2005年6月19日から25日まで1週間、市長選挙を戦いました
僕たちの「市長選挙」勝手連日記


2005年、横須賀市長選挙
  
32年間続いた官僚出身の市長。
  財政赤字が続く中、
  50億円をかける美術館に代表される
  ハコモノばかり何故つくるのか。

  そんな行き詰ったこのまちを
  今こそ変える最大のチャンスが来ました。

  横須賀市長選挙、市長が変わるのです。
  新しい横須賀をめざして
  僕たちが全力で闘った1週間
  激闘の日々をお伝えします。


<はじめに:この勝手連日記について>

 2005年に行なわれた横須賀市長選挙。

 フジノは、このまちの将来を決める選挙に対して
 まず全ての候補者の方々にお会いして、その政策をうかがいました。
 (4月22日・木村候補4月26日・蒲谷候補5月8日・小堀候補

 その上で、このまちの政治家として
 責任を持って1人の候補者を応援したいと決心しました。

 そして記者会見を行いました。
 (その模様はこちら

 しかし、よく政治家が選挙のたびに大挙して応援している姿が
 フジノは心底から大キライでした。

 そこで、勝手に応援することにしました。
 つまり、勝手連ということですね。

 フジノのこの動きに、同じ想いである
 『民意が市政に生かされることを願う会(以下、願う会)』も
 協力してくれました。

 けれども、この勝手連日記は、
 あくまでもフジノ1人の視点から見た活動の記録です。

 というのも、木村正孝さんを応援する
 『勝手連』というのはたくさん存在していて、
 最後の最後までフジノは
 全ての勝手連とお会いすることはできませんでした。

 最終的には、合計60〜90もの
 勝手連があったようです。

 いちおう『願う会』があえて事務所を作ったものの、
 そこに勝手連の情報が集中していく
 なんてことはありませんでした。



 あくまでも「参加したい」という意思を持った方々が
 自由に参加をして
 自分自身ができることをそれぞれの立場で行なう、という
 ゆるやかな横のつながりが今回の勝手連活動だったのです。

 したがって、フジノ自身がここに記す活動日記は
 あくまでもフジノ自身が見たり聞いたり体験したことだけ、です。

 勝手連1人1人に、それぞれの活動日記があるはずです。



選挙前の勝手連活動はこちら
5月10〜16日 5月17〜25日 5月26〜31日 6月1〜6日 6月7〜12日


2005年6月19日(日)のフジノ
● 6月27日以降の読者の方々へ

 フジノは今、未来の読者の方々に向かって
 この原稿を書いています。

 みなさんがこの6月19日の活動日記を読めるのは
 法律のしばりによって、
 選挙が終わった後の
 6月27日以降になります。

 けれども、この選挙期間中に感じたことを
 毎日きちんと記しておくことで
 今回の「横須賀を変えるための戦い」について
 記録を残しておきたいと思うのです。

 みなさんが暮らしているこのまちを変えるための選挙が
 どのように闘われたかを
 ぜひみなさんに知ってほしいと願い、
 これを書くことにしました。

 なにぶん、選挙活動ですさまじく忙しい中での
 走り書きですので、文章のまずさはお許しくださいませ。

 では、僕たちの7日間戦争、スタートです!


● ついに選挙がスタート!

 本日6月19日(日)、ついに告示日を迎えました。

 朝、木村さんご自身が選挙管理委員会へと足を運んで
 立候補の届出を行ないました。

 その場で、候補者のポスター掲示板の番号などを決める
 くじびきが行なわれるのですが、
 木村さんは1番!

 さっそく連絡担当の方から電話でお知らせがあり、

 「幸先の良いスタートだね!」

 と明るい声で言われました。

 ポスター掲示板の、左上の位置が1番です。
 このまま、選挙も駆け抜けていき、
 1番でゴールしたい!

 この掲示板番号が決まったら、ポスター貼りへ飛び出しました。

 みんなでつくったポスターを
 勝手連のみなさんで
 手分けをして貼り出しました。

 ポスターはなんと3種類つくりました。
 それぞれ楽しんで見てもらえたら、
 という想いからです。

 黄色いバージョンは、
 雄人とフジノのアイディアです。見てね。

 掲示板は約630ヶ所。
 本当に大変な作業なのですが、
 今日中に早くも全ヶ所を貼り終えることができました。
 みんなで本当にがんばりました!

 勝手連のみなさん、本当に素晴らしい!
 おつかれさまでした!


● フジノのユウウツ

 今回の選挙期間ずうっと
 フジノ自身は、勝手連応援団の1人として
 雄人とともに徹底的に全市内をまわっては演説をしまくります。

 でも、もう昨日の時点から
 ノドをやられていて声がでない状態。参ったなあ。

 加えて、勝手連のみんなにはナイショにしているけれど、
 肺に穴があいてしまっています。

 僕の持病の、自然気胸です。

 雨の中で演説したり、ストレスと疲労が重なったり。
 加えて、肺に穴があいていたら
 安静にしなくちゃいけないのに
 むしろ逆に思い切り声を出さなくちゃいけないから
 肺に負担がかかってしまっているのです。

 毎日、とても苦しいです。

 でも、肺のことを話せば
 絶対に体調を心配してリタイアさせられてしまう。

 だから、僕だけの胸にしまって
 痛みがこらえられる限り、最後まで走ることに決めました。
 願う会のみんなにも秘密にすることに。

 このまちの4年間のためなら
 肺がつぶれてもいい。ぶっ倒れてもいい!

 とにかく1週間、全力でがんばります!


● 選挙事務所は子安(秋谷)です

 選挙のルールとして
 選挙事務所を1ヶ所、どうしても登録しなくちゃいけないのですね。

 そこでも木村さんの選挙は、
 今までの『古い選挙の常識』を打ち破りました。

 このまちの場合、

 (1)選挙事務所は横須賀中央方面

 (2)車が通る大通りに面している

 (3)事務所は、選挙期間中だけ誰かに場所を借りる

 みたいなのが『選挙事務所の常識』になってました。

 だけど、木村さんは違います。

 このまちを愛しているからこそ
 このまちの象徴である美しい自然に囲まれた場所、
 子安の里(秋谷)にあるご自宅を
 選挙事務所に選びました

田園風景の中の選挙事務所

 この自然の美しさは
 天皇ご夫妻も愛しているとのことで
 葉山御用邸に訪れた時には
 この付近を必ず散歩をされているそうです。

 フジノは出陣式前には1回しか来たことがありませんが
 本当に自然が豊かでこのまちらしい場所だと
 つくづく感じました。

 今までの横須賀中央集中主義に反して、
 このまちで生まれ育った誇りとアイデンティティーの証として
 この子安をあえて選んだのです。

 もちろん自宅を事務所にすれば
 費用が1円もかからない、という
 ムダ遣いカットが公約の市長候補にふさわしい判断でもあります。

 選挙期間中にできないことは
 市長になってもできない、が木村さんの想いですから。

 この場所への反対意見が
 仲間の内側からあったのも事実です。

 だけどフジノは木村さんの選挙事務所が
 子安になったことを誇りに想っています。

 さあ、出陣式です!


● 出陣式!

 準備の途中で
 外を眺めると
 こんなにも
 たくさんの方々が
 集まっていました。

 この数はさらにふくれあがりました。



 13時半というお昼のまっただなかにもかかわらず、
 ものすごい数の方々が出陣式に参加して下さいました。

 テレビ神奈川のニュースとかで
 きっとこのときの様子は流れたんだろうなあ。

 木村さんにゆかりの方々が
 出陣に際しての応援演説を行ないました。

木村さん出陣式で応援演説をするフジノ

 フジノも応援演説をしました。


● たすきをしない候補者です

 明日の新聞にはきっと
 この出陣式での
 たすきをしている木村さんの写真が載るでしょう。
 (後日談注:実際に各紙に載りました)

だるまさんと木村さん  でも、実際には
 たすきをかけていたのは
 わずか数分間だけなのですね。

 写真撮影のわずかな瞬間だけ
 フジノたちがお願いして
 木村さんに
 たすきを
 かけてもらいました。

 ふだん木村さんは絶対にたすきをかけません。
 何故なら、木村さんは
 たすきをものすごく嫌っているからです。

 これも「従来型選挙はやりたくない」という
 木村さんの想いに基づいています。

 そういうガンコなところは
 選挙では不利に働くかもしれないけれど
 フジノは潔くて良いと考えています。

 僕自身、自分の選挙の時、
 新聞社に経歴を書いてほしいと頼まれた時に
 あえて何も書きませんでした。

 こういう1つずつの信念が
 多くの支援者の方々からは不満もあるようですけれど、
 フジノにとってはこういう側面も含めて
 木村さんのことを応援したいと考える要素です。


● 勝手連の飛び入りがすごい数に!

 出陣式を終えると、すぐに横須賀中央駅へ移動しました。

 木村さんが立候補をしたということを
 1人でも多くの方々に伝えるために
 勝手連応援団としても、ガンガン活動をします。

願う会カーをYデッキ下に、フジノはYデッキ上に

 フジノの友人もかけつけてくれて
 ものすごくうれしかったです。

 日頃は政治とは関わりの無い
 ふつうの暮らしをしてる20代の女友達です。

 だけど、やっぱり熱いこころを持っていたんだなと改めて確信。
 すごくうれしかったです。ありがとう!

市民の方のご意見をうかがい、対話をする、フジノ  市民の方々からの
 いろんなご意見、
 いろんなご批判、
 1つずつに
 じっくりと
 耳を傾けます。

 これが木村流の
 政治家としての
 姿勢です。

 勝手連の仲間と共に
 法定チラシ1号を
 ガンガン配りました。

 この法定チラシ1号には
 どこにも『木村正孝』という名前が印刷されていません。

 だから、受け取って読んでくれた方々から
 誰を応援しているのかと尋ねられることがすごく多かったです。

 これは法律のしばりのせいなのですが
 でもやっぱりおかしな法律ですよね。

 10代のみんなも
 とても話をしっかりと
 話を聴いてくれました。

 木村さんが
 Yデッキに到着すると
 10代のみんなと
 木村さんは
 対話をしました。

 10代とも話せる市長。 

 そういう人にこそ、市長になってほしいですよね。


● 夜の出陣式2も大盛況でした

 やがて18時すぎにYデッキでのチラシ配りを終えると
 汐入にあるよこすか平安閣に向かいました。

 第2回目の出陣式、とも言うべき
 集まりが行なわれるからです。

 湘南信用金庫の服部理事長、牧島功県議、竹内英明県議、
 そして、木村正孝さんがお話をしました。

 一柳さん・雄人・フジノの勝手連市議トリオは
 ステージ脇の来賓席みたいな場所に座っていました。

 この場所に集まった方の数は
 おおげさじゃなく800〜1000人くらいは
 いたんじゃないかと思います。

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 こうして、1週間が始まりました。

 それにしても
 今日は儀式めいたことが多かったです。

 正直なところ、

 出陣式とか平安閣での集まりだとかに
 戦略的な意味があるとは思えない、


 というのが、31才のフジノの素直な感覚です。
 やるべきじゃなかった、やりたくなかった、とハッキリ思います。

 選挙に勝つためには政策論争が必要なだけで
 こういうことは全く必要ないことですよね。

 身近でフジノが見ていて
 木村さん自身もこういった催しをやることに
 とても乗り気だとは思えませんでした。

 でも、勝手連にもいろいろな種類があるし
 老若男女が集まっているから
 全員が納得する方法というのは無いのでしょうね。
 しかたがないみたいです。それはフジノも諦めることにしました。

 でも、明日からは徹底的に
 このまちをひたすらまわりまくります。

 それこそが木村さんのやりたいことだと思うし、
 フジノたちにできる最大限に有効な手段だと思います。

 木村さんのやりたいようにやらせてあげるのも
 フジノの仕事だと思っています。
 全力で木村さんを守る。

 がんばります。


● 今日の新聞報道

2005年6月19日神奈川新聞朝刊



2005年6月20日(月)のフジノ
● 選挙2日目、『願う会』カー登場です

 けさは6時半から勝手連のみなさんと共に
 『民意が市政に生かされることを願う会』の法定チラシ1号を
 汐入駅前で配りました。

 今日から勝手連にとって
 新しい武器である『願う会』カーが合流する予定です。

 昨日の選挙初日が
 儀式的な色合いが強いものだとしたら、
 今日から最終日までは徹底的に『攻め』に転じます!


● そもそも『願う会』カーとは何か?

 そもそも『願う会』カーとは一体何か?

 これには少しだけ説明が必要です。

 今回、フジノが勝手連活動を行なうと決めて
 木村さんにお伝えした時に
 木村さんご自身の選挙に対する想いをうかがいました。

 フジノたちはあくまでも勝手連なので
 活動は法律が許す限りは勝手にやっていくのが方針です。

 でも、木村さんの想いだけは
 絶対に最大限に尊重したいと考えました。

 (1)選挙期間中、木村さんからは
  「選挙カーは使わない」と言われている


 (2)選挙期間中、木村さんからは
  「対話を重視したいので、街頭演説は行なわない」
  と言われている

 (3)選挙期間中、木村さんからは
  「政策を訴えることこそ大切なので、
   無意味な名前の連呼は
   絶対にやめてほしい」
と言われている


 3つとも、市長候補である木村さんらしい、
 市民の立場に立った正々堂々とした提案だと思います。

 まず、この3点がフジノにとっては
 最も大切にしなくてはいけないルールでした。

 これを最大限に尊重して、
 なおかつ勝手連として木村さんのことを応援しまくるために
 どうしたら良いだろうかと知恵をしぼりました。

 その結果、

 (1’)勝手連として『願う会』の車(『願う会』カー)を出す
  のであれば、木村さんが選挙カーを出したことにはならない


 (2’)勝手連として僕たちが街頭演説をするのであれば、
  木村さんが街頭演説をしたことにはならない


 (3’)勝手連の演説はあくまでも政策を訴えることに集中して
  木村さんの名前を連呼するようなことは絶対に避ける


 とすることに決めました。

 これが『願う会』カーを作ることにした原点です。

 加えて、選挙に関する法律のしばりで、

 (4)申請で認められた正式な団体(確認団体)しか
  マイクや車を出せない

 (5)申請で認められたマイク以外は使えない

 (6)申請で認められた車に付けたマイクでしか演説はできない

 ということで、

 (4’)願う会を『確認団体(木村さんを応援する正式な団体)』
  として正式に申請した

 (5’)(6’)願う会の活動のために車をつくり、マイクを設置した

 このように対応をしました。

 以上の結果、できあがったのが
 『願う会』カーなのです。

 あくまでも木村さんの選挙カーでは無く、
 あくまでも木村さんが街頭演説をするためでは無く、
 ただひたすらに政策を訴えるための
 手段としての『願う会』カー。

 これにフジノや雄人や勝手連がのりこんで
 街頭に繰り出していくのです。

 (*後日談:フジノは理由を知らないのですが、
    最終的に木村さん自身の選挙カーも作られてしまいました。
    しかし、最後の最後まで
    「木村さんご自身は絶対に選挙カーに乗らなかった」という初志貫徹を
    フジノは誇りに感じています)



● 出だしは...

 さて、選挙のルールでは
 朝8時から夜20時までマイクを使うことが許されています。

 だから勝手連としても
 チラシ配りを8時過ぎに終えたら
 すぐにでも『願う会』カーに合流する予定でした。

 ...けれども、来ないのです。

 8時半を過ぎても
 合流場所に来ないのです。

 イライラしまくったフジノは
 連絡係の方に怒りのメールを投げました。

 一方で、連絡係の方も
 錯綜する情報と戦っていたようです。
 5分くらいの間にすさまじい勢いで50通くらいのメールが
 その方のもとへ集中しまくってしまい
 大変だったようです。

 政治家であるフジノですら
 2年前に初めて選挙を体験しただけです。
 選挙はあくまでもたった2回目でしかありません。

 さらに選挙とは全く無縁のふつうの暮らしをしている
 勝手連のみなさんにとっては
 もっと選挙なんて遠いものです。

 いくつものカン違いや連絡の食い違いで
 なかなか『願う会』カーはやってきませんでした。

 けれども、やがてついに『願う会』カーがやって来た時、
 みんなで大喜びをしました。

 ついさっき、怒りのメールを送ってしまった方にも
 すぐにお詫びを伝えて、とにかく出発することにしました。

 誰もが素人なのです。
 誰もが何も分からないのです。
 でも、それが勝手連なのです。

 とにかく出発しました!


● さあ、街頭演説の旅へ

 『願う会』カーには、 
 フジノと運転手さん1人ともう1人の合計3名が乗りました。
 全員男性のみ。

 うぐいす嬢という存在がどうしても好きになれないフジノにとって
 この『男ばかりの集まり』
 かなりうれしい集まりだったのでした。

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 当選してから知らない人に話しかけられまくる2年間でしたが
 特にフジノが大嫌いな話題の1つに

 「あたし、うぐいす嬢やってたんです」

 というものがありました。

 候補者の政策も知らずに、ただ女性だからという理由で
 選挙の手伝いをするような人は大嫌いです。


 さらにキライなのは、このセリフです。

 「フジノさんの次の選挙ではうぐいす嬢やりますね」

 こう言われると、毎回こころの中でフジノはキレてました。

 やっぱりこの人も
 おれが「選挙カーは出さない主義」だということすら
 知らないでただ話しかけてるだけなんだ、といつも感じました。

 そういう人々のことは
 絶対に信用しないできた政治家としての2年間でした。
 そして僕のこの2年間の態度はつくづく正しかったと信じています。

 政治活動に中途半端に関わったことがある人ほど
 信用できない人種はいません。
 政策よりも選挙が好きな人間が最もダメです。

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 2人の男性は、どちらもサイコーな方でした。

 1人は、海をこよなく愛していて
 NPO活動にも励んでいる方でした。

 もう1人は、障がいのある方々への理解が深く
 日常的に企業ごと交流をされている方でした。

 10分ほど演説をしては少しだけ車を走らせてすぐに次の場所へ。
 10分ほど演説をしては少しだけ車を走らせてすぐに次の場所へ。

 選挙活動のあいまに
 2人のお話を聞かせていただいて、すごく気合が入りました。

 やっぱり僕たち勝手連の活動は
 こんなに想いの熱い人たちで動いているんだ!

 本当に、バイトうぐいす嬢なんていない選挙でうれしい!
 フジノはガンコだけれど、間違っていないと思う。

 2人とも木村さんの政治家としての実績をよく理解していて
 だからこそ、こうやって同じ想いで活動している。

 アルバイトで雇われたような
 ただ女性だからというだけのうぐいす嬢なんて必要ない。

 想いが同じだから活動をする。

 これがこれからの新しい選挙なのだ。

 フジノたちは男3人で
 追浜の1番端っこから逸見まで
 徹底的に小さな通りを走っては演説をして南下していきました。

 本当に良い活動ができたと思いました。

 (後日談注:このお2人とは選挙が終わった後もおつきあいさせていただいてます。
        このまちにこういう方々が存在している、という事実は
        本当にフジノにとって心強くて、このまちの素晴らしさを実感しました)



● 選挙、絶好調!

 車での移動というとラクそうに思うでしょう?

 でも、車に乗っている時間は
 ほとんど無かったです。

 車を降りてすぐに演説10分間、
 飛び乗って次の角でおりて、また演説10分間。繰り返し。

 だから、休みは全く無し。

 けれども、本当にたくさんの方々が
 応援のために手を振って下さいました。

 タクシーから手を振ってくれる方もいたり、
 マンションのベランダから手を振ってくれる方もいました。

 追浜、浜見台、田浦、港が丘、長浦、安針台、逸見、
 その他にも本当にたくさんの場所を演説してまわりました。

 美しいこのまちの自然を見つめながら演説をしていると、
 改めてこのまちを守るための選挙なんだと実感しました。

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 雄人もこの日、もう1台の車に乗るはずだったのですが
 朝のごたごたがあった後、全く連絡を取っていませんでした。

 フジノ願う会カーもだいたいの行き先だけ伝えて
 あとはもう行きたいところへ自由に行かせてもらいました。

 夕方17時半に、
 もう1度、汐入駅へ戻るということで
 勝手連の方々と合流しました。

 すでにフジノの声はガラガラでノドは潰れていました。

 何とかして別の人にマイクを渡そうとするのですが
 みんなして逃げるので、交代してくれません。
 これだけは参りました(笑)。

 (後日談注:最終日には誰もがマイクを握って想いを伝えられるようになって
         政治家だけがしゃべるのではない、市民こそがこのまちの主権者なのだ、
         ということが示せたのは本当に良かったです。
         雇われうぐいす嬢なんかとは100%と違うことを示せた訳です)


 勝手連の集まりなので
 打ち合わせがうまくいっていないこともあったりして
 その場その瞬間ごとにいろんなことを
 自分たち自身が判断をしなくてはいけません。

 すっごく不安な一方で、
 他の陣営の人々はこんなハチャメチャな選挙は
 体験して無いだろうなと思いました。

 すっげえおもしろいなあ、と
 2日目で早くも楽しくなってきました。

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 ノドが限界なので少し早めに切り上げさせてもらって
 1時間だけ休んで、20時半から打ち合わせへ。

 明るく元気に演説をしまくってはいたのですけれど、
 夕方頃に知人から電話をもらって
 哀しいニュースを聞かされ、
 実はかなりへこんでいました。


● 2種類の、市職員の生きざま

 そのニュースとは...。

 市の職員さんが
 候補者である蒲谷前副市長のポスターを
 掲示板に貼られていたものを破った現行犯で逮捕された、
 というものです。

 フジノは委員会の質問の準備のために
 その方にヒアリングをしたことがありました。

 熱心な職員さん、という印象でした。

 このマニュアル化されたオートメーションのような時代の中でも
 横須賀市役所にも役所のマニュアルにとらわれない、
 血の通った仕事ができる
 『市役所の良心』とも言える存在が何人かいます。

 フジノにとって、今回逮捕された方は
 『市役所の良心』と感じられる
 市民の方を最も大切に
 働いてきた方だという印象を持っていました。

 公職選挙法によって
 候補者のポスターを破ることが犯罪であることは
 公務員であれば当然誰もが分かっている当たり前のことなのです。

 しかも、フジノが『市役所の良心』と受けとめてきた職員が
 市長の後継者である
 前副市長のポスターを破る、
 という犯罪をあえて犯してしまったという事実。

 これは、ものすごく象徴的な事件だと思います。

 もちろん犯罪は許されません。

 けれども、沢田市長の後継者である前副市長に対する怒り、
 逮捕されてしまうのが分かっていながら
 意思表明をしたその行為、
 これが市役所の現実だと思いました。

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 くりかえしますが、
 犯罪行為は絶対に許されるものでありません。

 木村さんがめざしているクリーンな選挙とも
 完全に異なるものです。

 ただ、フジノとしては
 熱意ある仕事をしてきた方が起こした
 哀しい犯罪だとつくづく思いました。

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 一方で、選挙に関して
 別のある市職員に対しては
 すさまじい怒りをフジノは抱いていました。

 その人は数ヶ月前から
 フジノのカフェトークに参加してきました。

 カフェトークは第1・第3火曜日のお昼11〜14時ですから
 その市職員は、半休を取ったりして参加していました。

 公務員という立場の人間が
 カフェトークという
 政治集会に参加することに問題が無いのかが心配だったので
 あくまでも私人として参加しているのだと考えて、
 参加していることすら
 他の参加者にもお願いして
 ナイショにしてもらってきました。

 有給まで取って
 カフェトークに参加する市民の方々の声に耳を傾ける
 立派な市職員なんだろうと考えてきました。

 フジノもスタッフも、
 信頼をしていました。

 けれど、市長選挙の前になって
 いきなりメールが来て

 「蒲谷さんを応援します」

 と、言ってきました。

 そのこと自体は別にどうでもいいのです。
 考えた末の結論なら、人はみな意見が違うのですから。

 しかし、その市職員は
 勝手連が活動をしているところへ毎朝やってきました。

 フジノがチラシを配っていると話しかけてきては
 蒲谷さんを応援する言い訳を繰り返しました。

 フジノの基本スタンスは
 「考えた末の行動なら誰を応援しようが構わない」なのですが
 それを伝えるとその市職員はこう言いました。

 「蒲谷さんには
  フジノさんたちの政策を取り入れられるようにします」

 僕は思わず聞き返しました。

 「何それ?取り入れられるようにするって。
  要するに蒲谷さんの選挙対策本部に入っているってこと?」

 その質問には返事をしませんでしたが、
 答えは明らかでした。

 もうハッキリと分かりました。
 毎朝来るのも勝手連活動のチェックのために来ているのであって
 妨害をする為だとしか思えませんでした。

 だから、勝手連の他のメンバーにも
 その市職員が来たら
 嫌がらせだと思って無視するように伝えました。

 どの駅に行っても、毎朝、姿を現しました。

 「ちゃんと仕事してるのかよ」

 と勝手連のメンバーも怒っていました。

 雄人にも実名を挙げてこの市職員のことを話すと

 「うちにもそいつからメール来てます!
  すぐにメーリングリストから外します」

 とのことでした。

 なんだ、結局こいつは
 雄人とフジノへのスパイだったのか。バカバカしい。

 そういう結論になって、とても空しくなりました。

 ここまで書けば、市役所の人なら
 こいつが誰だか分かるでしょう?

 自発的にやったのか。
 あるいは、組織としてやらされたのか。

 いずれにしても、人として本当に最低で卑怯だと思いました。

 (後日談注:この人には2度とメールを送ってこないように伝えて
        カフェトークなどに来ても絶対に断ることにしました。
        市職員として以前に人間として信頼できない相手だという不信感だけが
        強く残りました。まったく組合や上司は何を考えているのだろうか。
        すさまじく不快です)

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 同じ市職員でありながら
 この2つの人生の違いは何なのだろう。

 片方は権力者に媚び、
 片方は権力者へ怒りを表した。

 日頃、市職員を大切に思ってきたのは
 まさに「市民のためなら自分を捨ててもいい」という想いで
 働いている現場の職員をたくさん見てきたからだ。

 その一方で、公務員なのに
 選挙のために朝から活動しているようなヤツもいるなんて。
 これは絶対におかしい。

 むしろ、一生懸命がんばっている人こそが
 市役所の中できちんと評価されていくようでなければ。

 木村さんの選挙公約の1つに、
 市職員の意識改革がある。

 選挙が終わったら、きちんとこの公約を実現していくことで
 現場でがんばっている市職員たちが
 きちんと報われる体制を作ってほしい。

 市職員がトップの在り方に怒りを感じた時に
 決してポスターを破るような形ではなく
 ちゃんとトップにその意見を伝えられるような
 風通しの良い組織に変えなくてはいけない。

 木村さんが重視している対話とは
 市民のみなさんに対してだけではなくて
 もちろん市職員みんなに対してでもある。

 木村新市長のもとで
 一刻も早く対話路線を実現しなくては、と改めて感じました。


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 さて、これから打ち合わせに行ってきます。

 朝の混乱の原因チェックと
 明日からの仕切り直しに向けてです。

 体力的にはみんなすでにキツイけど
 最終日までがんばっていきます!


● 今日の新聞報道

(毎日新聞・朝刊)
2005年6月20日毎日新聞朝刊



2005年6月21日(火)のフジノ
● 市長選挙のあいだも、いつもどおり働いています

 今日は夕方まで市長選挙への勝手連活動はお休みして、
 第1・3火曜日恒例の『カフェトーク』を開催しました。

 オーナーのご好意で
 リニューアル中であるにもかかわらず
 いつもの大好きなカフェ『BUENO』を会場にさせていただきました。

 7名も参加して下さって、すごく和やかな雰囲気でした。

 勝手連活動で声が枯れてノドがボロボロになり
 熱まで出てきてしまいました。

 夕方からは再び勝手連活動で
 演説を行なうので
 カフェトークでは
 フジノは声をなるべく出さないことにしてたのですが
 途中からは白熱してきて、いつも通りにしゃべってしまいました。

 カフェトークの場って
 本当に自由でいい場だよなあ、とつくづく思います。

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 ところで今回の市長選挙を通じて痛感したのが
 『現役の市議会議員として選挙を行なうことの大変さ』です。

 2年前にフジノが立候補をした時、
 初挑戦の選挙期間中は当然ながら『無職』でした。

 市民のみなさまの生の声に耳を傾けるけれども
 その声の実現については『あくまでも当選後の作業』でした。

 けれども、今は違います。

 市長選挙を全力で応援しているとはいえ、
 フジノは現役の市議会議員です。

 相談の電話をいただけば当然に出ますし、
 メールをいただけば返事も書きますし、
 お会いする必要があれば、もちろん訪問するわけです。

 この仕事をふつうに果たしながらも
 選挙に全力投球するという
 2つの活動は本当に大変だとつくづく感じています。

 選挙期間中だからといって
 困っている人の痛みが減るわけではないし
 その痛みを待ってくれるわけではありません。

 政治家の仕事は選挙活動ではなくて
 市民のみなさまの声に耳を傾けて
 問題があればその解決に向けて全力で努力することです。

 だから、今思うと
 2年前の選挙というのはラクだったなあ、と感じるのです。

 今回の市長選挙をつうじて
 たくさんの生の声を聞かせていただいて
 これは今すぐにやらねば、とか、次の議会までに調べていこう、とか
 とても考えることがたくさんあるのです。

 もう2年前の時のように
 1人の挑戦者として闘うことはフジノにはありえません。

 いつも42万人のこのまちに暮らす人々の代表の1人として
 これからは闘っていかなければいけない、そう感じています。


● うれしい電話を何本も頂きました

 勝手連として昨日は
 横須賀の北側をずうっと演説をしてまわっていたおかげで
 カフェトークの途中に
 市民の方から電話を頂きました。

 「昨日、演説を聴いて投票することに決めた。
  これから不在者投票に行くから確認したいんだけど、
  木村正孝さんでいいんだよな?」

 と尋ねられました。

 今日、そういうお電話を4本も頂きました。

 勝手連として活動していて
 少しはフジノも役に立てているのかな、と実感できました。

 市民のみなさま、ありがとうございました!



2005年6月22日(水)のフジノ
● 選挙公報は選挙が終わっても忘れてはいけない!


(選挙公報・木村正孝候補)
選挙公報・木村正孝候補

(選挙公報・蒲谷亮一候補)
選挙公報・蒲谷亮一候補

(選挙公報・有谷隆敏候補)
選挙公報・有谷隆敏候補

(選挙公報・小堀徹候補)
選挙公報・小堀徹候補

● 今日の新聞報道

(2005年6月22日・毎日新聞・朝刊)
2005年6月22日毎日新聞朝刊


2005年6月23日(木)のフジノ
● 願う会の法定ビラ1号が新聞に折り込まれました

 けさの新聞各紙に折りこまれた
 『民意が市政に生かされることを願う会』の法定ビラ1号を
 みなさんはご覧になりましたか?

 みんなで一生懸命つくりました。どうか読んで下さいね!


● 今日の新聞報道

(毎日新聞・朝刊)
2005年6月23日毎日新聞朝刊



2005年6月25日(土)のフジノ
● 最後の演説

 夕方になって、ついに『願う会カー』は
 横須賀中央へ戻ってきました。

 雄人と2人で、Yデッキ下の広場で
 演説をしました。

 (なんと!フジノの演説している様子
  撮影してくれた方がいました。自分の演説を映像で見たのが
  初めてなのですごく不思議...。恥ずかしいですね)

 木村候補を応援してきた
 勝手連4人衆も勢ぞろいです。

 フジノは、生まれて初めて選挙カーの上に乗りました。

 まわりのビルからたくさんの人々が
 手を振って応援してくれました。

 フジノはその1人1人のみなさんに
 「気づいているよ。ありがとう!」と指をさしては手をふって
 おじぎをしました。本当にたくさんの方々が手をふってくれました。


木村市長候補とフジノ  木村さんが到着すると
 Yデッキ周辺に集まっていた
 たくさんの市民のみなさんも
 まさに大爆発
 という感じでした。

 未来の市長が
 こんなにフレンドリーで
 市民のみなさんと
 ふつうの笑顔で
 接しているのです。

 むしろマイクを握っている
 フジノの方が緊張してます。



 この後、木村さんは30分ほどで
 願う会カーをあとにしました。

 理由はもちろん、最後の最後まで
 『市民のみなさんと語りあう』ためです。

 最終日であっても絶対に変わらないスタンス。

 あくまでも市民の方々と語り合うことが
 市長の仕事である、と信じる木村さんらしい在り方でした。



2005年6月26日(日)のフジノ
● 開票までの数時間

 今日は、朝から市民のみなさんに

 「投票には行きましたか?」

 と、電話をかけまくりました。

 フジノは自分の選挙の時には
 これをやったことが無いのですけれども、
 『よくある作戦』の1つだそうです。

 「投票してね」とは言えないけれども
 「投票に行きましたか?」と確認することだけはできるのですね。

 信頼できる情報筋から

 「木村さんはあと5000票足りない」

 という話が流れてきて、
 必死で電話をかけまくりました。

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 もはや、電話をかける相手がいなくなった夕方、
 フジノ自身も投票所に向かいました。

フジノが投票をした武自治活動センター  南武と竹川の間にある
 自治活動センターです。

 自分の選挙の時もそうでしたが
 投票所の人々って
 僕が行くと気づくのね。

 そこで少し起こるざわめきに
 とにかく早く会場を出ようと
 大急ぎで記入・投票をしました。

 書いた名前はもちろん

 木村正孝

 です。

 投票所からの帰り道、立ちどまって
 僕を31年間見守り続けてくれた武山不動を見つめました。

武山不動尊

 きっと僕たちを守ってくれるはず。

 そう信じて、深呼吸をして
 いったん自宅へと戻りました。


● 朝刊を読んでみると...

 家に戻って、新聞各紙を眺めてみました。

 毎日新聞によると、
 期日前投票(投票日より前に投票できるのです)では
 こんなハプニングも起きていたのですね(笑)。

 もちろん木村さん陣営ではありません。

 (05年6月26日付・毎日新聞朝刊)
05年6月26日毎日新聞朝刊

 いろいろあるのですね...。


● 開票中継

 いよいよ夜になって、勝手連事務所に集合しました。

勝手連事務所  勝手連の
 集合場所には
 たくさんの
 報道陣が
 来ました。

 ものすごくたくさんの報道陣がいて、
 勝手連のみなさんもたくさん集まっていました。

 勝手連のみなさんは、やりとげた満足感から
 誰もが笑顔でした。僕も笑顔でした。

 雄人は開票立会人として
 開票所に行ってくれました。

 この事務所には、竹内県議・フジノ・願う会のみなさん、
 勝手連のみなさん、そして木村候補が集まりました。

 開票が始まるまで
 たくさんの記者が木村候補にインタビューを行なってました。
 竹内県議にもすさまじい数のインタビューです。

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 しかし、この後すぐ、フジノは本当に厳しい体験をしました。

 竹内県議から、フジノと野村・願う会代表の2人が
 呼び出されました。

 内容は、すぐに分かりました。

 「開票所からの情報で
  どうも5000票差で負けたようなんだ。
  フジノくん、野村くん、それぞれ敗戦のコメントを用意しておいてくれ。
  絶対に暗い顔をするなよ。
  おれたちは最後まで笑顔で胸をはっていけ!」

 竹内さんの言葉を聞くと、
 僕は事務所の階段を下りていきました。

 涙が出そうでしかたがなかったからです。
 あれだけ全力でがんばったのに、
 このまちは変わらないのか!

 階段の途中で、朝日新聞の記者に呼び止められました。

 「フジノ市議、木村候補が善戦という情報です。
  コメントをお願いします」

 僕は笑顔で応えました。

 「これだけ勝手連のみなさんが全力でがんばったのだから
  当選するのは当然ですよ。このまちは変わるんです」

 「ありがとうございました」

 僕は階段を下りて、海の側へと向かいました。

 野村代表と副代表が一緒に来てくれました。

 僕は思い切り、泣きました。
 悔しくて悔しくてたまらなくて、
 だけど声を殺して事務所には聞こえないように
 泣きました。

 そして、再び事務所に戻って
 記者会見用のコメントを考える為に階段をあがっていきました。

 事務所の中のテレビでは
 開票速報はまだ終わっていません。

 ほんの4名だけが
 木村候補が敗れたという事実を知っていました。

 僕自身も「確定では無いのだから」と
 誤報だと信じたい気持ちを引きづっていました。

 けれどもどうしてもいたたまれず、
 みんなと同じ部屋にいることはできませんでした。
                  

● 僕たちは最後の最後まで「笑顔の勝手連」だった

 ついに、その瞬間はやってきてしまいました。

 蒲谷候補の「当確」が出ました。
 つまり、木村候補が落選したのです。

 すぐに、敗戦の記者会見が始まりました。

 野村代表が司会をして
 木村候補がみなさんに語りかけました。

 涙を流している人々がたくさんいました。

 竹内県議がみんなに優しく語りかけました。
 最後の最後まで僕たちらしく、笑顔で胸をはっていこう、と
 語りかけました。

 僕は泣きたい気持ちを胸に隠して
 みなさんに語りかけました。

 「おやじのカタキは必ず僕がとります。
  必ず横須賀は変わります。みなさん、何も諦めることはありません。
  必ずこのまちは僕たちの手で変えていくのです」


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 あっという間にマスコミは帰っていきました。

 できることなら、木村候補を少しでも早く帰らせてあげて
 休ませてあげることができれば、と思いました。

 でも、木村さんはいつまでも勝手連のみなさんをねぎらい、
 感謝の言葉を1人1人に伝えていました。

 1番つらいはずの木村さんがこうしているからこそ、
 こんな人だからこそ、僕は応援してきたのだと改めて思いました。

 1時間ほど経って、やっと雄人が
 開票立会人の仕事を終えて事務所に戻ってくることができました。

 憔悴しきった表情、
 高校時代から知っている雄人ですが、
 初めて見る表情でした。

 開票所の中での出来事をひととおりみんなに報告すると
 雄人も男泣きをしました。

 本当に彼と2人で走りぬけた選挙だった、と胸が熱くなりました。

 このまちは絶対に
 雄人と2人で変えてみせる。

 改めて強く決意しました。



 そこから先は、記憶がありません。

 僕もいろいろな人にねぎらいの言葉をかけて
 感謝の気持ちを伝えて、たぶんいろいろなことをしたのだと思います。

 僕たちが体をはって心を削って
 全力で闘ったこの日々は
 決して間違っていなかったと信じています。

 むしろ、誇りに感じています。

 わずか6000票差という
 これまでの横須賀市長選挙ではありえなかった善戦でした。

 今回は「善戦」で終わってしまったかもしれない。
 けれども、僕たちの世代では
 絶対に善戦なんかではなく結果を出したい。

 このまちは変わらなければならない。

 絶対にもっとこのまちは輝けるのだから。

 選挙が終わったからって
 何も終わったわけじゃない。

 明日からも僕たちは全力でこのまちのために
 体をはって心を削り、全力を尽くすだけだ。



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