まちの政治家は、こんなことしてます政治家フジノの活動日記


2008年11月5日(水)のフジノ
● 「聴覚障がい」「手話」とフジノの関わり

 手話は幼い頃からフジノにとって、
 いつも身近でした。

 だから、中学時代には
 青少年会館に手話を習いに行っていました。

 やがて政治家に立候補を決意した2003年4月、
 こんな出来事がありました。

 ろう者の存在が
 すっぽり頭から抜けていた自分が恥ずかしくて
 激しいショックを受けました。

 また、当選した直後には
 手話さえできないフジノに対して、
 ろう者の方から厳しい怒りのお手紙をいただきました。

 それから、たとえ手話を習う時間がつくれなくても
 とにかく理解を深めたいと考えて

 2004年夏頃には、街頭演説での
 はじめの挨拶と終わりの挨拶だけを手話で行なっていました。

 また、2003年からは
 ベターコミュニケーション研究会の発行している
 聴覚障がいに関わる総合情報誌『いくお〜る』の購読を始めました。

 2004年6月には市民の方からのご提案を受けて
 実際に市議会で消防局に対して提案を行ないました。

 リアルタイムでの情報アクセスの観点から、
 本会議で市長へ一般質問を行なう時に
 手話通訳が必要だと強く願ってきたこともあって

 2007年6月議会から
 手話通訳が導入されたことは、本当に喜びでした。


● 市立ろう学校へ見学に行ってきました!

 とても深い思い入れがあるにも関わらず
 残念ながらこれまで
 『市立ろう学校』を見学したことがありませんでした。

 それがようやく本日、『学校へ行こう週間』を活用して
 見学に行くことができました。本当に行くことができて良かったです。

 意外に知られていないのですが
 市立ろう学校の場所は
 かつての市立横須賀高校の
 すぐそばにあります。

 だから、森崎ですね。
 井戸店のトンネルを抜けて
 すぐ右にあります。

 午前中からおじゃまして
 高等部の国語の授業と、
 給食の時間を、

 午後は、
 幼稚部のことばの授業と
 高等部の英語の授業を
 見学しました。

 市議会議員ということを隠しての見学だったのですが
 途中で教頭先生にバレてしまい、
 その後、校長先生にご挨拶をすることに...。

 (市議会議員が学校を見学することは=視察になってしまうのです。
  教育委員会を通して依頼をしないといけない訳です。

  そうすると、過去の経験から分かったことは
  教職員の方が構えてしまったりとか
  いろいろな理由から
  ふだんどおりの姿が見れなくなってしまうのです。

  それを避ける為にあえて一般の保護者や地域の方と同じように
  誰でも学校見学ができる『学校へ行こう週間』を選んだのでした。

  だから、フジノが坂本中学校や旧・桜台中学校に行く時には
  やっぱり来賓・政治家としての立場で訪れているのです。
  個人として参加していることを主張すべく
  私服で行っても、気づかれてしまえばおんなじですよね...)

 でも、校長先生にご挨拶にうかがったおかげで、
 その後、校長室でわざわざ時間を割いていただいて

 かなり詳しく、現在の市立ろう学校の状況について
 お話を聞かせていただくことができました。

 大変勉強になりました。校長先生、ありがとうございます!


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 フジノの目的は、とにかく国語の授業を見学することでした。

 本来は数日間にわけて
 幼稚部・小学部・中学部・高等部の全ての
 ことば・国語の授業を見学するつもりでした。

 (市立ろう学校は、乳幼児から高等部まで一体となっています)

 残念ながらフジノの体調の問題で
 1日しか見学に行けなかったのですが

 幼稚部と高等部の国語を見学できて、
 また、外国人のALT(英語を母国語とする助手の先生ですね)との
 英語の授業を見学できたのは、とても良い体験でした。

 本日の見学で出会った
 全ての生徒たち、先生方、親御さん、ありがとうございました。
 こころから感謝しています。ありがとうございました。

市立ろう学校の校門前に立つフジノ

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 何故、フジノがそこまで『ろう学校』に
 こだわるのかということを

 これから数回(数ヶ月?)にわけて
 少しずつ記していきたいと考えています。



2008年11月4日(火)のフジノ(その5)
● 虎井まさ衛さんと横須賀市が本気で話し合った

 虎井さんの講演が終わると、質疑応答になりました。

 熱の入った講演で予定の時間も超えていたこともあって
 5人ほどの質問で終わりました。

 終了後、会場内の他のお客さんが帰った後も
 フジノは配布されたアンケートへの回答を書いていました。

 こういう機会を教育委員会がつくったこと、
 講師として最適な方を選んだこと、
 講演の内容もとても分かりやすく率直なものであったこと、
 そうしたこと全てに感謝していることを記しました。

 アンケートを提出する時に
 教育委員会の方に

 「最後まで教育長は講演を聞いていらっしゃいましたよね?」

 と尋ねると

 「そうなんです、フジノ議員!
  すぐ後に別の用事が入っている為に
  終了と同時に会場を出ましたが、最後までいらっしゃいました」

 との返事でした。

 やっぱり教育長、気合いが入っている。
 うれしい。

 「虎井さんに僕からも講演の御礼を申し上げたいのですが...」

 と言うと、控え室に案内してくれました。


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 控え室に入ると、虎井さんと共に
 教育委員会(生涯学習担当)メンバーだけでなく
 わが市の人権・男女共同参画課長も来てくれていたのでした。

 手前ミソですが、異動で今年から来た
 人権・男女協同参画課長は
 性的な多様性の保障に取り組むという意欲を感じます。
 (先日、横浜SHIPのパンフレットを持っていった時もそう感じました)

 虎井さんと市側メンバーの許可をいただいて
 フジノも同席させていただきました。

 さっそくフジノが名刺をとりだして

 「虎井さん、突然おしかけてすみません。
  横須賀市議会議員の藤野英明と申します。
  このたびは、講演を引き受けて下さってありがとうございます」

 と述べると、

 「藤野さん、存じ上げていますよ。
  お会いできてうれしいです。ブログ、拝見しています」

 と、虎井さんからありがたいお言葉が!

 プロの作家であるだけでなく、
 性的な多様性の保障の為にまさに闘ってきた
 虎井さんに、そんな言葉をかけていただけるなんて光栄です...。

 フジノが政策として性的な多様性の保障について
 本格的に勉強を始めたのは
 まだまだ数年程度のことなのですね。

 そんなフジノでも、日本でのこの課題の歴史を調べれば
 虎井さんの存在や活動というのは、すさまじく大きな存在なのです。

 ドラマ『金八先生』第6シーズンの上戸綾さん演じる
 性同一性障害の生徒のストーリーによって

 日本全国にあっという間に
 性同一性障害という存在が知れ渡りました。

 もちろん、脚本家の存在があったからこそ、とか
 『金八先生』シリーズの存在があったからこそ、とか
 いろいろな見方はあるとは思います。

 でも、あの第6シーズンが日本全国に受け入れられたのは
 それが実話に基づくということが、大きかったはずです。

 そこに、虎井さんという存在があった、ということが
 本当に大きかった、とフジノは考えています。

 この国で何かの問題が大きな改善を迎える時、
 いつも誰かしら犠牲者(サクリファイス)ともいうべき存在が
 必ず存在します。

 自らのプライバシーを諦めざるをえず、
 その自らの痛みや苦しみを世間に対して包み隠さず伝えることで
 ようやくこの国では世論が動きます。

 フジノにとって虎井さんは、
 性的な多様性をわが国で保障していく道のりを切り拓いた
 大きなサクリファイスであったと受けとめています。

 権力を持つ政治家の存在でもなく、マスコミの影響力でもなく、
 ある1人の個人の苦しみや痛みが国を動かすのです。

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 虎井さんが東京に戻らねばならない予定も延期して下さって

 それから1時間にわたって、
 教育委員会&人権・男女共同参画課長&フジノは
 虎井さんと今後の在るべき姿について
 意見交換をさせてもらいました。

 ここにはその意見交換を書けないのですが
 かなり深い議論ができたと思います。

 特に印象に残ったのは、人権・男女共同参画課長が

 「行政が本当に効果があることを取り組みたいのに
  どうしても『啓発』ばかりになってしまうのです。
  虎井さんは、実効性のある対策をどうお考えでしょうか?」

 と質問した時のことでした。

 課長はかつて広報課長だったこともあって
 広報・啓発については、プロです。

 何かの活動をやろうとすると『啓発』活動ばかりになってしまう、
 ということが往々にして全ての問題で起こります。

 例えば、自殺予防対策についても
 国の自殺総合対策会議でも

 「啓発活動主体の自殺予防を
  より実効性のある対策に変えていかねばならない」

 と、つい先日もテーマになりました。

 だからこそ、課長の言う、
 『啓発』だけではない『実効性のある取り組み』とは何か、
 という問いかけは痛いほど分かりました。

 フジノもまさに同じように毎日毎瞬間、
 いったい何を成せば実効性があるのかを必死に考えているからです。

 虎井さんという存在のおかげで
 教育・行政・政治の3者が向かっていくべき方向が
 同じ1つの道であることが改めて感じられたのは感激でした。

 最後に、虎井さんと記念写真をお願いしたら

虎井まさ衛とフジノ

 「こうですよね?」と、虎井さんがピースをしてくれました。
 フジノがピースをする前にです!

 このHP向けの写真をフジノがどなたかと撮る時には必ず
 どれほど昔から尊敬してきた偉大な相手であっても
 恐れずにピースをしてきたのですが

 フジノよりも先にピースをしてくれたのは
 虎井さんが初めてでした!
 本当にありがとうございます!

 これはHPを見て下さっているというリアルな証拠ですよね〜。
 それでまたフジノはすさまじく感激してしまったのでした。

 教育委員会の方々とお別れして
 生涯学習センターから逸見駅までの道のりを
 虎井さんとご一緒させていただきました。

 「こうやって講演の後に、私を囲んで
  行政と政治が一緒になって
  積極的に意見交換をしてくれたのは横須賀市が初めてですよ」

 と、ありがたいお言葉をいただきました。

 たとえリップサービスであっても
 本当にうれしかったです。

 あんまりうれしかったので、
 この言葉を今日の機会を創ってくれた教育長にすぐに伝えたくて

 用事があるから講演会終了後すぐに会場を後にして
 不在だと分かっていたはずなのに
 フジノは思わず教育委員会事務局に電話をしてしまいました(汗)。

 (当然ながら公務で不在でした...)


 虎井さん、本当に今日はありがとうございました。

 政治家としても、個人としても、
 虎井さんのような存在をこころからリスペクトしています。

 この広い世界にまるでたった1人きりで生きているような
 激しい孤独や苦しみを体験しながらも
 道を切り拓いてきて下さった方が居て下さったから

 僕たちはかつてより生きやすい社会に
 暮らすことができているのです。

 性的な多様性を保障する為に
 この国が変わっていく為に
 横須賀市からできることは全力でやっていきます。

 政治家としてフジノは
 国が動かなければ市町村には何もできない、なんて
 そんな考えを持ったことは一瞬もありません。

 だって、虎井さんのような1人の個人の生き方が
 この国を変えてきたのですから。

 横須賀市でやれることは全て
 徹底的にやっていきます。

 どうか、力を貸して下さい。
 どうか、見守っていて下さいね。

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 今月27日には、横須賀市初の
 いわゆる性的マイノリティとされる当事者の方々と
 教育長をはじめとする行政担当者との懇談会が行なわれる予定です。

 全国的にはバックラッシュの動きもあるかもしれませんが
 横須賀市は、リアルな生の声を聴きたいという姿勢を打ち出しています。

 これは、大きな前進だとフジノは信じています。

 当事者のみなさま、どうか注目していて下さい。
 そして、全てのマイノリティとされるみなさま、注目していて下さい。

 本当はこの世界に『マイノリティ』なんて存在は
 もともとありえないのです。

 人は誰もが違うのです。

 誰もが違うのが当たり前である以上、
 マジョリティ(=多数者)とかマイノリティ(=少数者)なんて
 もともとそんな分け方は成立しないのです。

 フジノは、マイノリティという概念そのものを
 この世界から無くしたいと本気で信じている1人です。

 そんな壮大な理想の前には、
 今日の講演や教育長との懇談会でさえも
 ささやかな一歩に映るかもしれません。

 けれども確実に言えることは、前に進んでいるということです。
 一緒に前に向かって歩いていきましょう。

 必ずこの国は変わるし、変えるのは他の誰かではなく、
 あなたと僕たちの力なのです。



2008年11月4日(火)のフジノ(その4)
● 虎井まさ衛さん講演会「性同一性障害を知っていますか」(後編)

 虎井さんの講演の最後の部分です。

 (前回&前々回と同じく
  ここから先の内容は全てフジノのメモを元にしておりますので、
  誤った記述があるかもしれません。

  それらの文責は全てフジノにありますので、
  どうかあらかじめご了解ください)

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 <虎井さんのお話>

 性別適合手術を終えた後も、戸籍上の性別は違う訳です。
 そのことが社会的にどんなにつらいかということが
 大人になるにつれて分かってきました。

 手術が終わって、借金が山のようにあったのですが、
 本来ならば体調の為に療養しなければならない時期に
 私は工場に働きに行きました。

 自分は男性として働きました。
 手術をしました、とは言わなかったです。

 かつてとは異なって現在では、就職面接で
 「私はトランスジェンダーです」と自ら言える人もいると思います。

 けれども、かつては言えませんでした。

 当時は、住民票みたいな身分証を見せなくても
 履歴書だけで就職試験が受けられました。

 だから、履歴書の性別欄には
 男に丸をつけて出していました。

 採用されて就職したのは、プラスチック成型の工場でした。

 映画『男はつらいよ』に出てくる
 下町のタコ社長にそっくりの感じの工場でした。

 本当に従業員同士のプライバシーもへったくれもないような
 寅さんの葛飾柴又のような感じの所に
 大きなヒミツを持って入っていったのです。

 それでも通算7年間、楽しく働きました。

 今と同じ外見で、性格も変わらなかったので、
 みんなとはうまくやっていけていました。

 バブルの時期だったので
 スタートは時給が600円だったのが1800円になったりしました。

 1回目の手術を終えてから2年間はそのまま働きました。
 その後、ペニスをつける為の手術をする時に
 海外に留学するので辞めます、と伝えました。

 それでも「留学が終わったら戻っておいで」と言っていただき、
 手術をしてから、4ヶ月後には仕事に復帰しました。
 それからこの工場で5年くらい働きました。
 23〜30才まで働いた訳です。

 ところで、性別適合手術やホルモン注射など
 女性から男性へという人は、とても年齢より若く見える。

 ホルモンの関係で、ひどくにきびができる人が多いんですね。
 私はそのせいで、高校生だとばかり思われていました。

 28歳です、と言っても
 職場の中高年の人々に何度話しても
 高校生だと思われている。

 明日30才の誕生日、という晩に
 私のことを幼い頃から悪態をつき続けてきた父親が
 ふと、「おまえもとうとう30才か」としみじみとつぶやいたんですね。

 その言葉のニュアンスに、
 ああ、自分も父にやっぱり愛されているかも、と考えました。

 そんなこともあって、

 「明日工場で自分は30才だと言おう」

 と決心しました。

 これまでも何回も年齢を言っても忘れられてしまうので
 今回は、ハッキリと強めに言うことになりました。

 つまり、宣言をしたんです。

 でも、30才だと宣言をした途端に
 まわりの態度が変わってしまったのです。

 それまではいろんな雑談をしてきたのが
 30才だと宣言をした後は
 聴かれることが2つしか無くなってしまいました。

 1つ目が、何故結婚しないの?
 2つ目が、何故正社員にならないの?です。

 もう、毎日聴かれました。

 下町の工場ですから、
 プライバシーの詮索をしてはいけないという感覚が
 当時は全くありませんでした。

 7年もいたから、いろいろなことを言われ続けながらも
 何とかごまかしていました。

 でもある日、1人のおばちゃんが
 お見合い写真を持ってきたんです。

 実際に写真を見た時に
 「ああ、タイプの女性だ」と思ったのですが

 まかりまちがって相手が気に入ってしまったら、
 戸籍上は女性同士だということが分かってしまう。

 そうしたら、紹介してくれた人に迷惑がかかってしまう。

 そこでお見合いを断りました。
 同時に、ここまで事態が厳しくなってしまったら
 いずれバレてしまう。

 私は、お見合い写真事件の5日後に
 会社を辞めました。

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 退職をしてから、FTMのミニコミ誌を出しました。

 仕事をしていた時は朝8時半から17時まで
 きつい肉体労働をしていたので、夜中にミニコミを作るのはムリでした。

 でも、いつか作ろうとずっと考えていました。

 かつてアメリカでミニコミ誌を見てから
 青写真を考えていたんです。

 それが仕事から解放されたので
 3ヵ月後にフル回転で雑誌を出しました。

 何かこころに穴が開いていたような気がしたから。

 やっぱり7年間も一緒に働いてきた仲間だったですし、
 かなり下町的なつきあいをしてきたのが
 急にぷっつり関係が切れたことを残念に感じたのです。

 会場のみなさんは
 戸籍上の性別欄をほとんど意識しないと思います。

 神奈川県は公文書に性別欄を記入するところが
 改善されて無いところが多いと思いますが、

 かつてはそういった改善が全く無い時代だったので
 戸籍を変えれば
 公文書の性別を全て変えなければなりません。

 戸籍上の性別を変更することが
 可能になったのは

 性同一性障害者の性別の取り扱いの特例に関する法律が
 2003年7月10日に成立をして
 2004年7月16日から施行されたんですね。

 この法律が成立する以前に
 私たちは6人のグループで戸籍訂正を求めて
 2001年5月に一斉に申し立てをしました。

 けれども全員が敗訴してしまいました。

 そうした動きの末に、国会議員の方々にも
 問題意識を持つ方々が増えてきて
 先ほどの特例法ができたのです。

 さらに、2008年6月には
 戸籍変更の要件が緩和がされました。

 少しずつ状況は改善されていっています。

 何故、戸籍を変えなければならないのでしょうか?

 それは、外見と戸籍が違うということによって
 今の社会ではいくつもの不利益があるからです。

 就職試験でも、正社員になれない。
 大家さんや不動産屋さんが家を貸してくれない。
 結婚もできない。

 講演の時間が無くなってしまいましたので
 お話の途中ではありますけれど、後は質疑応答にしたいと思います。

 この問題は数え上げればきりがありません。
 でも、だんだん良い方向に向かってきています。

 かつてはバラバラであった、
 レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーなど
 いわゆる性的マイノリティとされる人々が
 今は「共闘しよう!」ということで手を結びつつあります。

 本当に1人1人が違いますから
 なかなか1枚岩になれていないけれど

 それでもやってみようよということになっています。
 共闘してやれることをみんなでがんばってみようということで
 手を結びはじめました。

 私たち、当事者が活動をしていくことだけでなく
 1人でも多くの周りの人々に
 理解していただくことが大切だと考えています

 今日の講演がみなさんにとって
 そうしたきっかけになると幸いです。

 私のお話は、以上です。


 (続きます)



2008年11月4日(火)のフジノ(その3)
● 虎井まさ衛さん講演会「性同一性障害を知っていますか」(中編)

 虎井さんの講演のまんなかの部分です。

 (前回と同じくここから先の内容は、
  フジノのメモを元にしておりますので、誤った記述があるかもしれません。

  そういった文責は全てフジノにありますので、
  どうかあらかじめご了解ください)

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 <虎井さんのお話>

 後半は、私自身のこれまでをお話します。

 実際に、下半身の手術をしよう、と
 思いつめている人は少ないです。

 私はそのうちの1人です。

 私の母は、流産しやすい人でした。
 私の出産の前に、2人、流産をしてしまっていました。

 何とかしてこどもを作りたかったこともあって
 周囲からすすめられて、『流産防止剤』を使いました。

 これはすでに当時、欧米では使用禁止になっていました。
 ホルモンの作用で男性化する可能性が高い、という薬です。

 でも日本では「よく効く」ということで、
 使われていました。

 当時は迷信のように、妊娠したお腹が
 四角く張っていたら男の子、丸く張っていたら女の子、と
 言われていました。

 私の母は私を妊娠した時に、
 なんだか四角く張っているから男の子だろうと思っていたそうです。

 けっきょく男性ホルモンの働きをする流産防止の薬を使ったら
 生まれてきたのが私だった訳です。

 私の場合、体は女の子でした。

 こころも女の子のはずだったのですが
 外から脳の性分化の時期に
 流産防止剤のせいで
 胎児である私に男性ホルモンが入ったのではないか
 と言われています。

 これは日本のドクターだけでなく、
 アメリカとオランダのドクターにも同じことを言われました。

 私は1963年生まれです。

 日本でもようやく70年代に入って
 この薬が禁止になりました。

 70年代以降生まれの方で
 性同一性障害の方は、この薬のせいではありません。

 けれども、70年代以前に生まれた方で
 性同一性障害の方は
 私と同じように薬害でなった方もいるかもしれません。

 私の場合は複数のドクターが述べているとおり、
 このことが原因でなりました。

 この流産防止剤を使った母親とこどもは
 体が弱るという研究結果が多数あります。

 そのせいで、私も本当に体が弱くて
 幼稚園にも月1日くらいしか行かれませんでした。

 そこで本ばかり読んでいたから、
 本が大好きになって、現在、作家になったんですね。

 私は、外で遊べないこどもでした。
 ですから、性同一性障害についての
 先ほど述べたような『環境説』は全くあてはまりません。

 私の場合には特に、きょうだいは流産なので、
 全く居ませんでした。きょうだいの影響ということもありません。

 父は厳格な人だったので、
 私は母にばかりくっついていました。

 「大きくなったら自分は男になるんだ」

 と、2才くらいからずっと言っていたそうです。

 幼すぎて自分自身の記憶は
 当然ないのですが 
 まわりの人がそう言っていたのを憶えています。

 自分自身の記憶がはっきりしている
 性自認は幼稚園くらいの頃でした。

 みなさん、ここで3分間だけ、目をつぶってください。

 ご自分の着ている服の下に
 体全体に、うろこが生えていると想像してみて下さい。

 この体に生えているわけですから
 うろこが大きくて
 下着にひっかかって、ざらざらしていたり生臭いのです。

 洋服の下だから
 他人が外から見ても気づきません。

 でも、自分としてはすごく気持ち悪いのです。
 でも全くまわりからは分からない。

 自分は水の中で話しているような
 ぴよぴよした声しか聞こえないのに
 周りからは全然分かってもらえない。

 でも自分にとってはひどく気持ちが悪いのです。

 ただ、その一番奥にあるこころの部分では
 自分はまともな人間なんだ、という気分もちゃんとあるんです。

 だから、体は別の物だけれどもこころは人間だというような
 自分を半漁人のような感じで意識を持っていました。

 そういう気持ちをぬぐえないのが自分でした。

 小学校の林間学校の時に
 女生徒だけ集められて、性教育を受けました。
 初潮の為の教育ですね。

 その時に最もショックだったのが
 成人男性の裸と
 成人女性の裸の図でした。本当にショックでした。

 男性には男性器がはっきりある訳です。
 そして女性には乳房と女性器がある訳です。

 自分は外出もしなくいし運動もできなかったので
 肥満児だったので胸が出ていましたが、
 それはおすもうさんと同じなのだと単純に考えていました。

 胸の形を、毎晩鏡に映していました。

 そこで鏡に映っていた姿が、
 性教育の成人女性の裸の図と同じだったのです。

 それまでは自分は成長したら必ず男になると思っていたのが
 そうではないんだ、ということがハッキリわかって、
 本当にショックを受けました。

 これ以上のショックは2度とありませんでした。
 人生で最初で最後の大きなショックでした。

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 タレントさんでカルーセル真紀さんがいますが、
 私がショックを受けていた35年前の当時に
 手術のことでテレビに出まくっていました。

 幼いながら私はそうしたテレビを観て、

 「この人は男から女になる為に外国に行ってきた。
  私も国内で女から男になれるはずだ」

 と、小5の時に決心をしました。
 それから必死にお金を貯めました。

 結局10才の頃からお金を貯めて、
 大学を卒業した年に手術をしました。

 体への違和感に長い間苦しみましたが、
 手術をすることそのものに悩むことは少なかったです。

 今、こどもたちから

 「死にたいんだ」「うつなんだ」という相談をよく受けますが
 私自身はうつっぽくなったことはありません。

 「必ず手術をする」という想いが
 とても強固だったからだと思います。

 どこで手術をするのか、どう手術をするかなどは
 全く分からなかったのですが、だけど、できると信じていました。

 中・高は制服を着ていましたが、
 大学時代はTシャツにGパンで行くわけです。

 流産防止剤のせいで、外見は男性っぽく見られていました。
 もっと今よりも毛深くてまゆげも太くて
 生理も年1回くらいしか来ませんでした。

 けれども巨乳だったので、それがイヤで仕方がなかったです。

 私は、前の晩から寝る前に
 明日着る服を着やすいようにして置いておくんです。

 朝、目が覚めたら
 まぶたをあけずに目をつむったままに着るんです。
 とにかく自分の体を見たくなかったから。

 トイレに入っても一切、自分の性器を観ないようにしていました。

 シャワーに入っても、
 可能な限り自分の性器に触れないようにするんです。

 これは私だけではなくて、体を洗う、ということでさえ、
 やわらかい胸や下半身の女性器に触れてしまった瞬間に
 肉体が女性であるということを強く意識させられてしまうのです。

 自分の体に対する激しい違和感から
 触わることさえ嫌悪感が強くてできない人もたくさんいます。

 大きな胸を隠すために、さらしという布を幾重にも巻きました。
 7回くらいギリギリと巻きました。
 そうすると、胸が潰れて平らになるんです。

 そうやって服を着る訳です。

 今日のように涼しい日ならまだいいけれど、
 夏の暑いさかりには
 とっても暑い中で7枚下着を着ているようなものです。

 体が弱かったこともあって、
 道端でふらふらして倒れてしまうことがありました。

 通りすがりの方が「大丈夫か?」と尋ねてくれるけれど
 声を出せないんです。

 外見は男性のようなのに
 声を出したら、女性の声に聞こえてしまうからです。

 ドラマ『金八先生』で上戸綾さんが演じた生徒が
 ノドに大きな鉄の針を刺したシーンがあります。

 性同一性障害を理解しない頑固な父親が
 お前は女なんだと怒鳴って、胸をわしづかみにした時、
 上戸さんの役は「キャッ」と高い声で叫んでしまったのです。

 その悲鳴の声が女性のもので
 自分自身の声にまた嫌悪を感じて
 自分のノドにチーズフォンデュの時に使う鉄の針を刺したのです。

 このシーンが放送された後、放送局に抗議がいったそうです。
 過激すぎる、あまりにもひどい、と。

 でも、それは実話なんです。

 私自身の体験ではないのですが、
 本当に私の友人たちは何人もそれをやりました。

 のどを鋭い針で何度も何度も刺して
 出血もひどいのですが
 2〜3日目には声が変わった、と喜んでいました。

 私自身は体が弱かったし、それはできませんでしたが
 こうやって声を変えた人は何人もいました。

 さっきの話に戻りますが、倒れてしまった時には、
 英単語のカードのようなものを作っておいて

 「大丈夫です」「ありがとう」のように
 カードを見せていました。

 大学に行ったり
 バイトに行く時にはそういったことはしなかったけれど

 知らない人の前では
 絶対に名乗らなかったし、話すことはありませんでした。

 声はとても大きなファクターです。
 私は声が変わるまでは、筆談で何とかやっていました。

 昔の学生だから
 大学に行かないとかひきこもりになるということはなくて
 とにかく手術の為にバイトをしていました。

 父はとても厳しいので、男っぽい女がキライだということで
 「強姦されてしまえ」
 と言われたりして
 真夜中に外へ追い出されてしまったこともありました。

 レイプをされてしまえば、女らしくなるだろう、
 ということだったのでしょう。私は悲しくてたまりませんでした。

 それでも母親は優しかったです。
 母親に泣かれることのほうがイヤでした。

 だいたいの場合は、
 中高年の男性の方が理解がありません。

 若い学生を見ていても
 男の子の方が理解がありません。

 今はだいぶ変わってきました。

 でもやっぱり男の方が
 理解が少ないです。

 自分の価値観を揺らがされる事態を前にして
 多くの男性は、笑うか怒るかしかないんですね。

 実際に、多くの場合、
 母親やお姉さんの方が理解が高いです。

 うちの場合には母親が理解してくれて、
 手術後にも軟膏を置いておいてくれたりしました。

 私はいつも一人でいるほうがラクでした。

 自分の体に違和感がある限り、
 起きている間は一瞬も気持ちが休まらないのです。

 みなさんも気になることがある時は眠りが浅いように、
 起きている間は気持ちが休まらないだけでなく
 浅い眠りが何年も続くわけですから、不眠症になってしまうのです。

 眠っても明日のことを
 「明日も今日のくりかえしかな」とか毎日考えてしまうのです。

 大学を卒業して、3日後に手術をして帰ってきた時には
 初めて安心して眠ることができました。

 手術後の気持ちは人によって様々だと思います。

 600万円もの手術代がかかりましたが、
 私の場合は、とにかく『安心』の気持ちだけでした。

 女性から男性になる方が
 働いても稼ぎが少ないですから収入が少ないのに
 男性から女性になることの3倍も費用がかかりました。

 私は、手術を受ける前に15年働き続けて、
 手術後には借金を返すために18年働きました。

 合計で3回手術をしましたけれども
 体がとても弱かったので
 毎回この世に戻って来れないのかなと思いました。

 手術が終わって麻酔が覚めて
 目をあけてみると、ああ、この世だった、と思いました。

 『安心』の最大の理由は、
 こころと体の性別が一致した、ということです。

 会場のみなさんは
 こころと体の性別の両者が一致している人が
 ほとんどでしょうけれども

 そこに近い段階にようやくきたことが
 25年生きてきて、ようやく近づいたということですね。

 性同一性障害である自分たちを
 そうではない方々と分けるのはどうかと思いますが

 ふつうの悩みだけ悩めばいい
 というのは、本当に幸せなんだなと手術後に感じました。

 それは性同一性障害があったからですね。

 ふつうの人生の悩みを持つことはみんな同じですが
 その前に私たちは、自分自身のこころと体の不一致に対して
 嫌悪感をいつも抱いているという悩みがあるのです。

 手術が終わって、ようやくその悩みが取れつつあって、
 ふつうの悩みだけを悩む暮らしというのは
 とても幸せだなと感じたのです。


 (続きます)



2008年11月4日(火)のフジノ(その2)
● 虎井まさ衛さん講演会「性同一性障害を知っていますか」(前編)

 さて、ついに虎井さんの講演です。
 配布された資料はこちらです。

 (ここから先の内容は、フジノのメモを元にしております。
  誤った記述があるかもしれません。

  フジノ自身、日々勉強をして学んでいますが
  まだまだ正確な理解には至っていないのが現状です。
  したがいまして、虎井さんのお話を理解しきれずに
  誤って理解して、文章にしている部分が多い可能性もあります。
  そういった文責は全てフジノにありますので、
  どうかあらかじめご了解ください。

  また、誤っている点については
  ぜひフジノまでご指摘ください。よろしくお願いします)


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 <虎井さんのお話>

 今日お配りした資料をどうぞご覧下さい。

 専門用語のページがありますが、
 ぜひ、養護教諭の方々には覚えていただきたいと思います。

 何故なら、こどもたちが学校で相談に行く場合、
 まずだいたい最初に相談に行くのは養護教諭の方々なのですね。
 ぜひ知っていてください。

 全国的に見ると、性的な多様性についての教育は
 関西・九州の方がさかんです。

 関東では、生徒のプライバシーということから
 あえて表ざたにしないところが多いです。

 でも実際には、カミングアウトするこどもたちは
 かつてと比べると低年齢化してきています。
 本当に多くのこどもたちが性的マイノリティとして存在しています。

 これからは、おこさんのパートナーが性的マイノリティである、
 あるいは仕事の面接に来る人が性的マイノリティである、
 こういったことはふつうのこととして起こりえます。

 あなたにとって
 全く無関係ではないということを知ってほしいと思います。

講師をする虎井さん

 今日のお話は、前半は基本的な説明です。
 後半は私自身の半生をお話します。

 では、性同一性障害について知っていただく為の
 まずは基本的なお話です。

 資料の3ページにある『TV』というのは
 トランスヴェスタイトのことです。

 昔でいうところのチョッキをヴェストと言いますから
 ヴェスタイトというのは洋服のことですね。

 服装をトランスする、ということは
 異性の服装をするということです。

 女性はパンツルックもありますから
 男装をしても外見から違和感はありませんが、
 男性が異性装をして、スカートなどをはくと目立ってしまいます。

 でも、このトランスヴェスタイトということと、
 テレビのニュースなどで
 下着を盗んで逮捕された、
 性的な関心を高める為に下着を盗んでそれを異性装に使った、
 という事件などが報道されることがありますが
 ほとんどのTVの方はそんなことはしません。

 『TS』と書いてあるのは、トランスセックスです。
 セックスというのは日本では性行為のことだと思われますが
 身体的な性別のことを指しています。

 身体的な性別をトランスするというのは
 いわゆる、手術をしたい人のことです。

 性別適合手術は、今では割と制度が整ったので
 悲壮感は少なくなりましたが

 かつては、自分の今も現在も過去も家族も捨てて
 思いつめて行なうことが多かったと思います。

 (フジノ注:かつて性転換と呼ばれていた用語は
  現在では性別適合手術と呼ばれています。
  このHPでもその用法に従い、性別適合手術と記します)

 実は、世間のイメージとは異なって、
 実際に手術へと踏み切る人は、あまり多いものではありません。

 ここに世間と現実の大きな認識のずれがあります。

 性別適合手術をしたから
 男らしくなるとか
 女らしくなるというのではありません。

 手術によって、変わるのではありません。

 すでに、肉体の性とこころの性とが一致していないのを
 手術することによって両方を一致させる、
 本当の体に戻す、
 手術にはむしろそのような意味合いがあります。

 次に『TG』ですが、トランスジェンダーのことです。
 ジェンダーというのは、社会的・文化的な性別という意味です。

 先ほど性別適合手術の話をしましたが、
 手術にいたる人は実際には多くありませんと申し上げました。

 手術までは至らずに、ホルモン注射を続けることによって、
 かなりの変化が大きく起こるのです。

 そこで、狭い意味での『TG』の方々は
 あえて手術まではしない方々も多くいらっしゃいます。

 ただ、手術を選んだ人もホルモン注射のみを選んだ人も
 いずれの人も、人生のどこかの時期で
 性をトランスしたいという想いは同じだと思います。

 最近はマスメディアの報道も増えてきましたし
 例えば、NHKの「ハートをつなごう」という番組やドラマによって
 トランスジェンダーという言葉を
 1回くらいは聞いたことがある人はいても

 毎日の生活の中では
 なかなかトランスジェンダーという言葉を
 聞くことは少ないと思います。

 かつては『金八先生』のドラマ、
 最近では『ラストフレンズ』というドラマでとりあげられました。

 『ラストフレンズ』では登場人物の1人が
 性別違和感症候群という診断をされていました。

 現在ではこの言葉は
 診断名としてはもう使われていないのですが
 ドラマを観ている方々への分かりやすさの為に
 使われたのではないかと思います。

 現実の『性同一性障害』では、
 自分の体に対する感じは
 違和感というような軽い表現ではあらわせません。

 それこそ、朝から晩まで激しい違和感で
 学業も仕事も手につかなくなってしまう。
 生活をしていてもとても苦しさを感じる方もいらっしゃいます。

 けれども、正式に医学的な診断はカンタンには出ないんです。
 短くて半年、長くて10年かかる方もいます。

 『障害』という呼び方はどう思うかという人もいますが
 あくまでも医療のもとでの診断名なので、
 ある程度、便宜的に便利なので使っています。

 繰り返しになりますが、
 『性同一性障害』イコール『性別適合手術をしたい人』というのは
 大きな誤解なのですね。

 あえてパーセンテージで言うならば、
 全体のうち、1%くらいだけが手術をしているでしょうか。

 残りの99%は手術にまでは至らないで
 ホルモン注射などで対応している場合が多いです。

 ところで、『ニューハーフ』とか『おなべ』という言葉については
 私見ですが、職業名と同じかな、と考えています。

 実際にそうしたお店で働いている人の中には、
 同性愛の方もいれば、性同一性障害の方もいれば、
 ストレートだけれども仕事だからあえてやっている、という人もいます。

 一般的に、私が大学などで学生たちにお話をしてみると
 学生さんたちが一番知らないのは
 『同性愛』との違いのことです。

 性的指向ということが、同性愛のキーワードです。

 同性愛の方は、人が100人いたら
 3人〜10人は存在するというデータがあります。

 性同一性障害の方は2万人に1人くらいと言われています。

 ただし、これはドクターに行っている方々の数から
 統計で出されたもので、本当はもっと多いはずですね。

 さて、性的指向というのは、
 かなりバラバラに分けられるものです。
 資料の枠組みの、どこにも入らないという人もいらっしゃいます。

 非異性を好きになる同性愛の人は
 一般に暮らしていて、ごはんを食べていたり、自転車に乗っていたり、
 ふつうに暮らしていて気づく、ということはありません。

 『相手』を好きになった瞬間に、同性愛なのだと気がつくんです。

 同性愛というのは、恋愛の話なのです。
 当事者の中でも混乱している人もいらっしゃいますし、
 マスメディアの誤解もあります。

 一方、『性同一性障害』の場合は、自分自身が問題なのです。
 相手が存在するとかしないとかのことでは無いのですね。

 自分自身が自分の性別をどう認めるか、
 自認するのかということ問題で、
 こころと体の性別のずれをどう捉えるかということなのです。

 今日ここにいらっしゃる多くの方々は、
 こころと体の性が一致しているとは思いますが
 性同一性障害である人は、その2つが一致していないのです。

 ●

 かつて、カミングアウトをした生徒がいた学校に招かれて
 PTA向けの説明会でお話をしたことがあります。

 質疑応答の時間になるとしばしば尋ねられたのが

 「原因が何であるのか教えてほしい」

 ということでした。

 原因を追究することそのものは不毛ですよ、とお答えしても
 多くの先生方がこの質問をされました。

 そこで、少しだけ、原因についてのお話をします。

 かつて1980年代は『育て方』が原因だと言われていました。
 養育説や環境説と呼ばれていました。

 例えば、きょうだいがお姉さんばかりの末っ子として生まれたら、
 大人になったら女っぽくなってしまった、
 ということを言う人もいました。
 こうしたことが1980年代はまことしやかに言われていました。

 でも、実際は育て方で
 性同一性障害が起こることはありません。

 1990年代は、
 脳の性分化にアクシデントが起きたのではないか、と
 研究者たちは言いました。

 妊娠して、おなかの中にいる胎児は早い時期にはみんな
 体もこころも女性として存在している。
 やがて睾丸ができて、男性に変化していく。
 でも、脳への男性化への指令がうまく届かないということがある。
 それによって性同一性障害が起こると言ったのですね。

 ところが2004年、イギリスの科学雑誌「ネイチャー」に
 スウェーデンのランデンという学者が
 脳の性分化のアクシデントを起こす
 遺伝子を持っている人がいるのではないかと言い出したのです。
 つまり、遺伝子説ですね。

 さらに今年10月にはオーストラリアの博士が、
 性転換遺伝子をつきとめたと主張しました。

 だんだん遺伝子説での説明がつきはじめています。
 ただ現在のところ、正確な原因というものは断定されていません。

 ただし、原因が何かというお話は
 最初に申し上げたとおりで、
 人は様々であるのが本来の姿ですから

 研究は研究として進められるべきですが
 実際の生活の場では、
 そこを追究することには大きな意味は無いと思います。

 多様な性を率直に受け止められるように
 社会が変わっていくことの方が、より良いことではないかと思います。


 (続きます)


2008年11月4日(水)のフジノ(その1)
● 虎井まさ衛さん講演会「性同一性障害を知っていますか」

 ついに今日、虎井まさ衛さんの講演が行なわれました!

 虎井さんのお名前は知らなくても、
 ドラマ『金八先生』(第6シーズン)で上戸綾さんが演じた
 性同一性障害に悩み苦しんだ生徒・鶴本直のことは
 みなさん、覚えていませんか?

 鶴本直のモデルこそ、虎井さんなのです。

 『金八先生』の脚本家である小山内美江子さんが
 虎井さんを徹底的に取材して、あのドラマが実現したのですね。

 この横須賀で、虎井さんの講演会が実現したことは
 フジノにとって、大きな感動です。

生涯学習センターの入り口

 タイトルは『性同一性障害を知っていますか』です。

 すでに9月29日の活動日記に記したとおりで、
 今回の講演は、教育委員会(生涯学習部門)によるものです。

 それは、性的な多様性の保障に対する
 横須賀市教育委員会としての
 『問題意識の高さ』を
 『行動』で実際に表したものだ、とフジノは高く評価しています。

 いわゆる性的マイノリティとされる方々、
 LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)など
 その呼び名は様々ですが

 人間が持つ性的な指向性は、もともと様々なのです。
 統計やあらゆる研究からも、これは『事実』として明らかです。

 にも関わらず、差別・偏見・スティグマによって
 いわゆる性的マイノリティとされる方々は苦しめられています。

 特に、多くのこどもたちが自傷行為に追い込まれ、
 さらには自殺に至っているという現状があります。

 政治家としてフジノは、この現実を絶対に変えたいと訴えてきました。

 その訴えを、教育委員会も誠実に受け止めてくれて、
 これまでも多くの行動を起こしてくれました。

 今回の講演でも、改めて教育委員会の本気度を感じました。

 その証拠に、講演の前になされた
 教育長によるあいさつは、感動的なものでした。

 いわゆる性的な多様性を保障するために
 私たちは努力を続けねばならないとの主旨のあいさつでした。

 フジノは逐語でメモを取れなかったので
 あくまでもその場での記憶に過ぎないのですが

 議会での答弁よりも踏み込んだ
 強い決意のあらわれを教育長は述べてくれたように感じました。



 ちなみに教育長は、
 これまで放送されたNHK『ハートをつなごうLGBT特集』をはじめ、
 つい先日(11月1日)放送された
 ETVワイドのLGBT特集も観てくれたそうです。
 (ありがとうございます!)

 加えて、教育長の本当に素晴らしかったことは
 講演が終わる最後まで参加してくれたことです。

 これは、多忙な教育長のスケジュールを考えると
 極めて異例なことだと感じました。

 教育長を筆頭に、生涯学習課のみなさま、
 今日の講演会の開催、本当にありがとうございました。

 性的な多様性を保障するということは
 人権課題としても当然のことではありますが

 何よりも教育長のリーダーシップのもと、
 こどもたちの命を守る為に
 教育委員会が積極的にがんばっていることを

 僕は一市民として、また、このまちの政治家として
 本当に誇りに感じます。


 (講演会の内容は次に書きますね)


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