まちの政治家は、こんなことしてます


2011年3月19日(土)のフジノ
● ハコモノ3兄弟(その2)美術館の赤字は3億8224万円

 毎年、市民のみなさまに報告をしてきた
 『美術館の赤字はいくらになるのか』を今年も報告します。

 オープンから3年間にわたって
 予算ベースで4億円台の赤字でした。

 1年目、4億3240万円の赤字。
 2年目、4億3398万円の赤字。
 3年目、4億2010万円の赤字。

 そして、昨年、ようやく赤字は3億円台になって

 4年目3億9400万円の赤字

 そして、来年度予算案では

 5年目、3億8224万円の赤字

 となりました。

 内訳はこの通りです。

 (2011年度予算における収支)
収入 支出
観覧料         3996万円
駐車場使用料     1212万円
特別利用料         1万円
 -----------------------
(合計)       5209万円
給与       1億1875万円
運営事業費   1億0415万円
管理事業費   2億1143万円
 ---------------------
(合計)    4億3433万円

 収入から支出をひくと、
 3億8224万円の赤字です。

 収入の『観覧料』では、6万6,350人
 (個人5万6,550人、団体9,800人)の見込みです。

 1円でも多く赤字を減らしたいと訴えてきたフジノにとって
 やはり全く賛成できない予算案です。

 管理運営費用(予算)の赤字は
 5年間の合計20億6272万円です。

 これだけの税金をもっと別の使い方ができたならば
 もっと多くのいのちと暮らしが守られたことでしょう...。

 この1つだけをとっても
 来年度予算案に反対せざるをえません。


● ようやく島田館長が引退へ

 ただ、美術館問題について
 1つだけ良いことがありました。

 オープンから館長を続けてきた
 島田章三氏が今年度限りで引退することになりました。

 この1点だけは、評価したいです。

 かねてからフジノは

 (1)今の形のままならば、館長を廃止すべきだ

 (2)館長を残すならば、責任を明確にして市職員を館長にすべきだ


 と訴え続けてきました。

 フジノはおかしな現状をずっと問題提起してきました。

 島田館長は、非常勤扱いで
 1日に2万6000円もの報酬が出ていました。

 毎年4億円も赤字を出している美術館ですから
 本来ならば、経営トップは
 火の車で働かなければならない。

 それなのに、2007年度決算によれば
 1年間にわずか33日間、
 1ヶ月にたった2.75日しか館長は現場に来ませんでした。

 こんな勤務実態では、館長は単なるお飾りです。
 お飾りならば、報酬はもっと下げるべきです。

 さらに、経営感覚が全く無い彼の姿勢に対して
 フジノは強い怒りを感じてきました。

 例えば、過去の活動日記でも報告しましたが
 『横須賀美術館評価委員会』(2007年7月6日)の場において

 非公開の場でのお気楽さからか、
 島田館長はこんな発言をしてきました。



 <美術館の活動方針・評価指標についてのやりとりを議事録から引用>

  H委員
  「日本の美術館は、3年目から入館者が減るのですよ。
   そこが欧米とは根本的に違います」

  島田 章三(館長)
  「だから、今日この資料を見て、
   私もあまり数字を出すなと言った。


   あまり数字を出すと
   ハードルつくったみたいになってしまいますから。

   来年はこれを越えなければならないみたいな感じになる。
   数字が一人歩きしないように、そうなると困るなあと」

  T委員長
  「そうですよね。こういうものをつくるのは、
   あまりケチな根性でつくられるとやっていられないですよね。

   でも、きっと行政がやると
   数、数、数、でくるのが危険ですね」


  O委員
  「最初はそうでしょうね」

  H委員
  「できる時にかなりの反対があったので、
   ああいう数字をチェックして見ている方がいて、

   しかも最近は議員の方も
   ブログや何かで発信していますからね。
   そのことだけは考えた方がいいですよね」




 税金という公金を使って
 運営している美術館だということを全く理解していない。

 一連の発言には無責任があふれている
 と、フジノは考えています。だから、許せませんでした。

 さらに、昨年の予算議会で指摘したのですが

 島田館長は自分自身の作品を展示する企画を進めていながら
 市議会議員のW議員には
 「辞めたい」と漏らしている。

 W議員はそれを決算特別委員会の場で、公にしました。

 辞意を持っているならば、
 自分自身の作品の企画展なんて絶対にやるべきではない。

 それは不遜ではないかとフジノは感じて、
 強く批判しました。

 (2010年3月15日・教育経済常任委員会での質疑より)



 最後に美術館について
 どうしても1点触れずにはいられないのですが、

 昨年の決算特別委員会での議事録を拝見すると、

 決算特別委員会の委員(=W議員)の
 発言の中に

 「館長はもうお辞めになりたい、
  早く辞めたいという発言をされている。

  自分(=W議員)にはそうたびたび言っている」


 という発言がありました。

 非常に不穏当な発言だと思いながら見ていました。

 当然、それを受けて
 館長に真意を確認されたかと思うのですが、

 実際はどうなのでしょうか。








 昨年たしか11月だったと思うのですが、
 館長に意思の確認をいたしました。

 その結果、続けていただけるということなので、
 同じような形での予算の計上をしてございます。




 これで最後になりますが、

 まさに今行っておられる企画展の『ワンダーシニア30』は
 館長ご自身が提案して行っておられるものですし、

 僕はかねてから館長の勤務日数を

 「もっと来るべきだ。

  仮に愛知芸術センターの総長をやっておられて忙しいからとはいえ、
  館長を引き受けておられるのだから、来るべきだ。

  来ないのだったらおやめになるべきだ」

 と提案してきたのですが、

 今回、『ワンダーシニア30』をやっている時期ぐらいは
 ふだんより多く来ていただいているのでしょうか。









 『ワンダーシニア30』はご自身の講演会も含めて
 3回、企画展の講演会を行なっております。

 ご自身の講演会、島田章三の講演会ということです。

 それから堺屋太一の講演会、
 3月の終わりですが、吉田喜重という映画監督の講演会。

 その講演会にはすべて足を運んでいただいています。

 それから、オープニングのセレモニーもございました。
 内覧会もございました。

 そのとき、それ以前に32名の方の展示をしていますので、
 5日ぐらい泊りがけでおいでいただいている状況でございます。





 月2回勤務ということで報酬が計上されておりますが、
 ご自身が経営者である美術館なので、
 ぜひもっと小まめに来ていただくように。

 そして現場の声を
 館長自ら聞いていただくように。

 今、僕には今美術館運営課だけが頑張っているように見える。

 『名誉館長』なんて言われないように、
 ぜひ来ていただくようにお願いしていただきたいと思います。



 このように、館長の経営トップとしての姿勢を
 4年間にわたってずっと追及してきたので

 島田館長が引退なさることは

 横須賀美術館にとっても
 市民のみなさまの税金のムダ使いを無くす為にも

 とても良いことだとフジノは考えています。

 どれだけ美術業界では評価されていても
 それは、経営とは全く無関係です。

 名誉職のように彼に就任を依頼した
 過去の市長にも大きな責任があります。

 来年度からは館長は空席となります。
 実際の実務は、教育委員会の部長が担うことになります。

 委員会での議論では
 「館長不在は問題だ」という意見が出ていましたが

 フジノは断言します。
 「不在で全く問題ありません」

 ようやく一歩前進です。



2011年3月18日(金)のフジノ
● ハコモノ3兄弟「芸術劇場」の借金の残高

 震災への対応に全力を尽くしている毎日ですが
 予算議会のまっただなかでもあります。

 市民のみなさまの生活にリアルに直結している
 来年度予算案について話し合う、とても大切な場なのですね。

 その予算案の中身を
 少しでも多くみなさまに紹介していきたいと思います。

 フジノがこのまちの『負の遺産』として
 『ハコモノ3兄弟』と名付けた3つの施設があります。

 芸術劇場、美術館、ソレイユの丘の3つです。

 そのうち、最大のハコモノが汐入の『横須賀芸術劇場』です。
 今年でオープンから17年になります。

 借金の総額はなんと339億3000万円です!

 平成22年度末の芸術劇場部分についての
 借金の残高は、131億6517万円です。

 (同じく芸術劇場と一体となっている建物に
  『産業交流プラザ』がありますが、
  こちらの借金の残高は6億2072万円です。
  つまり借金は合計140億円になります)

 建設にかかった借金を返し終わるのは、2020(平成32)年
 まだまだ年数がかかります。

 (財政部・予算資料・P55より) 

 ハコモノ3兄弟の次男は、観音崎の『横須賀美術館』です。
 今年でオープンから5年目になります。

 平成22年度末の建設費の借金残高は、
 36億8869万円です。

 ハコモノ3兄弟の三男は、長井の『ソレイユの丘』です。

----------------------------------------------------

 ハコモノが持つ財政的な問題は
 大きく分けて2つあります。

 まず、上に記したように
 第1に『建設費用の借金』です。

 第2に『管理・運営費用』です。

 ハコモノは古くなっていきますから修理費用も必要になりますし
 使用している設備も更新していかなければならないので

 いつまでもずるずると
 多額の税金が出ていくことになります。

 その点について、下で紹介します。


● 芸術劇場の1年間の赤字は、7億3141万円

 ハコモノの問題点は建設にかかった借金だけではなくて、
 完成してからの運営費用のコストがとても大きくなることです。

 平成23年度の予算案から
 そのコストについて説明します。


 1.芸術劇場・管理事業:5億5632万7000円

 内訳
 (1)指定管理料 4億2004万円
 (2)ベイスクエアよこすか一番館共用部分負担金 1億3199万2000円
 (3)建物総合損害共済基金分担金 84万7000円
 (4)備品購入費 344万8000円

 (1)ですが、芸術劇場は市の外郭団体に運営を委託しており、
 指定管理料(=委託金のことです)を支払っています。


 2.芸術劇場劇場・設備更新事業:1億7508万4000円

 内訳
 (1)舞台機構設備 1億2034万9000円
 (2)舞台照明設備 5473万5000円

 この整備の財源として、950万円は県から補助金が出ました。
 (県からの補助金も、もともとはみなさまの税金です)

 足りない部分は、横須賀市が新たに借金をしました。
 1億5170万円です。

 ということで、平成23年度1年間で
 芸術劇場の費用見込みは7億3141万1000円でした。

 かたや収入はゼロですから
 (フジノは借金を収入とはみなしません)

 つまり、7億3141万1000円の赤字です。

 これほどの税金を使ってまで、あの芸術劇場が必要でしょうか?
 フジノは完全に間違っていると思います。

 もっともっと生活に必要なことに対して
 税金は使うべきです。

 本当に残念な施設です。



2011年3月17日(木)のフジノその2
● 生中継が終わった後の、カメラに映らない場所でのお話

 来年度予算案について
 『委員会』での審議が今日で終わりました。

 あとは、「賛成」か「反対」かの結論を出す『本会議』を
 22日に残すのみとなりました。

 まもなく3月末をもって
 今年度も終わります。

 毎年、予算委員会の最終日には
 定年退職となる方々の『退任あいさつ』が行われる
 慣習があります。

 これはあくまでも慣習ですので
 正式なイベントではありません。

 ですから、委員会のインターネット生中継には流れません。

 そこに立ち会っている市議会議員と市職員と
 傍聴に来てくれた方々だけしか遭遇できない場面です。

-------------------------------------------------

 今日は、2人の方が定年退職のあいさつをしました。

 その1人は、高橋・消防局長でした。


 「私は昭和49年に入庁しました。

  その年は、集中豪雨によって平作川が氾濫して
  本市は大きな被害を受けました。

  訓練を終えてまず最初に出動したのが
  この災害でしたので、とても強く記憶に残っております」

 フジノは、消防局長のあいさつをお聴きしながら
 いろいろな想いがこころをめぐりました。

 昭和49年というのは、フジノが生まれた年です。

 消防局長は、フジノの人生と同じだけの年月を
 火災や災害と闘うために捧げてくださったのでした。

 それは本当に長い日々で、
 さぞかしご苦労もあったことと思います。

 昭和49年7月7日の平作川の氾濫は、
 『激甚災害』の指定も受けた大災害でした。

 『七夕水害』と呼ばれて全国に知られており、
 この水害の写真を特集にしたアサヒグラフの増刊号が
 フジノ宅にはありました。

 父がよく話してくれたこともあって
 何度もこの写真集を見ました。

 自分の暮らすまちで起こった、自分の生まれた年に起こった、
 すさまじい洪水の被害を幼い頃に写真集で見て
 その恐ろしさを強く感じました。

 警察官であった若き日のフジノの父も出動したのですが
 僕が生まれてすぐの災害だったということもあって

 母のこと、僕のことを、とても心配に思いながらも
 警察官として仕事に専念しなければならないつらさがあったことを
 かつて父は話してくれました。

 こうした災害救助の現場を
 まさに消防局長は初出動で体験なさったのでしょう。

 父の姿と重なった訳では無いのですが

 すでに消防局長のあいさつの冒頭の部分だけで
 フジノは涙が出そうになってしまいました。

 「消防の人生のスタートが洪水という災害であった為、
  災害対策へ取り組むことが私の人生の大きなテーマでした。

  そして定年退職を迎える今、
  東北を襲った大災害に直面しています。

  消防局だけでなく、市役所の全職員、
  日本全体が一丸となって、支援に全力を尽くしています。

  その中で、定年退職として決まっていることとはいえ、
  今、現場を離れなければならないことは
  本当につらいことです」

 この言葉を聴いた時、もうフジノは
 涙がこぼれおちるのを止めることができませんでした。

 3月11日の震災から1週間、
 まさに消防局長はこのまちの災害対策のリーダーとして
 この難局に立ち向かってきたのです。

 先頭に立って誰よりもがんばってきた方が
 たくさんの部下を置いて、このまちの市民の方々を置いて、
 持ち場を去らなければならないことは
 どれほどつらいことかと思います。

 もう閉会した後とはいえ、
 議場で涙を流すことは
 政治家として慎むべきことだと思いましたが、

 委員会室にいる、市職員の多くが涙を流しているのを見て
 もうフジノは自分の感情を抑えることはできませんでした。

 いのちを守る為に人生をかけてきた
 その人が今、持ち場を去らなければならないことの無念。

 消防・救急・警察・自衛隊などの人々は
 職務に忠実であるが為に、
 時には家族と心理的・物理的に離れざるをえないことが
 何度も何度もあります。

 災害などで社会全体が不安になっている時でも
 家族のそばにいてあげたいという誰もが抱く
 当たり前の私心さえも捨てて
 公の為に身を捧げなければならないのです。

 それなのに、今、定年だからという理由で
 持ち場を離れなければならないことは、本当に無念だと思います。

 けれども、そんな消防局長を持つことができた
 我が横須賀市はとても恵まれているのだと感じました。

 職務に命を賭してきた方を
 定年退職というかたちで無事に送り出せることを
 僕はむしろ誇りに感じなければならないと思いました。

 そして、そんな消防局長の退職のあいさつを聴きながら
 多くの職員の方々がフジノと同じような想いでいることを感じて
 とてもありがたく思いました。

---------------------------------------------------

 これからも高橋局長は、任期の最後の最後まで
 震災への対応、火災との闘いを全力で続けていくことでしょう。

 さらに、定年退職のその日を過ぎたとしても
 誰よりも災害に強い『スーパー市民』として
 このまちの為に変わらぬ想いでいてくださることでしょう。



 消防局長、今まで36年間、本当にありがとうございました。

 退職を迎えるその瞬間まで、
 いや、任期が終わっても、

 どうかこのまちの為によろしくお願いします!



2011年3月16日(水)のフジノその2
● ポスター写真の撮影をおこないました

 過去2回、ポスター制作をお願いしてきたメンバーが
 全員もう動けなくなってしまっている状況になってしまい、

 3月8日の活動日記に記したとおりで
 今回、フジノはポスター作りをあきらめていました。

 けれどもカメラマンの方がフジノの想いを汲んでくれて
 撮影をしてくれることになりました。

 8日にポスター撮影のお願いをして、
 1度はムリだからと断られたのですが

 フジノはお願いを続けて、10日にOKが出ました。
 でもその翌日に、震災が起こりました。

 これでポスター撮影は無くなった、と
 フジノは覚悟しました。

 もともと政策を訴えることこそが本当の選挙であって
 顔写真を出すことに意味なんて無いと考えてきたフジノなので
 これはこれでいいのかもしれないと思いました。

 11日からずっと毎日の不眠不休で
 心身ともに限界ぎりぎりまで酷使して働いてきて

 震災への対応だけで今フジノは精一杯なこともあって
 改めて選挙なんてやっている場合じゃないのに、と感じています。

 だから、もうポスターなんかいらない。
 そんな悟ったような気持ちになっていました。

-----------------------------------------------

 けれども、昨夜、カメラマンの方から電話をいただいて
 「予定どおり明日、撮影するよ!」ということになりました。

 写真館も休業中でもうずっと閉めてしまっているのですが
 この撮影の為だけに、今日1日だけ開けてくれることになりました。

 その心意気に打たれて、
 ポスターを作ることにもう1度挑戦することにしました。

 昨日からフジノは市民の方と共に
 被災地へ支援物資を送る取り組みをスタートしたのですが

 その対応で一睡もできないままに
 朝いちばんで撮影に向かいました。



 上の写真、フジノの顔は疲れきってますね(苦笑)

 4年前のポスター撮影の時には人生で初めて
 眉毛を描いたり簡単なメイクをしたのですが
 今回は全くそういう配慮は無し。

 徹夜続きで目は血走り、目の下のクマはすごい。

 でも、これが今の生身の僕なのだ。
 政治家が笑ってる必要なんか無い。

 そんなふうに感じました。

----------------------------------------------

 いざ写真館に入ってみて、すぐに問題が発生しました。

 写真館はふだん閉じてしまっているので
 いくつかの撮影機材が揃っていませんでした。

 フジノは、過去2回のポスターと同じく
 背景は何も無い真っ白にしたいのですが

 背景にする為の白いスクリーンが
 ありませんでした。

 大急ぎで白い模造紙を買ってきてスクリーンのかわりにするか
 背景の色を白以外に変えるか(グレーのスクリーンはありました)
 いろいろな意見が出ました。

 その結果、ダメでもともとで
 部屋の壁の白い部分を使って撮影することにしました。

 窓枠と、棚の間にあるわずかなスペースに
 平らな白い壁があります。

 そこに座って撮影することにしました。

 スペースがわずかしかなくて、
 すぐ隣にはDVDが置いてあるし、
 フジノは思わず苦笑い。

 こんなところで撮影する人なんて
 フジノ以外に絶対いない。



 こうして、ついに撮影が始まりました。

 8年前も4年前も友達が何人も来てくれて
 ワイワイ騒ぎながら撮影したのとは違って、
 今回は3人だけの撮影です。

 人手が無いので、レフ盤も
 フジノ自身が持っていますね。
       ↓


 何日も十分に寝ていないことと疲労が強くて、
 撮影中でさえも睡魔に襲われてしまいました。



 15年近く通っている美容院の美容師さんが
 フジノのことを心配して駆けつけてくれたのですが

 ときどき髪の毛を直してもらって
 撮影をしました。



 16枚、撮影をしたところで、終わり。

 前回(4年前)は、デジタルカメラであるという気楽さもあって
 2時間ゆっくりと時間をかけて撮影しました。

 それが、今回は20分も経っていませんでした。

 でも、その場にいた3人ともが
 これで十分なのだと、納得していました。

 みんなが同じ意見になりました。

 僕はもともと撮影だからって
 顔をとりつくろうこともできないし、

 写真を撮られながらもずっとこころの中では
 震災のまっただなかで、

 「僕にはやらなければならないことがたくさんある」

 と強く想い続けていました。

 その強い気持ちは、きっと最初の1枚目で
 十分すぎるほど写真に映ったはずなのです。

 だから、わずか16回シャッターを切っただけで
 フジノのポスター撮影は終わりました。



 撮影中は、最後の最後まで
 一瞬も笑うことができませんでした。

---------------------------------------------

 終わった後に3人で
 すぐ隣のおそば屋さんから出前をとりました。

 いすも無いので、床に座って、
 3人でおそばを食べました。

 こうして3人で会うのは4年ぶり。
 おそばを食べたのは、初めてのことでした。



 なんだか震災で固まってしまったこころが
 少しだけほどけたような気がしました。

 3人で再会できると思ってなかったから
 本当にうれしかった。

 おそばを食べると、またすぐにみんなバラバラに
 それぞれの仕事や向き合わなければならない現実へと
 戻っていきました。

 いつか、あらゆることが落ち着いたら
 もしもそんな日が来るとしたら

 もう1度、みんなでおそばを食べたい。
 今度はゆっくり食後にお茶も飲もうね。

 さあ、がんばろう。
 やらなければならないことがたくさんある。



2011年3月15日(火)のフジノ
● 募金活動へのご協力に心から感謝しています

 「今できることをみんなでやろう!」

 という呼びかけを受けてスタートした募金活動ですが、
 昨日の合計総額は、なんと

 40万624円でした!

 素晴らしい!



 そして、けさは
 汐入駅前で募金活動を行ないました。

 本隊は横須賀中央駅で活動していましたが
 けさから街頭募金活動の駅を増やしていくことになって
 フジノは汐入駅前の担当になりました。

 (いつもながら新規開拓はフジノの担当です!)

 朝6時50分くらいにフジノがまず1人きりで到着すると
 閉まったシャッターの前でたくさんの方々が立ち尽くしていました。

 すでに昨夜、京浜急行のHPには
 「明日朝6時半〜10時は一部区間で運行停止」
 と発表されていたのですが、

 その情報が届いていない方々が
 ぞくぞくとバスで汐入駅へ来ておられたのです。

 すぐにフジノは京急バスに電話をして

 「バスの運転手のみなさまに
  電車の運行停止のアナウンスさせてくださいませんか」

 と要請をしました。

 「すでに朝、全ての運転手に伝えてある。
  アナウンスもするように伝えてある」

 というお返事でしたので

 「改めてお伝えしていただけませんか」

 とお願いしました。

 それでもそれからもどんどんバスがやってきては
 電車に乗る為の人が降りてきました。

 そして、汐入駅の閉じたシャッターを観てはため息をついたり、
 悪態をついて怒っている人も増えてきました。

 そこで、けさは募金活動をメインというよりも
 次々とバスから降りてくる市民の方々に情報提供することにしました。

 「あくまでも現時点での情報ですが
  京急は、一部区間で10時まで運行停止しています」

 と。

 けさは疲労困憊の方々が多くて
 フジノも八つ当たり的にかなり怒鳴られました。

 でも、募金活動の仲間たちはけさもがんばってくれました!



 休校になった逗子高校からは
 高校生たちが募金活動に来てくれました!



 しかも、募金をしてくれたこちらの女性は
 その場で電話を入れて運航停止の事情を話すと

 「10時まで動かないなら、それまで手伝っていきますよ!」

 と、募金活動隊に飛び入りしてくれました!



 一緒に活動してくれた高校生たちをはじめ、
 みなさまにこころから感謝しています。



 そして、冷え込んだ早朝から足止めを受けながらも
 声がけをしていた僕たちを逆にねぎらって下さった市民の方々も。

 つらい時ほどお互いに励ましあってのりきろうという気持ちを
 痛いほど感じました。ありがとうございます!

---------------------------------------------------

 今日の募金総額はなんと

 19万9005円でした。




 夕方になって主催者の水沢さんから
 電話が入りました。

 明日からフジノはみんなでの募金活動には
 参加できないことになりました。

 「政治家を入れるな!」

 「フジノの選挙応援してるんじゃない!」

 という不満の声が
 新たに募金活動に参加しだした人々から
 たくさん出たそうです...。

 もともと誰よりも早くひとりきりでフジノが始めた活動だったのに。

 それでも、究極のゴールは
 『被災地支援&復興』です。

 目的を達する為には、手段を問わないのがフジノです。

 フジノがいなくなることで活動に参加しやすくなる人々が
 どんどん増えるならば喜んでフジノは撤退します!

 というわけで、明日からは
 みんなとの募金活動にはフジノの姿は無くなります。

 でも、情報発信のサポートは続けます。

 そして、予算議会の期間中で疲労しきった心身を
 募金活動から離れることで、少し休めることができます。

 震災からの復興は、何年もかかることです。

 募金活動などのひとときの熱狂は
 うつろいやすく冷めやすいのもまた現実です。

 でも、フジノは政治家ですから
 ひとときの熱狂ではなく何年経とうともどこまでも最後まで
 その責任を負わなければいけません。

 みんなが忘れてもいつまでも忘れないのがフジノの仕事。
 遺された方の想いを受け止め続けるのがフジノの役割。

 しっかりと働き続けます。


→日記過去分の目次へ
→はじめのページに戻る