まちの政治家は、こんなことしてます |
2009年12月19日(土)のフジノその2 | ||
● クリスマスパーティー@野比シーサイドキッチン『RICE』へ 今夜は、大好きな野比のシーサイドキッチン『RICE』で クリスマスパーティーが行なわれました。 昨日の福島大臣・大島副大臣との面会の後、 なんだか心身ともに疲れきってしまいました。 帰りに、表参道のライブハウスに行く予定だったのも キャンセルして、そのまま自宅へと帰りました。 昨日の活動日記ではさらり大臣と会ったことを書いているので 我ながら何も感じていないかのような感じなのですが 実際には、全国の自殺対策の関係者のみなさまの 大きな想いと責任を強く感じながら、 強い緊張感をもって大臣らとの面会に臨みました。 当日その瞬間にもすごく緊張しましたが、 面会が実現するかどうかも含めて当日に至るまでも ずっと気を張って緊張し続けていました。 それが福島大臣の「自殺対策予算は死守する」の明確な一言を頂いて 一気にその緊張がとれたせいか、疲れが出てしまいました。
音大の大学院生の方々による演奏も聴けて とても素敵なクリスマス・パーティーでした。 さあ、年末年始に向けて、全力でまたがんばろう。 |
2009年12月19日(土)のフジノその1 | |
● このまちの自殺による犠牲/2008年の統計が発表されました 残念ながら昨年(2008年)は 自殺による犠牲を減らすことができませんでした。 おととしは94名の方々が自殺へと追い込まれてしまいましたが 昨年は107名へと増えてしまいました。 これは、本市が持っている過去17年間のデータのうち、 6年前(2002年)の108名に続く、過去2番目に多い犠牲者です。 本当に、残念でたまりません。 誰よりも自殺対策に取り組んできた政治家として フジノは自らの力不足と責任を痛感しています。 命を守ることこそが政治家の最大の仕事であるにも関わらず、 本当に申し訳ございませんでした。 昨年は日本全国が危機的な経済社会状況に追い込まれていたとはいえ、 横須賀だけでも何とかしてセーフティネットを構築すべきでした。 どれだけ祈っても2度と戻ってくることの無い命を 失ってしまったご遺族の痛みは誰よりも理解しています。 みなさまの痛みを僕自身の痛みとしてこころに刻んで 僕の命の続く限り、この責任を感じ続けて働いていきます。 本当に、申し訳ございませんでした。 --------------------------------------------------- データをもう少しだけ、紹介させてください。 横須賀市で亡くなった方々の原因で最も多いのは『ガン』ですが 『自殺』は、ワースト7位(おととしも7位)でした。 このまちで亡くなった100人のうち 32名がガンで亡くなった割合ですが、 100名のうち、3名が自殺の犠牲になっています。 ただ、毎年書いていることですが 死因『不慮の事故』の中には『自殺』が含まれていることが 複数の研究者からすでに指摘されていますので 実際は『自殺』の数がもっと多いのではないかと思われます。 また、5才刻みの年齢別でのデータで見ていくと 55才〜59才が最も多く、 ついで30才〜34才でした。 グラフを見ていただくと、2つの山があるのが分かると思います。 ・20代後半から30代後半 ・50代から60代後半 この2つの層が、大きな山になっています。 これまでもこの2つの層をターゲットにした取り組みを 行なってはきたのですが、十分に行きとどいていないのだと感じます。 もっともっと必要な支援が必要な方々に届くように 適切な対応に取り組んでいきます。 |
2009年12月18日(金)のフジノ |
● 自殺対策予算の復活を福島大臣へ要請しました 11月12日に開催された事業仕分け(2日目)で 内閣府の普及啓発事業に関する予算が対象となりました。 この予算の中には『自殺対策』も含まれていましたから 危機感を持ったフジノは当日、市ヶ谷の現場に向かったのでした。 その危機感は的中してしまい、仕分け人の判断は なんと『3分の1縮減』という結果になってしまったのです。 ようやくスタートしはじめたばかりの自殺予防対策は 政府全体で見ても予算は本当に少なくて、 ここで減額させてしまう事態は 絶対に避けなければいけないとフジノは感じました。 せっかく軌道に乗り始めた自殺対策が止まってしまう! その危機感は決してフジノだけのものではなくて、 自殺対策に取り組む全国の地方議員の仲間と共に活動している 『地域の自殺対策を推進する地方議員有志の会』の メンバーみんなも同じでした。 そこで、我が国の自殺対策の責任者である 自殺対策特命担当大臣の 福島みずほさんに直接お会いして 『有志の会』として想いを伝えさせて頂くことになりました。 (下の写真は、内閣府から見た国会議事堂です) 来年度予算案の策定に向けて 政府は今、大詰めのすさまじく忙しい時期にありますが 福島大臣はこころよく面会して下さいました。 メンバーみんなで作成した意見書を 代表の川口洋一さん(大阪府・高槻市議会議員)が読み上げて 福島大臣にお渡ししました。 その直後に、福島大臣から爆弾発言がありました。 まさに即答でした。 「自殺対策の予算は、絶対に死守します!」 と宣言して下さったのです。 事業仕分けの結論である3分の1縮減は 自殺対策の予算に関しては、行なわないことを断言されたのです。 あまりにも毅然とした心強い回答を頂いて メンバーみんなが感動しました。 さらに、時間を割いて頂き、 『有志の会』メンバーの活動や自殺対策への想いや提言を 詳しく聴いて下さったのでした。 その後、大島敦・副大臣にもお会いしていただきました。 大島副大臣との面会も、 「感動した」としか表現できないほどの時間となりました。 自殺対策への熱意の強さは、 大臣も副大臣もすごかった! 僕たちが話す一言一言をしっかりと受け止めて下さっただけでなく、 内容そのものを理解して下さっているのがはっきりと分かりました。 つまり、自殺対策の専門家同士でお話している時と同じ感覚を 大臣・副大臣と対話しながら感じたのです。 本物の熱意を持つ方々が今、 その分野の最高責任者に就いているのだと分かりました。 そもそも今日は、事業仕分けの結果(3分の1縮減)に対して 撤回を求めての『有志の会』の行動でした。 しかし、今日僕たちはそれ以上の大きな成果を得たのを感じました。 自殺対策特命担当大臣と副大臣に対する 『強い信頼』です。 2人とも、『本気』の方々でした。 大臣という肩書きを与えられたから 自殺対策に取り組もうとしているのではなくて 自殺対策への強い想いを持つ2人が 大臣と副大臣に任命されているのだとハッキリ分かりました。 フジノは前政権の時から 内閣府の自殺対策推進室には強い信頼感を持っていました。 けれども、その上司である方々(国会議員の大臣たちです)は 本当に自殺対策に関心があるのかどうか見えてきませんでした。 でも今日、新政権の大臣・副大臣とお会いして 僕たちは同じゴールを目指していることが ハッキリと分かったのです。 ならば、僕たちが成すべきことも明らかです。 大臣らと完全に同じ目標を共有できていることが分かった以上、 国と共に力を併せて全身全霊をかけて対策に取り組むことです。 今日ほどフジノは、政権交代が実現したことに 喜びを感じたことはありませんでした。 最高に素敵なクリスマスプレゼントを頂きました。 『有志の会』メンバーはそれぞれの地方議会で この12月議会も自殺対策の取り組みを加速させる為に 活動してきました。 救うことができる命を1人でも多く守りたい。 年末・年度末に向けて、もっともっとがんばっていきます! |
2009年12月17日(木)のフジノ |
● 『リボンムーブメント結』のみなさんがついに横須賀へ来てくれました! フジノにとって、子宮頸がんを『過去の病』にすることは 政治家として絶対に成すべき義務の1つです。 何故なら、子宮頸がんは予防できるからです。 救える命を救うのは政治家の当たり前の仕事です。 予防ワクチンを接種すること(予防注射です)と、 検診を定期的に受け続けることで、 すでに欧米では子宮頸がんをほぼ征圧しています。 それなのに、我が国ではなんと 20代〜30代の女性の死亡が逆に増えてしまっているのです! この『誤った現実』を変えなければいけません。 そう決意してからずっと政治家として成すべきことを 全て果たすべくフジノなりに行動を続けてきました。 けれども、どうしてもフジノ1人では 動きとしては小さかったのです。 そんな時、こころづよい援軍が現れました。 女子大生のみなさんが子宮頸がんを征圧する為に 子宮頸がん予防・検診啓発プロジェクト『リボンムーブメント結』を 立ち上げたのです! 彼女たちの想いと行動は、本物でした。 その存在を知ってから、フジノはうれしくてたまりませんでした。 彼女たちには、フジノにはできないことを どんどん実現していく力があります。 子宮頸がんの犠牲者が多い同世代の女性へと語りかけるパワー、 中高生たちの身近なお姉さん的存在としての親近感、 笑顔の素敵な女子大生としての華やかさ、 あらゆる『希望』が 『結(yui)』にはあるのです。 フジノが子宮頸がんについて語る時、 失われた命や悲しみへの共感からくる『敵討ち』の気持ちが高まり 悲壮感や怒りが漂ってしまいます。 けれども『結(yui)』のみなさんが子宮頸がんについて語る時、 ポジティブな前向きのエネルギーが発信されます。 大切な人の為に自分を大切にすること、 大切な人を大切にすること、幸せで元気に生きていくこと。 そんなポジティブなメッセージが 彼女たちの言葉には込められているのです。 先月14日に開催された『子宮頸がん征圧イベント2009』は 『結(yui)』初の大型イベントにも関わらず 約600名もの方々が参加してくれました。 TBS、読売新聞、朝日新聞、神奈川新聞など マスメディアもその活動を報じてくれました。とても注目されています! そんな『結(yui)』の活躍について フジノは12月4日の一般質問の中でも触れさせていただきました。 きっと彼女たちの力を借りることができれば もっともっとたくさんの救われるべき命が救われる、と感じて だから、いつか『結(yui)』と一緒に活動したいと願ってきたのです。 そしてついに今日、 彼女たちが横須賀にやってきてくれました! 2時間以上にわたって意見交換をさせていただきました。 『リボンムーブメント結』の目指している目標や その実現への手段は とても素晴らしいと感じました。 多くの学生サークルやボランティアにありがちな 一過性の活動として終わることは、決して無いでしょう。 彼女たちの持つ、ほんわかとしたやわらかな雰囲気と 正しい知識をとても良く勉強している熱心さと 語り始めたら止まらない情熱と 自分たちの可能性と限界を同時に自覚しているスマートさと そして何よりも、素敵な笑顔の持つエネルギーが 必ず子宮頸がん根絶への大きな力になっていくはずです。 子宮頸がんを『過去の病』にすることは 絶対に実現可能なことなのです。 その為にもどうかみなさま、 『リボンムーブメント結』の活動を応援して下さい! フジノも全力で応援していきます! どうかよろしくお願いします! |
2009年12月15日(火)のフジノその4 |
● 静岡県立大学での講義は、人生の素敵な思い出になりました さて、90分の講義を終えて、津富先生の研究室へ。 いろいろなお話を聴かせていただきました。 津富先生の研究室の前の廊下からの眺望は 素晴らしいものがありました。 ケータイのカメラだとその魅力は全く伝わってないのですが 富士山が目の前にどかーんと見えます。 そして、静岡のまちなみも。 フジノは政治家であることを望んでなった訳ではありませんから いずれ遠くない将来に政治家を辞めるつもりです。 (いつも身の振り方は考えてきました) でも、政治家を辞めても、大好きだったかつての映画会社へと 戻ることはもはや不可能なのが現実ですから 大学院で学ぶことを第2の人生として 1度は選んだのでした。 結局、大学院で研究生活に入ることは 断念せざるをえなかったのですが 僕は『学ぶこと』をこよなく愛している人間です。 そんな僕の性格なので、 津富先生の研究室におじゃまさせていただいて 学生たちに対する津富先生の想いを聴かせていただくにつけても 学ぶことの喜びがこころに広がっていくのを感じました。 学生たちからも先生がいない所でたくさんお話をうかがったのですが、 学ぶ環境づくりをすごく配慮して先生が創って下さっていることを 学生たちもとても実感しているようでした。 学生さんたちは本当に幸せだなあと感じました。 下の写真は、研究室での津富先生とフジノです。 本であふれかえっています(うらやましい!)。 津富先生が翻訳したばかりの本 『犯罪の生物学』を頂いてしまいました。 (読ませていただきます!ありがとうございました) 最初は津富先生と2人きりでお話をしていたのですが、 研究室に学生さんたちが少しずつ増えてきました。 「ふだんから研究室には学生がたくさんいるんですよ」 と学生さんが言うので、集まってきた学生たちに それぞれの所属している学部を尋ねると、みんなバラバラなのです! その先生のゼミに所属している学生が その先生の研究室に溜まるのは理解できるのですが この状況は、すごい! 研究室そのものがコミュニティと化しているのです。 こういうことって、可能なんですね。 津富先生って、すごい。 ファンになってしまいました。 研究者として優れているのはプロとして当然としても、 授業が下手っくそだったり、学生のことは放ったらかしだったり、 という教授ってたくさんいますよね? 津富先生は、そういうアカデミズムだけの人種とは正反対の 人としてとてもすごく温かで大きな存在だなあと感じました。 ---------------------------------------------------- 1時間くらい、研究室で話した後、みんなでランチへ。 上食のソファー席をとっておく、と1人の学生が10分ほど先に 食堂へ行ってくれていました。 上食というのは、食堂が2階に分かれているのですが、 上の食堂のことだそうです。 研究室で会話をしていた学生さんたちと。 この学生さんたちは本当にみんな素敵でした。 1人1人が目指している将来の目標や進路を聴かせてくれたり、 今、取り組んでいることを話して下さいました。 それぞれに痛みを感じたり、迷ったり苦しんだりしながらも みんな、一生懸命それぞれにリアルな現実と向き合いながら 前を向いて歩いているのだと感じました。 みんなと出会えたことは、僕の人生にとって大きな財産です。 -------------------------------------------------- そして、『津富マジック』はさらにここからです。 学生さんたちがこんなに増えてしまいました。 ↓ 講義の後にゲスト講師を囲む、 っていうレベルの集まり方じゃないですよ、これ。 学部もバラバラ、あらゆる立場の学生たちが、 津富先生を慕ってこんな風にみんなでごはん食べてる訳です。 感激でした。 そして、14時ちょっと前くらいまで 改めてみんなでいろいろなことを語り合ったのでした。 9時から講義スタートですから、5時間もキャンパスで 学生さんたちと過ごせたのは貴重な体験でした。 フジノは政治家であると同時に精神保健福祉士ですから 守秘義務がありますので、受けた相談や聴いた話はここには記せません。 でも、みんな、大丈夫だよ。 きっと、みんなならば乗り越えていかれるはず。 どうか、また必ずいつか、お会いしましょうね! 人生というのはなかなかたやすくはいかせてくれないので みなさんの夢や目標がすんなりと実現することは 難しいかもしれません。くじけることもたくさんたくさんあることでしょう。 でも、今みなさんが前を向いて歩き続けているように これからもずっと前へ前へと歩み続けて下さい。 ゆっくりでもいい。遠回りしてもいい。くじけてもまた立ち直ればいい。 大丈夫だよ。 みなさんの未来が希望あるものとなるように 政治家として僕が今できることを全力でやっていこう、 そんな決意を強くしました。 ----------------------------------------------- こうして、学生たちと別れました。 さらに津富先生は大学から宿泊先ホテルまで わざわざ車で送って下さって(ありがとうございます) その道中もお話する機会がありました。 つくづく「良い先生だなあ」と感じました。 昨日フジノがホテルのフロントやココイチの人たちに 静岡県立大学の印象を尋ねてもみんな良い評価だったのは、 なんだか分かる気がしました。 素敵なキャンパス、学生たち、先生。 フジノは講義の為にここまで来たのですが むしろフジノの方がもらって帰るものが多かった気がします。 帰りの新幹線も恐怖心は沸き起こったのですが、 学生さんたちとの5時間が本当にうれしかったので 行きとは全く違う気持ちで帰ることができました。 新幹線の中でツイッターを見ると、県大の学生さんから 「是非来年もこの授業で講義していただけたらと思います」 と、温かいツイートを頂いていました。 あらゆる講演とか講義とかから もう身を引こうと決めているのでフジノがお話をする機会は たぶん無いと思うのです。ごめんなさい。 でも、いつかきっと違う形で、政治家としてではなくて 僕自身も僕の目標を実現していきたいと思うんです。 本当にありがとうございました。 何百回、何千回とお礼を申し上げても足りないくらいに 素敵な機会を今日は頂きました。本当にありがとうございました! |
2009年12月15日(火)のフジノその3 |
● 1人から人権(いのち)を守る/18才のみんなへの半年間のラブレターでした さて、フジノがお話をさせていただいたのは 全学共通科目の特別講義『人権問題を考える』でした。 全学共通科目ということは、つまり、 あらゆる学部の学生さんたちが集合しているのですね。 薬学の学生もいれば、看護の学生もいれば、 経営情報科学の学生もいれば、 食品栄養科学の学生もいれば、国際関係学の学生もいるわけです。 福祉なら福祉だけの学生にお話しするのとは違って とてもハードルが高いですよね〜。 そこで、18才の時の自分の気持ちに立ち返って 率直な想いをお話しすることに決めました。 タイトルは『1人から人権(いのち)を守る』です。 複数の想いをかけたタイトルにしました。 『1人から』というのは、 まずあなた1人から行動を、という意味でもありますし、 世界の約60億人ではなくてまずあなたの隣にいる1人を守ってほしい、 という意味でもあります。 さらにいろいろな想いをこめているのですが、 聴いてくれた方々がそれぞれに受け止めてくれたらいいなと思います。 ついに、9時からスタートしました。 まず、津富先生からご紹介していただいて フジノをゲスト講師に招いた理由やいきさつなどをお話して下さいました。 マイクが渡されて、そしてフジノがお話をしました。 実は、この講師を依頼されたのはもう半年くらい前のことなのですが それから今に至るまで、まだ見ぬ学生さんたちのことをずっと想い続けてきました。 そんな半年間想い続けてきた学生さんたちへの想いが ほんのわずかでも良いから届いてほしいと強く願いながらお話をしました。 僕は話すのが得意ではないので、上手にはできなかったと思います。 それでも約100人の受講している学生さんたちはみんな、 じいっと耳を傾けて下さいました。 何人もの学生さんが涙を流している姿を見るにつけても ああ、こうやってみんなに会いにこれて良かった、と感じた1時間半でした。 本当に、あっという間の1時間半でした。 約100人の学生たちと、最後に記念写真を撮らせていただきました。 人生80年の中の、18才のわずか90分間だけの接点ですから やがてこの100人のほとんどがフジノのことを忘れるでしょう。 でも、人生というのは不思議なものですから いつかきっとこの学生さんたちの中で 将来フジノと一緒に仕事をするようになる学生さんがいたり、 あるいは、何かの機会に再会することがあるはずです。 みなさんと出会えたことをこころから感謝しています。 津富先生、学生のみなさん、木苗学長、本当にありがとうございました! (その4へ続く) |