この問題と向きあってきた方なのです。

 明晴学園の前身である
 フリースクール『龍の子学園』時代から
 多くの方々が奮闘されて今年の開校に至ったのですが
 斉藤さんは初代校長先生に
 ふさわしい方なのだなあと感じます。

斉藤校長先生とフジノ

 もちろん、初対面なのですが
 斉藤校長先生に
 上に記したようなフジノの想いを聞いていただきました。


 サインまで頂いてしまいました。
 明晴祭でお忙しい中を、ごめんなさい!

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 フジノは5年半もかかってしまいました。

 ろう者の方々にはろう者の方々の言語も文化もある。
 それは、その時代の権力者が消そうとしても
 決して消すことなんてできない。


 こんな当たり前のことを
 腑に落ちて理解するのに5年半もかかってしまいました。

 だから、市民のみなさまに
 この活動日記を読んでいきなり理解してくれなんて
 言う資格が無いのも分かっています。

 僕は、あなたに知ってほしいのです。

 それが唯一の願いです。



 明晴学園の実践がどうか全国に広まりますように。
 どうか明晴学園が実践が今まで以上に成功しますように。



2008年11月15日(土)のフジノその2
● 明晴学園に行ってきました!

 フジノの大切な政策である『ひとり親家庭のサポート』の為に
 重要な話しあいが行なわれている

 『ひとり親家庭等の自立支援のあり方に関する検討会』
 今日はたった30分で抜けだして、東京・品川区へ向かいました。

 2年にわたって続いているこの検討会を
 フジノはたった1度も
 途中で抜けたことは無かったです。

 それくらいに、大切なことだったのです。

 何故ならば、日本でたった1校しか存在しない

 『日本手話で教え、
  日本手話で学ぶ、ろう児の為のろう学校』


 を訪れる為です。

 その名は、『明晴学園』です。

 たくさんの方々の長い闘いの末に
 ついに今年4月にオープンした、素晴らしい学校です!


 フジノは4月のスタートと同時に
 見学に行きたかったのですが

 開校してからずっと全国から
 あまりにもたくさんの見学・視察・取材申し込みが殺到して
 授業にさしつかえてしまい、見学をストップしているとのことでした。

 (現在は、毎月1日だけ学校見学ツアーがあります)

 だから、こどもたちの邪魔にならないように

 事前申し込みがOKされれば一般参加もできる
 学芸会(『第1回・明晴祭』)が行なわれた今日、

 ついに願いが叶って
 フジノは明晴学園へ来ることができました!


● 『日本手話』という1つの独立した言語(自然言語)の存在

 日本に暮らす人ならば
 日本語を話すのが当たり前だ

 と、なんとなく誰もが考えているのではないでしょうか?
 でも、それは事実ではありません。

 例えば、現在は日本の国土であっても
 アイヌの人々にはアイヌ独自の言葉と文化があります。
 琉球の人々には琉球独自の言葉と文化があります。

 日本に暮らしていても、
 日本語だけが母語(第1言語)ではありません。

 今日フジノがお話したいのは、
 『日本手話』という言語の存在です。

 それは、手話という言葉からよくイメージされる

 「あ」という日本語には「あ」という指文字がある、
 「い」という日本語には「い」という指文字がある、

 というようなものではありません。

 「今日、公園に赤い花が咲きました」

 という日本語に対して

 「今日」という単語、「公園」という単語、「に」という単語、
 「赤い」という単語、「花」という単語、「が」という単語、
 「咲く」という単語、「ました」という単語、

 を1つずつ対応させていくものを
 『日本語対応手話』と呼びますが、
 フジノが話したいのは、この手話のことではありません。

 分かりやすさの為に
 あえて、極端に書きますね。

 名前はまぎらわしく『手話』と呼ばれていますが
 実際には、これは『日本語』でしかありません。

 日本語の単語や助詞などの言葉と同じ順番で
 1対1で対応させるようなイメージのものは、『手話』ではありません。

 それは、『手話』と呼ばれてはいるものの、
 日本語をただ通訳しただけの
 『日本語対応手話』という変形した『日本語』なのです。

 そうではなくて、『ろう者』の方々が
 自分たちの言葉(第1言語)として持っている『手話』があります。

 第1言語、というのは、言い換えると
 『自然言語』といえるかもしれません。

 人が生まれてから、親から子へと伝えていかれる言葉。
 『ろう者』の方々にとって自然言語とは、『日本手話』なのです。

 それは『日本語対応手話』とは文法も全く異なる
 別のものです。日本語とは異なる、正式な言語なのです。

 つまり、世間一般でイメージされている手話とは
 明らかに全く別の、手話が存在しているのです。

 それが『日本手話』です。

 下に書いたのは(へたくそでごめんなさい)
 この説明をフジノが図にしたものです。


 この事実を、初めて知ったあなたは
 なかなか理解できないことと思います。

 本当はもっときちんと説明したいのですが
 今のフジノの能力では、こんな大雑把なものが精一杯です。

 いずれにしても、『ろう者』の方々の母語(第1言語)とは
 『日本手話』というものなのです。

 だから、『ろう者』の方々が『日本語』を学ぶということは、
 第2言語を学んでいるということなのです。

 つまり、あなたが『日本語』を第1言語として育った後で、
 小学校高学年か中学校くらいから
 新たに第2言語として
 『英語』を勉強して学ぶのと同じです。

 『ろう者』の方々がふだん日本手話で生活しながら
 仕事や勉強のカンケーで日本語を使う時、
 それは、バイリンガルである、ということなのです。

 2つの別々の言語を使っている、という状態なのです。

 そんな事実が、この国では知らされてきませんでした。
 言うならば、封じ込められてきました。

 この75年間、日本で暮らす『ろう者』は
 第2言語である『日本語』を第1言語であるかのように
 使うことを強制させられていました。

 極端な言い方ですが、あえてフジノはそう表現します。

 約75年間にわたるその歴史を変えるのが
 今日、訪れた明晴学園だとフジノは考えています。




 明晴学園では、こどもたちに『日本手話』で教育します。

 『ろう者』ではないこどもたちが
 幼稚園や小学校で『日本語』で教育を受けていくのと同じように

 『ろう』のこどもたちは明晴学園では
 『日本手話』によって教育を受けます。

 先生も『日本手話』で教えて、
 生徒も『日本手話』で学びます。

 すごく自然なことですよね?

 けれども、日本では日本語も使えた方が
 日常生活の中では当然ながら便利な訳です。

 そこで、まず第1言語(『日本手話』)によって
 しっかりと学んでから

 それから(あるいは同時に)
 第2言語(外国語)としての『日本語』を学ぶのです。
 つまり、バイリンガル教育ですね。

 こうしたバイリンガル教育こそが
 『ろう者』の方々にとって、わが国の在るべき教育の姿だ


 と、政治家としてフジノは信じています。

 (さらに詳しく知りたい方は
  NPOバイリンガル・バイカルチュラルろう教育センターのHP
  ご覧になってください。ぜひ見てくださいませ)



2008年11月8日(土)のフジノ
● ふれあい作品展で今年もクリスマスリースを買いました!

 今年もやってきました!

 汐入のダイエーの2階ふきぬけを会場にした

 『第33回横須賀・三浦地区 
  障がい児・者文化事業 ふれあい作品展』


 です。

 毎年、良い商品があるので、
 クリスマスの飾りつけなど必ず買いに来ています。

 かつて2004年に来た時は、
 恩師と思いがけず再会したこともありました。
 


 毎年、クリスマスリースを2つ、買っています。
 すごく質の高いものが、かなりの安い値段で売っているからです。

 量販店とかで買うより安くて
 本当にかわいいのがあるんですよ。

 事務所用と、自宅用です。
 下の派手なクリスマスリースは、事務所用です。

 自宅用はしっとりとした感じの、赤を基本としたものです。



 そして、公郷の『やすらぎ作業所』のクッキー!

 クリスマス包装された、動物を形どったクッキーは
 とってもかわいかったので、2つ、買って行きました。



 1つは自宅用、もう1つはお土産にして、
 カフェで毎日クッキーを焼いているプロの方に食べてもらいました。

 「いいクッキーですね。
  これはかなり丁寧な作業ですよ、フジノさん。

  こどもたちをターゲットにすれば、大人気になるはず。
  あとは、固さをこども向けにしたら、完璧じゃないですかね!

  ふだん、お店で販売してないんですか?」

 との感想でした。コーヒーと共においしくいただきました。


● いいものを売りまくろう!

 毎年おこなわれているこの作品展では、
 もちろん作品もきちんと見ているのですが
 商品販売が楽しくて、そっちが僕の中でメインになっています。

 絶対にスーツは着ていかないでふだん着に帽子をかぶって
 福祉カンケーの方々に見つからないように
 こっそりと買い物をすることにしています。

 (それでも発見されてしまった!
  『公郷かりがね作業所』所長の五位さんの眼力はすごいですね。
  他には誰も気づかれなかったのに...)

 何年も前から書いてきたことですが
 フジノは、福祉仲間が売ってるから買うのではありません。

 障がいのある人々が作っているから買うのではありません。
 義理や人情ではなくて、欲しいものを買うのです。

 当選した2003年からずっと同じ主張ですが
 とにかくガンガン売れる商品を作業所に作ってほしいのです。

 作業所の方々にも

 「販売する場所が見つからなければ
  フジノがインターネットで販売代行してもいい」

 と、言い続けてきました。

 市議会でも、経済部に対しての質疑で

 「経済部が中小企業向けに中小企業診断士を委託しているが
  作業所に経営の観点からアドバイスをしてほしい」

 とも提案してきました。

 良い商品は、必ず売れます。
 販路は開拓すれば、消費者はそれを買っていきます。

 「障がい」とか「福祉バザー」みたいなものを収入源にした
 作業所の経営はもうやめていくべきだとフジノは訴え続けています。

 その信念から、いつも作業所の商品を見るのが楽しみです。
 必ずワクワクする商品があるからです。

 今年の最大のフジノ的ヒットは
 三浦市の『きくな作業所』のマロウ・ティーでした!

 このハーブ・ティー、
 ヤバイです。

 絶対に『買い』です!

 ハーブ・ティーですから
 香りはまず良いのですが

 ぜひともマグカップではなく
 透明なガラスのカップで
 飲んで下さい!

 色の変化がすごい!

 お湯を注いだ時の色、
 レモンを入れた時の色、
 2杯目のお湯を入れた時の色、
 すごく素敵です!

 最初はそれを見てもらう為に、写メを撮ったのですが
 あえて載せるのをやめました。

 市民のみなさまに、直接にこれを買ってほしかったからです。
 この素敵なハーブ・ティーをぜひ買ってください。
 そして、このおいしくて素敵な色の変化を見せるハーブ・ティーを
 ぜひともご自身で味わってみてください。

 これは今年のフジノ的な最優秀賞です。
 本当に良かったです。

 続いて、第2位は、
 公郷の『フロムワン福祉園』で作っている『よこすかとうふ』です。



 売っていたのは2種類で両方とも買ったのですが、
 特に『よせとうふバージョン』は、

 「デザートのようにスプーンでどうぞ」

 ということで、家に帰ってさっそく食べてみました。



 これは、かなりウマイ!

 男前豆腐ほどフルーティーでは
 ありませんけれども、おいしい!

 あらかじめ『フロムワン』に
 尋ねておけば良かった。
 このお豆腐って、ふだんから
 どこかのスーパーに卸売りしてるのかな?

 フジノが買いに行った時にも
 すでに残り4個しか残ってなかったから

 ほとんど売れちゃってたので
 ぐるりと他の商品みているあいだ、
 2個をとっておいてもらったんですね。

 人気商品、ナイスです。

 そして、フジノが必ず毎年買っている、いもむしの形をした『文鎮』です。



 『かりがね作業所』で、
 自閉症のある方が作っているそうなのですが

 毎年変わらないとても愛嬌のある顔が大好きでたまらず、
 値段も手ごろなので、
 1匹ずつ買っているうちに
 わがフジノ事務所には4匹もこのコたちがいるんですね〜。

 市議会の資料はとても厚いので
 何冊もの資料をページを開いたまま仕事をする時に
 彼ら(彼女ら?)がいつもページを押さえていてくれるのです。


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 ぜひ市民のみなさまも、作業所の商品を手にとって見て下さい。

 決して、

 「福祉バザーだから買ってあげようかな」

 とか

 「障がいのある方々が一生懸命作ったんだから買おうかな」

 なんて

 手加減はしないで、おサイフの口は固くして下さい。

 そして、本当に気に入った物をゲットしてみて下さい。
 それでもかなりいろいろなお気に入りが見つかるはずですから。

 作業所は、毎年、進化しています。

 こうしたダイエーでの毎年の販売だけでなく
 いろいろな機会に作業所の商品が販売されています。

 ぜひぜひみなさま、実際に手にとってみて下さい。



2008年11月6日(木)のフジノ
● 1日をのりきること、その繰り返しが僕の人生だ

 ほとんど眠る時間が無いままに起きて
 朝食を食べる余裕も無いままに家を出発して

 いのちのやりとりについて
 話し合う。僕は必死だ。

 今の日本社会では、いのちが長く続くかどうかは
 お金があるかどうかに左右される。サイテーな社会だと感じる。

 政治家としての自らの無力さを感じる。
 政府の無能さには殺意を覚えるほどうんざりする。

 2時間、話し合ったのち、移動して
 すぐに別の場所へ。

 そこでもまた、いのちについて話し合う。

 限られた45分ほどのあいだに
 現状の正確な分析と
 想定される将来を全力で説明する。

 けれども、僕の話が
 相手に理解されたとはとても思えない。

 すぐバイクに乗って30分間、移動。
 自分が発した言葉を何度もあたまの中で繰り返してみる。

 ようやく20分だけ時間ができたので、
 プライバシーを守ってくれる数少ない場所へ。

 必死で気持ちを切りかえる。

 失われつつあるいのちのことや、
 あらゆる苦難に満ちた道のりを進む人々のことを
 20分だけ忘れようと努める。

 その後、急いで横須賀中央駅へ向かい、
 メディアの方と待ち合わせて、インタビュー取材を受ける。

 30分の予定のインタビューを
 3時間ぶっとおしで話し続けてしまった。

 中学生・高校生を読み手のターゲットにした取材だったので
 とにかく全力で自分の想いをさらけだした。

 最後に「将来の夢や目標がありますか」と尋ねられて、

 「プロの政治家として
  絶対に実現しなければならない政策や
  解決しなければならない問題はいつもたくさんあります。
  1秒も忘れたことはありません」

 と答えた後で、

 「けれども、個人としての夢や目標は
  今の僕には全く見つかりません。
  そもそも生きていかねばならない理由も分かりません。

  全力で仕事をしていれば、政策が実現すれば、
  他人が喜んでくれるから
  何となく生きている張り合いもあります。
  けれども、それは僕の夢や目標とは全くカンケーありません。

  僕には生きる意味も分からないし、
  これからの夢も目標も全く分かりません」

 と答えた。

 夢や目標は、人生の中で見つかったり消えていったりする。

 実現したり、実現できなかったり、
 方向転換せざるをえなかったり、いろいろだ。

 「夢を持て」とこどもに語る大人に出会うと
 僕は死ぬほどうんざりする。

 そんなものは、持てるこどもは自発的に持っている。
 言われなくても目標があるヤツは勝手に目標を持っている。

 僕には、生きていく理由なんて分からない。
 与えられたいのちを生きているだけだ。

 「生きていれば、きっと良いことがあるよ」

 なんてセリフはウソだ。
 そんなに世の中は優しくも甘くも無い。

 どん底の暮らしのさらにどん底の暮らしがある。

 生きていれば、
 もしかしたら良いことも
 たまたまある時も少しだけあるかもしれない。

 そんなたまたまを期待しながら
 生きていけるほど、
 人はみんなが強い訳では無い。

 だから、助け合う。
 人は、助け合うのだ。

 取材の最後は

 「それでもあえて一緒に生きていこうと
  中学生や高校生たちに伝えたいです」

 と締めくくった。

 僕のリアルとは、こんなだ。

 1日を、何とか今日1日をのりきること。
 その積み重ねが34年間つづいている。

 ただ、それだけのことだ。


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