まちの政治家は、こんなことしてます



2009年7月2日(木)のフジノその3
● 自殺対策連絡協議会でした/フジノの提案がたくさん実現しました!

 フジノのライフワークである『自殺予防対策』について
 ふだんは毎日毎晩深夜でも
 もちろん選挙中であっても対応をしているのですが

 なかなかこうした活動日記の場に
 記すことはできません(個人情報を守ることの方が大切です)。

 某市の自殺対策担当の職員の方から

 「フジノさんは自殺対策の地方議員有志の会の代表を辞めて
  今は自殺対策にはあまり関心が無いのでしょうか?」

 と質問されてしまって、大きなショックでした。

 フジノの人生をかけた仕事は
 政治家でも福祉職でも心理職でもどんな手段であっても良いから
 この国から自殺をゼロにすることです。

 関心が無くなったかのように見えているのだとしたら
 それはフジノの情報発信の仕方が悪いのです。ごめんなさい。

 くりかえしますが、フジノの人生をかけた仕事(=ライフワーク)は
 『自殺予防対策』を推進して、この国から自殺をゼロにすることです。

 そんなフジノにとって今日は、
 公の場でひらかれた会議がありましたので
 久しぶりに自殺予防対策について活動日記で報告することができます。

 2009年度の第1回目の
 『自殺対策連絡協議会』がひらかれました。

 これはわずかに年2回しか開催されないのですが、
 とても重要な会議です。

 あらゆる立場の方々を顔と顔が見える関係に結びつけていく為の、
 生きやすい社会をつくっていくネットワーク組織なのです。

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 今日のプログラムは、こんな感じでした。

 1.健康福祉部長からのあいさつ

 2.今までの取り組みの報告(事務局から)

 3.自殺対策の必要性について(大滝先生・湘南病院副院長から)

 4.議事

  (1)委員長・副委員長の選出

  (2)2009年度の重点施策の取り組みについて

  (3)自損行為における救急の取扱い状況について

  (4)警察庁統計「08年中における自殺の概要」について

  (5)政府による『地域自殺対策緊急強化交付金』による
     横須賀市が行なう予定の緊急強化事業について

  (6)分科会の設置について

  (7)その他


 傍聴者は、フジノを含めて6名でした。
 一般の方1名を除くと

 『地域の自殺対策を推進する地方議員有志の会』
 現代表である川口洋一さん(大阪府・高槻市議会議員)

 全国初の『自殺対策条例』を施行してから1年が経った
 平塚市の市民部くらし安全課から3名(ありがとうございます!)、

 今回もこうして他都市から
 複数の方々が横須賀市の取り組みを視察しに来て下さいました。

 本当にありがとうございます!


(つづきます)


2009年7月2日(木)のフジノその3
● 読売新聞『33歳市長誕生』3回シリーズ

 先月末から3回にわたって読売新聞で連載がありました。

 (2009年6月30日・読売新聞・朝刊より)

 (2009年7月1日・読売新聞・朝刊より)


 (2009年7月2日・読売新聞・朝刊より)


2009年7月2日(木)のフジノその2
● フジノは誰とも「会派」を組みません

 昨日、Twitterではすでにお知らせしたことなのですが

 これまで会派『新政会』に所属していた
 神保さん(神保浩・市議会議員)が、離団しました。


 会派『新政会』
 蒲谷前市長と政策協定を結んでいたにも関わらず

 神保さんが雄人(吉田雄人・新市長)の選挙応援にまわったことの
 責任を取るということなのでしょうね。

 けさ、改めて新聞報道がなされていました。

 (2009年7月2日・朝日新聞・朝刊より)


 (2009年7月2日・神奈川新聞朝刊より)
                 

 前回の活動日記で
 フジノは『与党にならない宣言』をしましたが

 もう1つ、市民の多くの方々から誤解されていることを
 ここでしっかりと宣言しておきたいと思います。

 フジノは、誰とも会派を組みません!

 雄人を応援した3人で、つまり

  ・神保ひろし議員

  ・浜野まさひろ議員

  ・フジノ

 で、新しい会派をつくるのだというデマが流されています。

 これは、100%のデマです。

 フジノは今日、正式に市議会事務局に対して
 担当者を通じて、議事課長、議会事務局長に対しても

 「このまま絶対に無所属で僕はいきます」

 とお伝えしました。

 すでにフジノは2003年の初めての立候補の時に
 このようにハッキリと市民のみなさまに宣言しています。


 > (1)立候補した時に『無所属』と名乗った以上、
 > 最期まで『無所属』を貫きます
 >
 > 当選してから突然に会派に入ったりするのは、
 > 数合わせに過ぎないし、立候補した時点ではっきりするべきことです。
 >
 > 当選した後から会派に入るのは『公約違反』だ
 > とフジノは考えています。


 フジノは途中で信念を曲げるつもりはありません。
 浜野議員とも、神保議員とも、いや、誰とも会派を組みません。

 3人と雄人のカンケーというのは
 あくまでも選挙において
 勝手連として応援した、というだけのことです。

 マニフェストを実現していくのは
 市長と市議会の議論によって成されていくもので

 古い政治のように、数の力で押し切るような
 バカげたことはもう繰り返してはいけないのです。

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 政策集団としての会派づくりという動きが
 全国の先進的な地方議会では行なわれているようですが

 ただ、横須賀市議会の場合では
 会派の名前を見ていただければお分かりいただけるのですが

 国の政党の名前をそのまま
 『〜党市議団』とか『〜党横須賀市議団』といったように
 名乗っていて

 フジノはそれらをもって
 『政策集団』と受け止めるのはいかがかと考えています。

 したがって、そうした会派をつくることよりも
 横須賀市議会議員すべてが
 1つの横須賀市議会という会派であるべきです。

 そして、市長という巨大な権力組織を
 チェックして、政策提案を行なっていくのが、総体としての市議会です。

 少なくとも本来あるべき市議会の姿とは
 そうした姿だと考えています。

 ですから、フジノは政治信念として
 絶対に会派には所属しません。最後まで無所属を貫きます。



2009年7月2日(木)のフジノその1
● フジノは「与党」なんかにはなりません

 多くの市民のみなさまが誤解しておられるので
 ここではっきりとご説明させていただきます。

 『地方政府』というのは、
 『市長が率いる行政』と『市議会』によって構成されています。

 『国の政府』とは違って、
 『総理大臣』の味方である『与党』とか敵である『野党』というものは

 『地方政府』には、そもそも存在していません。

 (図解・地方議会改革、江藤俊昭著、学陽書房、2008年、P26より)


 それなのに、市議会に
 市長の与党とか市長の野党という派閥があったのは

 古い政治家が権力者(=市長)とべったりくっついて
 まちがった政治を行なってきたからです。


 本来、憲法・地方自治法に示された
 在るべき姿とは、地方政府には与党も野党も存在しません。

 あるのはただ2つだけ、
 『市長』をリーダーとする『行政』と
 与党も野党も存在しない意思決定機関としての『市議会』だけです。

 ですから、今日の神奈川新聞の連載を読んで
 フジノは激しい違和感を抱きました。

 タイトルは『少数与党』です。

 (2009年7月2日・神奈川新聞より)

 記事の内容によれば、
 雄人を応援した市議は3人しかいないので

 市議会の大多数が『野党』である為に
 マニフェストの実現は難しいのではないか、いう内容になっています。

 ということは、自動的に雄人を応援した3人(含むフジノ)は
 『与党』という扱いにされています。

 待って下さい!

 フジノは『与党』になんかなるつもりはありません。

 歴代市長(沢田元市長、蒲谷前市長)に対しても
 正しいことは正しいと評価して、
 間違っていることは間違っていると批判してきました。

 雄人(吉田雄人・新市長)に対しても
 常にフジノは厳しくチェックをしていきます。

 フジノスタッフもみんな吉田新市長とフジノの
 激しい論戦を期待しています。

 また、雄人もフジノの性格は十二分に承知していて
 フジノが雄人の味方になんかならないことは分かっています。

 選挙前に彼を応援する決心をした時から、
 雄人とフジノの2人共にこれは合意済みです。

 フジノは吉田新市長の提出する議案を
 無条件に賛成するなんてことはありえません。

 そもそも地方議会に、与党・野党というものは存在してはならないのです!

 フジノや雄人が実現したいのは、本当の二元代表制です。
 本当の民主主義を実現したいのです。だからマニフェスト選挙をしました。

 それを古い時代のまちがった政治手法である
 市長の与党とか市長の野党とか、そんな昔の構図にあてはめないで下さい。

 フジノたちが目指しているのは、本当の活気ある市議会です。
 だから、吉田・新市長に無条件に賛成するなんてことはありえません。



2009年7月1日(水)のフジノその4
● 静岡県立大学で「講義」をすることになりました

 人生とは本当に皮肉なもので、

 上智大学大学院の退学が正式に決まったその数時間後に

 静岡県立大学の津富宏・准教授からフジノに講義をしてほしい、
 というご依頼を頂きました。

 『人権問題を考える』という15回の講義のうちの1回を
 フジノがまるまる1コマ、語ってほしい、というものでした。

 カリキュラムを見せていただくと、

   ・人権とは何か

   ・部落差別と人権

   ・アフリカと人権

   ・少年司法と人権

   ・女性の人権

   ・ジャーナリズムと人権

   ・障がい者と人権

   ・薬物濫用者の人権

   ・来日女性の人権

   ・在日外国人と人権

   ・性的マイノリティの人権

 など、フジノの他のスピーカーの方々は素晴らしい方々ばかりで
 フジノが適任かどうか悩みましたが、

 与えていただいたテーマが
 『自殺予防』『精神保健福祉』についてでしたので
 フジノは「やるしかない」と決心しました。

 12月中旬の予定です。

 これまで市内のNPOや、秋田県、横浜市に招かれての講演ですとか
 市内の小中学校でお話をしてきたことは何度もありますが
 大学での講義を担当するのは、初めてです。

 慶応大学SFCの教授になったアサノ知事から
 かつて2年連続で「講義でしゃべってよ」との
 ありがたいご依頼を受けたのですが

 その日がどちらも市議会の本会議とぶつかってしまって
 実現しませんでした(アサノ知事との共演って、僕の夢です...)。

 いずれにしても、政治家フジノの仕事は

 自殺予防対策と精神保健福祉の向上について
 全国を相手に広めていくことだと深く自覚しております。

 がんばります。


● 久しぶりにお酒を飲みました/そしてまたがんばるのだ

 でも、上智大学大学院を退学したことは
 本当に苦しい出来事でした。

 入試の勉強も2年間必死でがんばりましたし、
 その努力も全てこれで消えてしまいました。

 基本的には政治家になった時からフジノは
 自分の欲求よりも
 他人の希望の実現を最優先してきました。

 そんな僕にとって、大学院で学ぶことは
 たった1つの『夢』であり『希望』でした。

 しかも、退学の正式な決定が降りたその日に
 ありがたいお話なのですが、
 大学での講義を1コマ受け持つというお話をいただいて

 僕のこころは、やりきれなくなってしまいました。

 そこで、今夜は20時すぎにいったん仕事をきりあげて
 僕が本当に信頼している親友に会ってもらって
 一緒にお酒を飲みました。

 親友は、いかに僕が大学院で研究することを望んでいたかを
 当時から知っていましたし、ずっと全ての相談を聞いてもらっていました。

 けれども退学のことだけはまだ言えていなくて
 今夜、とうとう聞いてもらいました。

 4時間かけてビールを3杯しか飲まなかったのですが
 アルコールに酔うというよりも、人生の来し方を考えてしまいました。

 一体、僕にはもう何が残っているんだろう。

 僕自身には何の希望も見えない。

 大切な人を自殺で亡くし、いくら自殺対策でがんばっても
 彼女自身が命をふきかえすことは絶対にありえない。

 やっと親子の会話ができるようになった3日後に
 植物状態になってしまった父親との日々を通じて
 このまちの、いや、この国の介護・医療・福祉の問題に直面して
 政治家としていくら特養の待機者を減らせたとしても
 もう僕の父親と会話をすることは絶対にありえない。

 もともと政治家になんかなりたくなかった映画会社の社員が
 突然に政治家に転職をしてしまったが為に
 たくさんの友達を失ってしまった。
 どんなに努力をしても、
 すさまじい努力をしたけれども友達との復縁はできなかった。

 僕のアイデンティティは政治家ではないのに
 まわりの人々は日が経つごとに
 僕を政治家としてしか見てくれなくなっていく。

 一体、何なんだろう。

 僕は全力で社会に対して『希望』を語り続けてきたけれど
 僕自身には『希望』が何も見えないでいる。

 そんな気持ちを、親友に聴いてもらいました。

 僕が親友を絶対的に信頼している理由は、
 親友はすさまじい苦労人で、でも決してそれを言葉にすることもなく、

 いつも笑顔であろうと努力をしていて
 年下ながらこころから尊敬できる存在だからです。

 父や母やきょうだいなどの家庭環境のいろんな困難も
 僕のうちと親友のうちとはとても似ていて

 それだけど親友は、笑顔で前に歩こうとしつづけている。
 2人でお話をしたのは数年ぶりだったけれど、やっぱり会えて良かった。

 ありがとう。

 僕は1度この親友を失いかけてしまって
 仲たがいしてしまったせいで、連絡も取れないし、音信不通になって

 でも、どうしても僕には必要だったので
 きっと何年かかっても待っていれば

 同じこの空の下にいて、同じ空気を吸っているんだから
 いつか再会できると信じて、待ち続けてきました。

 今こうして再び2人で会話ができるようになったことを
 神様に感謝したいと思います。

 お互いに忙しくて、会えるのはきっと年1回あるかどうか...。

 でも、こうした親友がいるからこそ
 決して訳の分からない政治屋になることなんかなく
 僕は僕であることができているのだと信じています。

 ありがとう、マイフレンド。


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