まちの政治家は、こんなことしてます |
2009年12月25日(金)のフジノその3 |
● 逗子高校の吹奏楽部の定期演奏会へ Yデッキでの『ひとり自殺予防キャンペーン』を終えると 友達と待ち合わせて大急ぎで新逗子へと向かいました。 京急新逗子駅から徒歩2分くらいのところにある 逗子文化プラザなぎさホールへ行きました。 昨年のクリスマスイブに続いて今年も県立逗子高校の吹奏楽部による 『定期演奏会♯38』を聴きにいく為です。 18時30分の開演には間に合わなくて 到着した時には『パート1』の ショークワイアーが始まっているところでした。 僕は逗子高校吹奏楽部の ショークワイアーが大好きです。 吹奏楽部のブログがあるのですが 新1年生が初めて練習に取り組み始めた様子を読ませていただいて こうして良き伝統が受け継がれているのだなあ と感嘆しました。 今日もとても楽しませていただきました。 フジノにとって逗子高校の吹奏楽部と言えば 2007年2月に初めてショークワイアーを観る機会があって その時に 「年2回公演をしている、とのことでしたが マジでまた観たい。素晴らしかったです」 と活動日記に書いたのですが、 それ以来、毎年2回とも公演を聴きにいくようになりました。 昨年2008年には名指導者として有名な顧問の先生が 人事異動となってしまうという危機がありました。 生徒たちは人事異動を撤回してほしいという願いを訴えましたが その時、フジノは生徒たちに対してあえて厳しい態度を取りました。 異動という『大人社会の事情』という逆境になんか 絶対に負けないでほしい、という想いを強く持っていました。 これまで素晴らしい演奏を実現できてきたのは 確かに名指導者の顧問の先生のおかげでもあるけれども 一方で、先輩たちや自分たち現役生のがんばりがあったからこそ 高いレベルの吹奏楽部が実現できてきたのだから 自分たちの力を信じてほしい、と僕は願ってきました。 こうして顧問の先生の異動からまもなく1年半が経つ訳ですが、 僕の予想以上に吹奏楽部のみなさんは 毎日がんばってここまできたのだと感じました。 地域での社会貢献的な演奏活動は ちょっとお休みしなければならなかったようですが 今日の演奏は本当にとても楽しかったです。 前回の定期演奏会までは、 「政治家としてフジノは厳しい言葉をぶつけた責任があるからこそ ずっと吹奏楽部を見守っていかなければならない」 という、強い義務感もあって足を運んでいました。 でも、今回の定期演奏会を聴き終えた今、 僕の中からはもう完全に義務感や責任感は消えていました。 単純に、演奏を聴かせてもらって 楽しい時間を過ごすことができました。 いつもは会場の1番うしろで隠れるように演奏を聴くのですが 今日はあえて空いていたステージに最も近い席に座って聴きました。 迫力のある、けれどもとてもチャーミングな演奏でした。 休憩時間にロビーに出ると、毎年そうなのですが わざわざ吹奏楽部の生徒さんが 「藤野さん、来て下さってありがとうございました」 と挨拶に来てくれました。 高校生の頃からこんなにも礼儀正しくできるなんて 本当に素晴らしいことだといつも驚かされます。 さて、ロビーには 定期演奏会以外にもたくさんの地域貢献活動をしているのですが その様子を伝えるいろいろな報告が貼り出されていました。 中でも、小学校へ出向いていって演奏を聴かせてあげた時の 小学生たちの感想がとても印象に残りました。 きっとこの小学生たちの中からやがて吹奏楽をやりたいという こどもたちが出てくるのだろうなと思いました。 人事異動騒動があった時に、県の教育委員会や県の行政に もっとふだんから実態を知ってもらった方がいい、と伝えたのですが こうした電報が来るということはきっと 生徒たちは一生懸命に県に働きかけたのではないかと思います。 そうした努力はとても素晴らしいことだと感じました。 逗子高校吹奏楽部に限らず、 本当にがんばっている顧問の先生のおかげで 「A中学校と言えば吹奏楽部が有名」 「B高校と言えばサッカーの名門」 と呼ばれるようになっていた学校の活動が、 顧問の先生の人事異動によってゼロに戻ってしまうことがあります。 その先生の存在や部活動の評判を信じて 進学先を決めた生徒たちにとって、異動は大人の都合でしかなく 「裏切られた」と感じるのは当然のことだと思います。 多くの学校で同じ問題が起こっています。 もちろんこうした問題は解決しなければならないことではあります。 けれども、あえて僕は 「そんなことに負けないでほしい」と強く願うのです。 社会に出れば理不尽な人事異動なんていくらでもあります。 それでも負けずに闘っていくのもまた大人になる1つのステップです。 学校は社会の入り口だとフジノは考えています。 しかも、本物の社会の何百倍も『守られた環境』にあります。 この『守られた環境』にあるうちに、社会の疑似体験をしながら 強い大人に成長していってほしいと僕は願っています。 実際、逗子高校吹奏楽部のみなさんは そうした逆境を跳ね返して ここまで素晴らしい演奏を実現しているのだと僕は感じています。 来年5月3日には、 横須賀芸術劇場で定期演奏会が行なわれる予定です。 ここでは、1回お休みをせざるをえなかった 逗子高校吹奏楽部の素晴らしき活動の1つである フレンドシップ・フェスティバル(=地域の方々との共演)が復活するそうです。 とても楽しみにしています。 そして、その期待にきっと応えてくれるはずだと信じています。 どうかこれからも素敵な楽しい演奏を聴かせ続けて下さい。 みなさんならば、きっとできると思います。 良き伝統をこれからも守り続けて下さいね。 今日はとても素敵な演奏をありがとうございました! どうか市民のみなさまも、こうした活動を応援して下さい! よろしくお願いします! |
2009年12月25日(金)のフジノその2 |
● クリスマスひとり自殺予防街頭キャンペーン@Yデッキ 毎年行なっているクリスマスイブから年始にかけての 『ひとり自殺予防キャンペーン』を今夜もYデッキで行ないました。 自殺とはそもそもどういうことなのかという実態について、 どのような対策が行なわれてきているのかについて、 政治・行政のセーフティーネットの限界についてを語りました。 その政治・行政の限界をうちやぶる為に 市民のみなさまにぜひご協力をお願いしたいことを お話ししました。 この街頭演説は昨日に続いて、とても好意的に迎えられました。 やはり、自殺問題は市民のみなさまにとって リアルな問題として感じられているのだと確信しました。 今日は、市民の方に話しかけられている時間の方が多くて 街頭演説そのものは最初の15分ほどで終わってしまいました。 複数の市民の方々から、身近で体験した自殺について それぞれの想いを聴かせていただきました。 特に、今日聴かせていただいた複数のお話の中で あえてここに記したいことがあります。 それは、市内の中学校で、いじめが原因で自殺してしまったAさんの クラスメートBさんからうかがったお話でした。 Aさんは明らかにいじめを受けていたのに、 先生や学校はそれをAさんの親には隠したそうです。 Bさんはいじめの実態を知っていたので 学校側の対応を間近で見つめて「学校に裏切られた」と 強く感じたそうです。 さらに、Aさんの自殺を防ぐことができなかったと 自分のことをBさんは強く責めた結果、 精神疾患を発症してしまったと苦しそうに語ってくれました。 Bさんから、 「フジノさん、どんどん中学校に行って 生徒たちの生の声をもっと聴いて下さい」 「いじめを隠す学校が憎いです」 と言われました。 福祉政策をメインにしてきたフジノが 3年前に初めて市議会で教育担当の委員会へ所属することになった時、 最も力を入れたのが『いじめ』『いじめ自殺』の問題でした。 Bさんが中学生だったのは、今から5年ほど前のことです。 5年前と比べて、確実に『いじめ』の統計の取り方も変わりましたし、 いくつもの対策が日常的に行なわれるようになっています。 それでも、今も深くBさんのこころに傷をのこしている Aさんの自殺という事実は消えません。 こうした悲しみに満ちた事件が決して2度と起こらないように もっともっと現場に飛び込んでいくようにフジノはこころがけます。 ----------------------------------------------------- 今夜は、HP・ブログでの『ひとり自殺予防キャンペーン』の記述を見て わざわざYデッキに来て下さった方もいらっしゃいました。 その他にも、話しかけて下さった方々には とても感謝しております。 さらに、僕の中学時代の恩師であるI先生も 通りがかりかけに声をかけて下さいました。 研修帰りの2人の先生と一緒に、 先ほどのBさんのお話や教育現場について 意見交換をさせていただきました。ありがとうございました。 フジノは年末年始も場所を変えながら 『ひとり自殺予防キャンペーン』を続けていきます。 |
2009年12月24日(木)のフジノ |
● 今年もクリスマスイブのひとり自殺予防街頭キャンペーン@Yデッキ 世の中が華やかでわくわくするような祝祭の時期こそ 絶望や孤独におしつぶされそうな人々にとっては 最も厳しい時期にあたります。 そこでフジノは、毎年、クリスマスの前から年始にかけて、 『ひとり自殺予防キャンペーン』を行なっています。 今年のクリスマスイブも、フジノは街頭に立って 市民のみなさまに自殺の実態と対策について語りかけました。 それにしても、今日は複雑な気持ちでした。 昨年もそうだったのですが、フジノの演説はYデッキを通行する方々に 歓迎をもって迎えられたのをハッキリと感じました。 政治家として約7年間活動をしていますが 『街頭演説』というものは、 基本的に「うるさくて迷惑なもの」だとフジノは自覚しています。 だから、ヤジが飛んだり、「やめろ」と言われたりするのが (自分にとってはつらいことですが)むしろ当たり前だと考えています。 それが、昨年の『ひとり自殺予防キャンペーン』の時から クリスマスイブや元旦や三が日に街頭演説をしているにも関わらず 「がんばって!」 と好意的に迎えられるようになったのです。 特に、驚きだったのは昨年のイブと元旦です。 イブと元旦は、街頭演説が嫌がられることが多かったのに 足を止めて自殺予防対策のお話を聴いてくれる方々がとても増えたり、 フジノの活動を「もっとがんばって!」と応援してくれる方々がいたのです。 つまり、自殺の問題が市民のみなさまにとっても いかにリアルな問題になったかを象徴している出来事でした。 そしてそれは今年(=今日)も、そうだったのです。 2時間の街頭演説の間、苦情はゼロ。 応援・激励の言葉が何件も...。 つまり、ますます自殺問題は このまちにとってさらにリアルで深刻な問題になったということです。 確かに、先日発表された最新の統計では 横須賀市の自殺(2008年)は、過去17年間でワースト2位でした。 フジノは、市民のみなさまに語りかけながらも 自分の話が受け容れられていることに複雑な気持ちになりました。 必ずこの厳しい現状を変えていきます。 ● 横粂さんの応援演説から1年が経ったのですね この1年間は本当に『大きな変化』が起こりました。 例えば、1年前は無名に近かった横粂勝仁さんは 今では立派な国会議員になりました。 去年12月24日に、横粂勝仁さんと一緒に 初めて街頭演説を行ないました。 すでに横粂さんの応援を決意して想いを伝えていたのですが まちへ一緒に出て街頭演説をしたのは クリスマスイブが初めてでした。 (2008年12月24日・河村たかしさん・横粂勝仁さん・フジノ) 今では名古屋市長になって 全国で初めての10%減税を実現した河村たかしさんと 横粂さんとフジノの3人での写真が懐かしいです。 全国初の減税を成功させた河村たかしさんのニュースは、 昨日今日と新聞やメディアで大騒ぎとなっています。 河村さんは国会議員を辞めて名古屋市長になって 良かったのだなあとつくづく感じました。 そして、昨年は誰も街頭演説に立ち止まる人はいなかった かつての横粂さんも、もはやいません。 現在の横粂さんは、歩いているだけで声をかけられるような とても有名人になりました。 まだ国会議員としての成果は分かりませんが、 1年前と比べれば、大きな前進だと感じています。 同じYデッキに1年後に立って、フジノは、自分が歩んできたこの1年間が 決して間違っていなかったことを改めて思い返しました。 『新しい横須賀』を実現するための道のりは まだまだ遠く険しいものがあります。 それでも決してあきらめることなく 誰もが希望を感じることができるまちへと生まれ変わる為に 全身全霊をかけて前へ歩んでいきます。 メリークリスマス! |
2009年12月22日(火)のフジノその2 | |
● 朝日新聞・夕刊の連載「ニッポン人・脈・記『3万人の命に』」 11月27日に取材を受けた朝日新聞・論説委員の 伊藤智章さんによる連載「ニッポン人・脈・記『3万人の命に』」の 最終回(第10回)で、 フジノのことをとりあげて頂きました。 これまで10回の連載を通して、 毎回、フジノが直接に知っている方々ばかりが登場しました。 それは、この国の自殺予防対策に取り組んでいる方々が どれほど少ないのかを物語っています。 今は『自殺戦争』のまっただなか、と 政府が宣言しているにも関わらず(『自殺対策100日プラン』)、 最前線で戦っている人々は 決して多くないのです。 だから、自殺予防対策について取り上げた取材では いつも似たようなメンバーにならざるをえないのです。 フジノは、自分が1か月前に取材を受けてはいたのですが いつ自分が連載の中で登場するのかは全く知らなくて 毎日、夕刊が届くのを見るたびに 最終回(この連載はいつもだいたい10回で終わります)が だんだん近づいてきているなあと思っていました。 土日はこの連載がありませんので、 先週の金曜日(第9回が載った日です)の記事を見た後、 たぶん僕の取材部分はボツで、 もう僕は載らないんだろうなあ。 と、何となく思っていました。 それが今日、夕刊を見た瞬間、とてもショックを受けました。 自分が載っていたことがうれしいとか そんな感情では全く無くて、 紙面を見た瞬間に、 思わず涙がボロボロと出てしまいました。 その理由は、尊敬してやまない山本孝史さんと 同じスペースにまさか自分が一緒に登場することになるなんて 思ってもみなかったからです。 こんな僕のような非力な政治家が、 山本さんと同じスペースにいて良いのかと 自問自答してしまいました。 記事の中に書かれているとおりで 今日はまさに山本さんの命日です。 2年前、訃報が流れた瞬間に感じた、 激しい喪失感もハッキリと覚えています。 3年前のあの日の山本さんの本会議場での代表質問も リアルタイムでインターネット生中継を見ていました。 あの時も僕は、 涙を流さずにはいられませんでした。 あまりにもたくさんの犠牲に対して 政治家としていつどんな時も恥ずかしく無いように 必死に自分としては働いてきたつもりです。 自殺対策基本法案の為に 山本孝史さんや尾辻秀久さんら国会議員の方々が 超党派の有志の会を立ちあげてくれたので それに呼応する形で、地域で実践を繰り広げていく為に 僕たちは地方議員の有志の会を立ちあげました。 そして、今も僕たちの有志の会は必死に活動を続けていて 先日18日には、政府の自殺対策特命担当大臣・副大臣のお2人に 初めて有志の会としてお会いしました。 いつだって、僕は今この瞬間の自分が 山本さんに対して恥ずかしくないように ずっと全身全霊をかけて活動し続けてきたと信じています。 命をかけて、命を守る。 政治家として、僕はその根本的な信念を貫き続けてきたはずだし、 自分の活動や姿勢が揺らいだことは一瞬も無いと信じています。 ただ、自分にとってあまりにも大きな存在である方と あまりにもちっぽけな自分とが同じスペースに存在したことが どうしてもうまく飲み込めなくて、涙がこぼれてしまいました。 今日も僕なりに信念を貫く為に必死に働いてきたつもりです。 でもこれからもずっと、必死に活動して 救うことができる命を守る為に自らの命を賭したいと思うのです。 毎日毎日、決意を新たにしていますが、 今日は特にその想いを強くしました。 ------------------------------------------------------ (2009年12月22日・朝日新聞・夕刊1面より) 魂の訴え政治が動いた 今年10月26日午後、山本ゆき(58)は、大阪の自宅でテレビをみていた。 ニュースは鳩山由紀夫(62)の所信表明演説を取り上げていた。 首相が、こんな話をした、と知る。 「私の手を離そうとしない、ひとりのおばあさんがいらっしゃいました。 息子さんが職につけず、自ら命を絶つしか道がなかった。 その悲しみを、私に切々と訴えられたのです」 真夏の総選挙、その青森遊説での出来事にふれた。 鳩山は、女性の手の感触、目の悲しみが忘れられない、 いや、断じて忘れてはならない、と続けた。 ゆきは、亡き夫を思った。 「あなたの思いが生きている」 夫は、山本孝史。 末期がんなのに酸素ボンベを引き、国会に通った民主党参院議員だ。 薬害エイズ、被爆者、がん、そして自殺。 「助かるはずの『命』が 次々に失われていくのは政治の責任だ」と説いた。 9年前、鳩山は「あしなが育英会」の自殺遺児らに会っている。 引き合わせたのは孝史だった。 その後、鳩山は国会で取り上げてきた。 ゆきはいう。 「現場に呼んで人を動かす。それがあの人のやり方でした」 孝史が「命」にこだわった原点は、5歳のときの経験だ。 3つ上の兄が、自宅前でトラックにひかれて死んだ。 その後、家族の間では事故の話は封印してきたが、 立命館大時代、交通遺児の手記を読み、号泣する。 遺児を支える運動に飛び込み、1993年、政界に転じた。 年間自殺者3万人に衝撃を受け、 民主党内に対策検討チームをつくって代表に。 2005年7月、 参院委員会で全会一致の自殺対策決議にこぎつけた。 その年の暮れ、がんが分かる。 「あなたの一番やりたいことは」 と医師に言われて死期を悟り、 狙いを定める。自殺とがん対策の基本法づくりだ。 翌06年の通常国会。与野党対決が続き、じりじり会期末が迫る。 孝史には時間がない。 5月に本会議でがんを告白して協力を求め、説得に歩いた。 6月、自殺対策基本法が可決された。 1年半後、孝史は58歳で逝く。 今日22日は、亡くなって丸2年。 ゆきは、自殺遺児らが開く集会で孝史の思いを語る。 08年1月23日、 参院本会議場に尾辻秀久(69)の声が響いた。 「バトンを渡しましたよ、 そういう山本先生の声が聞こえてまいります」 「先生、外は雪です。 ずいぶんやせておられましたから、寒くありませんか」 孝史の追悼演説を買ってでたのである。 自殺対策法の自民党側のとりまとめ役。 厚生労働相のとき、孝史らが仕掛けた初の自殺問題の国会集会に出席、 45分も遺族の訴えに耳を傾け、「胸がつまる思い」と語った。 鹿児島出身の尾辻は、父が戦死し、20歳で母も失った。 高校生の妹のため、防衛大を中退して働こうとしたが、 「両親もおらんやつ」と差別に泣いた。 いま、超党派の自殺対策をすすめる 議員有志の会長をしている。 「山本さんがいたから始めたが、 3万人の自殺を放ってはおけない。 誰かがやらなきゃ」 全国の約20人でつくる 「地域の自殺対策を推進する地方議員有志の会」という集まりがある。 神奈川県横領賀市の市議、 藤野英明(35)が初代代表である。 高校時代からの恋人を自殺で失った直後の03年、 東宝の社員を辞めて初当選した。 年4回勉強会を開く。 役所に多重債務の相談窓口を、 図書館に自殺対策コーナーを、などと具体的な提案をする。 「法律で上から網をかけるだけでは地域は動かない。 現場で一緒に考えたい」 この取材で、 あまりに理不尽な目に遭った人たちに会った。 自殺は、社会の矛盾そのものの表れだ。 ただ、苦悩を突き抜けてきた人と話すと、 安らかな気持ちにもなった。 人には力がある。 可能性を信じることから、 自殺者を減らす努力が始まる。 (このシリーズは、論説委員・伊藤智章が担当しました。 本文中は敬称略) ----------------------------------------------- (引用終わり) |
2009年12月22日(月)のフジノ |
● 日産自動車・追浜工場にてEVを見学しました 本日は、日産自動車追浜工場を訪れて 電気自動車(EV)について学び、実際に試乗させていただきました。 当日のスケジュールはこんなでした。 |
2009年12月21日(月)のフジノ |
● 横須賀市の高齢化率24.42%へ上昇、過去最高を更新しました 本日は、2009年度で第3回目となる 『介護保険運営協議会』を傍聴しました。 高齢の方々の福祉とは誰にとっても深く関係ある 目の前の大きな問題なのにも関わらず 過去数年間、この介護保険運営協議会を 傍聴しているのは毎回2名程しかおらず、 その2名のうち毎回必ず傍聴しているのはフジノだけなのです。 すさまじく大切なことが決められているにも関わらず マスメディアの傍聴は1度もありません。 平日の昼間に開催されるので、当然、市民の方々も傍聴できません。 これでは市民のみなさまに 本当に必要な情報が全く伝わりません。 だから、意地でもフジノが毎回必ず出席を続けざるをえません。 誰かもっと力を貸してほしいです。 こんな現状では、あまりにも残念です。 ● さて、7月14日の活動日記で、 初めて横須賀市の高齢化率が24%を超えた ということを、フジノはお伝えしました。 高齢化率というのは、横須賀市の人口42万人のうち、 65才以上の方々がどれくらいの割合でいらっしゃるかという数字です。 つまり、横須賀市民が100人いたら、 そのうち24人が65才以上ということです。 (さらに約分すると、4人に1人が65才以上ということですね) この統計は年2回(4月と10月)に発表されていますが 本日報告された最新のデータによると この10月1日現在、高齢化率は24.42%に上昇しました。 前回4月1日現在が24.1%ですから また過去最高を更新したのです。 こうした客観的なデータからも言えることは 横須賀市はもっと積極的かつスピーディーに 超高齢社会への対応を行なうべきだ ということです。 それにも関わらず、今日は本当に残念な報告があります。 ● 蒲谷前市長時代の数値目標・特養300床増加は実現へ前進 特別養護老人ホームの待機者が 2,072名とあまりにも多いこのまちの現実を改善する為に かねてからフジノは 「特別養護老人ホームの増設を!」と訴えてきました。 この活動日記を愛読して下さっているみなさまには もはやしつこいと言われてもおかしくないほど 繰り返し繰り返し 議会でも訴えてきたことです。 精神科病院を廃止したイタリアの改革を フジノは強く支持してきましたから (2003年の活動日記にもすでにはっきりと書いてあります) 基本的には障がいのある方々も高齢の方々も誰もが 『入所施設』ではなく『地域』で暮らすべきだ、と考えています。 しかし、このまちのいくつもの現実を直視すれば、 高齢の方々の福祉については 入所施設(=特養)を増設することが 多くの方々(ご本人・ご家族)の苦痛を減らす最短の手段だ との結論に至りました。 だから、何年も前からずっと 特別養護老人ホームの大幅な増設を訴えてきたのです。 かたや吉田市長はフジノの意見とは全く逆で、 (1)第4期介護保険事業計画(前市長が作った現在進行中の計画)の 期間中には、計画通りで特養300床の増床しか行なわない。 (2)第4次介護保険事業計画の目標をしっかり実施することが マニフェストに従った態度だと考えている。 (3)待機者を減らすことは特別養護老人ホームの増設だけでなく、 在宅サービスをはじめ、グループホームや 小規模多機能型居宅介護などの あらゆるサービスの組み合わせが必要だと考えている。 との答弁を議会で繰り返してきました。 本日の『第3回介護保険運営協議会』では この吉田市長の考えのうち、 (1)については計画どおりの結果が報告されました。 蒲谷前市長が策定した 特別養護老人ホーム300床増加という数値目標は 3事業所(それぞれ100床ずつ)が選定されて 計画どおりに進行していく予定です。 長浦町・太田和・衣笠町の3ヶ所に ユニット型の特別養護老人ホームが作られる予定です。 事業者の選定が終わったので、 来年3月の予算議会で予算が承認された後、 2011年に竣工、オープンとなります。 ただし、特別養護老人ホームの待機者は2,074名です。 わずか300床が2年後に増えたとしても その時には高齢化率はさらに増加していますから 果たして待機者が減っているのかは大いに疑問です...。 ● またも失敗!夜間対応型訪問介護、事業者ゼロのままに 市議会での質疑を通して、(2)と(3)を実現すれば良い と吉田市長が考えていることが分かりました。 特に、財政的な面から『入所施設』を増やすのではなくて 『在宅で受けられるサービス』を増やすことでのりきれる と考えているようです。 しかし、高齢の方々とそのご家族の現実の苦しみを考えると 市長は現実を見ていない、 ひどい判断だ、とフジノは強く批判します。 しかも、今日の介護保険運営協議会では 前市長が作った数値目標の実現も実現しない可能性が出てきました。 <計画での目標値> (1)グループホーム 71床 (2)小規模多機能型居宅介護事業所 3事業所 (3)夜間対応型訪問介護事業所 2事業所 (4)認知症対応型通所介護事業所 2事業所 これが現在の計画の数値目標ですが、 このような結果が報告されました。 <12月10日に開催した選定審査委員会の結果> (1)グループホーム 36床(武と根岸町の2ヶ所) (2)小規模多機能型居宅介護事業所 3事業所 (3)夜間対応型訪問介護事業所 ゼロ (4)認知症対応型通所介護事業所 1事業所 なんと、目標値に達成できそうなのは 「小規模多機能型居宅介護事業所3事業所」だけでした。 またも夜間対応型訪問介護はゼロなのです! タウンニュース紙(09年7月24日号)に このように書かれていた『夜間対応型訪問介護事業所』については ゼロでした! (タウンニュース紙より引用) > 現在未整備なサービスのなかで、 > 市が最重要視する課題のひとつが、 > 夜間に定期的な巡回または通報により要介護者宅を訪問し、 > 介護や日常生活上の緊急時に随時対応する > 「夜間対応型訪問介護」。 > 平成19年に訪問介護大手のコムスンが撤退して以降、 > 安定経営や収益性の問題から > 同社の行っていたサービスに代わる事業者がない。 このまちでは、夜間のホームヘルプはありません。 そして今回の募集でも『ゼロ』となりました。 こんな状態で、『施設』ではなく『在宅』で介護を、と市長が言うならば 介護をしている家族は潰れてしまいます。 ゼロとなってしまった事態に対して 担当の長寿社会課は、来年度以降改めて検討する姿勢です。 しかし、 「そもそもこれは『数値目標』ではなくて あくまでも『事業見込み量』なので ニーズがあるかどうかを含めて検討しなおす」 と、コメントしていました。 本当は、ニーズの調査なんて 今さらしなくても分かっているくせに...。 また、『数値目標』ではなくて『事業見込み量』だ、という言葉は 計画行政を否定している発言であり、フジノは抗議します。 必ず実現しなければならない計画のはずです。 しかも吉田市長はこの計画を実現することが マニフェストの実現だと答弁しています。 吉田市長、必ず実現させて下さい! こんなひどい事態を マスメディアがどこも報道してくれないことは フジノにとっては痛恨の極みです。 このまちの2,074名もの待機をしている高齢方々とそのご家族は これからも苦しみ続けていかねばならないのでしょうか。 その苦しみを少しでも減らしてサポートしていくのが 政治と行政の仕事であるはずですが、今は実現していません。 改めて、フジノは主張します。 このまちで今すぐに在宅サービスを充実させるのはムリです。 あえて「特別養護老人ホームを増加させるべきだ」とフジノは訴えます。 特に、重度の方々や、気管切開・胃ろうをしている方々を 積極的に受け入れられる体制を様々な形で実現していくことが 絶対に必要です。 本来ならば、今日開催された介護保険運営協議会で 夜間のホームヘルプ事業所が実現してほしかったです。 しかし、またもダメでした。 吉田市長はこうした現状を前にしても まだ『在宅でのサービス』でのりきってください、と 市民のみなさまに言い続けるのでしょうか。 |