まちの政治家は、こんなことしてます |
2010年1月7日(木)のフジノその1 | ||
● 街頭に立つ吉田雄人をフジノは待っていました。しかし... 昨日6日、吉田雄人市長の 2010年最初の定例記者会見がありました。 残念ながら、吉田市長側からお話したことは ほとんどマスメディア各社に記事にはなりませんでした。 (神奈川新聞だけは『年頭の意気込み』などを報じてくれました) では、そのかわりに朝日・神奈川・毎日新聞などで 何がとりあげられたかというと、 記者会見の最後に自由な質疑応答の時間があるのですが そこで吉田市長自らぽろっと語った、 『朝の駅立ちの再スタート』についてでした。 (2010年1月7日・神奈川新聞より) (2010年1月7日・毎日新聞朝刊より) 複数の記者クラブ関係者から 「マスメディア各社の反応は悪かった」とうかがいました。 「この時期に駅立ちを再開すべきではないだろう」と。 フジノも正直なところ、 「まいったなあ。市長はコミュニケーション戦略がダメだ...。 駅立ちの再開は必然だけれど、何故この時期に再開するんだ? しかも記者会見で発表するなんて!」 と、愕然とさせられたというのが本音です。 予算査定は今まさに市長・副市長査定の段階に入り、 1月の吉田市長は1日も休みなしで来年度予算と向き合います。 そんな中で朝の駅立ちに復活して、 もしも体調を崩して予算査定をたった1日でも休むことがあれば どれほど市議会から批判を受けるかなんて 簡単にイメージできます。 もちろんフジノだって厳しく批判をするのは当然だと考えています。 駅立ちよりも今は予算策定が最優先ですから。 だから、もっと良いやり方があったはずだ、と悔やまれます。 (吉田市長の側近は何をしているのか...) けれども、ここまで来てしまったら、後戻りはできません。 吉田市長は記者会見で発表してしまったのです。 かくなる上は、フジノは市長選挙で吉田候補を支援した勝手連の1人として 自分も吉田市長と共に批判を受ける側にまわりたい と覚悟しました。 何故ならば「駅立ちこそ政治家・吉田雄人の真骨頂だ」と考えるフジノは 肩書きが変わった途端に駅立ちをやめたことを強く批判してきました。 (昨年9月議会の一般質問でもハッキリと 駅立ちをやめた『不在』への批判をしています) そして、吉田市長との非公式の意見交換の時は常に 「駅立ちを早く復活させるべきだ」とフジノは提案し続けてきたからです。 何よりも予算を最重視すべき今の時期の再開は フジノの本意ではありませんが 再開する以上は、フジノは 提案し続けてきた責任を取りたいと考えています。 つまり、1月中に10日間ほど行なう予定の駅立ち全てに 吉田市長が出るべきでは無い、とフジノは考えています。 何よりも予算策定を重要視すべきだからです。 そのかわり、吉田市長がいない日には、 勝手連の1人として責任を持って フジノがその場に立とうと思うのです。 フジノスタッフは、フジノのこの決断に反対をしています。 「今年こそ藤野さんは市長に振り回されずに福祉をやりましょうよ!」 と言われました。その想いも強く理解できます。 昨年1年間を通じての選挙づくめの政局づくしは バカバカしくてうんざりさせられることばかりでした。 あれだけたくさん新聞や雑誌でとりあげてくれたからこそ フジノの『存在感』そのものは市民のみなさまに 大きく感じていただいていたとは思うのですが 政策実現に向けたフジノの『活動量』は いつもの年の半分以下に落ちてしまった、 と、昨年の活動をとても反省しています。 吉田市長がらみの釈明に追われる時間が多くて 極めて残念な対応ばかりに時間を費やさざるをえませんでした。 それでも、それでもあえてこんな明らかにピンチに 吉田市長ひとりだけを駅立ちさせる訳にはいきません。 むしろ、勝手連が復活して率先して駅に立つので、 吉田市長には来ないでいただきたい。 吉田市長には1月いっぱいずっと予算に集中していただきたい。 それが今のフジノの率直な想いです。 今日、吉田市長と意見交換した際には あくまでも彼は「自分がやりぬくべきこと」だと主張していましたが フジノはそうは考えません。 少なくとも予算議会が終わるまでは、 駅立ちは吉田雄人後援会と勝手連がやればいい。 情報発信は、我々がやるので 吉田市長には来ないでいただきたい。 むしろ、その分の時間を1秒でも長く休息をとって、 それ以外の時間は予算策定に必死に取り組んでほしい。 そう考えています。 もしも同じように考えて下さる元・勝手連の方々がいたら、 どうか協力していただけませんか。 |
2010年1月3日(日)のフジノその2 |
● おもちつき@RRROOM、今年も大盛況でした! カフェトークの会場に利用させてもらっているカフェ『RRROOM』では、 今日、毎年恒例のおもちつき大会でした。 日本のあらゆる伝統的な文化が消えていく中で お餅つきという行事についてはこどもたちに人気なこともあって 町内会や学校が一生懸命にその伝統を残そうとしてくれています。 そうした地域の取り組みは とても大切なことでありがたいのすが、 一方で、「誰でも参加OK!」という 完全開放型(たまたま通りかかった人も参加可能)の 『RRROOM』のお餅つきはとても貴重な取り組みだと感じています。 こうした『コミュニティカフェ』の可能性に フジノはとても期待しています。 ● さて、フジノは昨年に続いて、 日頃は会えない甥っ子と一緒にお餅つきに参戦しました。 今年も『RRROOM』前はたくさんの人々が集まりました。 へっぴり腰ですが、フジノもつかせてもらいました。 昨年は恥ずかしがって1度もきねを持とうとしなかった甥っ子が 今年は4回(8kgつきました!)のお餅つきの全てにおいて 率先してついていました。 1年間という時間は、こどもを大きく成長させるのですね〜。 うれしい驚きでした。 そして、ついたおもちをさっそく店内で だいこんおろしをつけたり、あんこをつけたり、きな粉をつけたり、 みんなで食べました。 とてもおいしくて、あっという間に減っていきます。 フジノはいつも仕事にかまけていて年1〜2回しか会えない甥っ子ですが、 どんどん成長していって、いろんな話題を語り合えるようになりました。 これからも成長していく姿を見守るのが楽しみです。 『RRROOM』のみなさま、お餅つき、とても楽しかったです。 本当にありがとうございました! -------------------------------------------------- そして、昨年に続いて緒明山公園へ。 ここでは一緒に走りまくりました。 そして最後に、ダイエーの映画館に行って 3D映画『アバター』を観ました。 大人気なのか、とにかく混んでいて 座席が本当に最前列しか空いていませんでした! 叔父のフジノはお餅つきと公園ダッシュでもう疲れきって 映画の途中で10分近く眠ってしまいました。 やれやれ、ダメですね。 今日もわずか7時間しか過ごせなかった上に 次に会えるのは一体いつになるのか全く分からないという ワーカホリックの頼りない叔父のフジノです。 かつて自分が幼い頃に 自分の叔父さんに遊んでもらったたくさんの楽しい思い出を同じように フジノは作ってあげることはできずにいます。 政治家である限り、プライベートというものは存在しないし、 こうして過ごしていてもこころのどこかではいつも 仕事のことを忘れることは不可能でいます。 それでも、せめて会える時間は全力で 甥っ子と一緒に遊ぼうと決めていました。 いつの日か、甥っ子にとって今日が 少しでも楽しい思い出になってくれたらいいなあと願っています。 |
2010年1月3日(日)のフジノその1 | |
● 子宮頸がん検診の受診率アップをめざして/『結(yui)』とフジノの挑戦、スタートです! 昨年12月17日に横須賀を訪れてくれた 子宮頸がん予防・検診啓発プロジェクト『リボンムーブメント結(yui)』のみなさんとの意見交換の様子を 神奈川新聞・岡本晶子記者が報道して下さいました。 全文を引用させていただきます。 (2010年1月3日・神奈川新聞より) 子宮頸がん検診、受診率アップを/女子大生が啓発 リボンムーブメント結 20〜30代女性の間で急増中の子宮頸がんの啓発を行う 『女子大生リボンムープメント結(yui)』。 子宮頸がんについて学ぶとともに、 自分たちが学んだことを同世代や次世代へ語り継ぐ活動を展開している。 昨年12月には一部のメンバーが横須賀市を訪問。 どうしたら若い女性が検診へ足を運ぶようになるか、 この問題に取り組む地元市議と一緒に考えた。 彼女たちの出した結論とは−。 (岡本 晶子) 女子大生1人1人が『語り手』。 病気の怖さを伝えるのではなく、「もっと自分を大切にしよう」とボジティブなメッセージを伝える−。 それが『結』のコンセプトだ。 ◆わずか2割 昨年12月、藤野英明市議のもとを訪れたのは 共同代表の東洋大4年・臼井あかねさんと慶応大2年・鈴村沙繊さん、 成城大3年・椎名千紘さん、東洋大4年・三枝直子さん、学習院大4年・三好里佳子さん。 『結』は現在約15人の女子大生で運営するが、出身や参加の動機はさまざま。 「以前、病気をしたときに健康な体が当たり前ではないと実感した」 という三好さんのようなケースもある。 国が発行したがん検診手帳によると、 米国の子宮頸がん検診の受診率は84%であるのに対し、日本はわずか21%。 対談の場では低迷の要因が話題に上った。 「婦人科には周囲の目が気になり、行きにくい」 「小学校などできちんとした健康教育が行われていない」 などといった意見が出る中、 「日本では集団による予防接種が個人の任意接種へ変わったのを境に、 予防接種に対する意識が変わった」 と鈴村さん。 「日本人の中には『健康にもかかわらず、なぜ予防しなくてはいけないのか』との意識が強い。 諸外国と比べリスクマネジメントが劣っている」 と指摘した。 ◆草の根活動を 受診率アップのためには女性の意識改革が不可欠だが、 現実はなかなか難しいよう。 実際、友達に子宮頸がんの話をしたところ 「なんで若いのに、がんの話なんてするの」 と嫌がられたメンバーもいる。 「(同世代には)『自分の体をトータルできれいにしよう』と伝えたい。 仲の良い子同士で検診に行くような空気が広まればいいですね」 と三好さん。 「やはり草の根の活動を地道に続けていくしかない」−。 メンバーの思いは一層強まった様子だった。 藤野市議は 「学生だからこそ届く言葉がたくさんある」 と激励。 メンバーらは 「機会があれば神奈川でもイベントを手掛けたい。 学校などでも依頼があればぜひ話をしたいですね」 と意欲を見せていた。 ◆子宮頸がん 子宮の入り口部分にできるがん。 主な原因は性交渉によるウイルス感染とされている。 多くの場合、ウイルスは体内の免疫力によって自然消滅するが、 中には細胞の異常を発生し子宮頸がんになる人も。 しかし感染から発症まで時間がかかるため、検診が有効とされている。 2009年秋には国内でワクチンが承認され、 予防が期待されているが、多額な費用負担が課題となっている。 (写真のキャプション) 子宮頸がん検診の受診率アップに向けて話し合う『結』メンバーと藤野市議。 横須賀市上町のカフェ「RRROOM」にて -------------------------------------------------------------------- (引用おわり) 記事で取りあげられている『リボンムーブメント結(yui)』の活躍はすでに記してきましたので、 今回は、記事を書いた方について、少しだけフジノの想いを記したいと思います。 この記事を書いて下さった岡本晶子記者は 子宮頸がん対策について かねてからとても熱心に報道して下さっている素晴らしい新聞記者の方です。 神奈川新聞の紙面に記者の方々が順番に執筆していくコラムがあるのですが その中で岡本記者は子宮頸がん撲滅に向けて 記事を書き続けるという決意をかつて記していらっしゃいました。 そのコラムを読んだ時、フジノは 本当にありがたいことだと岡本記者の存在に感謝したものでした。 『子宮頸がん撲滅』という共通の想いを持つ方が マスメディアに存在していることを神様に感謝しました。 というのも、政治家としてのフジノの7年間を通じて 自殺予防対策についても全く同じことが言えるのですが、 いのちに関わる大切な問題であっても 日々の流行を追わざるをえないマスメディア業界では たとえその問題に強い関心があっても 実際に記事化・番組化まで実現して下さる記者の方々は、 どうしても少ないのが現実です。 特に、横須賀というまちでは『米軍基地』のことだけしか 書いてくれない/報道してくれないメディアが多いのもまた現実です。 そんなまちにあっても、子宮頸がん撲滅に向けて 広く社会に対して啓発の記事を書き続けて下さった 岡本記者という存在は、本当にこころづよい援軍でした。 救うことができるいのちを守る、それは政治家だけの使命ではありません。 マスメディアのみなさまにも共通の使命だとフジノは信じています。 同世代の問題としてみずから活動してくれている女子大学生の『結(yui)』と同じく マスメディアの立場から闘ってくれている方が存在することを 本気で僕は神様に感謝しています。 そんな岡本記者なのですが、昨年12月末までの横須賀支社勤務から 1月1日付けで本社の経済部へ異動となってしまいました。 本社に行くというのは栄転だと思うのですが、 横須賀の政治家であるフジノにとっては 強い使命感のある記者の方がこのまちから異動してしまうのは残念です...。 しかし、そんな熱い想いのある方が本社へ行くのですから それをフジノは前向きに受け止めて、 本社にもとどろくような/本社でも注目せざるをえないような、 そんなすごい活動をフジノは横須賀からどんどん起こしていきたいと思います! 岡本記者、横須賀支社での勤務、おつかれさまでした。 そして、素敵な記事の数々をありがとうございました。 これからも本社でのご活躍を祈っています! フジノもこれからも子宮頸がん撲滅に向けて、全力で活動をしていきます! |
2010年1月2日(土)のフジノ |
● 正月2日、追浜〜横須賀中央での『ひとり自殺予防キャンペーン』 今日も『ひとり自殺予防キャンペーン』で 横須賀市内をまわりました。 昨年の1月2日は横須賀中央をスタートして 大津・北久里浜・久里浜・野比とまわっていきました。 そこで今年は逆に、 市内を北上していくことにしました。 今日は、街頭演説中に各地で複数の市民の方々から 励ましていただいてしまいました。 汐入・ダイエー前では、 小さなおこさんをつれたご家族の方々が声をかけてくれました。 「いつもホームページ観てます!」 「バイクで移動してるんですね。寒いのでがんばって下さい!」 フジノの生まれ故郷である追浜駅前では、 車からクラクションが鳴らされて 急いでそちらを見てみると 「おーい!」 と、やっぱりご家族5人の方が車の中から みんなで手を振ってくれました。感謝、感謝です。 田浦や安針台や逸見を演説してまわって、 最後に横須賀中央Yデッキに戻ってきました。 横須賀中央では 「今日は横粂さんは一緒じゃないの?」 と尋ねられて、うれしかったですね〜。 昨日の活動日記を読んでくれているからこその 質問ですものね。本当にありがとうございます。 年末年始の『ひとり自殺予防キャンペーン』は 今年も今日で終わりです。 明日も毎年おこなっている大切な街頭演説を行ないますが ひとまず自殺予防については終わります。 とはいえ、自殺予防対策に終わりなんてありません。 ひとまずこれからは街頭でのマイクではなくて、 今までどおり、お1人お1人に寄り添う形でのサポートを続けていくと共に 市議会議員として本会議・委員会の場での政策提案を行なうことや 地方議員有志の会の活動として 全国的に取り組みを広げていきたいと思います。 ● 大晦日のカウントダウンイベントには行きませんでした 複数の市民の方から 「フジノさんは大晦日のカウントダウンイベントには 来ていなかったのですか?」 という質問メールをいただきました。 ごめんなさい!行きませんでした! ふだんは毎年、市の観光課のみなさんのがんばりを見届けたくて 必ず大晦日にはヴェルニー公園に行くことにしているのですが おとといの大晦日は、事務所でギリギリまで仕事をしながら 行くべきかどうか迷った挙句に行くのをやめました。 熱こそ出なかったのですが頭痛と悪寒がひどくて 元旦〜三が日の『ひとり自殺予防キャンペーン』を最優先したくて ヴェルニー公園には行かないことにしました。 それに加えて、行く理由が無くなってしまいました。 かつて2005年から昨年までのカウントダウンは 毎年の最後と新年の最初に、 市長の顔を焼き付けておきたかったのです。 あの前回の市長選挙の悔しさを絶対に忘れない為に。 この理由こそがモチベーションとして大きくて、 フジノはカウントダウン会場へと足を運んでいました。 でも、フジノにはもうその必要が無くなりました。 新しい市長が昨年誕生したからです。 もちろんみなさまがご存知のとおり、 新しい市長とフジノの間には、政策的な対立がいくつもあります。 けれども、そうしたいくつかの政策の対立を除けば 2人の根っこにある『新しい横須賀』を実現する為の想いは ずっと不変だと信じています。 この信頼感が吉田市長とフジノとの間にある限りは、 もうフジノがカウントダウンに行く必要はありません。 自宅からも事務所からも花火も汽笛の音もハッキリと聞こえます。 ですから、それだけで十分なのです。 1人でも多くの市民のみなさまや市外からのお客様に より良い場所で花火を観て頂くことが良いのではないかと思っています。 (転職前の映画会社では、たとえプライベートの時であっても 自社作品を観る時は自費であっても良い席で観るようなことはありえませんでした。 それは『限られた座席数』の中で1人でも多くのお客さまに良いお席で観て頂く為です。 ですから転職して横須賀市をセールスするのが仕事の1つである今、 たとえプライベートであっても、あの混雑している大晦日のヴェルニー公園で フジノがそこにいてしまえば、1人分のスペースを取ってしまうことになります。 政治家というサービス業であるフジノが、そうする訳にはいきません) ふつうの政治家はたくさんの人々が集まる場に現れては 握手をしたり挨拶をするのが常識のようですが ごめんなさい、フジノはそれはやりません。 大晦日や元旦は、いつでも相談の電話がかかってきても良いように 可能な限り、事務所や自宅で電話をそばにおいて 待機していたいと考えています。 |
2010年1月1日(金)のフジノその1 |
● 怒りに満ちた、元旦の『ひとり自殺予防キャンペーン』 元旦である今日も、クリスマスイブと同じように 年末年始の『ひとり自殺予防キャンペーン』を行ないました。 強い風が吹いていましたので、 メッセージをマジックで記した厚紙が飛ばされてしまいそうでした。 たまたま里帰りで横須賀に戻ってきた親友が 演説するフジノの姿を30秒ほど動画で撮ってくれました。 自分自身ではなかなか観ることができない、 自分自身の演説の姿でした。撮ってくれてありがとうございます。 厳しい寒さや足元のコンクリートから伝わる冷たさがあっても できる限りフジノはやせがまんをしてでも、コートを着たくありません。 何故ならば、今この瞬間も追い込まれて苦しんでいる方々は 電気代や灯油代も節約しながら暮らしているのを知っているからです。 そんな方々の想いを少しでも分かち合いたいのです。 フジノが街角でどれだけ寒い想いをしたとしても それは街頭演説をしている2時間ほどに過ぎません。 でも、そうした方々はずうっとこの寒さの中にいる訳です。 わずか2時間だけでもいいから、同じ想いをフジノも感じたいのです。 フジノは、こんな風に街頭演説をいくら繰り返しても 本当に今この瞬間に苦しんでいる方々に 僕の想いが届かないことは理解しています。 何故ならそうした方々のほとんどが、 横須賀中央になんか出てこれる状況に無いからです。 でも、僕は祈りをこめてひたすら演説を続けていくしかありません。 そうした方々の周囲に暮らしている方々が 自殺や精神疾患への偏見を減らしてもらえるように、 あるいは、少しでも正確な情報や理解を高めてもらえるように、 そして、手をさしのべてくれる日が来ることを信じて ただひたすら演説を続けています。 クリスマスイブも、クリスマスも、年末も、元旦も、 どれだけ世の中が平和で幸せな時期であっても、 この国では今この瞬間もたくさんの方々が 自殺へと追い込まれているのです。 それならば、まわりがどれだけ反対しようとも フジノが活動しつづけなければならないのは当然のことだと思うのです。 -------------------------------------------------- 今日の午後は、親戚の家に行かねばなりませんでした。 親戚の家で食事をしながら、元気いっぱいに働く義理の弟から 「自殺をする人はわがままだ」 「ホームレスは自己責任だ」という言葉を聴き、 許せなかった僕は彼と激しい議論になりました。 でも、温かいコタツに入りながらのこんな議論は くそくらえだと僕は感じました。 親戚の集まりに居続ける意味が感じられなくて 僕は途中で帰ることにしました。 確かに僕は、個人としては父が植物状態の今、 『藤野家の長男』としての『役割』も果たさなければなりませんが やはり僕は個人である前に、公人です。 個人としての役回りを僕が何もやらなかったとしても、 個人としての僕の評価が下がるだけのことで どれだけ親戚から嫌われようとも、フジノは全く困りません。 フジノは2003年に政治家になったその瞬間から 個人としての時間の多くはもう捨てたのです。 1人でも多くの救うことができるいのちの為に、 フジノはこの人生を賭けることにしたのです。 そもそも失われてしまった多くのいのちの為にフジノは働いているのだから 親戚や周りの人々に理解なんかされる必要は無いし、 そんな行事にふりまわされて働く時間が減るのはもうごめんだと 改めて感じました。 しばしば、市民の方々から頂くメールに 「もっとプライベートを大切に」とか 「自分が健康じゃなければ他人を幸せになんかできない」という アドバイスをいただくのですが、 もう2度とそんなメールをフジノには送ってこないで下さい。 そんな一般論は、フジノには必要が無いからです。 安全で守られた場所からフジノが言葉を発しても 本当に苦しい状況に追い込まれている方々には届かないのです。 だから、フジノはこうしているのです。 フジノにはフジノのやり方があるのです。 それがイヤならばどうか放っておいて下さいませんか。 そんな激しい怒りの気持ちを内面に秘めたままの 今日の『ひとり自殺予防キャンペーン』でした。 ● ひとりきりじゃなかった『ひとり自殺予防キャンペーン』、援軍登場! そんなトゲトゲしたこころで語り続けていたフジノの 『ひとり自殺予防キャンペーン』でしたが なんと援軍が登場してくれました! 年末最後のカフェトーク特別編にもわざわざ来てくれた あの横粂勝仁さん(衆議院議員)です! 横粂さんも共にマイクを握って演説してくれました。 「来年の元旦(2011年)こそは、 『自殺による犠牲者が減りました!』という演説をできるように 全力をかけて政治が取り組みを行なっていきます!」 という横粂さんの言葉は、フジノの想いと全く同じでした。 この国の・このまちの自殺による犠牲を 限りなくゼロへと近づけていく為に 横粂さんは国会議員の立場から フジノは市議会議員の立場から できうる全ての取り組みに、今年も全身全霊をかけていきます! 『陰』と『陽』という考え方がこの世にあるならば、 横粂さんが『陽』で、フジノは『陰』なのです。 どの写真を見ても、今日のフジノは最後まで 険しい表情が取れなかったのですが、 そもそもフジノが政治業界に入った理由は、『弔い合戦』です。 明るい政治家ではありませんし 誰かに好かれたくてこの仕事をしているのではありません。 いつも、失われたいのちの重さを両肩に感じながら 自責の念をいつも胸に秘めながら、フジノは闘っていくのです。 だから、これでいいのです。 けれども、今、フジノは1人きりではありません。 こうして、国会議員である横粂勝仁さんが わざわざ駆けつけてくれて、一緒に闘ってくれるのです。 きっとこの国の明日は明るいはずです。 そんなことを感じた、2010年の元旦でした。 どうか全てのみなさまにとって幸せに満ちた1年となりますように。 こころからみなさまの幸せを祈っています。 |