まちの政治家は、こんなことしてます |
2008年9月22日(月)のフジノその1 | ||||||
● 横須賀の図書館も自殺予防にのりだします! 今日は、教育経済常任委員会が行なわれました。 市長から提出された議案についての 質疑応答と採決の後、 市民の方々からの陳情について 市側の所見と、質疑応答と採決がなされました。 その後は、教育委員会・上下水道局・経済部について 何についても質疑をしてもよい『所管事項』の審査があります。 ここでフジノは、自殺予防対策について 2つの質問を行ないました。 今回はまず、図書館についての提案を 図書館長の答弁と共に載せますね。 (2008年9月議会・教育経済常任委員会・所管事項でのフジノの質疑より)
ということで、図書館長の決断によって 来年度からは自殺予防週間の取り組みとして 図書館も協力して取り組んでくれることになりました! 素晴らしい! 平塚市の図書館の取り組みをただマネるのではなく 横須賀らしい在り方でさらに良いものとして実行してくれるはずです。 もともと図書館が大好きなフジノですので こうした積極的な姿勢にとても感激しています。 本当は自殺予防週間だけでなく、 例えば、ガン対策やエイズ予防ですとか あらゆるタイミングにあわせて 図書館がキャンペーンをして下さるといいなと思います。 |
2008年9月20日(土)のフジノその2 |
● 坂本中学校の体育祭へ/桜台中学校の最後の生徒が卒業するまで 台風による雨が明け方まで降っていたので 朝5時すぎからフジノは 「今日の坂本中学校の体育祭は開催するのかな?」 と心配していたら 朝6時すぎ、スクールネットの坂本中学校のHPに 「体育大会は、予定通り本日は実施します」 とのメッセージが載せられました。 この決断はまさにドンピシャで当たりました。 台風が去っていった今日は とても気持ちの良い青空となりました。 グラウンドも一部が湿っているだけで 朝9時の開会までには、ほぼきれいに乾いていました。 生徒たちは4色のカラー対抗で体育祭を戦うのですが 横断幕もその4色で作られていました。 美術部のみなさんが夏休み中に作成したとのことで とても見事でした。 スローガンは『夢にときめけ 明日にきらめけ』でした。 いいですね〜。フジノも好きな言葉です。 フジノは坂本中学校に到着すると いつものように小幡校長先生にごあいさつをして 開会まで時間があったので少し意見交換をさせていただきました。 さて、体育大会のスタートです! 台風一過で照りつけるような太陽で 雨天の心配は無いものの、暑かったですね。 エール交換は、大きな見所の1つでした。 柔道で関東大会3位という応援団長の 気合いの入った声による緑軍の応援はカッコよかったです。 一方、小柄な体格からは信じられないくらいに 大きな素晴らしい声(こういう声は大好きです)の応援団長による 黄軍の応援もすごく良かったです。 青軍の応援は、僕も中学時代に歌ったことがあるんですけど 応援団長の歌声にカラーのみんなが応えていくという かけあいの応援歌がすごく良かったです。気持ちが燃えました。 残念なことに来賓席から最も離れていたので ハッキリ見えなかったのですが 赤軍の応援は、三三七拍子がユニークな感じでした。 中学生たちが全力を尽くす姿は 観ていてとても気持ちが良かったです。 ● それでも「桜台中学校を存続できなかったか」をいつも考えている 坂本中学校はとても良い生徒たちばかりで あいさつもしっかりとできます。 だんだんとフジノにも坂本中学校と生徒たちに対して 愛着というか情が沸いてきて ただ政治家として桜台中学校が統合された責任を感じている という理由だけで坂本中学校を訪れている訳では 無くなりつつあります。 坂本中学校と桜台中学校が統合されたことで こどもたちが受けることができたメリットがいくつもあることも 冷静に受け止めています。 しかし、そもそもフジノが 坂本中学校の体育祭や卒業式に行く理由は 昨年9月15日の活動日記に書いた通りです。 坂本中学校に編入された、桜台中学校出身の生徒が 卒業するまで絶対に見守り続ける。 この誓いを最後まで守る為です。 政治家として、 最後の1人が卒業するまで見守る責任があるからです。 けれども、見守るだけでは とても政治家としての責任を果たしたとは考えられなくて 一方でいつも考えてしまうのが 「一体どうすれば桜台中学校を無くせずに済んだのか?」 ということです。 フジノはもともと桜台中学校の卒業生でも何でもありませんし、 桜台中学校という名前にこだわりがある訳でもありません。 だから、想い出やノスタルジーで 統合に反対していたのでは全くありません。 そうではなくて、冷静な考えに基づいて 横須賀市として誇るべき特色のある学校だから として統合に反対したのです。 その大切な学校を統合によって無くしてしまったことを どうすれば防ぐことができたのかを、いつも考えてしまうのです。 ここしばらくフジノはある本を読んでいました。 長野県などの過疎の村にある 本当に小規模の学校が廃校にならない為に 越境しての留学(市町村を越えての通学)や 都市からの山村留学などの活動を行なって 都会の学校から新たに生徒たちを迎えて存続をしている という取り組みが記された本です。 この本を読みながら、フジノが念頭に置いていたのは 桜台中学校のことでした。 長野県の本当に山奥の村に こどもが3年間にわたって住み込んで生活していくのですね。 山村での生活を3年間もしも過ごしたとしたら 果たしてこどもたちは元の都市のまちへと戻った時に 都会のペースになじむことができるのだろうか。 けれども仮に横須賀ならば、山や海の自然も豊かですが ある程度は都市でもあります。首都圏にもすぐに出られます。 半分は田舎、半分は都会、そんな横須賀の特色を活かせば 卒業後に都市のまちに戻った後もスムーズにいくはず。 だから、全国から生徒を留学させられないだろうか。 特に、桜台中学校のように 少人数学級で 国際交流に力を入れていて 障がいのある子もない子もインクルージブな教育が受けられる、 そんな特色がはっきり打ち出されていれば 全国から横須賀に生徒を呼び込めないだろうか...。 そんなことを考えていました。 フジノはそもそも教育委員会の主張する クラスの人数が多いことや クラスがえができるだけの数が必要だとは考えていません。 けれども、あえて教育委員会の主張に沿って もしそうやって生徒数を増やすことができていたとしたら 桜台中学校はその良さを活かしながらも 統合されずに済んだのではないか...。 今となっては、叶うことの無い空想に過ぎないのですが それでも考えずにはいられないのです。 ---------------------------------------------- 桜台中学校の統合の際に起こった 反対運動の動きによって 明らかに横須賀市の学校統合の動きは さらに丁寧に慎重なものになっていったという感じがしています。 けれども、伝統や信頼など大切なものほど 1度失われてしまったものは絶対に再び元の形には戻らない以上、 桜台中学校の統合は 政治家としてのフジノにとって この先も将来にわたってずっと考えていかねばならない、 分析し続けていかねばならない、 大切な課題です。 だから、最後の卒業生が無事に卒業を果たしたとしても フジノにとってこの問題は 決して終わることが無いのだと考えています。 |
2008年9月20日(土)のフジノその1 | ||||||||||||||||||
● ひとり親家庭の自立支援の在り方とは? 3月15日から半年ぶりに 『ひとり親家庭等自立支援の在り方検討会』が開かれました。 昨年度は『ソフト面』の支援はいかにあるべきかについて 7回にわたって議論がなされたのですが 今年度は『ハード面』の支援について 4回の検討会を予定しています。 ハード面の中でも 特に『母子生活支援施設』に焦点をあてた議論を行ないます。 ● 母子生活支援施設はどうあるべきなのか 母子生活支援施設というのは、 かつては母子寮と呼ばれていたものですね。 (詳しくはぜひこちらをご覧下さい) 横須賀に公郷に1ヶ所あって、横須賀グリーンハイムといいます。 フジノはこの母子生活支援施設がどうあるべきかを これまでいろいろと考えてきました。 2005年頃までは、建てかえをすべきだと考えていました。 (2005年決算議会・決算特別委員会でのフジノの質疑より)
けれども、その後、行政側との議論を通じて 2006年頃になるとフジノは 建てかえという考え方をやめて 市営住宅への優先入居や 民間アパートなどの借り上げ家賃の補助など いずれにしても新しい在り方で対応すべきではないか と提案しました。 (2006年予算議会・民生常任委員会でのフジノの質疑より)
それから1年後、 ・単に施設の問題だけではなくて ・母子家庭だけではなく父子家庭も含めた『ひとり親家庭』を ・『ソフト』と『ハード』の両面から総合的に議論をしていく 検討会の立ち上げが決まりました。 それがこの2年間にわたる 『ひとり親家庭等自立支援の在り方検討会』です。 政治家フジノにとっての大切な長年のテーマですから これからも検討会の行方を見守りつつも 市議会でも積極的に 提案を続けていきたいと考えています。 |
2008年9月17日(水)のフジノ |
● 速報!市職員採用試験の差別的条件の撤回と謝罪を受けました 全国のみなさまに一刻も早くお伝えしたいので 短い文章ですが、お許しください。 9月14日のこのコーナーで書きました 横須賀市の職員採用試験における 身体障がいのある方々への募集要項の差別的な条件について 先ほど、総務部長・人事課長らから フジノが直接に今回の件についての説明を受けました。 結論から申し上げますと、以下の通りです。 ・今回の募集要項の採用条件(具体的には(4)と(5)です)は 横須賀市側に問題があったことを率直に認めます。 ・このような事態が起こった理由は 決して悪意に基づくものではありません。 ・募集要項に不適切な文章表現をしてしまったのは あくまでも認識不足からくる事務的なミスであって 市には、障がいのある方々の雇用をせばめるような意図は 全くありません。 ・今回の採用試験については、 タイミング的にどうしても訂正が間に合いませんでした。 ・このような表現をとった為に今回の受験を 断念した方がいらっしゃる可能性も当然考えられますので 昨年度と全く同じ募集条件に戻して 今年度中にもう1度、 採用試験を必ず行ないたいと考えています。 とのことでした。 いろいろな想いは当然ありますが フジノはこの説明を受け容れることにしました。 (でも、もちろんこの件について、市長への一般質問は行います) あくまでも事務的なミスとの説明を受け容れつつも 総務部人事課が100%の撤回と謝罪を表明したのは 全国のみなさまのおかげだと フジノは考えています。 本当にありがとうございます。 特に、障害者欠格条項をなくす会のみなさまには こころから感謝しております。 改めて、こころからお礼を申し上げたいです。 本当にありがとうございました。 |
2008年9月16日(月)のフジノ | |
● 自殺対策の街頭キャンペーン、最終日でした! 自殺予防週間に横須賀市が初めて行なった街頭キャンペーンも ついに今日が最終日。京急久里浜駅前で開催しました。 初日(横須賀中央Yデッキ)、 2日目(追浜駅)の両日とも 「2時間かけて何とか配り終えられるかな?」 と用意したリーフレットをわずか40分で配り終えてしまうという、 うれしいハプニングがありました。 市民の方から 「18時までというので17時すぎに駅前に行ったけど もう終わってしまって誰もいなかった!」 というお叱りのメールも頂いたこともあって 急きょ、リーフレットを50部追加で作って今日は臨みました。 それが...さらに最短記録が出てしまいました。 なんと25分で全て配り終わってしまったのです。 あまりにも早く配り終えた原因は たぶん、この男のせいです(笑) ↓ 横須賀史上最強の最終兵器、吉田雄人です! こっそり手伝いに来てくれました。 雄人、本当にありがとう! ----------------------------------------------- 25分で配り終わってしまった後も 保健所の健康づくり課長がマイクを使って 行き交う市民の方々に自殺予防週間の意味をお伝えしました。 1時間が経過した頃、参加者のみんなで集まって 輪になってこのキャンペーンの労をねぎらいあいました。 順番にみなさまに感想を言っていただいて 最後に記念撮影をしました。 ボランティアの方々がみなさん 口を揃えたかのように 「またこういう機会があったら必ず参加したい」 と言って下さいました。 本当にありがとうございます。 自殺対策街頭キャンペーンに関わってくださった 全てのみなさまに、こころから感謝を申し上げます。 蒲谷市長を筆頭に市の関係者のみなさま、 保健所健康づくり課精神保健福祉班のみなさま、 横須賀市自殺対策連絡協議会のみなさま、ありがとうございます。 精神保健福祉ボランティアのみなさま、 そして、たくさんの市民ボランティアのみなさま、ありがとうございます。 受け取ってくださった全てのみなさま、 本当にありがとうございました。 ● 大成功に終わった本当の理由は、自死遺族の方々の存在です 3日間、全ての日が大成功でした。 横須賀市初の自殺対策の街頭キャンペーンは 初の試みだったにも関わらず、何故こんなに成功したのでしょうか? 自殺への人々の関心が高くなっているから、とか テレビやマスコミで連日報道されるようになったから、とか 理由を分析しておられる方がいました。 それらも理由の1つかもしれませんが こんな分厚いリーフレットを 仕事帰りや学校帰りや買い物帰りの市民のみなさまが わざわざ受け取ってくれた本当の理由はもっと違うところにある、と フジノは考えています。 今回の大成功の理由は、 自死遺族の方々のボランティア参加があったからだ と、フジノは断言します。 ------------------------------------------------- 連日、たくさんの自死遺族の方々が ボランティアとして配布に参加して下さいました。 その光景に僕は、毎回、涙が出るほどうれしかったです。 かつて、『自死遺族』という言葉さえ 知られていませんでした。 やがてその言葉が知られるようになった後も、 自死遺族はただひたすら悲しみに追い込まれているだけの存在として 固定化されたイメージにあてはめられて世間から見られてきました。 でも、そんなことは無いんです。 人の数だけ、いろいろな方がいらっしゃいます。 同じ1人の人間の中にも、強い時の自分と弱い時の自分がいます。 だから、自死遺族といってもただつらくて苦しんでいるだけの 弱いだけの存在ではありません。 大切な人を亡くしたその痛みや苦しみを もう他の人に味わってほしくない その想いで、こうやって街頭に立って 一緒にキャンペーンを行なう自死遺族もいるんです。 2年前の5月、自殺対策基本法案の提出をめざして 横須賀中央Yデッキで フジノたちは署名活動を行なったことがあります。 その時にも自死遺族の方々とともに 人前で顔をさらして署名活動を行ないました。 当時、人前に出ることができる自死遺族の方々は 本当にわずかでした。 (もちろん、それでいいのです。 ムリに人前に出る必要なんて全くありません) でも、それから2年間の活動の末に かつてとは大きく状況が変わったことを実感しています。 日本の風土のもとでは自殺について語ることはタブー視されて 遺族であることさえ、恥として扱われる社会状況がありました。 それがようやく変わりつつあるのです。 自死遺族の方々も、大切な人の死を胸に想いながらも 『防ぐことができる死である自殺』を無くしたいと 世間に向けて訴えることができるようになりつつあるのです。 このことこそが、横須賀市初の街頭キャンペーンが 大成功に終わった本当の理由だとフジノは考えています。 例え、「自分は自死遺族です」なんてわざわざ名乗らなくても この悲しみの想いを胸に秘めている僕たちは きっとリーフレットを渡す時の想いが 特別なものなのだと思います。 こころに持つ想いが全く違う、そういうオーラみたいなものは 絶対に他の方々に伝わるのだと感じます。 バイトとしてお金で雇われてティッシュを配っている人々たちとは 全く別の種類のエネルギーが自死遺族の方々にはあると思います。 その深い想いは、他の人々にも 確実に伝わるものなのだと僕は感じています。 だからこそ、リーフレットが 毎日あっというまに無くなったのだと想うのです。 もしも、行政だけでこのキャンペーンを行なっていたとしたら ここまでは成功しなかったはずだと感じています。 ● 自殺の数だけ、遺族も5倍は存在している。見えないだけ。 こうして最終日も予定よりも早く終わりました。 フジノは、京急久里浜駅から横須賀中央駅まで 自死遺族の方と一緒にお話をしながら電車に乗って帰りました。 大切な方がどのように亡くなってしまったのか、 その時に自分はどんな状況に追い込まれたのか、 そして今置かれている状況がどういうもので どんな風に変えていきたいと考えているのかなどのことを 電車の中でこんな風にふつうに話せる日々が来るとは とてもフシギな感覚でした。 (僕は理想主義者なのでこんな日が来ることを ずっと信じてはいたけれど) 横須賀中央に着いてからフジノは モアーズ(横須賀中央の駅ビルです)に入りました。 カタバミのTシャツを着たままだったのですが お店の方からいきなり話しかけられて 「ああ、フジノさん。今日のキャンペーンは終わったんですか?」 と、店員さんに話しかけられました。 一瞬、僕は何のキャンペーンのことなのか分からなくて 「え?何のキャンペーンでしたっけ?」 と逆に尋ねてしまったのですが その方は僕の着ているカタバミTシャツを指さして、微笑みました。 そうか...。 僕が知らないところでも予想以上に たくさんの市民の方々は 自殺対策の街頭キャンペーンを知っていてくれるんだ。 とてもありがたい気持ちで、胸が温かくなりました。 ● こんな生きづらい社会は、必ず変えることができるから。 毎日のように僕は、生きていることに疲れ切って 何故こうやって自分が生きていなければいけないのかを考えます。 誰にとっても生きていくことは とてもタフなことの連続で、 けっこう苦痛なことがたくさんあります。 政治家だからって、決して人よりもタフな訳ではありません。 しばしばこころが折れそうになる過労ぎみな時に ふと僕のこころに、 名前も知らない、でもこんな風に 自殺対策の活動を ひそかに応援してくれる市民の方々の顔が浮かびます。 自殺対策の地方議員の会の代表が自殺してしまったら みんな許してくれないよな、と思い返して とにかく今日1日だけ、何とか生き延びよう、と 自分に何とか気合いを入れなおします。 何の為に生きなければいけないのだろう? という僕の当面の答えは、 きっと横須賀市で自殺予防対策を進める為なのだと思います。 自分自身の未来にはあまり希望が見えなくても まわりの人々に希望を語ることが僕にはできる。 だから、進んでいくのだろう、と想うのです。 今日で自殺予防週間が終わっても 僕の中では終わることはありません。 365日、24時間、いつもどうしたら こんな生きづらい世の中を変えていけるのだろうかと 切実に考えています。 明日からも毎日が僕にとっては 自殺予防週間です。 必ず、この社会は変わります。 僕はそのことを一瞬も疑ったことはありません。 だから、どうかみんなも一緒に前に歩きだしてほしいのです。 それでも決して諦めることなく、一緒に歩いていってほしいのです。 1日に約90人もの方が追い込まれた末に自殺をせざるをえない そんな生きづらい社会は、でも絶対に必ず変えることができます。 みんなで力を合わせて、どうか一緒に前に歩みだして下さい。 あせることなく、りらっくすしながら。 決して諦めることなく、希望を信じて。 みなさんが信じ続けてくれる限りは 僕も全力で前に進んでいきます。 一緒に歩いていきましょう! |
2008年9月14日(日)のフジノその2 | ||
● 第4回「WHO世界自殺予防デー」シンポジウムへ 今日は、東京のお台場にある東京ビックサイトへ。 第4回目となった 『WHO世界自殺予防デー』シンポジウムに参加しました。 もちろん主催は、NPO法人自殺対策支援センターライフリンクです。 素晴らしい活動を行なってきたこのNPOが もしも存在しなかったとすれば、 日本の自殺予防対策がここまで進む為には もっと恐ろしいほど長く時間がかかったはずだとフジノは思います。 諸事情からフジノはいま NPOライフリンクの一員ではありませんけれど このシンポジウムでみなさんにお会いすると ふるさとに帰ってきたような 安心できる気持ちにとてもなります。 何故なら、自殺対策がほとんど無かった最初期の頃から 全国で活動を続けてきた同志の方々が たくさんいらっしゃるからです。 第1回のWHO世界自殺予防デーのシンポジウムに参加して、 終了後の懇親会で乾杯の発声をフジノがさせてもらったことを 今もとてもよく憶えています。 あれから数年、まだまだ自治体によって温度差はあるとはいえ 日本の自殺予防対策は大きく変わりました。 世界自殺予防デーである9月10日には わが横須賀市でも 自殺予防の為の様々な啓発行事が行なわれるようになりました (例えば、2006年、2007年)。 このWHOの世界自殺予防デーシンポジウムも 内閣府と東京都が『共催』してくれるようになりました。 さらに、第1回から引き続き後援してくれているWHOに加えて 超党派の国会議員でつくる 『自殺対策を考える議員有志の会』も『後援』してくれています。 このように政府や国会議員のサポートが 得られるようになったことを、とても心強く感じます。 僕がこのシンポジウムに参加したのは3年ぶりなのですが こうしたハッキリと目に見えるポジティブな変化をいくつも感じました。 日々、地道に自殺予防対策の活動を 横須賀でがんばっていく上でも こうした変化はフジノにとっても大きな励みに感じました。 ● 自殺のリアルな実態を、そのまちごとに把握して分析する 今日のプログラムの大きなものは ついに完成した『自殺実態白書』をもとにした提言でした。 下の画像が『自殺実態白書』の 『第1版』と『第2版』ですね。 左の『第1版』は、横須賀市の自殺対策連絡協議会で 資料として配布されたものです。 この『自殺実態白書』と共に フジノがとても推薦している本があります。
これらによって、市町村ごとの自殺の特徴が かなり把握できるようになりました。 残念ながら、両方の文献とも さらに詳しい分析が行なわれる必要があるのですが 個人個人が置かれていた状況や 自殺へと追い込まれていく社会的な要因の複合的な状況などが ある程度まで、分析がなされるようになりました。 さらに今後、進むべき方向としては、 すでに横須賀市の自殺対策連絡協議会では打ち出しているのですが お1人お1人の方々を事例としてとりあげて 一体何ができたのか、何を行なえば防ぐことができたのか、 どういう連携が必要なのか、制度をどう変えていくべきなのか、 そうしたことをもっと細かく見ていく必要があります。 ● やっと横須賀の自死遺族のつどいが認識されました ところで、今日のシンポジウムの休憩時間に 横須賀市の政治家として、とてもうれしいことがありました。 内閣府の方に呼び止められて、 「先日お話したとおり、横須賀市の取り組みも掲載しましたよ!」 と言っていただきました。 そこでロビーへ実際に見てみると、載っていました! 自死遺族支援の各地の情報が載っているボードです。 画像を『神奈川県』のところをアップにしてみると、 横須賀市の自死遺族の支えあいの会が掲載されていますよね? 内閣府のご配慮に、こころから感謝です。 自殺対策に強い熱意のある志の高い方が 内閣府にいてくれるおかげで くだらないタテ割り行政の弊害から がんばって活動している横須賀市が少し報われました。 何故こうやって横須賀市の取り組みが載るようになって フジノがこんなに喜んでいるかというと 行政のタテ割りの問題のせいで 横須賀市がいくら自殺予防対策の活動をがんばっても 自殺予防総合対策センターのHPである『生きる』や 内閣府の自殺対策のHPに 横須賀市の取り組みが 紹介してもらえたことが無かったからです。 何故そんな扱いだったのか という詳しい事情はあまりにも情けないので ここには書く気にはなれませんが、 やっと横須賀市が名誉回復されたのを感じます。 実は、8月にフジノが内閣府の方とお会いして 30分ほど1対1でお話した時に こうした現状について直接お伝えしたところ 「これからは横須賀市の取り組みも きちんと情報として内閣府でとりあげていきますよ」 と言ってもらえて それが今日、実際に反映されていたのです。 横須賀市保健所健康づくり課&自殺対策連絡協議会のみなさま、 横須賀の『自死遺族の支えあいの会』、本当に掲載されたでしょ? 良かった、良かった、です。 しがらみとかくだらない事情のせいで 横須賀の自死遺族の方々に情報が届かないとすれば それは本当に情けないことです。 今回の改善は 内閣府&ライフリンクに強く感謝しています。 ありがとうございました! ● 全国の仲間と共に、自殺対策を進めていこう! 今日は、本当にたくさんの全国で活躍している方々と 再会することができました。 体調が悪かったこともあって、 全然フジノは公の場に出て行ってなかったんです。 再会した多くの方々にご心配いただいていたり、 かつてと全く変わりなく温かくフジノを迎えて下さったことに こころから感謝しています。 またみなさんの活躍に負けないように 横須賀でフジノもがんばり続けたいと思います。 今日はありがとうございました。 ---------------------------------------------- シンポジウム終了後、 『地域の自殺対策を推進する地方議員有志の会』の同志である 川口洋一さん(高槻市議会議員)に 品川駅構内でお茶につきあっていただきました。 高槻市の自殺対策も、川口さんの活動によって 大きく前進しているのが感じられます。 川口さんは常に勉強熱心で ご自身も相談員として活動をしていらっしゃたり その熱意にいつもフジノは圧倒されます。 今日もその熱意を分けていただきました。 川口さん、ありがとうございました。 さあ、僕も明日からもがんばっていこう。 |
2008年9月14日(日)のフジノ | ||
● 全国に恥をさらした横須賀市の対応 今月に横須賀市は市職員の採用試験を行ないます。 法律で定められた『障がいのある方々の雇用率』というものがあり、 市に限らず、企業は障がいのある方々を雇用すべきことが ルール化されています。 そんなこともあり、横須賀市の一般事務の職員の 採用試験には『身体障がいのある方の採用枠』があります。 本来ならば、障がいのある方々とは 身体障がいのある方々だけではないのに 障がいの種類によって限定しているのは大きな問題です。 知的障がいのある方々や精神障がいのある方々や 高次脳機能障がいのある方々などをはじめ、 障がいのある方々とは 身体障がいのある方々だけではありません。 まずこの時点で大きな問題なのですが、 この9月に行なう試験では、 さらに大きな間違いを横須賀市はおかしました。 受験資格に、差別的な条件を付けたのです。 昨年の受験資格と 今年の受験資格を掲載します。 <2007年>
申込書の記載として 1.手話通訳を必要とする (はい・いいえ) 2.選考会場で車椅子を使用する (はい・いいえ) 3.ワープロ、パソコン等による解答を希望する (はい・いいえ) とありました。 すでに昨年の段階でも(4)の条件に フジノは差別的な問題を感じますが、ここでは触れません。 では、今年の受験資格を見てください。 <2008年>
さらに 申込書の記載として 補装具(車いす、つえ、補聴器、ルーペ、拡大読書器、電気スタンド等)の 持込を希望する場合は以下にご記入の上、 申込時にお申し出ください。 とありました。 昨年と今年でどこが違うか、気づきましたか? そうです、(4)と(5)です。 ● 何故、今さら『口話』に戻るんだ! 日本のろう学校の教育はこれまで間違っていて 『手話』を教えず、学ばせず、使わせず、にきました。 相手のくちびるの動きを見て何を話しているかを推測するトレーニング、 自分も(自分には聞こえなくても)発声して会話をするトレーニング、 いわゆる『口話』という手段を ろう学校では教え込んできました。 これは明らかに コミュニケーション能力の向上には効果が無く、 口話主体の日本の聴覚障がいのある方々と違って 手話主体の世界の聴覚障がいのある方々が 自由に日常生活のコミュニケーションを行なっていることとの 大きな違いになっていました。 この日本のろう教育の誤りは ようやくこの10年ほど改められつつあります。 国連の障害者権利条約の第2条においても 『手話』は1つの言語として正式な位置をしめています。 そんな世界的な流れに逆行して、 横須賀市は何故、今さら 『手話』を排除して、 『口話』による会話が可能な人という条件をつけたのか...。 ● 明らかに『合理的配慮』に欠けており、差別としか言えない! さらに情けないことに、 これまでは ・活字印刷文による出題に対応できる人 (ワープロ、パソコン等による回答も可) としていたものを ・活字印刷文による出題に対応できる人 (点字・拡大印刷・ワープロ使用等の対応はできません) と「できません」にしてしまいました。 何だよ、これは...。 今、日本もようやく世界の動きに追いつく為に 国連の『障害者権利条約』に署名をしました。 署名するだけではダメで、この条約が求めるレベルまで 日本のいろいろな法や制度を直さなければ 条約を批准できないのですね。 この条約の大きな柱となるのが 『合理的配慮』というものです。 合理的配慮が無いものは、差別である、という考え方があります。 それは、あえてひと言で言うならば 精一杯な配慮を行なったけどしかたがない場合は 残念だけれどもしかたがないだろう、というような考え方です。 例えば、1人のおばあちゃんが経営している まちの小さなタバコ屋さんに バリアフリーの設備を新たにつけることを求めたら そのお店そのものが経営破たんしてしまうようなことは求めない、 というような意味です。 最大限の努力をしたら その努力によって本人が潰れてしまうような努力では 差別を無くすことにはつながらない、という風に考えます。 逆に、最大限の努力ができるのにしないということは 明らかに差別である、というのが『合理的配慮』という考え方です。 この考え方の導入で、差別という捉えどころの無い概念が かなりクリアに分かりやすくなったと思います。 さて、そんな中、横須賀市は明らかに 合理的配慮に欠ける条件を新たにつけました。 合理的配慮の観点から見て 横須賀市が点字・拡大文字・ワープロ等を使用することが 「できない」とはとても言えません。 行政である横須賀市は、むしろ民間企業に対して 「障がいのある方々の雇用を進めて下さい」と指導していく立場です。 その先頭に立つべき横須賀市が自ら差別的な対応を行なっていれば 民間企業を指導することなどできません。 フジノは上に挙げたいくつかの条件は 明らかに差別的な欠格条項だと考えます。 これらを改善しなければ 横須賀市は世界の流れに取り残されるばかりか 『横須賀市人権都市宣言』を出したばかりなのに 早くもその宣言はただの空虚な紙きれに成り下がってしまいます。 ---------------------------------------------------- これらを初めて知った時、 「障害者差別禁止条例を横須賀市でもつくろう!」 と市議会で訴えてきたフジノはあまりの情けなさに 怒りを感じるよりも 恥ずかしくてたまりませんでした。 毎日配られるあまりにも多すぎる書類の山の中に たぶん1〜2ヶ月前に配られたであろう 採用試験の受験要綱もフジノは読んでいませんでした。 この問題を教えてくださったのは 九州の方がメールでフジノに指摘して下さったからでした。 つまり、フジノがこの問題を知った時には すでに全国のあらゆる方々が この問題が怒りをもって語られていました。 全国の方々が怒るのは 当然のことです。 全国レベルの問題だとフジノも率直に感じます。 こんなことが横須賀市で許されれば、 全国の行政がずるずると差別的な条項を入れていくでしょう。 その時にひきあいに出されるのが 「横須賀市がやっているんだから、うちのまちもやる」 という言葉です。 そんな事態は絶対に許せません。 この採用試験において 横須賀市が差別的な条件を新たに作ったことは大きな問題です。 こんなことは間違っています。 この問題について、蒲谷市長に対して フジノは9月議会で一般質問します。 市長にはこうした差別的な条件の撤回を求めますが そもそも何故こんなことをしたのかを ぜひ明確に答弁していただきたいと思います。 |
2008年9月13日(土)のフジノその2 | |||
● 横須賀市の対応について、報告します 朝9時29分に議会事務局から連絡があって、 横須賀市の市民安全課(危機管理・国民保護担当)からの 全議員宛の報告をメールで受けました。 以下がその内容です(PDFはこちら)
また何か分かりしだい、ご報告いたします。 (2008年9月13日・朝日新聞・夕刊より) (2008年9月13日・毎日新聞・夕刊より) |
2008年9月13日(土)のフジノその1 |
● 原子力空母反対のテロならば、その方法は間違いだ! 現在、日付が変わって1時半です。 市民の方から 「激しい爆発音がして、消防に通報しました。 2時間ほど過ぎた今も警察がたくさんいます。 こどもが怖がって眠れません」 という連絡を受けました。 インターネット上のニュースよりも この方の情報の方がとても詳しかったのですが ニュースを引用します。 (MSN産経ニュースより) 横須賀の山林で爆発音 基地狙ったゲリラ事件か? 12日午後10時半ごろ、 神奈川県横須賀市汐入町の山林で、 「爆発音がして火のようなものが見えた」と110番通報があった。 付近には米軍横須賀基地や海上自衛隊横須賀基地があり、 横須賀署は基地を狙った ゲリラ事件の可能性もあるとみて慎重に調べている。 同署などによると、基地内への着弾や、 けが人は確認されていないという。 発射台とみられる鉄パイプのようなものが 1つ見つかったという情報もあり、同署が確認を急いでいる。 この日、横須賀市は外務省から 米原子力空母「ジョージ・ワシントン」が9月25日に入港する という連絡を受けている。 --------------------------------------------------- いまだ詳しい情報が無い中で 政治家が推測で何かを述べるのは危険ですが 推測の中でもあえて申し上げたいのは もしもこれがゲリラ事件であるとするならば もしも原子力空母に反対する為の抗議のテロであるならば それは方法が、間違っています! 確かに、政治は不甲斐なかったでしょう。 原子力空母を止めることができなかった。 昨日の正式発表はじくじたる想いで受け止めました。 この事態に政治家の1人として責任を痛感しています。 けれども、政治が機能しないから じゃあテロルが許されるかといえば 民主主義国家である日本では 絶対にそんなことは許せません。 フジノの政治家としての信念は 原子力空母をはじめとする全ての原子力艦船・核兵器に反対ですが それと同じくらいの強い気持ちで テロルにも嫌悪感を抱いています。 アメリカ軍の理不尽さに怒りを抱えたとしても テロはやり方がまちがっています。 ましてや今回の事件では、 市民の方々がまきぞえになりかけています。 さらに、たとえ標的がアメリカ軍基地だとしても そこには日本人もたくさん働いています。 また、そこにいるアメリカ軍の兵士たちも 貧しさやどうにもならない状況から抜け出せると信じて 軍隊に志願している若者たちで 彼ら・彼女らの意思で アメリカ軍の戦争を左右できる訳ではありません。 憎むべきはブッシュ大統領を筆頭とする アメリカ政府の今の世界戦略を動かしている人々です。 今このまちの基地を攻撃しても、何も変えられない。 今回の事件のような行為は、 尊い人々の命を傷つけて生活をおびやかすだけで 全く何の意味も価値もありません。 この事件は徹底的に捜査がなされて すみやかに容疑者が逮捕されることを願っています。 どれほど原子力空母や基地の存在が憎いとしても テロルという手段を取れば、それは最低です。 民主主義のこの国では、言論こそが最大の武器であるはずです。 |